第十八話
プールで遊んでから数日、連絡をとりあっているうちに、よそよそしい感じが少しずつ無くなり、今では誰よりもウマが合うような気がする。
今日はその那月くんと図書館で勉強会をすることになっているが、お姉ちゃんが二人がどんなことをするのか気になるという理由から、僕に同行してくるみたいだ。向こうも年子の妹が連れてくるようだが、受験生だから仕方ないだろう。
「いくらなんでも多すぎない?」
持ち物が多くなると思ってリュックを選んだのにも関わらず、それさえもパンパンにしていた。本は数え切れない程あるだろうが、持ってきてたら良かったと思わないよう、あれもこれもと荷物を入れたら、思っていたより重くなってしまったが、全部必要な気もするので、結局何もカバンから何も出さずに持っていくことにした。
図書館の中に入り、那月くんの居る場所を探していると、ちょうど参考書とにらめっこしている二人を見つけた。恐らく隣で勉強しているのは妹さんだろう。机の角の方に座っていたので、僕達はその二人の正面に座る。
「綺麗な字だね」
一番カバンから取り出しやすかったノートを机の上に置くと、お姉ちゃんが手に取って中を覗きだした。見られて困ることは書いていないが、断りもなしに目を通されるのは気持ちのいいものではない。
参考書を出して、強引にノートをお姉ちゃんから取り返して勉強を始める。今日は分からないところをどんどん質問するつもりなので、付箋を貼っているところを中心に復習するつもりだ。
キリのいいところで一息ついていると、妹さんが手を止めていた。僕に解る問題なら手伝ってやりたいが、お兄さんである那月くんに任せた方がいいかもしれない。
「私が教えるから大丈夫」
僕の考えを察してくれたのか、お姉ちゃんが教えに向かってくれた。元々は僕と那月くんだけでやる予定だったから、手を焼かせないように気を遣ってくれているのだろう。
イスを後ろに引く音に気づいたのか、顔を上げて僕達の方を向いた。その後に隣に座っている妹であろう人の肩を叩き、何かを催促していた。
「松河愛美です」
淡々とした自己紹介を済ませ、軽く頭を下げる。僕とお姉ちゃんも愛美さんに自己紹介して、最初にやるべきことだったことが終わった。
お姉ちゃんが愛美さんの隣に座ると、初対面とは思えないくらい話しかけている。中学生で習ったことだから、いくらでも教えることはできるだろう。でも教科書やノートに指を差しながらやっているということは、直接やり方を言っているんじゃなく、考えさせながら答えに導いているのだろう。
もう十分に休憩したので、そろそろ勉強を再開することにしよう。今やっても分からないところは飛ばして、後でまとめて那月くんに聞くことにしているが、付箋の付いていないページもやると、意外とどの科目も理解しているつもりところが多かった。
一通り終えたところで、分からなかったところを聞こうと席を立つと、同時に那月くんも僕と同じことを考えていたようだ。
示し合わせたかのようなタイミングになってしまったので、互いに自分が相手の方に行くと譲り合った結果、那月くんが折れてイスに座った。
「これはこうなると思う」
分からないところを教えあったり、二人で問題の解答を見ながら、納得するまで話しあっているうちに、時間があっという間に流れていけばよかったのだが、愛美さんの冷たい目線が気になってきた。
「すみません。気を抜いてました」
お姉ちゃんが愛美さんの肩を叩いて、勉強の方へ気を向けさせていた。あの目は意図的にやっていたように感じたが、素に戻ったときの反応を見ていると、無意識のうちに目に光が宿っていないような淀みの視線を送っていたようにも感じる。
「どうしたの?」
頭の中にさっきの残像が残っていて、それに集中を乱されてしまった。あんな誰も見たことがないような無表情で、一点を見つめてくるという行為は前からあったのだろうか。
「ちょっと怖かったから」
そう言った途端に那月くんは妹の方へ向いた。そういうことだとしたら、いつ頃から愛美さんのアレが始まってしまったのだろうと疑問に思う。
「慣れると平気だから大丈夫」
