隠された善行
「何奴?!」
「さっきの奴と変わらん位の禍々しい気配だゼ……」
「冗談じゃないぜ……」
グスマンの鋭いドスの効いた詰問に、グラバイドの呻きと続くダスティンの乾いた掠れ声。
「魔素を……血の触媒? でもアレじゃ、ベゼルはもう……」
「そんな……」
「……」
リベイラの何処かベゼルを気遣う台詞にアイシャが小さく叫び、両手を口に当てるのが見えた。
アビゲイルは全身を総毛立たせ、レジーナと共に無言で状況を探っている。
[お前は何者だ? 悪魔なのか?]
俺は疑問をそのまま物体に投げかける。
真っ赤に蠢く流動体が、その身体のドコから発しているのか想像もつかないが、明らかな意志を以て声を吐く
「フフンッ。……人の身で在りながら、単純にその力を以て、悪魔を屠った偉業に敬を評して名乗りましょう。私は妖魔ネール。魔界を統べる七人の王にして我が主、魔王バアル様の僕。その配下、妖魔軍団の末席に座す者。以後お見知りおきを……フフンッ♪」
何時の間にかベゼルの身体から完全に抜け出し、その様相が人型に固形化されると、そこには妖艶な面妖を醸す痩身の男が居た。
その身のこなしは決して雑とは言え無いが、優雅と云うよりは、何処か人を喰った、お道化た感じが胡散臭さ全開である。
身に着けた濃い紫と黒の服飾が、イカにも道化師を演じ、それを楽しんでいる。といった様相を尚一層エグく滲み出している。
「その妖魔が何の用だ!」
「ンン? 用とは? ……別にただ遊んでただけですが?」
「ふざけンな! こんな事しといてッ!」
アビゲイルが激高気味に噛みつくも、俺は制する様に被せて聞いてみせる。
こんな奴と同じレベルにまで自分を落とす必要なない、とばかりに。
[その遊び、とは人を誑かし、弄ぶ事か?]
「あぁ、……ソレですか。合点がいきました。いやいや、私は妖魔ですから。美味しそうな欲望は肥え太らせ、最後に劇的に変化するのを待つのですよ。……特に【絶望】に染まり切った【魂】が美味しく収穫出来ましてね。私の大の好物なのですよ」
耐え兼ねた様にダスティンが唾を吐き、レジーナが同意した。
「反吐がでるぜ……」
「本物の【魔】の者、魔族なのね」
[それで、まだ続けるのか? ソイツ(ベゼル)にはもう、お前が必要とする物は無い様だが]
「どういう事?」
リベイラは疑問を口にするが、俺は敢て無言で相手の出方を伺った。
単なる当てずっぽうで言ってみただけだが、多分間違ってはいないだろう。
其れよりこのタイミングで姿を現したのが気になる。
今倒した悪魔より強いという自信故か、若しくはそうせざるを得なかったのか。
どっちにしても、ただカマを掛けただけなのだ。
「フッ……聡いですね。確かにこの者には期待した程、得るものはありませんでした」
意外にも素直(?)に受け答えするネールと名乗った妖魔は、顕現した身体を確かめるかの如く両手を拡げゆっくり閉じたり、指を滑らかに動かしたりして大仰に振舞う。
その一々芝居がかった身のこなしにも何処か計算された仕草を感じさせ、場の空気と悉く反して容易に力量が伺えない様子である。
「チっ」と舌打ちに横目で見やると、グラバイド達が苦々し気に妖魔を睨んでいた。
取り敢えず相手を混乱させる演出は成功しているらしい。
妖魔は満足気味に続ける。
「私は偶々、この街に顕現しただけでして。実際最初に見つけたのは、様々な人の業故の嫉妬、憎悪、飢餓、淫欲等種々雑多な欲望だけでした。それこそどこにでもある、ねぇ?…‥ですが、この者は」
勿体ぶった調子で人差し指を立て、くるりと周囲へ一周させると、最後に倒れたベゼルの遺体(?)に向かって紫色の爪で指さす。
「どこから察したのか、私を見つけ、この街から出ていく様、交渉したのですよ。」
「えぇ?!」
「あのベゼルが?」
「……変わったのはその頃か」
妖魔の断言にアイシャやアビゲイルが驚きの声を挙げ、グスマンが何かを悟った様に、苦虫を潰した様な顔をした。
「人では大抵【魔】その者には抗い難いですからねぇ? 貴方がたに取っては懸命な判断では無いですか? しかもこの者には理解者も無く、たった一人でしたし。でも、そこまでしてるのに拠ってタカって嬲り倒されるなんてっ! 人って残酷ですねぇ! 愚かですねぇ! 彼の努力がホントに涙ぐましい!」
「そんな……」
「孤立無援…か、耳が痛いな……」
「ベゼル……」
オヨヨ。と泣く真似をして見せる妖魔に、イラっとしながら俺は、ベゼルに済まなかった。
と内心、謝っていた。
とそこで気づく。未だ生体反応がある!
