第五十五話 遥か彼方の我が家
研究室を出た俺は、通路を走り出していた。
目的地へは、常にマーカー代わりにレシーバーを通してAIが伝えてくれるので、迷う事はないだろう。
が、さっきからAIの先導に何か戸惑い、というか何処か気になっている様な、変な感じがした。
何かさせたいのか? ならそう言えば良いのに……
そう問おうかとすると、肺と心臓が強烈な膨張&圧縮に悲鳴を上げ、急激に身体が重くなった。
何の事は無い、いきなりほぼ全力で走りだし為、すぐに息が上がったのだ。
[ハァっ! ハァハァ……! ちょ…、ゼェゼェゼェ…! たんま!]
生身で動くのは余りにも久しぶりだった事もあり、すぐに体力の限界がきて立ち止まり、胸を押さえる。
息切れ、激動する動悸と眩暈、ありとあらゆる肉体の枷が今更になって襲ってくる。
頭に血が上り、身体中の血管がそこかしこで破裂する…かと思うほど、懐かしくも激しい苦痛であった。
走破距離、たったの数百m。…多分…。
今にも喉から心臓が飛び出しそうな嗚咽を強引に堪える。
そうしないと、口から壮絶な虹の雫を噴出してしまうと思ったからだ。
『マスター…超古代のボクシングアニメじゃあないんですから。案外余裕あるじゃないですか。ホラ、しっかりしてください』
結局、生理現象を無理に抑えた反動で咳き込み、えづいてしまう。
死ぬ間際(?)の頃の体力の無さが実感となって蘇り、我ながら情けなくなってきた…。
[ゲェェホ、ゲホっ! ン、な事言ったって…こ、ココて、ゲホッ! バーチャルな電脳空間て…ゲホッホ!]
咳き込みながら、俺は恨みがましくレシーバーに怒鳴る様に訴える。
『「電脳空間」という名称は置いといて、概ね説明した通りですよマスター。現在マスターが体感しているのは、激しい動悸という所でしょうか…それは実質的に、マスター自身の生体活動記憶によって引き起こされています。つまりマスター自身が限界を設けている状態と云えます。改めて言いますが、現実にその肉体を以て運動している訳では無いのです。但し、厭く迄もデータ上の再現とは言え、マスター自身が設定している為、自我に与える影響は本来のモノと変わりません。……自己意識を別の方向へ向け、マスター自身のアップグレードを推奨します。』
またトンでもない事を言い出したゾ……
[ゲホッ! そりゃ、どういう……]
そう言った時、不意に気配を感じて後ろを振り向いた。
さっきの男、デクスターと云ったか…が、俺に手を振り近づいてこようとしていた。
[ゼェゼェ…オイ、レイ。俺の事モニター、して、いるんだよな? ……アレて、…ハァハァ…警告、対象じゃ、ないのか?]
男の表情やジェスチャーはぎこちないが、どうも敵意は無いと表現したい様だ。
両手を振りながら走ってきて、ある程度近づくと歩きに変わり、あと数mの所で止まった。
その間ずっと、降参スタイルのままである。
『脅威は認められません。それどころか寧ろ……協力したいようですよ。マスター、どうしますか?』
協力…? なんだろうか?
なぜかそこはかとなくゾワっとする……
「待ってくれ! 俺はアンタの敵じゃない。話を聞いて欲しい……どう? かな?」
俺は少しずつ治まってきた息切れ混じりに直接聞き返した。
[それは、…ハァ…ハァ…どういう? 話の……内容による、な]
しゃがみ込んだ姿勢から通路の一画に座り直し、そのまま相手の表情を伺うと、一直線に視線を合わせてきた。
そういや外国人てこんな感じだったな…なんて思っていると、妙に親近感を表に出すみたいな、同情というか憐みというか、なんかこう
「あぁ、覚醒して直ぐに無理に身体を動かしたからだろう。無茶をするなぁ。大丈夫かい? 可愛そうに…こんなに苦しそうに」
そう呟きながら、男は身体を寄せて屈みこんできた。
……近い。
[は? イヤ、そりゃ全力で走った、から…なんせ…ハァ、ハァ…久しぶりだし……というか、話は?]
