第九話
ゴールデンウィーク二日目、今日は中村くんの入部している陸上部の大会の応援に行く日だ。中村くんは部活なので、先に行っており、集合場所は会場の最寄り駅だ。
一緒に応援に行きたいと言っていたが、接点がないのにいいのだろうか。ダメ元で全員に行かせてもいいか連絡を取ってみると、太川くんも僕と同じようなことを言われてるみたいだ。人数が多い方が応援される方も嬉しいはずということで、来てもいいということになった。
「来てもいいだって」
「やったー」
子供が欲しいプレゼントを貰ったかのように大喜びしていた。そこまで僕の友達と会いたかったのかと思うほど嬉しそうにしていたので、少し後ずさりしてしまった。
駅の中は家族連れや友達と一緒に来ている人などでいっぱいだった。やはり連休となると、外出する人が多い。こんなに多いと、どれだけ電車の中が混んでいるか怖くなってくる。電車が着くと、座れるところはなかったものの、思ったよりも混んではいなかった。
この中に七海さんとか居るのだろうかと、電車の中を見回してみても、その姿は見えなかった。
「何してるの?」
「この中に居るのかなと思って」
「そんな偶然、なかなかないよ」
いくら集合場所が同じとはいえ、時間帯と乗っている車両が重なることなんてないよなと思いながらも、軽く落ち込んでしまう。
会場の最寄り駅に着くと、もう皆は集まっていた。見慣れない人が一人居るけど、もしかして、この人が太川くんのお姉さんなのだろうか。
「じゃあ、行こっか」
この言葉で全員が会場へ歩き出した。
「私は亜貴の姉の太川楓です。亜貴がどんな友達と遊んでるのか気になって、ついて来ちゃいました」
愛想が良くて、人と打ち解けるのが上手そうというのと背が高いというので羨ましかった。きっと友達も多いんだろうと思う。
「空の姉の風華です。いつも空と仲良くしてくれているのが、どんな人なんだろうと思って来ました」
本当のことを言っているのだろうが、なぜか猫を被っているように見える。初対面だから、最低限のことに気を遣っているんだろうと思っても、気になってしまう。
「良いように見られようとしてない?」
「そんなことないよ」
家の感じと全然違うように見えて、お姉ちゃんにヒソヒソ話で聞いたが、否定されてしまった。本当のことを言っているとは微塵も思えない。こんな疑いをしたくないのだが、気になってしまったのだから仕方ない。
「何の話してるんですか?」
こういうことを茜さんが聞いてくると、嫌な予感しかしない。どうか僕の勘が外れますようにと心の中で神様に祈った。
「空が私のこと大好きだって。そんな小さい声で恥ずかしがらなくてもいいのにね」
「そんなこと言ってない!」
これじゃ本当に言ってたみたいになってしまう。けど状況を考えると冗談だと分かってくれるはずだ。
「姉思いの良い妹ですね。もう少し空も素直になった方がいいのに」
「空は照れ屋さんだから、人に思いを伝えるのが苦手なんだ。それが可愛いところでもあるけどね」
七海さんがお姉ちゃんの話に乗ってくるのは完全に想定外だった。そういえば、この人も姉の立場だから、話に共感してしまったということだろう。
「そうそう。だから亜貴も私に思い切り甘えてもいいんだよ。全力で受け止めてあげるから」
太川くんが実姉に思い切り強く抱きつかれていた。太川くんのお姉さんも僕ほどじゃないにしろ、結構大きいので、このままだと窒息して死んでしまう。胸の大きさで勝っても嬉しくないけど、そんなことをしてると、嫌でも目に入ってしまう。太川くん、僕のせいで巻き込んでしまってごめん。抵抗しても無駄だから為すがままにされていて、諦めの境地に達している辺り、何回もやられてるんだろう。僕は助けられないけど、力の限り応援するから頑張ってほしい。
「風華さん、あれはどう思います?」
「あれは分かっててやってますね。持たざる私達に対する嫌がらせではないでしょうか」
「私も同意見です。とりあえず……」
「「巨乳滅ぶべし」」
二人で何を話してるんだと思ったら、よく分からないことを話していた。こんなことをして楽しいんだろうかと思ったが、そんなことよりも僕たちを見る周りの人の目の方が気になる。
「そろそろやめてあげてください」
「もうちょっと遊んでたかったなー」
僕の制止する声を素直に聞いてくれた。これはこれで、後で何かしそうな気がする。でもとりあえずは、これで冷えた視線が突き刺さることもないだろう。
