第十三話
一週間を無事に乗り越えて、もう心も体もクタクタになっていた。一晩寝ただけでは、完全に回復することはなく、二度寝したい気分だったが、今日は僕たちと亜貴くんの姉弟と会う約束をしているので、そんなことはできない。
「もう準備できた?」
「いつでもいいよ」
朝食と着替えを済まして、もう迎え入れる準備は万端だ。人に会うと言っても、外に出て移動しなくていいので、体力的には楽だ。あんな暑くて太陽が照っているところ、一秒たりとも出たくない。
「はい。ちょっと待っててね」
インターホンが鳴り、お姉ちゃんが対応する。どうやら、亜貴くん達が来たようだ。家に招き入れるのは初めてなので、なんだか緊張する。
「お邪魔します」
楓さんが家に入る前にお辞儀をしながら、挨拶をしている後ろで、亜貴くんも同じようにお辞儀をしていた。友達の家でも、礼儀を忘れないというのは凄いと思う。
玄関を通して、リビングまで案内する。食卓に使う椅子にお姉ちゃん以外の三人が座ると、しばらく沈黙が続いた。なんでこんな張りつめた空気が流れているのだろうか。はっきり言って、この雰囲気は苦手で、今すぐ逃げ出したい気分だ。
「お茶でいい?」
そう言いながら、冷蔵庫から麦茶の入っているピッチャーを取り出し、僕を含めた三人に聞く。返事が来る前にコップへ注いでいたら、聞く意味がないのではないだろうか。
全員にコップが行き渡ると、お姉ちゃんが椅子に座り、お茶を一口飲む。
「今日は空と楓のことで話があります」
真剣な口調で話し始めた。そんなに深刻なことなんだろうか。そうだとしたら、僕は何をやってしまったんだろうと、記憶の中を探ってみても、何も思い浮かばなかった。
楓さんはカバンの中から卒業アルバムらしきものを出した後、お姉ちゃんが僕のアルバムを持ってきていた。まさか、あの病気のことを話すのだろうか。そうであるなら、楓さんもアルバムを持ってきている意味は何だろう。
もしかして、楓さんも僕と同じ病気だったなんていう、衝撃の事実を言うつもりなのだろうか。でも、そうじゃないとアルバムを持ってくる理由なんて思いつかない。
「じゃあ、見せ合いましょうか」
互いにアルバムを見せ合う。楓さんも僕のと同じ中学生の頃のものだった。お姉ちゃんが受け取った楓さんのアルバムを一緒に見てみると、一年生の時に撮っていた個別の写真には、今とは全然違う学ラン姿の楓さんが写っていた。このキリッとした少年が、本当に楓さんだったなんて信じられない。面影どころか全くの別人というくらい違っていた。
二年生の時の写真には、男の子だったときの姿と女の子の姿のものを同じ名前のところに二枚載せられていた。その女の子の姿の写真は、今の姿をそのまま小さくした感じだった。目の前にいる楓さんを見ると、その頃の面影はしっかりと残している。
「この時になったの?」
「そうだよ。今と全然違って驚くと思ったけど、そんななんだね」
お姉ちゃんを見てみると、表情をほぼ変えずに淡々とアルバムに目を向けていた。いつもと様子が違っていたので、全くの別人みたいに見えた。
「その時の同級生は私が変わりすぎて、本当に私なのか疑ってたよ」
それはそうだ。こんなに変わっているんだから、疑わない方がどうかしている。男の子から女の子に変わるだけでも信じられないのに、整形したとしか思えないくらい顔が変わっているんだから。
「髪とか瞳の色も変わる人もいるみたいだから、まだ私はいい方だよ」
そんな事態にならなくてよかった。僕みたいに性別が変わっただけみたいな感じなのは、不幸中の幸いということなんだろう。
「空は、あまり顔は変わってないみたいだね。中性的な感じから少し女の子らしくなった感じかな」
「そうですね。それに中学から高校にあがるまでの春休みの間でしたから、あまり周りに騒がれることもありませんでした」
タイミングが良かったのもあるし、僕の見る限りでは、こんなに近いところにあるのにも関わらず、同じ学校の人は一人も見かけていない。小心者の僕にとって、環境も味方についてくれたのは、精神的な負担を減らしてくれた一番の要因だと思う。
「私はゴールデンウィーク中だったから、結構大変だったよ」
休みが明けたら、見たこともないような人が学校に来て、見知った人の席に座っていたら、たとえ学校側からの説明があったとしても、違和感を強く感じるだろう。本人はもちろん、周りの人も居心地は良くも悪くも変わったと思う。
「制服もすぐに用意できなかったみたいで、女子用のものが届くまで二週間くらいかかったよ。それまでずっとジャージで学校生活を送ってたのも、今となっては懐かしい」
仕方ないにしても、それはちょっときついな。性転換して姿が変わっただけでも相当な精神的負担があっただろうに、さらに追い討ちをかけるように、周りから浮くようなことをさせられていたのか。こんな事態になったら、少なくとも制服が届くまでは休ませてもらうことだってできたはずなのに、なぜそこまでして学校に行っていたのだろうか。