慣れるまで何回やられているかは知らないが、性格的に両手の指で数えきれるような回数ではないだろう。監視されているような状況に置かれているのを想像すると、僕では到底耐えられなかった。
「まぁ、頑張ってね」
これよりもっと良い言葉があったのかもしれないし、もう頑張っている人に言うのはおかしいんじゃないかとも思ったが、この言い方以外に何も思い浮かばなかった。
微妙な雰囲気のまま勉強を再開するも、チラチラと愛美さんの方を見てしまう。気付かないうちに僕が嫌なことをしたのではないかと思うと、気になって仕方がない。
「どうかしましたか」
僕に見られていることに気づいたのか、勉強しながら聞いてきた。勘付かれないとは思っていなかったが、いきなりのことで何が起こっているか分からなかった。
「言えないような理由なんですか」
状況を理解してから返答するまでに時間が掛かり過ぎたせいで不審感が増したのか、さっきよりも強い口調になっていた。
「凄い頑張ってると思って」
思っていたことの一つではあるが、この状況だと言い訳のように聞こえてしまうかもしれない。
心配が当たってしまったのか、黙ったまま勉強を続けており、僕に対して反応を示さないのが答えだと言っているようだ。
「一人で勉強してくる」
何事も無かったかのようにしている姿が怖くて、那月くんに一言残してから、できるだけ三人から離れたテーブルの席に着く。自分勝手だとは自覚しているが、逃げる以外の選択肢が一つも思い浮かばなかった。
勉強をキリのいいところまで終わらせ、トイレの出入口から一番近いところに入ろうとすると、もうすでに誰か入っていた。奥の方で用を済まし、手洗い場に入っていくと、愛美さんとばったり会ってしまった。
「気を遣ってもらって、すみません」
当然何も話さないと思っていたので、突然話しかけられたことに驚くと同時に、何に対してのことを言っているか、頭の中で模索をすると、一つだけ思い当たることがあった。
「僕もお姉ちゃんが付いてきてるから、気にしなくていいよ」
きっと二人の邪魔をしてしまっていると思っているのだろう。一緒に勉強をしている分には何人居ても同じだし、そんなところまで気を回してくれなくてもいい。
「それもありますけど、私の反応のせいで席を外させてしまって」
付いてきてしまったことじゃなく、僕が席を移動したことについてのことを言っているらしい。でもあれは僕が空気に耐えられないから違うところに行っただけであって、気を遣ったわけではない。
「こっちこそ嫌な気分にさせちゃってごめんね」
元はといえば僕が変なことを口走ってしまったのが原因だから、謝られることなんて何一つされていない。
トイレから帰ってきて、お姉ちゃんの隣に座って肩をトントンと叩くと、顔だけ向けてくれた。
「ありがとう」
何か打算的なことがあったんだろうが、あのギスギスとした雰囲気を変えてくれたおかげで、ここに居やすくなった。
「もっと感謝してくれてもいいのよ」
正面に向き直して、ドヤ顔で腕を組みながら偉そうにし、チラチラと僕を見てきた。さっきまで素直に嬉しいと思っていたのに、こんなことをされると無性に腹が立ってくる。
また肩をトントンと叩き、こちらに顔を向けさせると、人差し指で少しキツくデコピンをする。
「調子に乗りすぎ」
おでこに手を当てて、異常に痛がっているが、そこまで強くやった覚えはない。僕を悪者に仕立て上げようとしているのだろう。
離れた場所に置いた道具を取りに行き、元いたところに改めて座ると、さっきまでの状態とは打って変わって、愛美さんの持ってきている参考書を静かに読んでいる。
タイミングを見計らって、離れてやっていたときに分からなかったところを聞く。勉強のことで話しあえるというのは心強い。
「もしかしてデキてるんじゃないの」
タイミング見計らって、那月くんに分からなかったところを聞き、互いに意見を出しあっていると、お姉ちゃんが本を読みながら、さりげなく変なことを言ってきた。
「ふざけたことを言う口はこれかな」
「痛い痛い」
お姉ちゃんの後ろに立ち、怒りを抑えるために歯をくいしばりながら、思い切り右の頬をつねって、力づくでこちらを向かせた。
