第十二話 魔女2
ソロムコ隊長貴下、軍人達が其々の職務に勤しむ中、ペンマース商会の店主リッド=ペンマースは、隊長から「良くやってくれた」と、その働きに感謝する旨の労いの言葉を受けた。
商会自体は隣国エスペラント王国の王都カルタゴに本店があるのだが、丁度帝都ラゴアの支店に長期滞在中、子飼いの商人達が次々に行方不明となり、人類軍に相談して来たのが切欠で、諜報部からの提案に載りこの部隊に自ら志願した民間人である。
一潜入調査部隊とは云え、軍事行動を共にする為に結構な準備期間(訓練)を設けられたのだが、実年に差し掛かった歳の割には、文句も少なく、その持ち前のバイタリティで必要条件をクリアした根性者である。
「隊長さん、皆さん、ご苦労様です。休憩の方はどうぞこちらに。色々と取り揃えております」
ついさっき上層部からとても重要な案件と、ソレに関わる驚愕甚だしい結果を、部下から刻々と聞かされ、頭を悩ませるべきか、其れとも、もう半分は解決した。と判断を下すのが正しいのか、些か判り難い状況に困り果てていたソロムコは、リッドに寄って齎された、胃や喉、ささくれた心を潤す嗜好品を含めた品々に安堵する。
「あぁ、有難い。准尉、各自手の空いた者から休ませる様に」
「ハ! 順次交代させます!」
虫や鳥、獣達の発する大自然の平和な騒音がこだまする中、とっくに陽の落ちた夕刻過ぎの空寒い空気を背景に、隊員達自らが敷設した大型テント内へ、食料や酒、飲料水などが運び込まれ、瞬く間に食堂が完成。
天井に吊るされた幾つものカンテラが、空腹を刺激する香り事照らして、テント内と外とをくっきり分け、深い陰影を浮かび上がらせる。
休息に入った者達から並んだ順に次々と料理を大皿に盛られ、皆が思い思いにテーブルにつき、食事を取り始めると、現場には戦闘とは打って変わって別の活気が満ちて来た。
その様子を垣間見ホッと溜息をつき、自分も人心地つくべく、皿にこんもり盛られた料理を手にソロムコが席に座ると、露のビッシリ着いた金属製のジョッキが、スッと目の前に置かれた。
中身は炭酸水で割った冷えたアルコールである。
礼替わりに軽く会釈し、差し出されたジョッキを手に取り、器に口を付け三分の一程を飲み干す。
食道を叩き割る様な、刺激の強い炭酸の乱暴な喉越しに、目を回しつつも爽快感を味わう。
ふぅ気が利くな。ただ今はもっと濃いのが欲しい所だ。
琥珀色の、舌で転がすと僅かに焦げた木樽の香りがする、あの芳醇な上等酒が呑みたい。
己が提供した炭酸酒の良好な手応えに、その人物は朗らかな笑みを浮かべて向かいの席につき、隊長へと声を掛ける。
「隊長さん、如何ですかな? 調査の状況は」
「此れはペンマース殿。悪いがそれは機密事項に抵触するので、おいそれとは話せません」
「おっと、これは私の言い方が悪かったですかな。私の事はリッドで結構ですよ。……まぁ、ソレは理解しておりますよ。ただ、私も長年、手塩に掛けて育てた部下の事もありましてね。遺族の者達への施しも少しは与えてやりたいのが、雇い主の心情と云うものでしてな」
「えぇ……亡くなった方々には、心からお悔やみを申し上げます」
「やはり……死んでしまったのですか。……エイソン…リンキース…済まなかったな。……私が読めなかったばかりに……」
流石はやり手の商人である。先刻機密と言った筈の犠牲者の事をサラリと肯定させたのだ。リッドの自然な会話の流れに舌を巻きながら、ソロムコは何れ判る事だ。とも開き直り、特に否定はせず言葉を返す。
「ペンマー……リッド殿、「神々」でない限り、誰もこんな事態を予測なんて出来ません。貴方がこの件でその責務を問われる事は無い」
「隊長さん、私も人を預かる身。血は繋がってなくとも、家族と同然の者が居なくなるのは……辛いモノですな」
ホロリと頬を、一筋の雫が伝い落ちていく。上を向き、顔を逸らしたリッドは唇を噛み締める。
ソロムコは意外にも損得ではなく、部下を失った悲しみに涙を流すリッドに、少し気を削がれた。
何しろ巷では「地獄の獄卒も裸足で逃げ出す守銭奴」、果ては「奴に気を許すな、穴の毛まで抜かれる処か目ん玉まで売られるぞ」等と評判の、あのリッド=ペンマースが、である。
