第四十四話 フリードの思案
――少年少女達の村、部族の成人以上の村人達は村の長の号令の下、村のほぼ中心にある集会所に集められていた。
家族単位で女子供達は各自の家にて、親の居ない子供達は身寄りのない老婆などの隣家で纏めて待機し、集会所に集合しているのは其々の家長か、独り立ちした男女達であった。
その決して広くはない広間の中央には、暗きオーラを放つ魔晶石を有する【闇の祭壇】が祀られている。
許容量ギリギリの場は人いきれで空気が鬱蒼とし、皆の表情は一様に暗い。
他の地域にも疎らに点在する「忌」の部族の内、この土地の村長マルムスは、突然の緊急事態の報を受け、内心の焦りを面には出さぬ様苦労していた。
部族の英雄たる暗黒騎士から齎された念話の内容は、未だその詳細迄は村人たちには話していない。
だが最悪の場合、すぐに村人全員が荷物をまとめて流浪の旅に出なくては為らない。
この地は移り住んで来た、この「忌」の一族たる民達に取り、終の棲家であった。
折角の安息の地を捨てる――其れは何としても避けたかったし、何より未だ結界が完全に消失した訳では無かった。
(何故今になって「神」がこの地に降り立つのじゃ……『祈り』など当に捨てておるのに……我等を放って於いてはくれんのか…)
正しく寝耳に水――風雲急を告げる事態に、村長は心の内で頭を抱える。
普段より一層眉間に深い皺と、こめかみには青筋を際立たせた村長は、祭壇の魔晶石手前――即ち集った大人達の集団中央に立ち、口から泡を飛ばして皆に事態の説明をしている。
「もう気付いておるじゃろうが皆の衆、この地に古来より顕在である我等【魔】の結界が今、揺らいでおる。じゃが現在、英雄様が対処なさっておられる故、今暫く様子を見るのじゃ!」
「……」
他の者達同様、肩を寄せ合う様に立つ祭司の格好をした、村長よりは比較的未だ若い――と謂っても村では村長に次ぐ老年達だが――呪術師が三人共無言であるのと対照的に、他の村人たちは口々にざわつき、其々の表情には不安が色濃く出ている。
「長よ! さっき山向こうの方から物凄い音と地響きがしたが、それも関係があるのか?!」
五十人程の集まりの中、年長者の一人が不安その物と云った顔で訴える。
他の者達も同様に懸念しているのがありありと判る。
確かに先刻、突然何かがぶつかった様な激突音と衝撃波が大気と大地を伝い走り、其れは軽く空震と地鳴りを伴った程である。
或いは其れが何某かの影響を与えた、若しくはソレその物が原因では? と思うのも無理は無いだろう。
だが暗黒騎士からの報は、その事には特に触れてはいなかった。
「それは判らん、が落ち着け!……落ち着くのじゃ皆の衆。じきフリード様が事態を収めてくださる。…今は其れを待つのじゃ!」
村長を含む村人達は勿論知らなかった。
それがまさか、嘗て【魔界】の竜をも調伏した、部族の英雄――否【闇の民】最強の英雄、暗黒の騎士フリード――その彼が一撃で吹き飛ばされた旨の副産物だったとは。
―――――――――――――――
固まったままのフリードだが、感情の整理に少しばかり時間が掛かるのだろう。
俺はそう決めつけて暫く様子を見る事にした。
ぶっちゃけ少年少女二人をもう少し安静にさせて置きたかったし、どの道【地獄】に消えたオウマと国津神を待つにも丁度いいと踏んだのだ。
リベイラ達も今の状態の暗黒騎士に脅威は感じられない、と判断したのか警戒を解いて、女三人姦しく、は無いが雑談している。
まぁ、其々手にはちゃんと武器を持ったままなんだけど、其れも当然か。
確かにな。と俺は、
(ひょっとしてゴブリン共がまた湧き出てくるかな?)
