第四十七話 帝都で待つ者達
――アルペンスト軍事要塞区域内、迎賓館貴賓室テラスルーム――
「なぁ、さっきから気になってんだが……この音なんだ? 近くにそんな大それた魔獣でも居るのかい??」
ゾラ=インテグレイスは、耳に指を入れてやや大袈裟なボディランゲージをして付き人に問い掛けた。
《第一級戦闘女性騎士団》の団長であるゾラ=インテグレイスの数々の噂は、既に諸外国の騎士団や軍人達は勿論、一般人の間でも有名であり、帝都内の軍人達に取っても今回の聖都訪問団の話題でもちきりであった。
「あぁ、アレは……今回受領される予定の、機動兵器が空を飛ぶ時に出す音ですよ。技術者達の話に因ると「超音速によるソニックブーム」と呼んでいます……なんでも、機体が音の早さを越えて移動する際、大気の壁を突き破る為、ああも断続的で大きな破裂音と衝撃波を放つのだとか。(声低っ!…マジで男みたいに話すんだコノヒト。それにこの動き方ったら……粗野だわ…ヒクわぁ)」
付き人、と言っても今回聖都から来た訪問団に帝都要塞の案内をする女性軍人だが、その彼女の噂に違わぬ豪放な振る舞いよりも、内心ではゾラが警護する要人の方にかなり興味深々であった。
貴族出身とはいえ、彼女マクシリーゼの実家、ミモザ家は当に貴族としての地位を失っている。
「我が娘よ。良い騎士に出会い、良家に嫁くのだぞ! この家はどうだ? 資産も申し分ない……こっちは……」
などと父親を含めた親族達が真剣に彼女を圧迫してくるのも、決して珍しくはないのである。
「(夫になる人くらい自分で選びたい……そう決めて私は軍人になったのだから。)」
彼女自身は、反発心は人並み位だと思っている。
仲間内でも、自分が一人浮いた場所に居るのは自覚しているが、それでも仲の良い友人もいる。
彼女の名を初めてマックスと愛称で呼ばれた時、これからはそう名乗る事を決めたのも、仲間たちとの今の関係が心地良いからだ。
「(だけど……こんな、極端な人には為りたくないなぁ……)」
己の不快感を適度に押し殺し、豪快な女怪を自然に視線から外すと要人の方へ正対する。
贅沢な調度品に囲まれ、同じく気品ある特別あしらえな椅子に優雅に腰掛ける目前の男性を改めて見ると、何処か鼓動が早くなるのを彼女はハッキリと意識しだした。
ここは各国の要人を迎え入れる際に用意された、迎賓館の貴賓室である。
聖都から帝都への召喚転移ゲートを通り、その脚で明日の機動兵器受領を前に、警護責任者である団長と、被警護人の要人の計二人は、警護団のアマゾネス部隊とは別に、受領スケジュールの確認とちょっとした持成しを兼ねて此方に案内されたのであった。
ただでさえ広い間取りを、壁一面の大きな窓ガラス越しの向こうに張り出した屋根の無いテラス部分が、更に開放的な空間を演出している。
テラスと隣接する開け放したガラス扉の外側から、腹の底に響く様な轟音が飛び込んできている。
夕闇に染まりつつある外の風景には、遠方より見渡す限りの山脈の尾根が連なっており、その壮大な空間を時折、複数の淡いピンクの膜に包まれた光球が、山影に覆われた薄闇を切り裂いていく様に帯を引き、光の鱗粉を放散させていくのが美しい。
ゾラは案内人の女性軍人の視線の先を追うと、眼帯をしていない側の右目を一瞬細めて、しっかり魔力眼で捉えると
「ほぅ、アレが、かい……早く目の前で拝みたいもんだねぇ。」
ニヤリ、と口角を挙げた。
其れだけで案内役の女性軍人は、目の前の女怪に獰猛な肉食獣の様な印象を想像してしまい、身震いを抑えるのを自覚したのだが、其れで彼女を責めるのは流石に酷ではある。
寧ろ女怪自体の悪評をかんがみると無理もない話ではあった。
そのゾラに警護される側の要人、クリストフはゾラとはあらゆる意味で明かに対照的な、如何にも物静かな紳士であり、且つその物腰は非常に洗練された人物である。
さも当然の様に、差し出された皇帝御用達クラスの極上のチョコレート状の御菓子を口へ運び、咥内でゆっくりとはみつつ、お茶を優雅に嗜むその姿は、まるで一枚の絵画の如く、正しく堂に入っている。
徐にカップをソーサーに戻し、静かにテーブルに置くと、クリストフは案内人である彼女の言葉を拾って、疑問を口にした。
「空を飛ぶ? 確か重鎧魔動騎士を遥かに超える大きさだと記憶しておりますが……」
マックスと名乗ったその女性軍人は、何かを思い出した様に涼やかな微笑を湛えて返事をした。
「はい、仰る通りです。クリストフ殿下。明日ご案内する演習場にて、実際にお確かめいただきますので、もうしばらくお待ちください。……何か他の物も御用意しましょう。どの様な物がお好みでございますか? ここには御口に合うものが少しはあるかと……因みに、度数控えめのお酒も取り揃えございますよ? あっ……いえ、失礼しました。どうぞお好きな物を仰ってください、お届けします。」