世間の噂など充てに為らないモノだ。意外といい奴なのかもしれないな。
ソロムコは改めてリッドに対する、内心の人物評価を見直す事にした。
「リッド殿、知っての通り我等「人類軍」は、「神々の天啓」の下、多くの国々の垣根を越え結集された組織だ。今回の任務も帝国だけの動きではない。必ずや、犠牲となった王都に残された遺族の方々にも、その恩恵は与えられるでしょう」
感無量といった趣で俯き、両手で顔を覆い隠すリッド。老いた身体を小さくし、背を向け小刻みに肩を震わせる姿が痛々しいまま、ソロムコはそれ以上声を掛ける事はしなかった。
「そう言えばさっき、チラっと耳にしたんですが」
何かを思い出したリッドは、顔を上げこちらに向き直る。
「何か?」
一瞬見えた雫の筋はどこへ消えたのか、それとも最初から無かったのか、齢から来るであろう少し脂ぎった顔のリッドの頬には、涙の痕などもう何処にも無かった。
「あのしょっ引いた魔族に尋問? なのかなアレは……何かこう、軽く声を掛けてたというか」
「うん?」
「いえね、[さぁ何度でも死んで構わないよ? 何回死んでも蘇生(?)してやるから存分にどうぞ。別に喋りたく無くても「脳の記憶野(?)」から直接吸出す(?)だけだし]とか「アンタ、何言ってるの? アタシにももう少し判る様に説明しなさいよ!」「ちょっと、声が大きい」だとか」
「そ、そんな話の内容、よく覚えておられますな。結構長いのに」
「いやぁ、こんなでも私、一応商人ですからな。興味を持った事は忘れない特技みたいなモンなんですよ。あぁ、尋問中にコッソリ入って聞き耳を立てたのではありませんよ? 牢屋に入れる前に外で話してたのが聞こえたんです。……にしても、物騒な事を、事も無げに気軽に言うものだなと」
「は、はぁ…」
誰が話していたのかは聞くまでもない。部下達からの報告内容とも一致する。
全く「あの」有名人は予測がつかない行動を取る。「規格外」との噂に違わぬ破天荒ぶりだ。
「リッド殿」
「はい?」
「悪い事は云わないから、もうその事は忘れた方が良い。私も聞かなかった事にする」
「はぁ……隊長さんがそう仰るなら」
怪訝な表情のリッドの事は無視して、気の抜けたアルコールソーダを一気に飲み下し、冷めてしまった料理を咀嚼するソロムコであった。
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『てな事言われてますけど?』
《別にいいさ。ソロムコ隊長は無視してくれるらしいし。其れよりこの【魔女】をどうするか、だな。「保護しろ」なんて言ってるけど》
『単なる知的好奇心に駆られた衝動かと。尤も、その言動に於いて、元々の【魔女】本人なのか、召喚したという【悪魔】か。との話になると杞憂ですが』
《どっちだろうな? 何か裏付け取れたか?》
『もうお解りでしょう。マスターのお察しの通りかと』
ま、聞かなくても大体想像はつくんだが。
最初に【魔女】を視認する前、AIは警告を発して来た。俺にその出現兆候を知らせデータを見せた上でだ。だからこそ俺の無意識下にある自立センサーでも検知出来たんだけどな。
最近の俺ってば、レイが居ないと役立たずになってるな。気を引き締めないと。
『マスター、私の存在意義は、貴男を補佐する事です。どうぞ安心して下さい』
《あ、あぁ、判ってる。感謝してるよ》
コレだ。油断すると独り言すら拾い上げてくる。
別にプライバシーガーなんて事は思わないが、誰だって一人にして欲しい時もある。
おっと、我妻からの通信だ。ハニー、君とは何時だって繋がってたいよ。
(アナタ、スタイ、聞こえてる?……もう、今はそんな時じゃないでしょ)
「今は」ね。楽しみは後にッて事だな。
ソレにしても俺って、どうも心の声が駄々洩れなのかしら?
『マスター、リンクと通信をごっちゃにするからですよ。というかマスターの場合、半分ワザとやってますよね? 奥様には実にストレートに思念を送信、更に受信なんて、常に感度全開で受け入れてるじゃないですか』
また幼女キャラに戻ったな。目まぐるしく変わるなぁ。飽きさせない様に、とでも意識してるのか?
