第十五話 対悪魔戦
白々と遥か先の、山岳の尾根の向こう側が明けてきた。もう間もなく日の出だ。
夜明け前の薄闇の中、何処か苦悶を抑えた顔色で、ミラが俺に告げる。
「ソロ……ソロだわ。お願い…、ね」
人型形態の小さな頭で俺は頷く。
やっぱり辛そうだな。待ってろ、直ぐ悪魔との繋がりを断ち切ってやるから。
大体何百年も封印して来たのに、何の関連付けも無いってのはちょっと考えにくい。
[解った。ソロムコ隊長! 其方は拠点の防衛を頼む!]
「了解です! こちらは気にせず、存分にやってくだされ!」
《リベイラ、ミラを頼むよ》
(任せて。レイ、タイミングだけは教えてね。アナタ、ご武運を。)
《あぁ、行ってくる》
『お任せください、奥様』
「私もお供させてください!」
リース中尉だ。無理もない。未だ彼女は「仇」を討ったとは感じていないのだろう。
だが今の彼女には荷が重く、無理ではないかと思える。
何より其れが「復讐」という負の連鎖である限り、相手にするには分が悪すぎる、と感じたのだ。
捕えた闇の民の脳から読み取った記憶は、其れはもう酷かった……。
筆舌に尽くし難い、卑屈で悍ましい、残酷の極み。
鬱積した恨みや妄念の塊の様な連中の、況してや其の大元が相手なのだ。
やめておけ。その若さで、人の負の、本当の底を見るのは……
これからの君の人生に、大きな、深い闇を植え付けてしまうだろう。
若いと云うのは其れだけで眩しく、輝かしいものだ。人生を棒に振るな。
俺の心情を汲み取った妻が諭す。
「リース。お願い、今は未だ様子を見て。万が一にも備えないと。もし私が倒れたら、貴女が皆を守るのよ」
今は堪えろ中尉。いつか其の苦悩が、絶対に無駄では無かったと思える時が来る。
そしてリベイラ、君が「倒れる」時は訪れない。俺が全力で君を守るから。
クッと肩を落とす、分厚い魔導鎧を着こんだリース中尉に、リベイラが諭す様に手を添えた。
妻のもう片方の手には、俺が渡した親方印の大剣が握られている。
今回は少し特別な機能をコーティングしてある。その剣を振るうのはもう少し先だ。
俺は上空へとミラの石碑を抱え上げて上昇し、部隊からかなり離れた場所へ放り投げると、自ら追い掛け空中で叩き割った!
粉々に砕け、舞い散る破片に入交る、低い唸り声が物理的な圧力を伴って轟き渡り、其れと共に、明け始めた薄闇を真っ黒な魔力の塊が巨大な渦となって立ち昇る。
悪意の塊と云った禍々しい黒雲が直ぐ様形を作り、やがて現れた無数の老若男女の頭を持つ【悪魔】。
漫画の一コマよろしく、背景に怨々と文字を背負って立つような、効果音じみた妙な唸り声みたいなのが纏わりついている。
躯体のセンサーとカメラ、収音装置が、離れた村の拠点で皆が息を呑む様子を拾った。
ミラは青白い顔をしつつも、リベイラの隣で大人しくしている。
俺はそれだけ確認すると、悪魔へと意識を向け直す。
《薄気味の悪い面構えだ。死霊の塊みたいな奴だな。》
如何にも【悪魔】らしい、醜悪の極みと云った形相。怨念の凝り固まった一つ一つの顔。
【我はダンタリオン、【地獄の公爵】たる我を、よくも軽々しく呼び出しおったな! 忌まわしき人間共、覚悟せよ!】
ダンタリオンの周りに、死霊の類の様な魍魎じみた何かが、螺旋を描いて帯になって絡みついている。
俺とは比較に為らない程の巨大さだ。STAと同じ位……否、一回り程大きいか。
その絡みつく怨霊と、本体の無数の顔がこちらを睨み付けて呪詛を放つ。
《コイツラ此ればっかか?》
生温い、じめっとした風が俺を撫でる。
が、不快な感触以外、特に警告も何も無いので、俺は避ける事もせず、相手に向けた右掌から圧縮空気を撃ち出す。
ボワン、とダンタリオンの纏う衣服の一部を抉るが、まるで雲よろしく直ぐに元に戻る。
某砂で出来た幻影のような有り様。
《手応え無しだな。スッカスカの雲の魔神てトコか》
