魔族
「ガァァァアアア!」
その異形は凡そ人型をこそしているが、まるで姿形そのものが人を冒涜するかの如き醜さである。
頭はヤケに大きく口は眉間まで縦に裂け、胴体はブヨブヨと異常に脹らみ、細く長すぎな手は四本。
自らの重みに押し潰された様な下半身は針の様な体毛が密生しているのに、上半身はヌラつく体液にまみれた気味の悪い灰色の地肌。
その暴力的なまでの醜悪極まりない姿は、半身上下のアンバランスさもあいまって、極めて不快である。おまけに
「グッハ! おぇぇぇえええ!」
「くせぇぇえええ! なんだコイツ!」
「ゲッホォ! グヴォォぉぉぉ」
「コレは?! 皆さん! 結界から出ないで!」
「瘴気がっ! あまりにも濃い瘴気が悪臭になって……!」
神職達が顔色を変え、結界の際にいた冒険者達に促す。
内側とは云え境界面ではエヅく程のあまりの臭気に、たまらず後退する傭兵遊撃部隊。
身長は軽く3mを超えるであろうその巨大な魔物は、神聖&魔法の混合結界を境に、周辺に悪意の塊である瘴気を撒き散らす。
更に目視出来る程のその濃い瘴気は、敵意を遮断する筈の結界を僅かに侵食し、境界近辺に居た者に不快この上ない臭気となって強烈な疲労と、実効的な脱力感をもたらしているのだ。
「騎士達よ! 防衛線を遊撃隊と交代! 遊撃隊は速やかに回復せよ!」
「「「「ハ!」」」」
騎士団長の号令に気合と共に、「祝福」の加護を受けた近衛騎士達が、素早く前線の傭兵達と交代。
「ありがてぇ!」
特に深い傷はなさそうだが、傭兵達は大きく安堵した。
何しろ結界中心部に近づくだけで体力は回復し、削られた精神力が漲ってくるのだ。
「燻りだされてきたか【魔族】め!」
「(サイクロプス? いや、あれはトロールの亜種か?)」
グスマンは味方部隊の戦況をみやり、多少の負傷は有れども死者はいない事を確認すると、確信した様に吠える。
間違いないであろう。奴がこの群れのボスだ。
「うへぇ、仲間を…」
「魔物を……喰ってやがる」
耳に入るのも不快な音を立て、見境なしに周囲の手の届く範囲に居た動くモノを貪り喰らう様は、知性など最早欠片も無い。
身構えた副長の気合の入った指示が飛ぶ。
「魔導部隊は周りの雑魚を最優先で砲撃!」
「「「ハ!」」」
返答するが早いか、次々に魔導必中の属性魔法矢に神職が詠唱を重ねた封滅弾が、残った魔物を蹂躙、撃滅していく。
「……イセリア様。では、手筈通りに」
イセリアはコクリと頷くとグスマンに指示する。
「はい。……騎士団長! 少しだけ時間をください。準備が整ったら副長へ合図します」
「了解! 近衛騎士グスマン=マコーウェル、参る!」
グスマンは先行した他の近衛騎士へ追いつくと、更に砲弾の如く境界から飛び出した!
「グゥゥ!」
その鈍重な見た目とは裏腹に、瞬時にグスマンへと正対する醜悪物。
新しい餌が来たとばかりに邪悪な意志の塊をぶつけ手を伸ばす。
が、易々とグスマンにあしらわれ 憤慨した様に頭の後ろへと四本の腕を引く。
ドンッ! と大楯を身構えるグスマン。
強固な加護である「祝福」が効いているのか、その表情には苦痛など微塵も見られない。
並々ならぬ悪意を撒き散らし、醜悪物は振りかぶり、その巨魁の四つの肩口から、まるで城壁を拡張工事する際に使用する岩石投射出機かの如き、恐るべき破壊力を持った素手打撃を、矢継ぎ早に連打でグスマンに繰り出す!
醜悪物の狙いは甘く大雑把で、逸れた幾つかの打撃痕がグスマンの周囲を削り、地面に大穴を穿った。
それでも凶悪な拳が悪意の塊を載せて何発もグスマンに直撃する!
「ム……ゥン!」
だがその重く激しいはずの衝撃を、悉く跳ね返し、軽々としのぐグスマン。
数瞬遅れて騎士達がグスマンの元へと馳せ参じた。
そして騎士達は見た。グスマンが大楯を以て逸らした衝撃の幾つかが、醜悪物の周囲に同様に穴を穿つ様を。
更に、大楯が跳ね返した破壊の波は、醜悪物へ正確に伝播され、己の何倍もある敵の巨体そのものを波立たせる程重い事を。
しかも一瞬、後続を振り返ったその表情には、余裕すら伺わせるものがあったのである。
(なんたる……! なんたる胆力! 流石は「金剛の楯」!)
武者震いが身体を襲うも、尋常為らざる強者と共闘する歓喜に興奮し、近衛達が声を張り上げる。
「グスマン様、お待たせしました!」
一人が言うが早いか渾身の力を込めハルバードをブチかます!