「なんで休まなかったの?」
お姉ちゃんも僕と同じことを思っていたようだ。別に学校に行かなくても、勉強は家でもできるし、難しいことかもしれないが、周りから教えてもらうという選択肢だってあったはずだ。でも、それを選ばずに学校に行くという選択をしたのには、何か意味はあるんだろうか。
「単純に休むのが怖かったんだと思う。一回休んだら、行きづらくなって引きこもりになってしまったって話、一回は聞いたことあるでしょ」
それは何度か耳にしたことはあるし、理由もなんとなく分かるが、ジャージ姿で学校を登校できるような人は、そんなことにはならないと思う。
「僕からしたら、休むことより制服じゃない格好で学校に行くほうが怖いけどね」
僕も亜貴くんと同じ考えだ。こういうことをできるのは凄いと思うが、肝が据わりすぎていて、恥ずかしいという感情がないのではないかと思ってしまう。
「亜貴、あの時ビックリしてたもんね」
普通は休みそうなところなのに、学校に行くって言われたら、驚きもするだろう。僕だったら、逆に行けって言われても、行きたくないって駄々をこねるところだ。
「きっと、姉さんは怖いっていう感情が無いんだろうね」
「人を化け物みたいに言うんじゃない」
楓さんが亜貴くんの頭をグーで軽く小突いた。この関係性が出来上がったのは、性転換したことで、浮かび上がってくる問題を一緒に立ち向かっていこうとしているからだろうか。
「一区切りついたところで、私から提案があるんだけど」
どういう提案だろうか。同じ性転換した者同士、僕達にしか分からないことを話し合うのもいいかもしれない。
「この事を私達だけ知っていて、茜達に秘密にするのは良くないと思うの」
確かにそうだけど、だからと言って話していいものなんだろうか。事情を知ってくれている人が多いと、助かる面も増えていくだろうけど、そんなに気に掛けてもらってもいいのだろうか。
「なんだか浮かない顔してるね」
「これ以上、気を遣わせるようなことをするのは、なんだか申し訳なくて」
秘密にしているのも嫌だけど、カミングアウトをすると、今まで通りの接し方をされなくなるのではないかと思ってしまい、それが僕にとってはすごく怖い。
「直接相手の口から聞くのと、ふとしたきっかけで気付いてしまうのと、空はどっちがいい?」
それは相手の口から直接聞く方が良いに決まっている。でも秘密にしていた方がいいこともあるのではないかと思う。
「ずっと隠し続けられる自信があるなら、別にそれでもいいけどね」
トゲのある言葉を強い口調で言われた。暗に僕に向かって、そういう能力があるのかと聞いているのだろう。はっきり言って僕にはそんな能力は無いと思う。それに彼女達は鋭いから、勘づかれてしまうのも時間の問題だ。それは分かっているが、自分の口から言うのは、はっきり言って怖い。そして言いたくない理由は、それだけと言ってもいい。
「冷たく聞こえるかもしれないけど、私は空が言おうが言わなかろうが、どっちでもいいよ。結局は本人の意思だし」
あくまでも僕に言い聞かせるように言う。前置きの部分は彼女なりに僕を気遣ってくれているんだろうし、威圧したような感じは無いように見える。でも言葉の圧は凄く重く感じられた。
「でも私は辛い思いをしたくないから、明日は絶対に病気のことを話す。自分のことを隠し続けるなんて嫌だからね」
真っ直ぐと澄んだ目で僕を見つめてくる。その目で何を訴えているのかは、はっきりとは分からないが、その言葉にはものすごい力を感じた。
「私も明日、皆に病気のことを話します」
「よし、じゃあ連絡は私がしておくね」
楓さんの言葉の力に押され、僕も病気のことを話すこととなった。隠し事も悪いことではないが、隠し続ける覚悟がないのに、中途半端にしたって迷惑がかかるだけだ。
これで今日の集まりはお開きとなり、亜貴くんと楓さんは帰っていった。
「明日大丈夫なの?」
「結局は言わないといけないことだったし、こういうことは自分の口から告げないと」
今の自分は僕じゃないみたいだ。こんなに勇気を出せるなんて思いもしなかった。やっぱり楓さんは色んな意味で凄いと思うし、同時に彼女には一生をかけても勝つことはできないだろうなとも感じた。
「あの人に追いつくことなんて、無理だろうな」
「当たり前じゃない。私でも敵わないと思ったんだから」
姉である私の方が僕より上だと、さも当然かのように言われた。それはその通りなのだが、口に出して言われると、なんだか無性に腹が立ってくる。
「じゃあ明日、頑張ってね」
それを言うと、お姉ちゃんは部屋の外へ出て行った。
夕食の時間になり、自分の部屋から食卓へ移動すると、偶然にも夕ご飯はトンカツだった。もうこれで明日は大丈夫だろう。