【ほぅ、貴様……我が呪詛に抗うか。忌々しくも機械人らしい呆れた鈍感さ。……が、なんだソレは? 今何かしたのか?】
得意がった抑揚で悪魔は言い放つ。
と、唐突に時間が止まる。相棒たるAIに因って俺の思考速度が何千倍にも加速されたのだ。
『スキャンデータと相対パラメータを表示、基準は原住民軍人達のアベレージから算出しました』
レイが俺のグリッドに【悪魔】の予測数値を映し出す。お蔭で詳細な形も分かった。
対象名:ダンタリオン
種族名:悪魔
体長:18.3m(変動)
質量:2.7t(変動)
物理功力:1922
物理防御:1647
物理耐性:5270
魔力攻力:2361
魔力防御:3125
魔力制御:2623
自己修復:1246
構成比率:魔素1:魔素変性体8:光子1
備考:特殊位相体(半実体)
早速追加されたデータに、興味深い単語が出たのでレイに聞いてみる。
《半実体って、どういう事だ?》
『対象本体は亜空間とも云うべき異次元に潜んでいると考えられます。有効な手段は』
《引き釣り出して、ブッ叩くンだろ? OKだ。手段を教えてくれ。》
『亜空間へのアクセスポイント、コアが内在しています。マーキングしました。此れです、アクセスパターンを解析……マスター、コレ破壊してみましょう!』
《んじゃ、やっぱり一旦ボコるしか無いか……にしてもヤル気満々だな、何か面白い事でもあるのか?》
グリッドに常駐する幼女AIは、満面の笑みを浮かべてノリ気である。
『えぇ、今回は奥にちょっと面白そうな現象が潜んでますので……解析欲が疼くんですぅ!』
目の前で、身悶えしながら体をかき抱くポニテ幼女が唸る。
《そ、そうなんだ。ま、お手柔らかに頼むよ》
さてと、んじゃ一丁、【地獄の公爵】とやらをブン殴ってヤルか!
俺は静止した時間を解除し、巨大な【悪魔】を見据え、突っ込む。
急接近する俺に、即座に反応しだしたダンタリオンの体表から、何やら影の様な薄い触手めいたモノが伸びてくるのが見えたが、その質量すら感じられない程の有象無象さに、俺は無視して突貫する。
固体と思える、自分の身長と同じくらいの大きさを持つ頭部に迫り、その顔の一つを殴りつける。
吹っ飛ぶ怨念めいた頭。余りの手ごたえの無さに、そのままダンタリオンの身体を突き抜けてしまった。
【ヌゥン!? 我の術が効かんとは、何奴?!】
[術ってなんだ? 今何かしたのか? ソレにしてもお前さん、ほんとスッカスカだな!]
【おのれ小虫風情が……愚かにも程がある!】
ホンにアンタは屁の様な。って感じか。
『視聴覚に干渉する幻影の事でしょう。さっきの魔力風もそうですが、余りにも気薄で邪魔なだけなので、キャンセルしますね。』
AIが言うが早いか、俺の躯体から、魔素流が突風の如く吹きだし、奴が伸ばしてきた薄い靄の様な触手めいた怨霊の帯と巨大悪魔を薙ぐ。
フィルターを剥がされたかの様に、余計なビジュアルが取り除かれ、単なる巨大な骸骨頭の異形としか見えなくなった悪魔は、最早おどろおどろしさも無くなって威圧感すら感じない。ただデカいだけになった。
【なんだと?! 我が術障壁を……有得ん! キサマ、今何をした!?】
[いや? 特に何も? モヤモヤして邪魔だから消し飛ばしただけ。]
【…我に対して、なんだとぅ!…この、小虫にも劣る愚鈍が、何たる不敬か! 小賢しいわ! よかろう、身の程を思い知らせてくれる……ムゥ……!】
何やら骸骨頭は魔力を込め出した。
その間に連続して圧縮空気弾を叩き込んでみるが、スカスカな奴には有効打には為らない様だ。
【フハハハ! そうだ! その様に無様に無駄に足掻いて見せろ! 愚かな機械人めが!】
[(ムカ!)へ、ほざいてろ!]
《ん~、なぁレイ。其れよりコイツ、固形化出来ないか? 殴り甲斐がないってか、埒が明かん。》
それともいっそ、奴の得意な『魔力』を乗せて殴るってみるか?