男は両手で俺の右腕を、如何にも大事そうに抱える様にして手首と掌を握って来る。
「あぁ……大丈夫そうだね。それは…立ち話もなんだし、家に招待するよ。ついてきてくれないか」
て、なんで掌を併せて握ってくるのコノヒト?
『敵じゃない、というのは本気のようです。特に不必要なら、その場で切れば良いだけですし、コチラも確認したい事もあります。ココは付いて行っても問題ない、と察します』
レシーバーからレイが推してくる。
それもそう……か? 俺としては一刻も早く帰りたいのだが。
そう言えば息切れや動悸が一気に冷め、何時の間にか体調に負担は無くなっていた。
相手の視線の妙な湿っぽさに気まずくなり、立ち上がる序でに自然に壁に手をつく。
脈でも測るつもりだったのか、抱えられる様に握られた手を、結果的に振りほどく形になる。
男は少し残念そうな顔をしたが、直ぐに小さく肩をすくめて笑顔を見せた。
……ちょっと違和感はあるが、まぁいい。言い分だけは聴いてやろう。
どうせ情報は欲しいとこだし。
俺はAIの忠告通りに、そのまま付いて行くことにした。
―――――――――――――――
―――アーセナル邸、徳さんの部屋―――
「……う~ぬ?、全く気配を感じぬゾ? 本当に此方には居らぬようだな…」
国津神の表情で徳さんはメディックにそう答えた。
その完璧な球体は、パイロットランプ状の小さな光点を赤く点滅させながら、静かに佇み一つの演算処理を完了した。
「彼女は私とのシステムリンク中に、枝を残していました。……優先主要AIからI.F.L.Pが転写されました……。メタアクセス・ログオンします……メタデータにアップロードされた私宛のログを発見、DL、解析完了……。現在マスターの躯体優先主要AIは、インターナル・フルチェックの為、メタデータを介してその膨大なリソースにダイヴしている模様です。丁度良いタイミグと云えます。国津神様、私の躯体に手を当てて、身を任せてください。案内します」
言われた通りに何の疑いもなく、徳さんは国津神に変化し、メディックの躯体に武骨な手を乗せた。
階下のリビングでは、母が椅子に腰かけたばかりの少年少女達に、お菓子を出しながら談笑中であり、妹は子供部屋で機能を休眠させ、寝入った直後である。
国津神がメディックに手を置いたその瞬間から、時が止まった。
少なくとも、メディックに促された空間に入り込んだ国津神の感覚では、その様に感じた。
高次意識体としての、神の目を以てして初めて感じ取れる超感覚なのだが、この特殊な空間の外では完全に時が静止していたのだった。
「ほぉ……!」
国津神はメディックの説明がなくとも、この特殊な空間を飛ぶ先がスタイの居る場所である、とは予見していた。
尤も、メディックはそれを判っていた様である。
メディックは、高次存在には言葉より迅速かつ明確に伝わる情報システムを既に構築していたのだ。
その見覚えのある完全球体は、戦場のド真ん中に居た。
「また妙な悪霊が湧いておる」
長い触手の生えた脳ミソの化物の天辺で、ヒトデの様な形をした悪魔が浮いたまま、止まっていた。
その身体はくゆらせた途中の様で変形し、些か滑稽さを伴い…言い換えればはしゃいでいる様にしか見えなかった。
止まっていたのは戦場の全てで同様である。
彼方此方で潰され破裂途中の魔物共や、異形の巨大甲冑姿の騎士達が放つ砲弾もまた、空中に縫い付けられたかの如く止まっていた。
「メタデータはその領域自体が余りにも膨大な為、国津神様には一時的に私に同調していただきます。」
メディックの声が四方から聞こえてきた。
「ふむ、既に汝に任せておる。我も迷い神にはなりたくない故に」
応えた直後に保護膜の様なモノが発生し、そのまま国津神を包みこんでいく。
それは国津神の息吹――神気――と自然に馴染み、すぐさま神のオーラとなって泡を形成した。