(ね、聞いて頂戴。リースも今は大分落ち着いてるわ。何か冷静過ぎて怖いくらいだけど)
《そっか。でも彼女も人の子だし、思う所もあるだろうさ。今はそっとして置けるならその方が良い》
(そうね……私もそっちに戻るわ)
《待ってるよ。苦労を掛けるね。リースの心配してくれてありがとう》
(良い娘よ? 彼女、皆の受けも良いし、あ、レジーナ達から報告があったわ。向こうも順調だって)
《あぁ、さっきダスティン達からもこっちに有った。今日、四か所目をクリアしたらしいよ》
(あら、其れじゃ私達も頑張らないとね)
《うんうん。早く帰っておいで》
(フフ……えぇ今行くわ)
フッと、回線が閉じられ、何の気なしに振り向くと【魔女アルタミラ】と目が合った。
「ねぇ、さっきから黙ってるけど、もしかしてアンタ、誰かと会話してる?」
[あぁん? そう見えるのか?]
「隠しても分かる。アタシ【魔女】なのよ? 「力」の流れ位感じ取れるの」
そうだろうな、そんな事云ってたし。
[だとして、其れがどうかしたのか?]
「アンタの事、アタシ全然知らないじゃない。教えなさいよ、さっきの不可解な「力」について」
聞き方ってモンがあるだろうに、大体今そんなメンドクサイ事を一から話すのか? って気分だ。
俺はさっさと帰って来る妻を迎えて、我が子達とも触れ合いたいのだ。
リベイラもすぐそこまで来ている。
あん? ちょっと待てよ……コイツもう尻尾だすのか? 魔力の数値が異常に上がっている。
幼女はグリッド上に浮かんだまま、薄目を開けて俺に頷いて見せる。
[面倒くさいから明日で良いだろ。というか大体お前は【魔女】てより]
「何よ」
[【悪魔】だろうが? その娘に憑りついて何を企んでるのか知らんが]
「何の事かしら? 【魔女】が【悪魔】如きに簡単に乗っ取られるとでも?」
[あのなぁ、無理が有り過ぎだ。「人間」があんな石碑を住居にしてるっておかしいだろ。第一アレは、お前の発生源じゃないか]
「……そんな事どうして判るっていうの? 証明の仕様がないじゃない」
[人間臭い科白を吐いても一緒だ。其れこそお前の存在を証明して見せろよ]
「……判った。正直に話しても良いけど、条件がある」
[なんだ?]
「とてもシンプルな事。アンタの力を見せて。アタシを、アタシの中の悪魔を組み伏せるだけの力を、アンタが持っているのか知る必要がある」
確かにシンプルだ。判り易い。
[明朝、人気のない所でなら良いぞ]
「ソレはダメ。アタシが顕現出来るのは陽が昇る前まで。だから今、見せて欲しい、アンタの全て」
「あら、何の話かしら? 私も知りたい」
妻がソコに佇んでいた。なんだか怒り色のオーラが見える気がする。
アレ? なんか誤解してない?
[あ、おかえり! 丁度良かった、君に話そうと]
【力のないモノは引っ込んでて】
「……さっきから思ってたの。貴女って少し教育が必要な様ね」
【弱者はお呼びじゃないって言ってるのが判らないの?】
自称【魔女】アルタミラの魔力が途端に膨れ上がった。
吹きすさぶ魔素流が突風を興し、空中で練り上げられた魔力に寄って火を纏いリベイラに襲い掛かる。
俺はヒヤッとした感覚に、永らく絶えてしまった排尿直後の震えの感覚を思い出した。
いや、例えは悪いが、兎に角背筋に氷を充てれらた様な感覚というか、寒気を覚えたのだ。
本来なら、愛妻に向けられた危害の意志に憤慨する筈が、
[オイこら、我妻に何を!]
「アンタの全力を知る為よ。……な?!」
身の丈を大きく上回る火球は、リベイラに襲い掛かる直前、破砕され小さな火の粉となって霧散した。
翻したリベイラの左腕が上から下へ振り抜かれると、魔女の足元から数mの鋭利な氷柱が突き上がり、魔女の帽子を切り飛ばす。
「なぁに? 今何かしたのかしら? せめてコレ位はやって欲しいものだわ」
間違いなく怒気を含んだ気配を載せてリベイラが一歩前へ出た。
初めて見る愛妻の怒った姿に、何か神聖な頼もしさを感じつつも、やはり俺は幾ばくかの恐怖、基、脅威を感じたのだった。