マックスは途中まで優雅に語り掛けて、途中で何かに気付くと急に焦った様子になった。
(中々に器量良しだが……フムン、成程……未だ生娘か……耳ざといのはな。ただ煩いだけの取り巻き共と変わらん。)
あくまで私見による独断とはいえ、自身の家柄上そんな吐いて捨てる程いる取り巻き同様なる人物評価に、一体何の興味が湧こうか。
クリストフはこの手の連中と会話をするのも面倒だとばかりに、さも没落した王族といった雰囲気を演じて見せる。
「……かのタイクーンなら兎も角、私に敬称など必要ありませんよ。我がアルルカン家は聖都では王家といってもリサルディア、バルブレストにも些か後塵を拝しております故にね……何せ私は王位継承権も下から数えた方が早い……況して良からぬ噂もある身……おっと申し訳ない、愚痴るつもりはありませんでした。要らぬ話でしたな。」
と言ってもそんな言い訳は、聖都以外の住人にしか通じない話であるのも確かだが。
ただ、聖都の四王家が其々の得意分野を担当し、等しく隆盛を誇る事実はそれ以外の地域では未だあまり知られてはいなかった。
「い、いえ! 私如きにその様なお言葉など、勿体のうございます……此方こそ差し出がましい物言いでございました。……賤民故の不作法、何卒平にお許しくださいませ。クリストフ閣下。」
一方、巷の噂では、無類の酒好きであるクリストフは嘗て若い時分に、酔うと片っ端から女性に手を掛け、それで身を滅ぼしかけた所か御家騒動にまで発展した。などと尾ひれが付いていた。
確かに一部事実ではあるが、流石に聖都四王家の王位継承者による御家騒動に発展とまでは為らず、真相は藪の中というのが本音である。
実はマックスが途中で問い掛けの言葉を言い淀んだのは、クリストフの一瞬刺すような視線を感じた為であったが、如何にも噂を知っていると勘違いされたまま、逡巡した様を旨く取り繕う事が出来ずに観念するしかなかったのである。
「そう遜る必要など無いのですよ……ただ、私と我が王家とを結び付けて思案されるのはお薦めしません。それはご理解いただきたい。」
マックスは酷く狼狽した様子を見せたモノの、すぐに神妙な表情で潔く謝罪の浸礼を慣行した。
(これでこの生娘も此方に落胆し、要らぬ目配せもしなくなるだろう。)
…そう思っていた時期が私にもありました…
的な、ちょとした驚きをクリストフは実は後から思い知るのだが、この時は未だ気付いていなかった。
影のある強者(または富める者)は、其れを好むモノに取り垂涎の的になるのは世の常なのであるのだ。
よしんばクリストフは程好く容姿も整っており、又年相応の経験豊かな印象を与える雰囲気や言動、見た目からも偶像崇拝の素質は充分なのであった。
「(へ!……色仕掛け使っても失敗してんじゃねぇか、世話ねぇな。ウチの奴等の方がよっぽど根性あるぜ? 大体、見た目からして反りの合わねぇ小娘だ……ま、ウチの跳ねっ返りの方が美人だけどな!)」
マックスからしてみたら、色目など発揮する以前の大失態であったのだが、ゾラには知った事ではなかった。
ただ部下なら未だしも、自分の影響範囲外に居る、況してや他国の一下士官に突っかかるのも肝っ玉の小さい奴のする事ではある。
「(俺はそんなケツの穴の小っせぇ奴じゃねぇんだぜ?!)」
知られたら心底引かれる心の声は押しとめて、敢て無関心を装い子芝居じみた科白を吐くゾラ。
「早く……明日に為らないかねぇ……ソレにしてもメイリーダの奴、何処ホッツキ歩いてんだか。」
ゾラは内心、マックスを「玉の輿を逃した軽薄女」とレッテルを貼るも、如何にも自分には関係ない世界だ。
といった趣で其れ以上彼女を相手にするのを辞めた。
――――――――――――
ブルッと、女騎士が唐突に身震いし、妻と大魔女が声を掛けた。
が、特に何でも無さそうだ。
「どうしたの? 今、目に見えて身震いしたけど、寒いの?」
「あら、寒いの? 一応適温より高めだけど……心配ね、何か暖かい飲み物でも飲む?」
「いえ、何かゾクッと悪寒が……一瞬だけでした。もう大丈夫です。ありがとうございます、ミラ様。リベイラ殿。」
「イカンなぁ、女性は特に身体冷やさんようせなアカンで?」
「御心配なく!」
オウマが珍しく(?)真面目に心配するも、どうにも素直に受け取って貰えない様である。
間髪入れないメイリーダの返事がトゲトゲしい。
まぁ無理も無いかもね(苦笑)
『主殿……』
「その如何にも諦めた表情するん、ヤメぇ! なんや、主殿言いながら頭ポンポン叩くフリすんなや! 演出過多なんじゃ! イヤミか!」
『あれ? お姉様、なにかとてもスカッとします! コレは主殿の矯正への道が開けたかもです!』
「オマエ……ホンマにムカつくAIじゃのぅ!」
『ヤレヤレ……』
「……」
[ほらほら、漫談はその辺で。ね? もうすぐ帝都着くからさ!]
