第二十六話 苛立ちと不安と安堵と
来た道を戻って、(直上へ上昇しただけだが)俺達は最上層へ辿り着いた。
その間中俺との限定同期世界で、まるで喋ってないと死ぬ。とばかりにやたらと騒いでいたオウマは、俺にそう指摘されると僅かに静かになった後、フン♪フ~ン♪と鼻歌を歌い出した。
子供か? 子供なのか? 中身オッサンのくせに。
……まぁここから抜け出すのが嬉しいんだろうな。
と俺も勝手に納得して、この新たな仲間に、早くも気の置けない雰囲気を見出すのだった。
大穴を開けた結界境界面から這い出ると、剥き出しの地面の床が正面の入り口まで続いている。
改めて建物の中から見回すと、タワー状の一階のフロアは、円状に広大でかなりの高さを持つ吹き抜けの構造。白亜とは言わないが、さっきまでの血の凝り固まった様などす黒い壁面と違い、何かの骨が集まった様な薄い灰色の建材で出来ている様だ。
決して明るくは無いのだが、壁其の物が薄っすらと光を帯びているのか、魔界の鬱蒼とした空気がおどろおどろしい内部を曝け出している。
入口から正対して左横の壁側に、階下に降るであろう坂が覗いている。
本来はアレが順路か。
ま、俺にはもう関係ないけど!
さっさと地上に戻りたい俺は、頭上に国津神を乗せたまま、オウマを引き連れふよふよと入り口から外へ出る。
二度と来ることは無いし、見納めか。
と振り向き、AIに頼んで階層内に創った断絶空間を閉じた。
あっという間に断絶空間の境界面が急速にしぼみ、やがてその中心で小さな発光が瞬いて内破すると、完全に消滅した。
すると頭上の国津神が溜息を洩らす。
【うむ、其れで良い。ココは彼奴等【魔】の領域。お主も少しは弁えて居る様だな】
[何の事でしょうか?……えっとソロモン?様?]
【我は国津神ぞ。遥か古き名など捨てておる……まぁ見ておれ、ホレ、魔共が湧いてくるのが判るだろう】
「ほんまや! 集まんの早いで! もうあんな数んなっとる! うっは……」
空かさずオウマが口を挟んできた通り、グリッドにセンサーが捉えた魔力を伴った動体反応が、次々に映し出されていく。
あ~うん、そうだね。ささ、帰ろう。
と何の感慨もなく俺は踵を返して亜空間脱出ポイントへ向かう。
急ぎ気味に速度を上げていたので、あっという間に国津神と最初に遭遇した辺りへと差し掛かる。
と国津神がまた口を開いた。
【お主のお蔭で忘れずにすんだわ。我も神気を解くとしよう】
圧倒的な「神の気配」が周りの空間から一気に国津神へと吸収される。
まるで神気が魔素を引っ張ってきたみたいに、途端に禍々しい魔力に満ちた土地へと変貌し、ポツポツと魔物が湧き出て来た。
一々相手するのも面倒なので、未だ重力制御のおぼつかないオウマを重力子波形拘束縛で牽引し、俺達は赤黒い魔界の上空へと退避。そのままAIが亜空間プローブとして空間に固定したアンカーソリッドを目指した。
と自立センサーがこちらに向かって大きな動体反応が接近して来るのを拾う。
AIが何も言わない事を考えると、危険度は低いかもしくは無いのか。
「アヒャヒャヒャ! 竜や! 竜やで! ワシ初めて見た!」
見るからに巨大で立派な竜がどこからともなく現れ、俺達を中心にグルリと円を描いて飛行する。
壮大で、なんと見事な生き物なんだろう。
其々一対の両腕に野太い両脚、長大な尾で巧みにバランスを取っている。
地球で剣竜族と呼ばれたステゴサウルスの様に、尾の先にはスパイク状の鋭い突起があるのが見て取れる。尤も、その鋭利な棘すらも、見てくれだけではなくとても強靭にみえる。
背景が地上世界の青空であったなら、実に優雅に飛んで見えただろう。
其れでも十分に美しいと思える巨体と、いつかSTAで共に飛んでみたいと思う。
紺碧の空にさぞかし映えるだろうなぁ。などと夢想する。
全身を覆う黒と紺の鱗を、巨大竜は光源乏しい魔界の赤黒い反射光を帯びながら、三週ほど俺達の周囲を廻ると、背中に生えた逞しい二対の羽を羽ばたかせ、あのタワー状の建物の方へ帰って行った。
【フン、アヤツめ。律儀なものよ】
[どうかなさったんですか?]
