ギルドマスター、ベゼルの心意気
「皆さん、【魔】は去りました。もう大丈夫です。安心してください」
少女は皆にそう告げると、先程とは打って変わって柔らかい笑顔を向けた。
正しく癒しの表情である。
一方、妖魔を消滅させた大天使は、如何にも用は済んだとばかりに、天上の世界にでも還るかの如く、頭上に現れた光り輝く魔法陣に、無言のままその羽を散らせながら消えていった。
アイシャにしっかりと抱きかかえられたベゼルは、司教に外から随伴してきた複数の神官達に因って手厚く看護されるそうである。
「イセリア司教様!」
「助かりましたァ!」
「もう何もでねぇよな?」
「そんなフラグ要らないからね?!」
「でも、絶妙のタイミングでしたね! どうしてこんな所に?」
危機が去った事を実感し、皆がはしゃぐ様にイセリアの元へ集まる中、
「……ベゼルが、否、ギルドマスターが準備していたのだろう」
グスマンだけは、沈着に事実であろう想像を述べた。
対照的にイセリアの声は冷静ではあったが、悪意の去った空気に皆が安堵するのと同様に、語尾には年相応の明るさが宿っていた。
「その件で皆さんにお話があります。……と、その前に。このギルドの、所轄室長は居られますかー!」
「…はーい! ココにおりまーす!」
現場が落ち着いて来たのを確認した数人の職員が戻って来る中で、早くも既に崩れたロビー内の整頓を指示していた、清楚な身なりの女性が手を挙げてこちらにやって来る。
「イセリア様、お呼びですか?」
「はい。お願いしたい事があります。トラムギルドマスター、ベゼルの命として。私の名、太陽神教司教イセリア=レグム=アポロネス、と領主様アクタイオン公家の名を使って構いません。現存するトラムギルド全職員、並びに近隣二日以内に到達可能なエリアを含むトラム所属の全ての冒険者を、五日後、このギルド大講堂へ集結する様、達してください。ランクを問わず、です。」
「畏まりました。……現時点で対象者は……はい、大講堂に余裕で収容できますわね」
「よろしく頼みます」
「承りましたわ。お任せくださいませ」
いそいそと受付カウンターの奥に消え、思い出した様に引き返し、外に出て職員を中に呼び戻していく。
吐き出された冒険者達もゾロゾロと戻ってきている様だ。うちのメンバーがド突き回し、転がし捲った連中は、ボロ雑巾の様になってはいるが、一応手当はされるとの事。
「〔明けの星風〕の皆さんは、私について来てください」
冷静にテキパキと指示し、その手腕に感心する一方で、すっかりリラックスした皆が少女の後を付いて行くのであった。
イセリア司教に先導され、到着した先はこの街の神殿であった。
夕刻のかなり傾いた陽光が、色濃く影を投射したその建物は、街の中心部より少し手前の位置に在り、比較的大きなタワー上の構造物を内包している。
旅立つ前、あの思い出深い「クラフター鍾乳洞」で親方から聞いた情勢に因ると、この世界では太陽神教、海神教、地母神教と云ったメジャーなモノから、月の女神、狩猟の神、精霊、土着神、等多数の神々が存在する。との事。
――初めて聞いた時は面喰うだけだったが、そういう世界なのだろう。と独り言ちした。
納得しようがしまいが、関係ない。そんなモノなのだと飲み込んだ。
何より否定しようにも今更である。『悪魔の証明』なんて、何の言葉遊びかと嘲ったものだ。
己が今居る現実こそが事実である。現に今、こんな状態なのだから――
更に他のメンバーやイセリア司教の説明を纏めると……
各都市や点在する祠等にある大小の神殿は、そのどれもが其々信奉する神々に祈りを捧げる事が出来る様、抽象的なシンボルを掲げている。つまり一つの神殿に、既存の信奉するモノへの祈りの場が、纏めて設けられているとの事。
各教は神殿の中にその独自の部屋を持つが、何せ皆が或る時は地の神へ、或る時は美の女神へ等其々に祈りを捧げるので、この世界では宗教戦争が興った事は無い。