「別に漫談なんかしてへんで?! ……スタやん、ホンマはワイの事嫌いなん? 傷つくわぁ。」
[なんで? 嫌ってないよ? 空気読まないそのキャラ、俺助かってるよ?]
「…それ、遠回しに落としてへんか?」
「「…ププ……ブフ!」」
[ほら、ね? ちゃんと笑いを提供してるジャン。イイキャラしてるってば。]
「そ、そっかぁ?……まぁエエねん、ワイはさっさと帝都いうとこ行って楽しみたいんや!」
なんてギャーギャー騒ぎながら、俺達は帝都までの道のりをテクテク歩いて行く。
帝都の南口正門ゲートが肉眼で詳細まで見える所まで来ると、辺りはもう殆ど暗くなっていた。
ついさっきまで空から轟音がかなりの数轟いていたが、其れも段々収まりつつあった。
俺のグリッドには機動兵器――STA――が其々アルペンスト要塞内に集結していくのが表示されていた。
ふと此方に合流する旨の国津神の思念が俺に伝わって来た。
【童たちとそちらに向かう、しばし待て】
[(承知しました。あらためまして深く感謝申し上げます。)]
フッと、此方の言葉足らずを小ばかにされた様な雰囲気を感じたが相手は神様だ、どうってことない。
自立センサーの簡易警戒報に従って後ろを振り返ると、山麓の方から地面がモコモコとせり迫って来るのが見えた。
よく見ると岩になった国津神が胡坐を掻いた姿勢のまま少年少女達二人を両肩に乗せ、そのままの姿勢で尻元の地面が波の様に盛り上がって運んでくる。
少年少女は満面の笑みである。
だが国津神様、岩の塊がニンマリ笑う顔ってば、絵的に気色悪ぅ!
俺のリアクションをそのままコピーした様に他の皆も呆気に取られて目の前まで来るのを見ていた。
[……お、お早いお着きで……]
【フフン、童子たちも落ち着いておる。安心せい】
「ただいま! あっ! です! おもしろかったー! ね、マルコ!」
「う、うん。あの皆さん、お待たせしました。」
「おかえりなさい。……良かった、二人ともホントに良い笑顔。えぇ……良かった。」
「ボウズども、良かったな! 流石神様や!」
妻が安堵し、ミラやメイリーダたちも微笑を浮かべている。
少年と少女が国津神の肩からスルリと降りると、国津神は霊力を分散させ、あっという間にドワーフの徳さんに戻った。
本当に三人共、心の底から良い笑顔だ。
そして力強く徳さんは
「では、参ろうかの! 酒池の館へ!」
「おぅ! 肉林の世界や! ウッホー! タマランなぁ!」
オウマと一緒になってはしゃいで見せるのであった。
女性陣が微妙な…いや一部かなり呆れて、俺達は帝都の門へ歩いていく。
「あの子達、きっと待ちくたびれてるわ。急ぎましょう、アナタ。」
[うん……そだね! わが家へ急ごう急ごう。]
この時俺は、内心グスマンのテキストメールを思い出し軽く陰鬱な気分になるのを、愛しい我が子たちとの生身の再会を思い浮かべ、サラリと誤魔化した。
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――アルペンスト地下、牢獄――
一つの魂が、深い闇の底から光へ向かって懸命に浮上し、またも意識を取り戻す。
「ゲフゥっ! ガボ! ゴボ! ウウゥゥ…」
「な、なぁ……まただよ。アレ……俺もうヤダよ、あんなの世話するの……」
「俺だって嫌だぜ……まぁ、ほっといても勝手に戻るから、俺らは決められた事やっとけばイイって。」
管理室までビチャビチャと異様な物音が響く中、看守たちがぼやく。
牢獄のとある一室を映すモニターには、さっきまで単なる肉片だった物が寄り集まり、何時の間にか人型の否、人を形作ると完全に再生されていく様子が見える。
複数の三大原種族の特徴を持つ獣人は牢獄の壁にうずくまり、両ひざを抱えて途方に暮れている。
もう何度目か判らない再生……
今だ我が「神」は現れず、この無限地獄からの脱出は適わない……
されど、我が身が何度朽ち果て、何度魂を砕かれようとも、我は許しを請わなくては為らない。
自身が行ってきた罪、穢れを払い落としきるまで。
そうでなければ我が「神」を拝顔するなど、考える事すらおこがましい。
「闇の民」として捉えられたイブスの瞳には、嘗てない真正の純粋な光が宿っていた。