とも勘ぐったが……それから魔物が現れる気配は無かった。
『その心配には及びません、マスター』
俺の内心の独り言を汲み取ったAIが、何故か突然聖霊の格好(?)に空中で変化した。
が、……その如何にも神聖な雰囲気ときたら……
優雅なドレスを身に纏い、自身周囲の可視光を調光しているのかキラキラしている。
パッと見フワリと空気中を漂う様子は、まるで究極の御洒落をした水母でも着込んでいるかの様だ。
(オイオイ何この小美人?、魔力も載せちゃって……過剰演出だろ?)
「あら、素敵ね! よく似合っているわよ、AI」
『ありがとうございます、奥様』
「わぁ!……綺麗!」
「!……」
妻とミラの称賛に、メイリーダも何処か憧れの視線を向けつつ、無言のままコクコクと頷いている。
透過率30%なAIは、はにかみつつ優雅に軽く会釈をすると此方に向き直る。
『此方が設定した通り、現在の空間湾曲率は領域持続に必要な状態に相対変化して正常に許容内変動値を保っています。それから、領域内の魔素流偏向に因る量子増大の兆候もありません。先程の魔素変性群体発生は、恐らく其方が呼び出していたのでしょう。現在其方に起因する特殊な魔力流も見受けられません。』
[びっくりした……! なに衣装チェンジしてるの? てか魔素の流れの偏り?……そっか……もう外から呼び出し…つまり召喚とか転移は無い訳か]
『いえ、なんとなく気分で……(コホン)。その通りです、マスター。結界領域その物を安全に封印しています。故に仮定として先刻の様な魔素変性群体を成すには、この領域内の、今有る魔素を使用するしかないのです』
[封印……うん? 待てよ…ねぇ、なら光はどうなの? 事実上遮断してるんだろ? なんで外と同じ様に日光が見えるの? まさか時間の流れとかも制御してるのか?]
『いいえ、マスター。元々単純に外からの可視光や大気の対流自体は阻害せず、上手く流していましたので、ソレについては既存の結界の特徴を維持しています。この結界は所謂「膜」その物がそういった特質を施されているもので、領域内はあくまで外側の空間とそれ程異質なモノではありません。』
へぇ、なるほど成る程……
其れでも量子帯域なんて区分される単位とか、大気その物の分子レベルとかどうなんだろう? とも思ったが、大きさなどで篩にかけるとかそう単純なフィルターという訳でもなさそうだ。
最早不思議結界だな。俺には幻想世界だし、よく判んねぇや。
……にしても、『なんとなく気分で。』て……随分AIらしからぬ事をサラリと抜かしやがった。
さっき迄の落ち込み様とはエライ違いだな。
ま、それも俺の賢者たらしめる所以かな。
俺も大人気なかったし、AIだってもう好きにしてていいんじゃないかな。
これからは極力、寛大な心を以て相対するよう心がけよう……
寝ても覚めても一緒なんだし、誰だって明るく気持ちよく接し合いたいもんなのだ。
あっと、そういやさっきグスマンの奴が音声通信の後、伝言を送って来たんだった。
ナニナニ?……
送られたメールを読んで俺は唸ってしまった。
また面倒な事に……う~ん……かと謂って、このまま……放置する訳にもいかないだろう。
オウマ達に連絡を取って……少年と少女はどの道一緒に連れていくしかないし……そうするか。
何しろ原因は俺が施した事……そして齎した結果に関係するのだから。
と俺は腹を決め、この事態が落ち着いたら帝都に戻る旨を、改めて皆に伝えた。
―――――――――――――――
この機械人――自分と同様に、異星文明の為れの果てと言った――は一体、何者なのだろうか。
暗黒騎士フリードは未だ目の前で起こった出来事に納得がいかず、被った自身の身体的損傷を隠しつつ思案していた。
――この惑星に辿り着いて数百年、未だ自分と互角以上に渡り合う存在など居なかった。