お風呂と寝る準備を済ませると、僕は茜さん達にカミングアウトする練習をしていた。何回やっても不安だけど、そうしているうちに寝る時間が減っていくので、練習は止めることにした。
翌日、お姉ちゃんと一緒に七海さんの家に向かっていた。誰かに会うこともなく、家に到着すると、インターホンで七海さんを呼び出した。
「もう皆来てるよ」
玄関先に七海さんが出てくると、部屋へ案内してくれた。部屋の中は非常に賑やかで、全員が楽しく笑いあっていた。
「全員揃ったことだし、本題に入ろうかな」
さっきまでの雰囲気がガラッと変わる。この切り替えの速さに少々驚きながらも、僕も真面目に皆と向き合う。
「実は私と空は、元々男の子だったの」
「「えぇー」」
昨日集まった人以外の全員が大声コンテストがあれば優勝できるくらい驚いていて、その驚いている声で腰が抜けそうになった。
性転換した時の衝撃や、それによる家族とどう向き合ってきたかなど、今までどういう経験をしてきたかを事細かに話した。僕よりも楓さんのほうが経験が深いため、必然的に楓さんの話の方が長かったのだが、明るく話していたからか、時間はすぐに経った。
「変わる前の写真、見せてくださいよ」
茜さんが興味を示しながら、僕らに向かって話しかける。そういうことは言われると思っていたので、アルバムの写真を携帯で撮っておいた。
「そーちゃんは、そんなに変わってないね」
「ちょっと今の方が優しそうに見えるくらいかな」
僕も顔を鏡で見ても、特に変わってるという印象は受けなかったので、そういう感想は納得だ。その分、体は凄く変わった気がするけど。
「楓さんは完全に別人だね。面影どころか纏ってる雰囲気が全然違う」
こんなに驚くのも無理はない。病気で人間がこんなに変わることなんてあるのかと思うくらい、見た目が全く違っているんだから。
「水希くんが女の子になったら、どういう感じになるんだろう」
自分で言いながら、意識がどこかに飛んでいってしまった感じに見えた。そのままでも十分可愛いから、そんなに女の子になっても変わらないと思う。でも体が女の子らしくなってしなやかになったら、可愛くなりすぎて男の子は寄ってこられないだろう。
「そんなことになったら、私に勝ち目なんて一つもないじゃない」
家事ができて性格もいい。そして可愛い見た目とスタイルとなれば、僕にも勝てる要素は無いし、アイドル的存在になるのは、もう時間の問題だろう。
「確かにこんな子がいたら、男子からは相当モテるだろうな」
「僕より可愛い人なんて、世の中にいっぱい居ますから、そんなことにはならないと思います」
逆にそんなことにならないはずがないと思う。それにこういうことをすると、女の子には妬みの対象になりそうな気がする。仲が良い友達ができると、その人が水希くんのことを守ってくれるイメージまで浮かんだ。
「理想の女の子を具現化したような感じだから、本当に水希が女の子じゃなくて良かったと心の底から思ってる」
姉として下の子に負けたくないからか、その言葉には熱がこもっていた。でもジャンルが違うから、七海さんを好きな人は空くんには合わないと思う。
「私も水希くんには勝てないと思う」
「なんだか空がそういうことを言うと、腹が立ってくる」
なぜか僕にも矛先を向けられてしまった。どう考えたって僕では水希くんに勝てないと思っただけなのに、そういう風になってしまったんだろうか。
「水希くんとそーちゃんの百合カップル」
茜さんが寝言のように一人で呟いていた。もうそっちの方向に持っていって考えてしまう病気だ。
「七海は空とかと違って、女の子から人気になりそうだね」
「好かれるのはいいんですけどね」
自分の考えがしっかりとしていて、格好良いと思う人が多いということだろう。それに背が高くてスタイルが良いとくれば、女の子に人気になるのも仕方ない。
「七海に守られたいんだろうね」
「私だって女の子なんですけどね。私も楓さんみたいな人になりたいですよ」
包容力があって優しそうな楓さんは、女の子らしいというか、女性らしい。その柔らかい雰囲気には誰もが憧れるだろう。そのかわりに頭の中で何を考えてるか分からなくて怖いけど。
「せっかく全員揃ったんですから、最後に集合写真を撮りませんか」
茜さんが意識を取り戻して、この場に居る皆に言った。その意見に全員が賛成し、写真を撮ることになった。茜さんが携帯を取り出して、全員が写るようにぎゅうぎゅうにつめて、集合写真を撮った。写真を見せてもらうと、くっきりと全員の顔が入っていて、上手く撮れたようだ。
「じゃあ、この写真を皆に送っとくね」
この写真を撮り終わると、全員が荷物を整えて帰っていった。
帰っている途中で、お姉ちゃん以外の人から、よく頑張ったねといった内容や言ってくれてありがとうといったものが送ってくれていた。
「お姉ちゃん、皆からメッセージがきたよ」
「頑張った甲斐があったね」
今日は勇気を出して話して良かった。こんなに優しい人達と出会えて、本当に良かった。




