第十五話
お待たせしてすみません。
夏休みに入ってから遊びに誘われることがなかったので、どれだけ集中していられるかの自己テストみたいなものをやっていると、一週間ちょっとで全ての宿題を終わらせてしまった。
宿題が終わったということで、昼間に勉強を切り上げたが、やることが一つもなかったので、久しぶりに昼ごはんを自分で作ることにした。冷蔵庫にあるもので適当に調理したものを食べ終え、皿やフライパンを洗いながら次は何をするか考えていた。
洗い物が全て終わって、何もすることがなくなってしまう。こういうときに趣味とかがあれば、何も予定がない今日みたいな日にうってつけなのだが、勉強ばかりやってきている僕に、そんな都合の良いものはない。
やることがないからソファに寝転がってゆっくりしていた。茜さんあたりから誘いの連絡があるのではないかと少し期待していたけど、携帯からの反応は何もなかった。何もしないというのは時間がもったいないので、結局部屋に戻って勉強を始める。
何か連絡はないかなと思い、寝る前に携帯を見てみると、茜さんから明日集まって一緒に宿題やろうと書かれていた。もう宿題が終わっている僕からすれば、ただの自習時間になってしまうが、それでも誰もいないよりはいい。朝の九時に茜さんの家へ集合ということなので、一応目覚ましをセットして眠りについた。
翌日、ベッドから出て勉強の支度をしている途中で目覚ましが鳴る。万が一ということがあるかもしれないから、学校や遊びに行くなどといった外に出る予定があるときはしてあるが、一回も起きる前に目覚ましが鳴ったことは一度もない。でも習慣になったものをやめるというのは意外と勇気がいり、万が一が明日起きてしまうかもしれないと思うと、やめようにもやめられない。
集まる時間のちょうど十分前に到着し、インターホンを押して茜さんを呼ぼうとした瞬間に玄関を開けてきたので、驚いて後ろに飛び跳ねてしまった。
「そろそろかなと思って開けたら、本当に居てびっくりしちゃった」
その割に表情が全然変わってないように見えるのは気のせいなんだろうか。この反応を見ていると、僕を驚かそうと待ち伏せしていたようにしか思えない。
「お待たせ」
後ろから肩を急に叩かれたので、反射で体が前に行く。こんなに僕で遊んで楽しいのかと思ったが、今に始まったことじゃないから、あえて口には出さなかった。
「じゃあ中に入って」
茜さんの部屋に入ると、中心に置かれたテーブルの上に宿題と筆記用具がすでに出されていた。僕達がくる前にやっていたとしたら偉いが、彼女はそんなことをするような人なのかと考えると、おそらく出していただけだろう。
テーブルの前に座って勉強道具を出し、一学期中に習った範囲を復習する。何の科目をするかは決まっておらず、手に取ったものから始めていく。
「宿題はやらないの?」
七海さんが不思議そうな顔をしながら、僕のほうを見てきた。一人だけ違うことをやってたら、気になるのは当たり前か。
「もう全部終わっちゃった」
「えー」
二人とも不自然なくらい驚いていた。この時期に宿題を全部終わらせることは、そんなに珍しいことでもない気がする。
「とか言いつつ、私も八割くらい済ませてあるんだけどね」
「この裏切り者」
下から睨みつけるような目つきで、彼女は七海さんを見る。そんなことをしても悲しそうな表情をしているのは隠しきれていない。それに宿題に手をつけてはいけないなんていう約束はしてないはずだから、ほとんどやっていない茜さんが悪い。
「一時間やったから休憩」
「まだ三十分すら経ってないんだけど」
時計を見てる合間すらないくらい素早くツッコんでいた。漫才の掛け合いみたいで吹き出してしまったが、何事もなかったかのように勉強を再開する。
「取り繕っても笑ってたことは知ってるからね」
何でもないことなのに、なぜか七海さんが言うと脅しのように聞こえてくる。わざと聞こえるか聞こえないか微妙な感じで言っているのが、思った以上に怖くて勉強を止めそうになった。
「やっと宿題終わった」
その声が聞こえた後に時計を見ると、二時間くらい経っていた。ここで一息休憩をとってもいいけど、時間的に後少しで昼ご飯になるので、正午くらいまでは集中して勉強を続けようと思う。
「自習までするなんて、とても私には出来ないわ」
もう勉強が趣味というか習慣になっている僕にとっては、成績が落ちるのが怖いから宿題以外もやらないと落ち着かない。運動が出来ないぶん学力で取り返さないと、僕の長所が無くなってしまうような気がするし、教科書やノートを見返すのは、やることが見つからないときの暇つぶしには最適だ。