角云う太陽神教司教のイセリアですら様々な神々へ祈るのである。
寧ろその概念が無い。他の神々への信仰を否定する等以ての外、実存する神々を侮辱するに等しいからである。
今は中央の巨大なモニュメントを正面に望む、五階層からなる下から二番目のフロア、奥に位置するイセリアの私室で、メンバーはある封書を手渡されていた。
トラムギルドマスターから、先だってバラク王国神殿本部宛てに投函されていた物であるという。
この世界には通信手段は他にも有るのだが、きちんとした魔法封書をした物でなければ容易に妖魔に盗み見られると考えたのだろう。とのイセリアの言葉。
おずおずとグスマンが受け取り、改めて内容を読む。
そこに記されていたのは、大凡妖魔が話した通りだが、その前後があり、前の部分には相手が「妖魔」であり、「人」である自分では御するのは不可能である事、願わくばその対処に「神霊力」を有する強力な助っ人を要請、更に後の文章には、自分の身に何かあった場合は、暫定でグスマンを次のギルドマスターへ推薦し、足りない部分は〔明けの星風〕で補う様進言してあったらしい……
美少女司教が、その可憐な口元から涼やかな声音を発していた。
「皆さんご存知の通り、元々私はこのトラム神殿に在籍しておりますが、私がこの書簡を渡され、任命を受けたのは、隣国との国境間際にあるダンジョン「不死者の暗穴」の領域崩壊を鎮静化した直後だったのです。それでかなり遅れてしまい、本当に申し訳なく感じております」
それは不可抗力であり、如何ともし難いが、イセリアが気を揉む事では無いだろう。
が、やはり生真面目な性格なのであろう、如何にも申し訳なさそうなのが返って気の毒に感じる程である。
しかしグスマンが重い口を開いたのは、彼女の言にではなかった。
「……知らなかった事とは言え、俺は彼奴になんと詫びれば……」
「操られていたとは言え、皆さんを亡き者にする様な指示を出してしまった彼も、内情は同じでしょう……。遺恨を遺さぬ様、きちんと向き合い、話し合うべきだと思います。……何より貴方方は、お互いを認め合っていたと、伺っております故に……」
見るからに肩を落とすグスマンを気遣う様に、温かい眼差しでイセリアは諭す。
それでは五日後に。と神殿からの帰り道。
事実を知り、蓋を開けて見れば、なんともバツの悪いメンバーの足取りは、確かに軽いものでは無かった。
そんな道中、アイシャがそわそわとして呟く
「ベゼル……大丈夫かなぁ……」
[大丈夫だ。著しく体力は低下しているが、死ぬと云う訳では無さそうだ。適切な処置を受けているだろうし、暫く養生すれば元気になるだろう]
「…そんな身体の事だけじゃなくて……ボク、ひどい事言っちゃったから……」
いつの間にボクっ娘になったのか。そんな属性持ってたのかね。♂の娘だけど。
[心配ならついてやれば良い。私も知らぬ間柄とは言え、初対面でかなり酷い物言いをした。後で謝ろうと思う]
「でも……今更どんな顔して……」
[アイシャ殿。人は時に素直にならないと、本当に後悔してしまうモノだ。それこそ後からどんなに悔やんでも取返しの付かない程にな]
「……胸が苦しくて、お腹が痛いよ……ごめん!ごめんなさい。ギルドマスター」
[ソレをちゃんと、本人に言うのだ。私も後から行く。そうだな。グスマン殿]
「うむ……忝い。礼を言う」
「「俺も」だな」
「あとで皆で行きましょう」
「ええ、そうね」
「あぁ、さっさとスッキリしたいねぇ!」
翌々朝、昏々と深い眠りから覚めたギルドマスターベゼルは、何故か自分のベッドに裸のアイシャが潜り込んでスヤスヤと眠り込んでいるのを見て、奇声を挙げそうになり、なんとか自粛。心臓が止まるかと思う程狼狽した。
譫言で繰り返し詫びる、その泣き腫らした寝顔で事情を察し、アイシャの頭を撫でた。
それから……無論その後の事は、二人だけの秘密となった。