「雅樹ってどういう子なの?」
「昔は可愛かったけど、今はいけ好かない野郎ですよ」
そういうことを口では言いながらも、なんだかんだで仲が良いように見えるし、こんなことを言っても許される間柄というのは、今までの二人の感じで分かる。自分の思ったことを言い合える友達はいいと思う。
「そうなんだ。じゃあ楽しみにしとくね」
「あまり期待してると、がっかりしますよ」
太川さんがニコニコしながら話してるところを見ていると、明るいお姉さんという感じがして、とても心が癒される。こんなに人が良いと、よく相談事とか持ちかけられそうだろうと思う。心配だからといって、弟に向かって一緒に行きたいと言うのは、僕のお姉ちゃんも含めて、どうかと思うけど。
会場に着き、中に入って観覧席に座ると、もう開会式が行われていた。学校ごとに分かれているらしいが、ユニフォームがどんなものか知らないので、どこに並んでいるか分からなかった。
茜さんと太川くんは、早速可愛い子探しを始めていた。応援をしに来たのを忘れていなければ問題無いが、あの人達は目的が勝手に変わってしまいそうな気がする。
七海さんと太川さんは、同じ弟持ちの姉という立場だからか、二人で楽しそうに談笑していた。
お姉ちゃんは僕の友達や太川さんの様子を見た後、競技フィールドの中を観察していた。一人だと寂しいので、仕方なくお姉ちゃんの横に座って、フィールド内を何気なく見る。
「賑やかで楽しそうな人達で安心した」
お姉ちゃんが小さく呟いた。そんなに僕のことが放っておけないのだろうか。こんな心配しなくても大丈夫と思うのだが、僕が男の子から女の子に変わってしまったことで、私が守らなきゃいけないという想いが、より一層、お姉ちゃんの中で強くなったのかもしれない。
「もう僕は大丈夫だよ」
自分の口から、自然にお姉ちゃんに向けて言っていた。無意識だったので、一人称は僕となってしまったが、他に誰も聞こえてないだろうから大丈夫だろう。
「心配するのは姉である私の役目よ。だから空は私のことなんて気にしなくていいの」
そんなことを言いつつ、お姉ちゃんは嬉しそうな顔をしていたので、その表情に思わず笑ってしまった。
「あっ、何笑ってるのー」
お姉ちゃんが照れながら、僕に向かって不満を言った。お姉ちゃんが顔を赤くするところなんて久しぶりに見たかも。笑い終わった後、開会式は終了しており、ちらほらと観覧席に人が増えてきていた。
中村くんが陸上部の人達と一緒にこっちに歩いてくる。僕たちは、中村くんのカバンが置いてあったところを確認し、他の人が置いてない後ろの方の列に座っているので、わざわざ移動する必要はない。
僕に軽い挨拶を済ました後、隣に座った中村くんが僕に向かって喋りかけてきた。
「空の隣に座ってる人は……」
「空の姉の中川風華です。いつも空がお世話になってます」
「いえ、こちらこそ」
初対面の挨拶を済ますと、今度は七海さんと話している太川さんのところへ行き、さっきのような挨拶をしていた。
競技が始まると、観覧席にいる人達のほとんどが応援しており、中には立って体全体で喜びを表現する人や横断幕を数人で掲げている人達までいた。恐らく強豪校と言われるところが、そういう応援も本気でやっているんだろう。こんなところで周りの応援の声に負けてはいけないとは思うのだが、なかなか声を出せない。
「頑張れー」「いけー」
茜さんや太川くんが、思った通り女子選手のところで大きい声で応援していた。自分の学校の選手が出場していないときでも、全力で応援している。あそこまで出来るのは凄いとは思うけど、あれだけ声援が響いている場内で周りがビックリするほどの声を出して、いろいろと大丈夫なんだろうか。
「私達も負けてられないね」
太川さんが二人の加勢に向かった。そこに加わらないわけにはいかないし、大きい声も周りにつられて出せるかもしれない。
僕だけじゃなく、お姉ちゃんや七海さんも茜さんのところへ行き、自分の学校の選手が出ているときはもちろん、他校の選手しかいないときも一緒に応援した。
最初に声を出すときは緊張したが、一旦出すと、もう緊張なんてせずに大きい声を出すことができ、とても気持ち良かった。
もう僕たちの学校の選手が残っていなくなっても、会場の中に残って応援を続けた。その中に中村くんも加わった。
「今日は楽しかったな」