「冗談だから許して」
そう言ったところで頬から手を離す。つねられたところを両手で押さえて痛がっているが、おかしなことを言う方が悪い。
少し気がおさまったところで、再び話し合いに戻ろうと冷静になると、さっきの僕の行動は勘違いされかねないものだと気づく。お姉ちゃんが一瞬ニヤついたということは、僕はまんまと掌の上で転がされていたということだろう。
ここで弁解をしようとも思ったが、否定すればするほど事態がややこしくなりそうなので、気持ちをぐっと堪えた。
愛美さんは勉強に集中して、僕達の話は聞こえていないように見えたが、イスとイスの間が若干周りよりも離れている気がし、いらない気遣いをされているように感じる。
このままだとやりづらいので、荷物をまとめて席に戻ろうと、準備をしている途中で目が合う。愛想笑いのような笑顔をされ、一瞬だけ無表情で睨まれた。
「気にしなくても大丈夫ですよ」
僕達の為に言ってくれているのだろうが、その言葉にどんな感情が入っているのか、考えるだけでも恐ろしい。
この後も両手では数え切れないくらいの回数、濁った目で数分間見つめられ、図書館にいる間、とてつもない緊張感に襲われた。
「またいつかやろうね」
愛美さんが居ないところでね、とはさすがに言えなかったが、出来れば次は集中できる環境でお願いしたい。
「今日は楽しかったね」
ウキウキしているような足取りで歩きながら、振り向かずに話しかけてきた。状況を何回も変えている人からすれば楽しかっただろうが、それに振り回される立場のことも少しは考えて欲しい。
「空もイチャついてたし」
僕の横に来たかと思えば、肩に手を置いて趣味の悪い冗談を言い出したので、思い切り睨むと、肩から手を離してくれた。
「でもあんな仲良かったら、勘違いされるよね」
それはそうかもしれないが、事情を分かっている人間に言われると腹が立つ。それに身内が僕に向かって言うのと、見ず知らずの第三者が言うのとでは、同じ言葉でも信憑性が天と地ほど違う。そこのところをちゃんと理解した上で、計算の一つとして利用しているところもムカつく。
「その原理を愛美ちゃんを素直にさせるための荒療治に使おうと思って」
恐らく愛美さんはお兄さんのことが好きだから、嫉妬によって自分の気持ちに気づかせようということなんだろう。
「それって大丈夫?」
そういうことをやると、那月くんの身が危ない気がする。会うたびに痩せ細っていってしまうなんてことにならないといいけど。
「後で爆発するよりはマシでしょ」
そう言われればそうだが、火に油を注いでしまう気がしてならない。そのまま放っておけない気持ちは分かるけど、下手をうって悪化させてしまうのではないだろうか。
「だから頑張ろうね」
そんな期待してるみたいな感じで、背中を叩きながら言われても、大したことは出来ない。
「怖いのは私も一緒だから」
そう言ってる割には笑っているから、この状況を楽しんでいるようにしか見えない。良からぬことを考えているのは確実だろう。こんなことになってしまうとは夢にも思っていなかった。
その日の夜、寝る前に那月くんに連絡をとってみると、いつもより愛美さんがぼーっとしている回数が増えたとのこと。お姉ちゃんが考えた作戦の効果が出たということだろうが、素直に喜べない。
「どうだった?」
電話で話している声が聞こえたのか、僕の部屋の中に断りもなく入ってきた。さっき話したことをかいつまんで言うと、思い通りにいったのが嬉しかったのか、笑みを浮かべていた。
「空が一番適任かも」
今のところ関係が一番深いのは僕だが、こういうのは元から女の子である人の方がいいのではないだろうか。
「どうして?」
「気があるように見えるから」
確かに男女で仲良く話していたら、そういう風に見えても不思議じゃない。思い返してみれば、今日は僕から話しかけているから、周りから見れば狙っていると思われかねないことをしている。
「ということでよろしくね。作戦は私と七海ちゃんで考えるから」
愛美さんの嫉妬を掻き立てる役を確認もなく任命されてしまい、楽しいはずの夏休みが地獄のような日々が変わってしまった。




