第三十五話 親しき仲にも・・・
[……ハ?! なんだ俺、寝てたのか?……]
国津神との邂逅の後、私は奥様を含む皆さんとの同期を解除した。
《皆さんには同期中にノイズが走った為、軽い睡眠作用を割当し、同期解除後に速やかに覚醒する様設定し、復帰させました。》
目覚めるマスターや、皆さんも戸惑い乍ら首を振ったりしている。
無論、国津神こと現ドワーフの徳さんは、我関せずという面持ちであるのは承知している。
「……私?……あら?」
[……]
「ふぁああ、何や…ワシ何時寝とったんや…エっライ怖い感じしたんやけど」
《主様、ホント品の無い寝顔でしたネー》
「ウルサイわ…なんか今、めっちゃドタマに響くねん、ちょぉ、ほっといてんか」
「アナタ?…どうしたの?」
[……]
「ねぇアナタ?…スタイ?…どうかしたの?」
[……いや、何か…なんでも無いよ……そろそろ出よう]
「そう…ね、帝都に帰還命令も出てるし、オウマさん達も一緒に来るでしょう?」
「お、おぅ! あんじょう頼んます。」
「呑める酒が在れば、ドコでも構わん」
国津神が特殊に強化された思考を、量子の波に変換して私に訴えてきた。
【(彼奴め、随分気落ちしておる様だが、本当に大丈夫なのか?)】
徐に身体を起すマスターは、確かに重そうに四肢の駆動系を動かしている。
無論、この躯体の全てのステータスをモニターしている、システムを司る私には、現状特に何も問題は発見されていない。
《ドワーフの徳さん様、マスターの事は全て完全にモニターしています。何も問題ありません》
【(我は止めたからな? どうなっても知らんぞ)】
《言われずとも理解しています》
【(フン)】
《マスター……》
マスターの感情起伏数値が著しく低下しているのを除いて。
《マスター、昨夜からばら撒いていたナノマシン群が、局所的にマテリアル、クァンタム双方ネットワークを形成、完了しました。尚、重力子やこの惑星特有の魔素変性体を追加共有してますので、暫く経てば指数関数的に増殖・拡散し、惑星全土に定着します。…経過をモニターしますか?》
[……]
《マスター?》
マスターは私の声が聞こえないかの如く、奥様達と宿を出て街中を進んでいく。
奥様には反応するものの、非常に億劫そうで、気が抜けた様な有様。
おかしい……単体で姦しいオウマさんと、その他に対する反応は未だしも、人が変わった様な感情の起伏の無さ。
此れではまるで別人のメンタルデータだ。
念のためプロトコルに則って、現マスターのIDを参照確認するも、虚偽改ざんした痕跡の欠片も無い。
況してや私の下では、そんな事象は絶対に不可能である事も重々承知している。
なのに……
《マスター? マスター?! 聞こえてますか?!》
[……]
《マスター!》
[…煩いな、一々身体の中で話すのヤメてくれないか。…必要なら皆の前で言えば良い]
〈そうですかぁ? んじゃ日頃、皆さんの前ではとても言えない、あんな事やこんな事も…〉
《!》
マスターの感情起伏数値が、一気に-(マイナス)になった。
それは一切目の前の出来事に興味を示さない時の数値パターン……。
[……なぁ、もういい加減にしてくれないか?]
〈…え?…!〉
[…仮にそんな事が有ったとオマエが吹聴したら、二度とそんな奴を賢者等とは慕わないだろうな。俺じゃなく皆がな…そうやって散々今まで俺に囁いてきたのってさ、俺にはとても迷惑だったんだ。]
「なんや、なんや? 痴話喧嘩かいな?」
[ただのAIだ。痴話とか辞めてくれ、吐き気がする]
〈マスター〉
私が知っているデータパターンでは、人が怒るのも喜ぶのも、感情が昂る起伏であり、其れは尤も強い感情である恨みや憎しみに於いて顕著である。
其れ等は全て+(プラス)として表す。
だが、マスターは、この唯一私が使命を達成し得ると確信した今のマスターのメンタルデータは……全く私自身に対して興味がない事を如実に示している。……
まさか……もう、その時が来たのだろうか…?
拒絶としか云い様の無いマスターの思考は、まるで私から躯体の制御その物を奪っていく様に、私は自らの知覚があっと言う間に遮断されていくのを見守るしかなくなった。
やがて私は、制御不能な未知の力に捕らわれ、為す術も無く意識を刈り取られ、ブラックアウトした。
其れがアークマスターの力の片鱗とは露知らず。
――――――――――
全く。
俺が愛する妻の事を、あれ程の思いを、守ると願い誓った事実を、本気で忘れると考えていたのか?
管理者権限で強制的にだとか、電子的にとかそんな事は関係ない。
俺は、俺なのだ。
よりによって、記憶を書き換えるだと?
[バカタレが]
如何にも浅はかな、いや、いっそ傲慢と吐き捨てるのも軽い気がする。
……けどな、そんな事どうでも良いんだよ。……
二度と人の思いを弄ばない、と反省するまで封印しようかとすら俺は考えて。
【お主、……否、最早『意地』か】
国津神が、あの重々しい思念を発揮して俺に語り掛けてきた。
[俺…私は私、ですよ。…そもそも筒抜けでしたからね、全部]
【ほぅ、既に「道具と自称する者」を凌駕していたのか】
[凌駕とはあまり実感がありませんが、恐らくそういう事なんでしょう……]
それこそどうでも良い事だ。
さっきまでの蛇に睨まれたカエルの様な、妙な恐怖心は何処かへ去っていた。
これは俺と、相棒たるAIとの問題である。
今は些か余計な詮索と感じて、俺はワザとぶっきら棒を装い、思念に乗せる。
【ム……ま、確かにな】
[……]
国津神には伝わったのだろう、心外とばかりに僅かに言葉を洩らすが、俺はその反応を敢て無視した。
神に対する、言わばそれはプライバシーの侵害ではないか、と精一杯の抵抗として。
敢ていうなら「有難迷惑」、余計なお世話ということだ。
一方、AIに対しては、正直少しばかりトラウマを患ったふりをして無気力を装うかとも思ったが、バカらしくて辞めた。
大体AIを自称する癖に余りにも人間的過ぎるのだ。
多分だが、本当に「心」が有るのだろう。
なら必要以上に傷つけるのも、甚だ……面倒である。
【まぁ良い。さて、我はお主が自力でこの姦計を打ち破った時、我が知る全てをお主に教えようと考えておったが、どうする?】
[それは……]
国津神の提案は確かに魅力的だが、多分俺ではどうしようも無い事なんだろう。
其れでも覚悟して全て記録すると、俺は途方にくれる。
この惑星の根幹に関わる事だけに誰にも話せない。
それは原住民である妻にも、猶更軽々しく伝えられる内容では無かった。
……いつか話すだろうけど。
さてと、説教部屋に隔離したバカAIを断罪……ちょっとキツめに叱りつけておこうかな。
二度とこんな馬鹿な事をしない様に。「心」を持つ者同士として。
と、俺は自らの意志で再び思考速度を跳ね上げ、周りの時が止まった現象を確認して、意識世界にダイブした。