結局、試合が完全に終わるまで残って、係員さんがやっている掃除もやってから会場から出た。
「手伝ってくれてありがとね。お礼に飲み物買ってあげるよ」
「私達はそんなつもりで、やったわけじゃないですよ」
「いいのいいの。あんな分け隔てなく選手を精一杯応援してくれて、片付けまでやってくれるボランティア精神を持った人なんて、なかなか居ないよ。そんな人達に何もしないなんて、私の気がすまないよ」
「では頂きますね」
皆はお茶や水をお願いして買ってきてもらった。係員さんは、もっと好きなものを言ってくれてもいいのにと言っていたが、大したことをしてないのに、そんな贅沢を言うわけにはいかない。
人に感謝されるだけで、こんなに嬉しかったし、応援することで、自分もその競技に参加したつもりになれるんだなと、身をもって体感できた。こんな経験は滅多にできないので、来てよかったと心の底から思えた。
「今日は楽しかったね」
まさか、あんなに熱狂するとは思わなかった。夢中になっていたから、時間がたつのが早く、もうちょっと応援してたかった。
「これからは私達だけじゃなく、楓さんや風華さんとも遊べるように、連絡先交換しませんか」
「それは名案だね。たまには茜も良いこと言うじゃないの」
「たまにじゃなく、毎回でしょ」
七海さんの言葉に茜さんが瞬時に反応する。なんでこういうところは敏感なんだ。
僕を含めた全員が携帯を取り出して、お姉ちゃんや太川さんと連絡先を交換した。
「ついでに私からも提案」
太川さんが手を挙げて喋った。一体どんな提案なのだろうか。あまり無茶なものじゃなければいいけど。
「これから、ここにいる仲間と七海の弟である水希くんとは、あだ名、もしくは下の名前で呼ぶこと。親しみがあるし、なにより苗字で呼ばれるとややこしいからね」
そういうことなら、僕は大丈夫と思ったが、そういえば茜さんとか以外は苗字で呼んでばかりだった。これから気をつけないと。
全員で駅まで行き、それぞれが自分の家に一番近い駅で帰っていく。いつもの二人と雅紀くんとお姉ちゃんが残ったところで、いきなり僕の話になった。
「空があんなに大きい声を出せるなんてね」
「いきなり近くに来たかと思ったら、大きい声が出てて、ビックリしたもん。可愛い子の応援で私が負けるわけにはいかないって、つい頑張りすぎちゃって、喉が痛いもん」
「本気出し過ぎ」
茜さんの言葉に七海さんが少し笑いながら話していた。なんだか改めて言われると恥ずかしい。でも、これも茜さんのおかげだ。
「今日はお疲れ様」
「また今度ね」
三人は僕たちが降りる一つ前の駅で下車して帰っていった。僕とお姉ちゃんだけが電車内に残された。特に喋ることもなく、ずっと静かなままだった。
駅に着き、改札口から出ていくと、思わず深呼吸してしまった。久しぶりに外の空気を吸ったような感覚があり、開放感があったので、ついやってしまった。
「女子高生の生活は、もう慣れた?」
「もうすっかり慣れたよ」
あまり慣れたくないが、女の子になってしまった以上、適応していくしか道はないので、男の子の時に戻りたいなんていう贅沢は今更言わない。
「なんか女の子で学生生活を送ってる空を見てると、男だったときより元気があるね」
「そうかもしれないね」
女の子になったことで、男の子の時にできなかった友達ができた。最初は女の子相手だったから、すごく緊張した。見た目は同性でも心理的には異性のままだったから、何を話せばいいか分からなかった。だけど、積極的に話しかけてくれたので、打ち解けることができた。最初は変な人に話しかけられていたところを助けてくれたりもしてくれた。この人生の中で、友達ができたというのは、女の子になったからこそなので、感謝している。
「あんな楽しそうにしてる空を見られるなんて、春休みの時には思わなかった」
「僕は今でも夢なんじゃないかと思うくらい信じられないよ」
こんな夢なら、いつまでも見ていたい。友達や仲間がこんなにいるなんて、今までになかったから。
「友達以上の人ができたら教えてね。女の子でもいいけど、できれば男の子の方で」
「そんな人はできないと思うよ」
むしろできたら問題だ。女の子だと茜さんのようになってしまうし、男の子相手なんて信じられない。
「ちぇ、つまんないの」
「つまんなくて結構」
そう言いながらも、僕とお姉ちゃんは楽しく家へ帰っていった。




