第三十三話 魔女の言伝
――聖宮『白の塔』玉座の間――
現王―グレンフィラデルⅠ世陛下―の玉座は、一段上がったスペース、更にもう一段上の中央に座する。
一段目の広さは大体全天候型の獣車が、縦横に二十台程入っても尚余る程である。
次代の王はその玉座から下った半歩程の下段に、同じく専用の座具に腰掛られるのが通例となっている。
玉座上段から見ても、『王の間』その物がかなり広く、空間のバランスとして些か間延びした印象を与える程だ。
見た目は石造り風では有るが、床から高い天井まで形創る建材は、磨き抜かれた象牙色の大理石然としている。
他方様々な角度に適度に設置された頭上高い明り取りの天窓が、丁度遥かな天頂から日光を降り注ぐ様を表現し、『天啓受持奉台』である神々しさを醸し出している。
装飾としては、正面の扉から玉座へ真っ直ぐに、非常に広いフカフカの絨毯が床に敷かれていて、俯瞰からの全体視点では、乳白色の中央に深い紅色がとても生える様相となっている。
加えてタイクーン王宮は『白の塔』と呼ばれ、他の三王家の王宮と比べても、そのシルエットは極めてシンプル。
特に貴金属、宝石などの飾りが極端に排除されており、だだっ広い空間にポツネン…と家具が配置される、ホントにシンプル過ぎて逆に非常に贅沢なレイアウトと言って良いだろう。
――『月刊 王朝諦観』特集:タイクーン王宮(宮使い実録!王家のアレやコレ…以下略)より抜粋――
普段は飄々としている次代の王が、しおらしく詫びを述べるのを、達観した眼差しで見つめる現王。
ふと現タイクーン王の眼力には、周囲の空気―気配―が気色を変えたのが映った。
が同時に、それは緊迫した事態というより、何某かの知らせの為に近づいてくる臣下の気配の類、という事も漠然とだが感じ取っていた。
其れは目の前の実子、ブリニックⅡ世を守護する霊力の塊―聖霊獣―の片耳がピクリと動き、片目の瞼を僅かに開けたがまた直ぐに閉じ、耳だけは気配の方向へ向け静観する、というリラックスした仕草からも明白であろう。
現にその直後、差し迫った危険は無いと判断したのか、巨大な虎の姿をした聖霊獣は、如何にも退屈そうに欠伸をすると、眠りに入る様子と共に、グレンフィラデル王特有の『眼力』からも巨体を掻き消した。
途端にフッと力を抜いたブリニックⅡ世も、少し急いてはいるが、決して乱雑ではない気配を察知した様である。
「うん? 何かあった様ですかな…」
(この歳になってもか…こ奴は、真に霊獣様に愛されとる様だの…)
「ふむん、そう騒ぐ程では無いだろうがな…」
壮年の我が子が背負った『霊力の塊り』に思いを馳せつつも、丁寧に手入れされた、品の良い長すぎない顎鬚を左手で窄め、現王は軽く頷いてみせる。
次代の王が父王と目線を併せ、親子共々入口の扉へ振り向く。
「少し速いな…この気配、身体強化ですな……いや、速すぎる」
大扉のチャイムが、いつもよりけたたまし気に聞こえたのは、鳴り響くより早く大扉が開放されたからだろうか。
分厚い扉が開けきらぬ内から、見目麗しい女性騎士が飛び込み気味に、中の主に言の葉を申しだした。
「陛下、お伝えする事が…? ござ…!」
次代の王が呟きを終えるその前に、忽然と姿を現し、そのくせ途中で息を飲んだのは、
「…メイリーダ嬢、王宮内で…些か急ぎ過ぎでは無いのかね?…」
半ば呆れた様子で美女騎士に咎む、次代の王の姿を確認したからであった。
だが、その眼差しはその実、決して本気で怒っているのでは無い、と判る柔和な表情である。
……尤も、次代の王の心情は、やはり見た目そのまま呆れている、と表現した方がより事実に近いと言える。
「殿下?!…陛下、お揃いでございましたのですね。……御見苦しい所をお見せしてしまい、大変失礼致しました!」
「ふむ、かのベルグシュタット家の跡継ぎとしてはどうかの。公が憂うのもな…」
現王は先程までとは違い、温厚な表情を満面に押し出している。
まるで遠い親戚の幼子の面倒を見る、好々爺然とした親しみすら醸しているのだが、気持ちが急くばかりに妙な焦燥感が出た、この時の美女騎士には、相手の余裕ある表情が汲取れなかった。
