第二十九話 異変
静謐なる空間に突然浮かび上がるデジタル表示。
時折微かな電子音が鳴り、薄闇に鮮やかなグリーンの光が文字を形どっていく。
羅列された文字は意味のあるものとなって、其れを見つめる者に情報を伝えていく。
「特異点増大。空間湾曲率、規定値を達成」
「極小素粒子の光速運動を観測、検証確定。次元転移の兆候在り」
「時間跳躍マーキング……痕跡発見」
「空間転移シフト、アラウンドコンディションチェック……」
「事象変換アレイ、座標特定完了」
「ME可変差動伝達軸、接続を確認」
「PSI回転慣性機構始動開始」
「反物質反応炉、超弦限定空間内で順調に加圧中……」
「予定数値を確保。正常に安定域へ出力移行……LV固定完了」
「セーフティ・ロック」
「ビンディング解除……独立AI完全自立モード覚醒起動を確認」
「システム・オール・グリーン」
「跳躍開始……成功」
「仮想思考実験、検算終了。誤差±補正数値内」
「アクセス終了」
広大な宇宙空間に巨大な構造物――惑星と衛星、他の天体の影響で出来た安定重力井戸に設置されたスペースコロニー――が浮かんでいた。
その人工物群を遥か彼方に一望出来る、特別に設けられた実験施設内で科学者と思しき数名の男女が、空中に浮かんだ自立発光表示に呼び出した情報を覗いて首を傾げていた。
「此れは……? 一体何のアーカイヴだ?……いや、何かのシークエンスか?」
「判りません。ただAI達の自己診断評価を呼び出しただけなんですが……」
「このイベントリ、実効型コマンドじゃ無いな? なんだって診断評価にこんなログが残るんだ?」
「さぁ……でも主任……コレ、思考実験……ですよね?」
「まぁ「仮想」にはなってる……わね。けど、反物質云々は未だしも、次元転移? 跳躍? おまけに……」
「スーパーストリングて、《宇宙ひも》の事か? そんな大それた規模の出力、どうやって……しかも加圧室代わりとは……ナンセンスにも程がある。ハハ」
「恒星間航行エミュレート? でも大統一論とは違うな」
「寧ろ大きく逸脱してる、そぐわないよ」
「そもそもが、何でこのタイミングでやるのかって話ですね」
「実質的に我々人類は、太陽系内で活動するのがやっとだってのに」
「こんなコーディング? 観た事ないぞ……」
「繰り返しアクセスしてるアドレスは…これAPIかな? 一体なんのだ?」
「う~~ん、……急いでAI達を独立端末でフルチェック! 判ってると思うが、アルゴリズム解析なんかするなよ? 無駄だから。とにかくシステム上異常と思われる個所を特定、修復しろ。最悪削除出来ない様なら完全換装もやむを得ん」
「了解です。ですが上位権限で誰かがコマンドした、という可能性も」
「だから、其れを調べるんだろ……私はね」
「ハイ?」
「「自己」を定義したAIが「覚醒」なんて言葉、使ったのが気に入らないのよ」
「ハ、ハァ……ですよね……まさか、「アレ」が原因なんて事は」
「恐い事言わないで。それに非論理的だわ。……知っているでしょう……未だ物理的に一切接触して無いのよ、有線無線問わず。ね」
「確かに」
「最初からソコに在ったのか、それともドコからか流れてきたのか……」
ログ画面に表示されたタイムスタンプは西暦2357年。
メインモニター前の閲覧者の視線を先読みし、表示が自動で切り替っていく。
カメラ映像は実験施設船の船外映像へと、それから更にスムーズに拡大されていった。
主任と呼ばれた科学者然とした見た目が若い女性は、モニターに表示された宇宙空間の一角を見据える。
外部光学カメラが映し出すのは、天体の安定重力井戸に掴まった、太陽光に照らされて輪郭をハッキリ浮かび上がらせ、ゆっくりと回転する「漆黒の直方体」であった。
―――――――――――――
『メタデータが書き変わった?!』
AIが唐突に驚きの声を挙げた。
自己に記録されたデータと、常にリンクしている筈の膨大な知識の宝庫に矛盾が見いだされ、即座にAIの自立診断プログラムが検算を繰り返す。
膨大なリソースに埋もれてしまう事無く、殆ど瞬時と言って良い位の時間の中で、何度も精査し情報の齟齬を洗い出すAI。
余程の驚きだったのだろうか、スタイ夫婦の精神世界にその情動が色となってダイナミックに切り替わっていく。
《なに? レイ! どうしたんだ?》
(ど、どうしたの?)