少なくとも自分と同様のサイズで、此れほどのダメージを与得る「人物」とカチあった事は無かった。
しかも互角どころか圧倒された――放たれた「本気の」たった一撃で、自慢の構成装甲が拉げる、等という体験は未だ嘗て経験した事の無かった被害なのである。
下手な重粒子射出兵器等、傷一つ付ける事すら間々ならないのに。
其れが亜光速にも達さない、只の「素手殴り」でなど有り得ない……。
この惑星に起因する遥かに巨大な生物、――物理的な有機体としてはかなり特殊だと後から判ったが――竜と対峙した時でさえ、恐るべき速度で繰り出される、その超重量の攻撃を真に受けても、己を構成する装甲を凹ませた事すら無かったのである。
フリードの身体は、一見見た目には全く問題なさそうである。
が、構造体その物は実質そうでは無かった。
実際に損傷している自身の身体は再度調べる迄も無く、己の欠片達が破壊された神経伝達網を懸命に修復しようと努力している様子が認識出来る。
だが今は、単純に余りにも喰らったダメージが大き過ぎて、通常なら即座に修復する筈が多大なショックに絶え兼ねて機能その物が麻痺しているのだ。
ただ、フリードに取っての真の問題は、身体を構成する装甲への深刻な物理的ダメージでは無く、其れを齎した相手、「敵」が悪びれもせず、こちらの要望をあっという間に実現した事にあった。
そのあっけらかんとした性格が、今の所理解不能なのである。
(なんなのだコイツは。「敵」のくせに……「敵」?……敵なのか? …待て……自分に取って「敵」とは……)
黒きオーラを閉じた暗黒の騎士は思いを巡らせる。
――フリード自体は結晶生命体が超小型の微細機械分子の集合体を取り込んだ者である。
そう造られた――というかそう発生したのだが――祖先が結晶生命体から何億年もかけて進化していく過程で、ある異文明がそうとは知らずに接触、遭遇した。
接触した異文明の者達がフリードの祖先種族をやっと「生命体」として認識し、解析しようと試みたが、その手法は全てが種族に取って絶滅を危惧する程の、想像を絶する苦痛でしか無かったのである。
また其れが、お互いに取って不幸な結果しか齎さなかったのも事実であった。
祖先である種族は決死で抗い、時には有機物を主体とする「異文明人」其の物、また其れが使用する道具類等をも取り込み、星に襲来した「敵」を撃退した。
そして祖先種族はある決断を下す。
宇宙を巡り、自分達と同じ様な種族――少なくとも共感し合える者達――を探し共に脅威に備えようと訴える事を。
撃退した異文明人と道具類を同化吸収した事で入手した情報に寄ると、この宇宙には自分達とは根本的に異なる異質な者達――自分達を脅かす輩――が一大勢力を築いている事が判明した為である。
其れは単に相手侵略者の――異文明人のデータベースを読み取ったが故に、至極当然であるのだが、実際に絶滅の危機に迄脅かされたフリードの祖先種族に取っては、脅威その物でしか無かったのだ。
祖先種族達は彼らに取って特殊な、屈強な戦士達を産み落とした。
種族特性たる同化吸収能力は失われたが、替わりに身体構成を堅牢な物理壁に変化させ固体化した者達である。
その耐久力は襲ってきた敵の武器中、最大火力をも物ともしない程。
残った結晶生命体の特色として種族に起こった歴史を完全に有したまま、この宇宙に多く存在するという生命体の姿に擬態して。
種族の未来を担う屈強な戦士達は、やがて故郷の星を飛び立っていった。
敵の知識を吸収し、同じく敵の遺した宇宙船の残骸を完全修復し、補強された新たな船を用いて。
フリードはそんな者達の一人だった。
この惑星に漂着した時、自らを「神」と名乗る異星の有機体と無機物の混合体は、早々に検知し接触してきた。
その際速やかにフリードを的確に分析したのか、それ程不快な思いはしなかった。
其れ処かフリードに執拗に話を聞いて、この星に住む様、提案してきたのだ。