国津神の言葉に俺は何も考えずに反応する。
……オウマ、ちょっと、シッ! 黙ってて。
ま俺も空飛ぶドラゴンなんて初めて見たんだけどさ。
【知っておいても良いか……我等が滅した魔共な、この地獄であれば蘇るのよ、何度でも無限にな】
[え? それじゃ無駄だったって事ですか? 其れにそれじゃパンクするのではないですか?]
【些か誤解しておる様だが、何も我は【魔】を滅ぼそうとは思うとらん。……そして何より、この世には常に果てがある】
[はぁ、それはそうですが]
【まぁ聞くがよい、何者にも役割はある。【魔】が人の世に戒めとして存在し無ければ、今世はもっと混乱し、さぞかし乱れておったであろうな。其れこそ人同士が互いを滅ぼしあうほどにな。……我は其れを嘗てこの眼で見ておる。……それにな、如何に「神々」が力を揮う今の世であっても、遥かに短い生を終える個人の守護など不可能。ここまでは解るだろう?】
[……なんとなく]
「(スタちゃん、ちょっと失礼ちゃうか? 仏頂面はイカンなぁ、相手は「神」さんなんやで? 結論まではちゃんと聞くべきや。とワシ思うねん)」
[(判ってる、ちゃんと聞いてるだろ)]
失礼ってなんだ、正にお前が言うな。とも思ったがココは静かにしておく。
【星の理として、あらゆる人の持つ邪悪な思惟は【魔】を生み出す切欠となったのは事実ではある。が、それは「神々」にどんなに祈っても届かなかった、といった「無念」から生じた訳ではない】
【いつしか、理不尽な世の流れに負けぬ様、自らが変わらなければ為らない。と変革する意志も生まれたのよ。健気なものでな】
【【魔】はその先の悲劇から生まれた。……が、結果的に人の戒めとなる作用を施しておる。アヤツ等……少なくともベリトはな、受け入れておるのだ。呪われた存在とはいえ、其れを何もただ無碍に滅ぼし尽くすつもりは無いと我は踏んでおるのだ】
なんなんだ。なんだってそんな面白く無い事言うんだ。
俺はこの時なぜか少しだけ、云い様の無い苛立ちを覚えていた。
其れはつい語気を荒げた反応となって国津神に噛みついた。
[でも実際に、人は【魔】に苦しめられています。自分の大切な人達が傷つけられるのなら、赦す訳にはいきません! 絶対に!]
俺は多分心の何処かで……魔物を倒した事を、単に手放しで褒められると思っていた……。
其れ処か、魔物など滅して然るべき、完全に消滅するのが最善と考えている。
当然だ。だって人類を脅かす「不倶戴天の敵」なのだから……。
それを、「何も考えていなかっただろう」と指摘され、見透かされた様に感じているのだ。
……いや現にミラだって、あんなに苦しんでたじゃないか!
三百年だぞ?! 人間がそんなに長い間苦痛に耐えられる訳が無いじゃないか。
リースだって! 故郷の村を愛すべき人達全て、丸ごと失ったんだぞ……
俺はその元凶を倒したし、間違ってはいない、筈。
「(す、スタちゃん?)」
【我は其れを咎めはせぬ。お主が出来る事をすれば良い。我が一度でも制したか?】
[い!……いえ、確かに……]
【で、あろう。落ち着け、我がお主を制していないのは、お主がその様な振る舞いをしていないからだ。弁えておるな。と言うたのは其処なのだ】
[でも!……い、いえ、……ありがとうございます]
「(スタちゃん……大人やん、其れで良いんや。立派やで)」
相手は「神」なのだ、本来これ以上の言葉、否、導きってあるだろうか。
いや、無い筈だ。だから安心して良い。
「神」は俺を責めてはいない。
それでも俺は何処か不安になるのを感じていた。
【であるからな、我とお主の結界の事よ。特にお主のアレは、解除しなければ永遠にあの中で何者も生まれ出でる事は無い。【魔】とはいえ命を宿す者達。本来純粋に力がモノを言うこの地獄世界で、あっさり結界を解いた其の礼を述べに使いを寄越したのよ、ベリトの奴がな。知っておったか? お主の滅した【魔】の総数は二百億を軽く超えて居ったそうだ。……しかし嘗ての「魔王」と……】
「(エゲツな!……ワイも其処までは暴れとらんワ……)」
俺はこの時の、国津神の言葉を聞いた瞬間の衝撃を、一生忘れる事はないだろう。
確かに俺は、自分を殺すつもりで敵意を向けてきた【魔物】達を虐殺した。
何の感慨も無く、一瞬で。
しかも断絶空間を閉じたのは、単なる後片付けのつもりだったのだ。
……二百億……それがどうした。俺は殺される訳にいかない。
守りたい、守るべき人達が居るんだ。
でも……二百億の命……
今の自分には無い筈の、胸の奥の何処かで、ゾッと染みゆく不快な鈍痛が俺を浸していくのを感じた。
黙ったままでいると、鈍痛の拡散は更に加速していく。例えて言うなら、極寒の吹雪の真っ只中に裸で放り出された様な、冷気が全身を締め付ける、悪寒を伴うとても嫌な感覚。
それが段々痛みを伴い、身体中に震えが走る様な気がしてくる。
『マスター? 聞こえてますか? 奥様から通信が入っています』
(アナター! 聞こえるー?! お願い、返事してー! スタイー!)