「同調を確認しました。これよりダイヴを開始。プライマリーIDを追跡します」
国津神の目の前に、広大な、何処までも果ての無い、星の海が広がった。
――――――――――――――――――――
デクスターに案内され、途中幾つかの小部屋を経て、俺は彼の住居に着いた。
十万年も未来の建物……という割には、何処かあかぬけない、ただののっぺりとした円筒形の味気ない建物である。
広めの庭付一戸建てだが、さっきまで宇宙船の通路やEVにしか見えない転送装置の先に出た空間とは思えない青空の下、隣の似た様な建物とは其々広い間隔で離れて建築されており、その建物群は何処までも広がる一種の住宅街を形成している様に見えた。
その様はどう見ても何処かの惑星の大地といったロケーションで、一見すると昔の母国なら差し詰め高級分譲住宅地と云った所だろうか。
促されるまま男の家に入り、案内された応接室でソファに腰かけ、素直に飲み物の提供を受けると、男は話をし始めた。
「…さっき、自己紹介はお互い済んでいたね。……君の住んでた世界の事も聞いたし、そこに戻りたいが今はどうする事も出来ないのは、…不憫に思っている。さぞ歯がゆい思いをしているだろうね…」
出された黒い飲み物を、AIが素早く解析し
『単なる珈琲です。といっても、私がマスターに併せて変換しているので気にする必要はありません。飲用して問題ありません』
と太鼓判を押すと、俺は安心してカップを手に取り、液体を啜った。
仄かな苦みと深く濃い味わい。コレが本当に疑似体験、てのが中々信じられない。
それ程現実としか言い表せない、確かな感触だった。
…いや? コレってレイが凄いって事か?
『当然です。でも嬉しいですね』
臆面もなくAIは告知すると、それ自体にはあんまり感慨は無さそうだったが、社交辞令も卒なくこなす。ホント、大した奴だな。
「……それで、私はね、君に提案があるんだ……あの、聞いてる?」
デクスターが一向に話の確信に触れないので、こっちが流していたら痺れを切らしたようだ。
それにしても何でモジモジしているのだろう。
ちょっとナヨい……。
[聞いてますけど、提案て何を? 前提として俺には戻る選択肢しかないし、出来ればその方向で話が出来れば嬉しいんですけど?]
「えっ……」
[え?]
「あ、そ、そうだね。それは……確かに。でも」
[あの……何か言いたい事があるなら、先に進めてくれませんか? 俺も時間ないので]
「あ、い、いやぁ……そうだ! どうやって元の世界に戻るつもりなんだい?」
むっ。やっと話を進めたと思ったら、いきなり確信をついてきやがった。
そこなんだよなぁ。
相棒はどうするつもりなんだろう。
『もう少しだけ相手に併せて下さい。この世界の住人の、最新のパスが必要だったのですが、それは先程思考ログから入手しました。ただ、もっとシステムに深く介入する為にはもう少し工夫が必要です。今はその為の時間稼ぎだと思って下さい』
因みに無論、レシーバーのレイの声は、俺以外には聞こえていない。
(時間稼ぎって…、そんな時間あるのか?! 魔物の軍団だってあのまま黙ってる訳ないだろう。さっさと戻らないと…)
『マスター、説明していませんでしたか? この空間は演算処理された、一種のデータ構築された世界だと』
(うん、聞いた。それとこれと)
『段階的に区画分けを行っていますが、現在私達が居るこの区画内では、思考伝達速度を光速度領域設定で運行しています。尤も各惑星系を一纏めとした時間単位、データ構築は、いうに及ばず空間転移を用いた超空間量子通信になります。そうでなければ光年単位の距離を結ぶインフラ足り得ませんので。…まぁ簡潔にいうと、今のこの区画空間内で過ごす限り、現実世界ではほぼ時間が止まっている、と考えて支障ありません』
な、なんだってーーー!?