「ななみんが終わるなら、私も終わろっと」
テスト前のやる気はどこへいったのか、相手が終わったからという理由で自分も終わるのは良くないと思う。
「今日は水希がご飯を作ってくれるけど、そんなこと言うなら茜はお預けだね」
「喜んで勉強させていただきます」
モノに釣られて勉強を続けるというのは不純だけど、それでもやらないよりはマシだ。それに不純な理由以外で茜さんがやる気になっているところなんて、ほぼ見たことない。
「水希が空に料理手伝ってほしいだって」
勉強を続けようとしたところで、七海さんに肩を叩かれた。どんなものを作っているか気になるし、手伝いに行くのは別に構わないけど、一人じゃ時間がかかるものなんだろうか。もしそうなら、そんな料理を僕達だけの為にやってくれなくてもいいのにとも思う。
そんなことを考えているときに、どうやって水希くんは家の中に入ってきたのだろうかと、今更ながら疑問に感じた。
「似合うものが多すぎて困っちゃう。これで男の子っていうのも私的にはイイ」
キッチンに着くと、もう水希くんは茜さんのお母さんに料理されていた。蛙の子は蛙とはよく言ったもので、茜さんの性癖はお母さんから遺伝していることが、この光景を見て一発で分かった。
「なんでここから出ていこうとしてるの?」
音を立てずに退散しようとしていたのに、僕がここに居ることは筒抜けだった。その言葉で金縛りにあったように体が言うことを聞かなくなってしまった。これは単に勘が鋭いだけなのか、水希くんに僕が来るように連絡して誘導しているかのどちらかだろうが、今はそんなことよりも、この状況をどう切り抜けるかを考えるほうが大事だ。
「あなたが中川空さんよね」
そう言いながらゆっくりとホラー映画の怪物のように近づいてくる。体が動かない状態だから言葉で対処するしかないが、たとえ動いたとしても結果的には捕まるだろう。性癖は茜さんのように歪んでいて、頭の回転の速さは七海さん以上だろうから、あまり気が進まないけど、潔く諦めるというのも一つの手ではある。
「茜から話は聞いていたけど、実物は想像以上にいいわね」
ゆっくり近づいてきているはずなのに、もう僕の目の前に来て、つま先から頭まで品定めするような感じでじっくりと見つめられ、何かを企んでいるような悪い笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます」
自分では情けないと思いつつ、水希くんに目線を向けても笑顔を見せるだけだった。こんな人に反抗できる能力があれば、あんなオモチャにされないよなと、助けを求めるのは諦めて大人しくすることにした。
「やっぱり可愛い子には、それに見合ったものを身につけさせないとね」
この先の出来事は嫌でも忘れられない出来事の一つとなった。結局僕がウェイトレス姿で水希くんが普通の女の子が着るような服を着させられていた。僕より水希くんみたいなコスプレでもない女の子の普段着みたいなもののほうが、かえって精神的にきついかもしれない。
料理している途中で時々お尻を触られたりされたが、反応したら負けだと思って頑張ったが、結局セクハラ攻撃に負けてしまった。
呼びに行こうとしたところで茜さん達が部屋の中に入ってくる。
「さすがお母さん、分かってますねぇ」
「この可愛さが分かるなんて、茜が私に追いつく日も近いわね」
二人で手を取り合って、互いに喜びをわかちあっている。気があうのは分かるが、僕らで遊ぶのはやめてほしい。何回もやらせて抵抗感を段々無くしていくように調教してるんじゃないかと思えてきた。
「ちょっと姉弟で出掛けてみてよ」
「絶対に嫌」
血が繋がっているだけあって、二人の声が見事に揃っていた。水希くんが嫌なのは女装して外に出たくないという理由で、七海さんが嫌なのは、弟に可愛さで負けるのが悔しいからだろう。
「今日中に茜が宿題を全部終わらせたら、二人で出掛けてあげる」
「その条件ならいいよ」
いくらやる気になった茜さんでも、あの量を一日で終わらせるのは難しいと思う。七海さんも本当にやりたくないから、無理難題を押し付けているのだろう。
食事が終わってすぐに部屋に戻っていくのを見ると、本気であの状態の水希くんと七海さんが一緒に歩いてる姿を見たいんだなと思う。
部屋に戻ると茜さんが尋常じゃない集中力で宿題を次々と終わらしていた。もはや人間とは思えないスピードでペンを走らせていたので、これはもしかすると七海さんと水希くんが罰ゲームを受けないといけなくなるかもしれない。
「全部終わったー」
時間を確認すると四時くらいだったので、まだ食べ終わってから三時間しか経っていない。もう少し掛かると思っていたが、彼女の本気を侮っていたようだ。