【貴方の種族は不幸な出会いを経験して来たのですね……。ですが、この宇宙には他にも沢山の生命体が存在します。その中には貴方の様な種族も決して珍しくはありません。何より私も別の異文明が作り出した者なのです。……この惑星は種族も多種多様です。貴方の姿を見て存在その物が疎まれる事は恐らく無いでしょう。私の「端末」足る機械人も居ります故。……そうだ、貴方が望むなら私の民「機械人」として登録しましょう。外見は少なくとも同じに見えますしね。きっと現地人には違和感なく受け入れられますよ。】
耳心地の良いその提案はフリードに取って申し分無かった。
機械神との対話中、惑星上の様子を詳らかに映像を以て魅せられ、希望に高揚していた。
少なくとも有機物な者達は十中八九自分達の敵だろう、と考えていたフリードに取って願っても無い話であったのだ。
其れから機械神は一つだけ条件を設け、その提案に載りフリードはこの惑星テラニアの住人となった。
(其れから自分はこの星に降りた。……そしてこの者達と出会い……同じ種族に虐げられ、疎まれる現状を憂い……)
最初の頃、フリードには到底信じられなかった。どう見ても同じ種族であるのに、大勢から忌み嫌われ、蔑まされる小勢の者達を見捨てる事は出来ずに、矢面に立ち【闇の民】と呼ばれるこの者達を庇ってきたのだ。
(そうだ……恩人たるあの機械神も、結局は直接手を打たずにいるから……自分は)
だから。と、フリードはたった今の出来事を思い反す。
高度技術で圧倒的に優位な立場にいる相手が、何の感慨も無く自分との約束(?)を反故にしなかった。
意地の悪い見方をすれば、其れは「奴」に取って、本当に取るに足らない事なのであろう。
だが、結果的に……いやもしかすると
……呪縛を解く可能性が
……あるやもしれぬ!
フリードの赤い目に再び力強い眼光が宿るのも、そう長くは掛からなかった。
その眼光には強い意志と、希望の焔が灯りつつあった。
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村長は、相変わらず不安なままの住民達を宥める事に苦心していた。
すぐ横に佇んでいた三人の呪術師達が、珍しくソワソワしだしたのを視線の隅で捕えたが、何やらコソコソ話し合う様子に此方から聞くのも面倒だとばかりに無視した。
そしてまた集った村人達を見回し、村長は同じ様に苦悩する。
――どうしてこんな事になってしまっているのか――
若い時分は本当に自分の人生を呪っていた。
何故自分は日の当たる場所に生まれなかったのかと。
口にするのも憚られるが、内心はその思いを常に抱えていたのも事実。
またそれから一層「簒奪の民」を怨み、神々を恨んで憎しみを燃やしていた。
だが歳から来る衰えだろうか、その気概には昔ほどの憎しみを燃やす熱さは無く、ただ自らを含む村人達を、
――そっとして置いて欲しい。――
最近ではそう思う様になっていた。
其れは長年――ほぼ物心ついた頃からではあるが――奪われ奪い返し、殺し殺されその果てに、流浪の生活を繰り返して疲弊し擦り切れた精神の成れの果て…。
更に死んでもその後は【地獄】に堕ちて魂を【魔】に捧げるのである。
其れは本当に絶望でしかない。
もう、嗤うしかない――。
マルムスに取って人生とは本当に苦悩に充ち満ちた日々でしかなかった。
【村長、話がある。重大な、部族に関わる本当に重大な話だ】
英雄たる暗黒の騎士の念話がマルムスの思考に割り込んで来たのはその時だった。
突然弾かれる様に頭を挙げた村長に、村の皆がビクっとして注目する。
この時は未だ、常に暗きオーラを発していた筈の魔晶石が、何時の間にか黒曜石の様な煌めきを失い、魔力流其の物を遮断され魔界の片鱗が消失している事には、三人の呪術師以外は誰も気付いていなかった。