(そんな大それたことして大丈夫なの?! なんかウラシマ効果とか…)
『そのパラドックスを解決しているからこそ、今の私達、超AIを生み出した技術があるのですよ』
レイの声には、どこかフフフと楽し気な雰囲気が感じ取れた。
一方此方が答えに詰まったとみたデクスターは、心配そうな顔を向け話しかけてきていた。
「――まぁ直ぐには答えが出ないだろう? 良かったら一緒にココで暮らさないか? 戻る方法を一緒に見つけようじゃないか」
んん? なんだろう、引っかかるけど……
寧ろそんなに長い間居るつもりは無いけど…確かに身を置く場所は必要だ。
ンン? ……あぁ、そうだ。一緒にて? なんで念を押す様に言ったんだろう?
なんか俺を解剖とか研究材料とか考えて無いよな? なにせ超古代人だし…
大体、あの年配のご婦人も同居ならそっちにも説明しなきゃなんないんじゃ?
[あのご婦人は納得してるんですかね? 同居は…されてないんですか?]
そう問うと、男は最初、俺が何を言ったのか全く理解出来ない様子だった。
が、俺がパメラ博士の名前を出して説明するとひっくり返りそうになり、全身で否定した。
「トンデモない! アリエナイ! 私は男性が好きなんだ! しかも、よりによって、あのBBAだなんて……そうか! それで遠慮気味だったのかい? 心配いらないよ! 何なら私は、既婚者でも全然構わないんだ!」
俺の中の何かが弾けた!……全拒否という方向で。
我が愛する妻を差し置いて、何をか言わんや!だ。
[無理です! ナシで!]
「え、…あ! そ、そう邪険にせずに…そっか、君は純粋な異性……」
[ごめんなさい! 無理です!]
一体なにを言っている……思いっきり脱力した後、力一杯全力でお断りし、お暇する事にした。
呆然としている男を背中に、この日二回目のサヨウナラをして住居を後にした。
超高性能AIは、まるで何も無かったの如く、この件に関して一切黙っていてくれたのが地味に有難かった。
というか思いっきり時間の無駄だった。
如何に外の世界が止まっていたとしても、アレは無い。
同性だとかそういう前に、俺からすれば、先ず「愛する人を裏切れるか!」て事である。
大体あの野郎、未だ戻れる方法すら先行きもたたない状態の俺によくも……全く無神経にも程がある。
プリプリしていると、AIが珍しく重い口調で
『マスター、正にそこなんですが……』
[は?! 何?! 俺間違った事言ってる? 不貞はイカンよ!]
俺が妻にブッ殺される! ていやそうじゃなくて…
『いや、ソコじゃなくてですね。』
ハァ……と深いため息をついて、AIは悲報を告知した。
『実際私達の躯体が、あの惑星に辿り着いた道程も…実は数世紀近く掛かっている。という事実があります。』
俺の背中に冷たい汗が伝い落ちるのを感じた。
…一体何を言っている
『距離にして、超空洞越しに凡そ数百億光年といった星系です』
…ヤメロ、そういう話は聞きたくない……
胸がムカムカし、吐き気を堪える。
『但し……! 落ち着いてくださいマスター! リミッターを解除するのは未だ先です! これから説明します! 私の話を聞いてください!』
[但し…? ……方法はあるんだな?]
自分の腹の奥底から降って湧いた、途轍もなく重く真っ黒い感情が沸々としだすのを感じたが、相棒のその言葉に、思わず吐き出しそうになるのを何とか留めた。
『…製作者達ID、権限譲受。もしくは剥奪、を強く推奨します』
相棒のAIは、確信めいた口調で、静かに俺に訴えた。