「では早速やってもらおうかな」
そう言うと二人は部屋の外へ出て行った。僕は格好のことがあるので、おとなしく部屋の中で勉強を続けていると、いきなりお母さんが入ってきた。
「茜さんと出掛けたんじゃないんですか」
「茜には写真とかお願いしてあるから、後でじっくり見させてもらうよ」
一人だけ残ったと思って安心しきっていたのに、想定外がここで起こってしまうとは夢にも思っていなかった。
「私がここに来たってことは、どういうことか分かってるよね」
嫌でもさっきのことを思い出してしまう。なぜここにきてまで着せ替え人形にならないといけないんだ。ここから逃げようとしても無駄なことは分かっているが、何も抵抗せずに従っていられるほど、僕は人間が出来ていない。
「こんなので逃げられると思ってるの」
僕に近づいてくるときに隙をついてドアから出ようとすると、いつの間にか背後から腕を掴まれていた。どうやら僕の考えは簡単に見破られるくらい甘かったらしい。
後ろを向いてお母さんの方を見てみると、悪い事しか考えていなさそうな笑顔だった。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
僕はあの日と同じように、服を無理やり着させられて、提示された設定をこなしていっていた。大好きな主人に御奉仕しているメイドという設定を今は気力を削りながら演技をしている。
「従順な感じもいいけど、もう少し刺激があってもいいかな」
そう言いながら過激な衣装を手に取って僕に着せていた。どんな設定にされるのかヒヤヒヤしていると、着ている服に負けないくらい奇抜なものだった。絶対にやりたくないことだけど、断ったら何をされるか分かったものじゃないので、仕方なく従うことにする。
「私に踏まれて喜ぶなんて、とんだ変態ね」
僕は人の親に向かって何をやっているんだろう。行ってはいけない道に足を踏み入れてしまっているのに、気分がおかしくなっているのか、もう何も感じなくなってきた。
「私に何か言うことはないの?」
いつもなら機械のように心を無にするんだと念じているのに、今日は何もしなくてもロボットのように感情がなくなっている気がする。これは今の環境が僕をそうさせているのであって、決して慣れからくるものではないと信じたい。
「もっと私を罵りながら踏んでください」
「よく言えました。ご褒美に踏んであげる」
なんか茜さんのお母さんに反撃してるみたいで気持ちよくなってきた。意外に悪くないかもという思いを必死に振り払わないと、そっちの道へ行ってしまいそうになっている自分が怖い。
「もっといい声で鳴けないのかしら」
「申し訳ありません」
着替えのときに持たされたムチらしきものでお尻を叩いて、人が屈している姿を見ていると今まで味わったことのない気持ちが湧き出てきた。このままだと理性が吹き飛んで茜さんと同類になってしまう。絶対にこれだけは避けないと僕に未来はないと思った方がいいと自分に言い聞かせる。
「やれば出来るじゃないの。なんでもっと早くやらないのよ」
変なスイッチが入ってリミッターが外れてしまいそうになる。まさかこんなところで本能と理性の戦いが出てくるとは微塵も思っていなかった。
「すみません」
「謝って許してもらえると思ってるの?」
まだ良心の呵責みたいなものが働いているから自制出来てるけど、それも段々無くなって気がついたら自分を見失ってしまうかもしれない。そうなる前にストップをかけないとエンジンが掛かりっぱなしになりそう。
その心配は七海さんの携帯と茜さんのカメラから出るシャッター音で我に帰るという最悪の形で必要なくなる。
「今日は厄日だと思ってたら、こんな嬉しいサプライズが待ってるとはね。おかげで凄くいい写真が撮れた」
いいネタが見つかったとニヤニヤしている七海さんから今すぐ携帯を取り上げたい。これから少なくとも卒業するまでは脅しに使われるんだろうと思うと、もうそれだけで心が折れる。
「プレイを続けてもいいんだよ」
あんなの人前でやるものじゃないし、それがネタにされると分かっててやるほどバカじゃない。
「嫌々続ける必要なんてないでしょ」
「嫌々という割にはイキイキしてた気がするけど」
逃げ場所がどこにもないというのは、こんなにも心細いものなのかと実感した。
「じゃあいつか遊ぼうね」
茜さんの家から帰っていく。今日は踏み入れてはいけないところに両足を突っ込んでしまったという日として、新たな自分の黒歴史に刻まれて、一生忘れることの出来ない思い出の一つとなるだろう。