でも消し飛ばしてしまったら元も子もないし……。
『マスター、先程マーキングしたコアを叩きましょう。あの見た目はハリボテ同然です。時間の無駄ですので』
おっと、そうだった。
早いとこコイツを締め上げて「ミラ」との紐づけを絶ち切ってやらんと。
瀕死にでもすれば、今は見つけ難い、か細い魔素の繋がりを表面に出すだろう。
と、俺は踏んでいるのだ。
何故ならそれは、奴に取っても生命線であろうからだ。
本体が異次元にあるという悪魔の、現世に顕現する条件の様なモノ。
魔女ミラが俺達の前に出現した時から、AIは量子間通信にも似た頼りなく儚いゆらぎを、ミラと石碑の双方向から時折検知していたのだ。
俺にはそれがまるで互いの位置情報をやり取りしている様な……そう、GPS通信…いや、もっと平たく言うと車のインテリジェントリモコンみたいだと思ったのだ。
【人如き小さきモノが! 我の力を思い知れ!】
朝日に照らされ、暗黒の霧がより一層濃くなったダンタリオンが、両手を振るい、その腕に一際大きな真っ黒い渦を生み出し、俺に向かって射出した。
脅威指数0
ご丁寧にレイが数値化する。
ワザワザ悪魔に付き合うのも馬鹿らしい、ので直撃を無視して俺は兵装展開する。
《レイ、最適な奴を頼む。》
『了解。対象範囲へ局所空間湾曲展開、隔離開始。遂行武装Fウェーブショット、ブリッドシェルを換装、ショックモードに』
その間、俺に直撃した真っ黒な球体に亀裂が発生、爆散する。
【(ム? 彼奴めを吸い込み、収束する筈だが)フン! 暗黒に囚われ、最早出でる事叶わず。己が身の程を弁えよ! グハハハ!】
ニヤリ、と此方を文字通り見下して、一瞥する骸骨頭の巨大悪魔。
と、暗黒球が爆散したその場に、何事も無かったかの如く滞空する無傷の俺。
その様と、更に両腕に光を纏う姿を見て、思わぬ程驚いた様子のダンタリオン。
【……な?! どうやって?! キサマっ!? なんだソレは!?】
呆気に取られる間もなく、奴の周囲に、眩しく輝く鏡面結界が突如出現した。
そのまま奴自身が纏う闇のオーラごと四方八方を固められ、ジタバタと焦り暴れようとするも微動だに出来ない巨大骸骨悪魔。
【ば、バカな!? こんな……う!……う、動けん! この我を……拘束しただと?!】
『ロックオン。マスター、トリガーをどうぞ』
[よし。フォトンウェーブショット、シュート!]
俺の両拳を併せた先から光子の放射が、文字通り光速でダンタリオンを閉じ込めた鏡面結界に接触、そのまま内側へと侵入、中で幾つもの筋となって乱反射、光で満たしていく。
捕らわれた【地獄の公爵】は何条もの光の束で射貫かれ、その身に純粋な炎が発生し纏わりつかれていく。
そうなって初めて、巨大な悪魔は壮絶な悲鳴を挙げた。
【グァァァアアア! ば、バカなぁあ! こ、此奴はぁぁ!】
未だか、早くしろ! ミラももう保たないぞ!
俺はダンタリオンが鼬の最後っ屁の如く、異次元の本体が地上への執念を手繰り寄せ様とする、悪足掻きを期待していたのだ。
だが、このままでは……
『マスター、未解析の魔素量子解れを観測。凡その周期ピーク点まで8セコンド。奥様ココです。5、4、3……今です!』
(セイ!)
リベイラが特殊な黒光りを見せる大剣を振りかざし、ミラの背後と平行に足元へ掛けて何もない空間を切り付けたのが見えた。
だが俺には何を切ったのかハッキリと判った。
確かな魔力の流れと一際明かになった量子の解れが、妻に寄って断ち切られるのを。
クタっと倒れかけたミラが、直ぐ側に居た鎧姿のリースに抱き留められる。
同時に鎧の装甲表面に紋章が浮かび自動的に害敵に反応、寸断された呪糸の残滓から結果的にミラを守った。
断ち切られ、ダンタリオンから細く伸ばされた呪力の糸が、未練がましくもう一度ミラに襲い掛かる。
(させない!)
空かさず可視化する程の、積層型立体結界を張り巡らせるリベイラ。
AIに因って特定された、ダンタリオンの呪いである怨嗟の糸は、呪力対応した結界に弾かれ、もう二度と侵入を赦される事はなかった。
[よくやった! 二人とも!]
二人へ向かってサムズアップする俺に、グリッドに浮かんだレイが囁く。
『次元斬刀、正にマスターが命名した通りの切れ味ですね。』
《あぁ、レイのお蔭だ、助かるよ。》
【お! おのれぇぇぇえええ! よくも我を、我の依り代をぉお!】
俺は鏡面結界の中に入り込み、目の前で悪魔が炎上消滅していく姿に向かって怒鳴りつけた。
[やかましい!]
未練がましくこの地に留まろうとするお前が悪い、さっさと異次元にでも逃げ込まないから消滅させられるんだ。
AIがサラリと報告する。
『マスター、コアが剥き出しになります。』
マーキングされたコアを見つけ、手で握りつぶす。
【ば?! 馬鹿者が! 貴様何も判っとらんな?! フ…ハハハハ! お前も道連れだぁぁあ】
あん?
と、呟く間にコアが割れ、俺は真っ暗な世界に放り込まれた。