野太い脚にめり込む刃。
怒りの雄たけびを挙げ、叩き折ろうとする醜悪物。
すかさず別の騎士が敵の動きを読み軌道上にポールウェポンを構え迎撃!
ザックリ切断される魔族の手首。
相手の馬鹿力を利用したスマートな反撃である。
がトロルは、切り飛ばされ、明後日の方向へ宙を舞う己の拳を、空いた手でつかみ咀嚼する。
見る見る内に生えていく拳をにぎにぎし、その間にも三本の腕が立体的に騎士達に襲いかかる。
が、次の瞬間にはグスマンに跳ね返され、逆に衝撃を内側に響かせられ押し返されるトロル。
またしてもエモノに捕食を邪魔され、更に瘴気を撒き散らし、荒れ狂う。
醜悪物とグスマン率いる騎士達の攻防は続き、その間にも周囲の魔物達は魔導と傭兵に殲滅され、やがて残すは目の前の魔族のみとなっていた。
「残るはこの魔族のみ。騎士達よ、今こそ矜持を示せ!」
「「「「おおおぅ!」」」」
騎士達を鼓舞しつつ、チラリと妻と本陣へと視線を移し、様子を伺うグスマン。
(イセリア様は何か引っかかっている様だが…)
取り立てて変わった動きは無い。
改めて戦況を確認すると、この戦闘が始まってから未だそんなに時間は立っていない。
部隊の調子も悪くないどころか今は余裕がある程だ。
が、ブリーフィング後イセリアはレジーナと神職達に何か指示を与えていた様である。
退魔のスペシャリストであるイセリアが何らかの危惧を案じているのは解るが、今回は徒労に終わる事を願うばかりだ。
果敢に攻める騎士に新たな拳が後方から迫る。別の騎士がランスを以て正面から突き刺す!
その武装にも施された「祝福」の効果が腕ごと粉々に粉砕する。
更に同じ効果のハルバードを以て膝を砕かれ、振りかぶったアシッドトロルは大きく体勢を崩される。
「今だ!」
グスマンの号令、一瞬にして四方に散らばった騎士達が一斉に刺突攻撃。
「ウボォァァァアアアア!」
身体に大穴を開けられ、集中攻撃を受けた下半身がグズグズになり遂に倒れ伏した魔族。
更に追撃を掛ける筆頭騎士。
この好機を見逃すグスマンではない。
「終わりだ……聖式撃滅突貫!」
「祝福」を受けたグスマンのシールドバッシュ+全身の力を込めた突進攻撃が炸裂する!
鈍い炸裂音が鳴り、巨魁の体躯を数mも跳ね上げ、叩きつけられた地面に壮絶な衝撃が走った。
そのまま動かなくなったトロルの体表から、徐々に燐光の様なモノが浮かび上がりだした。
するとその明らかな魔物の崩壊現象に、にじり寄る影。
「このまま消滅しますが、確実に。……何より先を急ぎます。」
いつの間にかイセリアが結界の際まで出向き言い放つと、大天使が顕現し、アシッドトロルのその身を焼いてゆく。
トロルは断末魔も無く消え去っていき……痕には人の頭位の鈍い反射光を放つ石が残った。
終わった。誰もがそう思い、武器を降ろした直後であった。
レジーナが神職に耳打ちされ姿を消した。
たった今まで激しい戦闘を繰り広げ、荒野と化した戦場のすぐ奥、鳥や小動物の気配さえない森の木立から、一匹の牡鹿がこちらを覗いていた。
「まだよ! イセリア様!」
「はい! ……そこですね!」
まるで瞬間移動の如くレジーナが現れ、文字通り瞬く間に牡鹿の首元を掻っ捌いた。
その刃の先には目が異様な光を放つ、牡鹿の切り落とされた頭部があった。
「「「「ハァ?! 「なに?!」」」」
と皆が己の目を疑う間も無く、たった今、確かに在った角の生えた頭が、レジーナの手の先から消えていた。
「「消えた?!」」
皆が戸惑い周囲を見回す中、イセリアは地表のある一点を凝視する。
「大丈夫です。逃がしはしません。……姿を現せ、邪悪な者よ!」
その放った言霊は力を持ち、強制的に何者かを断定する。
直後にモヤモヤと黒い、そこだけが暗黒に切り取られたかの様な魔力の塊が浮き出し、形を成そうと蠢いて呪詛を吐き捨てる。
【ちっ。全く面倒な奴らだ。…オイ、起きろ! このウスノロ!】
先程アシッドトロルを封滅し「封魔石」となった頭蓋大の石が、呪詛を受け途端に変色し、濃い闇を纏い立つ。
(しまった、私とした事が)
イセリアは内心舌打ちをしたい所だったが、【魔族】に知られるのも癪とばかりにおくびにも表情には出さない。
呆気に取られる皆が呆然と見守る中「封魔石」が割れ、現れたのは先程よりも更に巨躯を持った正に巨人であった。