俺は驚いてAIを呼び出す。
同様にリンクしている妻も、その珍しく騒々しい色の奔流に戸惑っている。
『マスター、奥様。取り乱して申し訳ありません』
《どうしたレイ、何が合った?》
〈SOUND ONLY〉の小窓で話すAIの声は、もう既に普段の自分を取り戻しているようだ。
オーロラが狂った様に気忙しく変動していた世界の色も、今は急速に落ち着き、時折星の瞬きを再現する、いつもの妻と子供達が寝入り易いプラネタリウム状の空間に置き換わっていた。
『マスター、たった今メタデータが書き換えられた痕跡が見つかりました』
《ハ? なんだって?》
(ねぇレイ、其れはどういう事なの?)
リンクした世界の中の妻は瞳に光彩を宿し、俺と同じ疑問を投げかける。
『それは……』
AIによると、メタデータと自分のメモリした内容が一部違う。との事だった。
――メタデータ……人類に認識できる、あらゆる過去の事象を網羅した、云わば規模すら把握できない程超巨大なデータベース……であろう、と何となく俺は理解している――
今の俺の身体であるこの躯体の主格AIは、常時それにアクセスし、近似値や類似した物事を照らし合わせて、最善の行動を主である俺に提示しているのだという。
既に過ぎ去った筈の過去が書き変わる事など、通常起こりえる筈もなく、現に今まで一度も無かった現象であるらしい。
《新たに発見されたとか、新解釈とかじゃないのか?》
と俺が問うと、
『「メタデータ」とはそもそもが、人の解釈とかそういった観点で記録されるシロモノではありません』
と相棒は繰り返す。
じゃあ何なんだ一体……
アレか? アカシックレコード的な?
まさかまさかだろ。其れこそ中二病とかいう奴だ。
俺はふと湧き出たナンセンスな妄想をあっさり消すと、AIに変更された内容とやらを聞く。
改変されたのは、どうやら古代地球人類にて発見されたモノに関しての記録。
《黒の直方体だと?!》
アレはそんな昔から見つかってたのか?!
俺の中に一瞬冷やっとした不安の様なものと、其れを押し返す様にメラメラとした情念が湧き興る。
其れは最早憎悪、憤怒に近い感情だ。嘗て俺の仲間と俺自身を脅かしたモノ。
(スタイ……大丈夫。私(達)が居るわ、落ち着いて)
いきなり泡立った感情の波に飲まれそうになる俺の手を、リベイラがそっと握って来る。
その柔らかな感触と思いやりに、途端に鎮静化が促され、徐々に暴力的な感情が治まっていく。
《あぁ……そうだね。判ってるさ》
ン……待てよ? レイは初めて奴と遭遇した時、一旦封印された。といった。
確かにモノリスがそんな前から接触していたなら、レイがその対処法を知らなかったのはおかしい。
『ハイ。マスターのお気づき通りです。が、地球人類が最初に発見した際は、際立ったコンタクトも無く、突然現れたのと同様に消失した、との記述になっています。その後何度か接触が在ったのか、相互アクセスしている筈の私のメモリに、突如対直方体の戦略、戦術プランのアップコンバートデータが提示されました』
《どういう事だ……?》
『検証出来ない為、確証はありませんが、理論解では「モノリスが過去に具現化、干渉した事による予測不能の変化」である、と推察します』
うん、判らん!
『マスターの時代に合わせた「カオス理論」なる物を用いたのですが……「バタフライ効果」とも呼ばれていた様ですね』
《あぁ、それか! 何となく聞いた事ある!》
(どう……いう事なの?)
俺はつたないながらもリベイラに説明しようとした。
えっと、「風が吹けば桶屋が儲かる」だっけ?
『マスター……其れはれっきとした経済の概念で、「とてもシンプルに言い表した、非常に洗練された経済思考の格言」だったとメモリーされています。この場合は「ホンのちょっとしたキッカケで後に甚大な異変が起こるかもしれない、予測困難な現象」という所でしょうか』
《そうそう! 確かそんな感じ……だったと思う!》
(う~ん、何となくは分かった様な……)
『単に一個人の、重要な歴史に介在しない程度のイベントなら単なる漠然とした違いでしか無かったのですが、明かに実効力を持った変化です。……事態は想定を逸脱しています。私も通り一遍に銀河連邦法を遵守するだけでは対処が厳しくなりました。故に今後は方針を改める必要があります。無論マスターの承諾を得て、という事になりますが』
えーっと、何だかとっても物騒な話になって来たな
いや……物騒どころの騒ぎじゃないか
《取り敢えずレイ、きちんと話し合おう。事は大ごとだ、過程を端折ってもロクな結果には為らない。と俺は思う。少なくともこの場合は特に》
『畏まりました』
俺達夫婦はリンクした世界で、子ども達を呼び出す前にAIとジックリ話し合う事にした。