改めてスキャンしてみると、直ちに衰弱死すると云うほどでも無い様だ。
《逞しいな…。良かった。ちゃんと謝りたいからな》
[アイシャ殿、彼はまだ生きている! 急いで介抱してくれ!]
「ハッ?! ……うん! 分かった!」
「おや、まだ私の話の途中なんですが、無粋な」
[いやいや、大いに興味がある。是非続け…きを聞かせて欲しい]
「…ホホゥ! コレは殊勝な心がけ。では」
最悪の場合、アイシャがベゼルを救出するのを援護しつつ、有無を言わさず一気に叩いても良いのだが、勿体ぶった妖魔の話を聞いている内に、ベゼルが何故こんな事に為ったのかを知りたくなった。
と云うか、ベゼルがなにかワザと時間を稼いでいた様に思えたからだ。
……何を待っていたんだ?
調子に乗った妖魔はペラペラと饒舌に語りだした。
「この禍々しくも麗しい私がワザワザ、卑しい人間に乗り移ったのも……」
あぁバカバカしい、吐き気がする。
……要約すると妖魔の話では、交渉と云っても、通常、人が精神体である【魔】を拘束、束縛出来るのは【契約】するしか無い訳であって、その交渉材料は【魂】であると云う。
無論、「神通力」や「神霊力」を振舞う天使を召喚、行使出来る資格を持った「神々の徒」である所謂「僧侶・神官」は、確かに直接抗い、封印、滅す事も可能だが、其れも対象である【魔】を上回る力量を以て初めて。という所…。
べゼルが発見した時には、逆に既に関知され、その場で即応(交渉)しなければ闇に葬られ、誰に知られる事も無かったのであろう、と推測出来た。
それからベゼルは、己の体内に妖魔を宿すと、何度も街を出て自殺を試みていた様だ。
が、その度に妖魔が唆し邪魔していた。それこそ他の人間を操り、「無責任だ」等と科白を吐かせて。
「そもそも他者の為の自己犠牲などという、善性の【魂】など、妖魔である私に取っては何の旨味みもありません。寧ろそういった崇高な【魂】が堕ちてこそ、反転し膨大な【魔】の力となるのです」
「この者は頑固でしたが、所詮は人。この街の欲望を糧とし、日々力が増大する私に取っては雑作も無い事でした。」
つくづく嫌気が差す、ニンマリと悦楽の表情を浮かべ、たまらないと云った顔で
「特に愛する者を意に反して手籠めにした時の、あの葛藤!」
聞いてられない。
断じてイライラしたのではない。
単に妖魔の演出とやらが退屈で飽きてきただけだ。
ホントに反吐がでるゴミ屑だ。
あぁ、そうだコイツは悪魔、いや妖魔だったか。
ならば
[あぁ、くだらん!……うん?]