「ま、誠に御無礼を…御赦しください。」
(しまった! 私としたことが…)
平時とは言え、メイリーダが行なった行為自体は結果的に、守るべ主君への取次ぎの意志も告げず、又無論その旨赦しも請わず、警護する御付の近衛兵を挿げなく躱して、直接王に面会したのだ。
セキュリティを担う王直属の近衛騎士としては、相当ヤバい…基、面目も丸つぶれである。
其れだけ可及的速やかに、些か強引と呼べる程に事を運ぶのは、確かに尋常では無かった。
端的に言えば、それは戦時下で、今にも城が落とされる、といった類の切羽詰まった状況……と疑われて仕方ない程ではあるのだ。
「クカカカ…良い。じゃれておるのじゃよ、この愚息も、儂もな!」
「フッ……これでも身を粉にしておりますが…愚息とは…ククク、最高指導者に言われてはなぁ!」
揃って笑い出す王達に、恐縮至極のメイリーダは即座に片膝をつき、敬服の姿勢を崩さない。
「そ! そんな事はございません! 陛下は勿論のこと、殿下も素晴らしいお方です!」
笑い合う両王は顔を見合わせ、其れからこのうら若き女性騎士を見つめた。
二人とも優し気な、相手の行く末を見守る様な、大らかな眼差しである。
「フハハ…ハァ…ヤレヤレ、幾ら女跡取りとは云え、もう少し柔らかい方が良いぞ…それが器量と謂うモノだ」
いい歳を重ねた大の男二人が、一体何に対して、そんなに可笑しかったのか、全く理解出来ないのが本音だが、生来真面目なメイリーダは素直に応える。
「御戯れを…ですが肝に銘じます…」
「あの赤子がのぅ、…もうこんなに大きくなったのか…公がな、ヒャンヒャン泣く其方を、嬉しそうに抱え上げて、慈しむ表情が意外でな!」
「子は宝だ。と、顔を合わす度に言うて居りましたなぁ…」
「其方も同意しておったでは無いか、終いには互いの子がより可愛い。と言い争っておったが」
「おや、耳が痛い。ハハハ!」
年老いた父王とその長男、次代の王は大仰に笑いあう。
一しきり、王達の笑い声が落ち着くのを、まんじりとした表情で待ち、メイリーダは再び口を開いた。
「は、ハァ……。陛下、殿下それより、大魔女ミラ様から言伝を」
ピクリ、と敢てあまり触れたくなかった、といった体の現王は身体を固くした。
その様子を見て取り、少しばかり首を傾げる女騎士に次代の王が問う。
「…ほほぅ…何と仰ったのかな?」
「ハ! つい今しがた、大魔女ミラ様より仰せつかりました…」
が、次代の王はその右手を低くかざし、女騎士の言葉を遮る。
「フムン…どうやら、早速外が騒がしいようだぞ?」
耳を澄ます程も無く、すぐさま複数の荒々しい足音が階下から駆け上がって来る。
言わんこっちゃない、とばかリに如何にもな表情の次代の王と、少し上に挙げた額に手を当て、片目を瞑り、礼儀正しくチャイムを鳴らす大扉を見据える現王。
そして先刻と同様、いつもより慌ただしく扉が開け放たれた。
しかしどちらもその眼差しは落ち着いており、決して険しいものではない。
「陛下! たった今何者かが侵入を……と、おぉ?!」
「し、白い影が!…おや、その方……メイリーダ殿か!」
事体を察知したメイリーダの頬がサァッと赤くなると、王達に向かい素早く頭を下げ、すっくと立ちあがり踵を返すと、玉座の間入口に殺到した近衛兵達に釈明する。
目を丸くする二人の近衛騎士に、詫びつつも凛と言い放つメイリーダ。
「栄えある近衛騎士の御二方には、大変申し訳ない事を致しました。…その影は…私です。どうかご安心なさいませ。…何分緊急の案件で在った為、直接陛下にお伝えしに参りました。…近衛方には重ねて失礼をお詫び申します。」
片膝をつき深々と腰を折り、由緒正しき礼式に則って謝罪する女騎士に、些か面食らう様子の近衛騎士達であったが、流石に狼狽えはしなかった。
「いやいや…少々驚きましたが…メイリーダ殿、どうぞお顔を挙げていただきたい。」
容姿は若いが意外な程低音の、よく通る声で答える騎士(ミゲル=プラート)。
がっしりした体格であろう事は鎧の上からでも伺い知れる。
「それにどうやら陛下、殿下も既にご納得のご様子、為らば我ら近衛は何も申す事はありません。」