不意に現実に呼び戻された。
我が妻リベイラが俺を呼ぶ声がする。
ハ! と我に返り通信回線を開いた。
《ただいま! 聞こえるよハニー! 声が聞きたかったよ。何かあったのかい?》
(あぁ! やっと!……良かった……もう何があったの?! 一週間も連絡してこないなんて! ずっと呼んでたのよ?)
《なんだって?! こっちはそんなに経ってないのに》
どういう事だ?! あれからそんなに時間を喰った覚えは無い。
『重力定数を悪戯に弄った弊害ですね。可能性は充分にあります』
そんな今更。大体、時刻計はどうなってるの? メタデータは?
なんでAIは先に可能性を示唆しないんだ!
『申し訳ありません、マスター。タイムスタンプはこの特殊な亜空間の特性に阻害されていた様です。今は空間固定プローブと近く、通常通信も遮断されていません故、ラグの発生、時間の流れの齟齬は極めて零に近い数値です』
クッソ! とにかくメタデータなるモノが現世に存在しないと無効なのは解った。
(兎に角、レイ、戻って来れるよのね? 直ぐにこっちに来て! 着いてから話すから!)
『畏まりました。もう目の前にゲートがあります。直ちに帰還、転移します。奥様、広い場所へ移動してください』
(分かった! )
ちょっとだけ間をおいて、愛妻から弾んだ声が発せられる。
(……うん、……良いわよ! 私、今聖都すぐ近くの「アナトリアの丘」に居るの! アナタ! 待ってるわ!)
《あぁ! 直ぐ帰る!》
回線が閉じられ、一旦愛妻の声は聞こえなくなった。
通信中聞こえていた妻の後ろの慌ただしい様子の地上側の気配が、途中から静かになったのはリベイラが移動した為だろう。
「なんかあったん? めっちゃ焦っとったがな」
[分からないけど、AI、急ぐぞ!]
【さて、我も楽しみである】
『座標特定、固定完了。特異点の周囲半径50m内に転移します。亜空間フィールドジャンプ、カウント開始。5、4、3、2、1 突入』
赤黒い空に穿たれた穴に突入するかと思いきや、穴の中央に固定されたプローブの小さなランプが点滅発光し、俺達は謎のフィールドに収まった。
直後にプローブが発光をやめ、俺の躯体に収納されると、いきなり謎フィールド外の世界が爆発した。
周囲の景色が一変し、動きの緩慢な青方偏移を帯びた、おっとりとした光のカーテンで満たされていた。
光のドップラー効果である、円状のオーロラの様な青方偏移が奥からこちらに向かって広がっている様に見えるので、そちらへ進んでいると思える。
後ろを振り向くと、同じく横に倒した円筒状の、今度は赤方偏移の光の通路が、奥に向かってすぼまっていく。
中心の丸い景色はさっきまでいた【魔界】の空だが、急激にすぼまり小さな点となってその内見えなくなった。
が、直ぐに進行方向の青色の光の通路先が白い光に染まり、呆気に取られていた俺達は、其のまま押し出されるように現世地上に出現する。
「おおぅ! ワープや! 今ワシら、ワープしたやん! TVで観た事あんで!……て、ココどこ?」
『次元跳躍成功です。特異点の存在を確認。マスター、奥様はそちらに』
[リベイラ! ただいま! 帰って来たよ!]
「スタイ! おかえりなさい、アナタ」
禍々しい赤と黒、荒野と骨しかない世界から帰還した俺は、濃い豊かな色彩に彩られた現世の風景を確認するのももどかしく、一瞬で人型に変形し、妻に飛びつかんばかりに、ひしと抱きしめ合った。
この時完全に頭上の存在を忘れて、突然放り出された国津神から後から小言を貰ったのは云うまでもない。