そう告げ、いい加減もう永遠に黙らそうと剣に力を込め様とした時、センサーが唐突に空間湾曲反応と質量増大を捉えた。
突然空中に光り輝く魔法陣が現出した。
「うぉ! 今度はなんだ? …あ!」
グラバイド達の呻きが驚愕の声に代わる。
魔法陣の後光から忽然と姿を顕した、白い法曹姿の煌びやかな美しい少女が、妖魔を射殺すかの如く静かな怒りを込めた視線で睨み付け、凛として声を放つ。
「そこまでです! 邪悪なるモノ!」
その姿は正しく光に包まれた聖女の様……
「フムン? 「神々の」走狗ですか……折角興がノッて来たのに、ほんとに無粋な輩ですねぇ」
其れが何か? とばかりに、まるで鼻くそでも穿って相手を見下す態度満々の妖魔。
「邪なるモノよ、太陽神教の司教たる私が、【魔】を退治するのに、一人で何の準備もせずに来たと思いですか?」
司教と名乗った少女の頭上に、先ほどより一際眩い魔法式の様なモノが刻まれ、更にそこから光り輝く、一対の翼を持った人型の者が生まれ出でた。
「これはイケない!」
舐め切った態度全開だった妖魔が瞬間的に顔色を変え、有らぬ方角に逃げ出そうとするも追撃の声が飛ぶ。
「逃がすものか! 大天使よ!」
ツイっと頷くと「大天使」と呼ばれた有翼人は、目にも止まらぬ速さで妖魔のすぐ隣に顕れた。
妖魔はいつの間に生み出したのか、背後の虚空に逃げ出そうとする。
が、瞬きする間も無く生首にされ「大天使」のその手に捉えられていた。
そして恐らくは斬り飛ばされたであろう首から下の胴体は、そのままの体制で床に落ちたが、そこに出現したさっきの真っ黒な虚空に消えてしまった。
どう見ても結果が先に出て後から過程を思い出さされる(納得させられる)おかしな現象であった。
《は?! ナニどうなってんの? んなのアベコベだ。顛末ならぬ末顛じゃんよ。……これが神霊力? て奴なのか?》
俺が内心首を捻っていると、妖魔は一瞬思いっきり悔しそうな顔をしたかと思うと、次の瞬間には二ヤケ面で少女と大天使を嘲笑ってみせる。
「ヤレヤレ、これではどっちが野蛮なんだか判りませんね。結局、完全には私を捕まえられないなんて所詮その程度ですか。ハァやれやれ」
如何にも余裕ある態度を演出したかったのか、妖魔は此れまで以上に饒舌気味に語るも、その語り草は一気に畳掛ける早口であり、慌てた様子は隠せない。
繰り出された苦し紛れの言い分にこめかみに青筋を立てた聖女が、さも妖魔を馬鹿にした様に言い放つ。
「(ハァン?)良かったですねぇ? 魔界に逃げ帰る良い口実が見つかりましたよ。それに」
「【絶望】を糧とするですって? ハ! お笑い草ですね。執り憑いた獲物に最後は拒絶され、無様に這い出て来たお前には、もう相手をする価値すら無いではありませんか」
「フガッ?! フ、フン! 逃げられたのはお前達のミスだろうが! 俺様の勝ちだ! バーカ!」
プライドを刺激されたのか、遂に地が出た妖魔は口汚く罵しりだした。
聖女はあくまで余裕な態度を崩さない。
「おやおや、どうしましたか? 話ぶりが随分ゾンザイになっていますよ? その虫にも劣るちっぽけなプライドに傷でもつきましたか? 妖魔ともあろうものが他愛ない」
「ギ! グググ! 人間如き塵芥がぁ! 千年を生きる俺様に舐めた態度取るんじゃねぇぞ! このズベタがっ! 便所虫はオ゛マ゛エ゛ノ゛ホ゛ウ゛ダ!☆ο”!Ж★!?!」
妖魔は激高し過ぎて最早言葉に為らない様と成り果てている。
……少し単純すぎる気もするが、本性はあんなモノなのだろう。
「ハァ……やはり知性の欠片も無い只の悪鬼風情では、お話にすら為らないのですねぇ。」
美しい少女は、正に相手するのも馬鹿らしいとばかりに溜息を付き、
「……それに確かに一部は魔界へと逃げ帰った様ですが、それでもお前の殆どの魔力はココで滅する。……精々向こうで足掻くと良い。大変ですね? 魔界は力こそ全てなのでしょう?」
少女は一切の感情を取り払ったかの様な表情で、静かに光り輝く有翼の人へ向かって頷く。
従者の如く佇んだ大天使が無表情に宣言する。
「【魔】ハ滅スルノミ」
血相を変えた妖魔は、無様に途端に狼狽し訴えようとするも
「ま、待て!」
ギャァアアアー! と断末魔を上げ、若干その存在を薄くした妖魔は、フン! と力を込めた大天使の掌で完全に消滅した。