ミゲルよりは年上の、こちらは対照的にほっそりとした輪郭を持つ騎士(ニヨルム=アンダンテ)。
その声は少しハスキーで、まるで話し言葉のお手本の様な綺麗な鼻濁音とイントネーションを発する。
第一級女性戦闘騎士団でも三本の指に入る実力者であるメイリーダに負けず劣らず、現王直属の近衛騎士である二人共、かなり質の高い装備を身に着けている。
「いえ、浅はかな行動でした…後ほど我等が団長の叱責も覚悟しております故、…」
先刻の威勢は何処へやら、語尾が尻すぼみに小さくなり、極僅かだが身震いしたメイリーダに対し
「そう頑なに為らずに…我等としても目線で追うのがやっとでしたからな、面目の限りもないのですよ。」
「そうです。そうです。」
静かに諭す様に応えるニヨルムに、同意するミゲルが何度も頷く。
両僕のやり取りに僅かに口端を挙げ、ニヤリと笑うブリニックⅡ世、グレンフィラデルは敢て共に口を挟まない様だ。
「陛下、殿下、我等の力不足が為、お騒がせ致しました事、慎み況してお詫び申し上げます。」
「良い、其方らは職務を全うしておるだけよ。」
とは徐に頷くブリニックⅡ世の応え。
身を整えて改めて両王に正対し、深くお辞儀する二人の近衛騎士が顔を挙げると、その瞳に何処か炎を思わせる意志が感じられた。
「なんと寛大な…我等は任務交代後、少しばかり「行」に入る所存でございます。無論次の交代には間に合わせます。」
「うむ、良きに謀らうがよい。…ニヨルム、ミゲル、其方らにも期待しておる。」
立派な髭を指先で軽く扱きつつ、現王も相変わらず柔和に応えた。
「ハ! 有り難きお言葉。これより所定の配置に戻ります!」
「失礼いたします!」
二人は儀礼式の様に綺麗に揃って敬礼し、颯爽と踵を返すと
「しかしここまでの身体能力とは……正直、感服しておりますぞ。」
「左様、己を鍛え直す良き指針を得ました。感謝しますよ、メイリーダ殿。」
振り向きざまに、扉脇に控え深く会釈するメイリーダへ向かって朗らかに声を掛けると、近衛騎士達は玉座の間を後にした。
フッと表情を戻し、両王達はメイリーダを見やる。
自動的に大扉が重々しく閉ざされると、ブリニックが先を促す。
「さて、大分興が削がれたが……嬢よ、申しなさい。」
先頃こそ恥じ入った様子だったメイリーダはケロリとして顔色も戻り、バネ仕掛けの様にもう一度王達の前に片膝をつき、大魔女の意向を伝える。
「はい、ミラ様はこう申されました…」
最早現王にも先程の砕けた姿勢は無かった。
歴代の王其々に設えられた玉座に深々と座り直すと、両拳を軽く握り膝の上に置き、しっかり背凭れに平衡に背中を充て、スッと背筋を伸ばし聞く態勢に入る。
「『神が降りられた可能性があります。早急に事態を把握したく、故に我が身を自由にして欲しい』と」
「な、なんと?!」
「それは一体どういう??…しかし『予言の君』は何も…」
流石に神職の元締めたる王達でもこれには驚いた様子。
「其の申し出は…『天啓』すら降りて無いのだぞ?…」
「まさかな…」
珍しく言い淀み、いつもの歯切れの良さを欠いた両王は暫く無言のままである。
何か考えがあるのか、メイリーダは頬を高揚の色に染めつつ、先に告げる。
「大魔女様は、更に『その神は御隠れになっている』と申されました。」
「うん?…」
「『恐らく、やんごとない理由により、その存在を伏せられていらっしゃる様…、故に我等民草が悪戯に騒ぎ建て、神の意向を邪魔するなど以ての外…あぁ、メンドクサイ…要するに私が単独で調べるから、さっさと城から出して』との事でございます。」
「は?…」
ポカンとする両王達を尻目に、メイリーダはそのまま続ける。
「失礼ながら、ミラ様のお言葉をそのままお伝えしました…あ、私メイリーダは、ミラ様直属の護衛兼連絡の付き人として、同行させていただきたく存じます。」
「ハ?…」
かなり嬉しそうなメイリーダと対照的に、「コヤツは一体、……何を言ってるんだ??」と困惑した表情のグレンフィラデル&ブリニック両王は、互い違いに同じ疑問符を発するのみであった。