走れサムライ
愛親は飛ぶように山道を下って行く。
景色はめまぐるしく変わり、ごうごうと風がリアトリス達に吹き付ける。
目を開けているのがやっとのリアトリスは愛親に必死にしがみついていた。
容赦なく顔や手足が風にさらされ冷え込む中で、愛親から伝わってくる温もりがありがたかった。
ふいに左右を覆っていた木々が見えなくなり、背の低い草原が出現する。森を抜け、オルドフォード近くの小高い丘に到達したのだった。
この丘は討伐に赴くときにも通った場所で、崖の上に立つと町を一望できる。
愛親は徐々にスピードを落とし、崖の前まで来て止まった。一度町の様子を確認しようと思ったのだろう。
その一瞬、愛親は息を止めた。
空は曇っているはずなのに、丘の下に広がる景色は、やけに明るい。
眼下に広がる町は、燃えている。赤い炎は海岸に沿って火柱を上げ、湾内に泊まる船と建物を燃やしている。
曇り空に黒い煙が立ち上り、炎が大きな影を映し出していた。
「これじゃ、みんな逃げられない……」
震える声で言うリアトリスの前で固く口をつぐみ、眉間にしわを寄せていた愛親だったが、
無言のまま急に崖に飛び込んだ。
突然の行動にリアトリスは声を出すこともできなかった。
ただただ内臓が浮き上がってくる感覚と加速していく風圧、
そして近づく地面を感じ、リアトリスは今日何度目かの死を覚悟した。
しかし意外にも着地した衝撃は微々たるものだった。
着地と同時に愛親は何かに憑りつかれているかのような勢いで走り出す。
早馬よりも速く、崖下に広がる田園地帯を疾走する。
すぐに城門が視界に入り始める。そこは港から最も離れた場所だった。
「ナルチカさん、もしかしたら火の手から逃げてきた人たちが城門の前に殺到しているかもしれません」
「ああ」
愛親はリアトリスの言葉に返すとにわかに抜刀する。
前方から、黒い点が2つこちらに向かってきている。
「邪魔だ」
愛親は速度を緩めず走り続け、相手の攻撃をかわしながらまず一体を、赤く血を曳く刃はさらに迫るもう一体の魔物をも食らう。
「リアトリス、街に入って何を見ても気をしっかり持っていろよ」
愛親は息を弾ませながら言った。
はい。と返して手に力を籠める。
みんな無事でいて欲しい。まだ魔物が到着してから間がないはずで、生存者もかなりいるはずだとリアトリスは考えていた。
そして城門を超えて一番最初に目に入ったのは、道の真ん中にうず高く積みあがった血の滴る死体の山、そしてそこに群がる人ならざる化け物の群れだ。
覚悟は、あったつもりだった。しかし、それはあまりにも非現実的で絶望的な光景だった。
ドーリスの家族も、討伐隊メンバーの家族もみんな殺されてしまったのかもしれない。もっと早く到着することが出来ていれば、という思いは自分を責めずにいられなかった。
愛親は靴底で地面を擦りながらその場に停止する。
死体に群がっていた魔物たちが愛親たちに迫る。
短い間隔で呼吸をしていた愛親は、一度大きく息を吸い込むと、また大きく息を吐いた。
白い吐息が空に溶けていく。
「どけ」
愛親は冷たく吐き捨て静かに刀を構える。
同時に魔物の群れも奇声を上げ、一つの大きな生き物のように俊敏に這いずりくる。
愛親は腰をひねり刀を振りかぶると、そのまま前方の魔物に向かって水平に薙いだ。
まるで斧で断ち切られた細い竹のように
魔物の体は真横に二分される。
おびただしい量の血が降り注ぐ中を愛親は魔物の死体を飛び越えていく。
「ま、待ってくださいナルチカさん!もしかしたらこの辺りにまだ生存者がいるかもしれません!!」
しかしリアトリスの言葉などまるで聞えていないかのように愛親は走り続ける。
狭い路地を超え、橋を通り、やがて建物の合間の開けた場所にたどり着いた。
愛親はその広場に入ると背中からリアトリスをおろす。
この場所は昔、異教徒の大きな寺院があった所で、同じ場所に教会をたてようという計画があったのだが、怪奇現象が相次いで取りやめられて広場になっている。
地面は石畳になっており、愛親が入ってきた場所から見ると横幅は狭いが奥行きがある。
ちょうど広場の反対側に人が集中して座っているのが見えた。
よく見ると全員女か子供で手足を縛られている。
「やっぱりな、思った通りだ」
愛親は独り言のようにつぶやいた。
リアトリスはその中にドーリスの妻エラと娘のエリーザを見つけた。
「エラさん!!エリーザちゃん!!」
リアトリスに気付いたエリーザは精一杯叫び返す。
「リアトリス!!!」
「待って、今助けるから」
リアトリスが急いで駆け寄ろうとしたところを愛親が前に立って制止する。
リアトリスは抗議するように見上げるが、愛親は険しい表情で、どうやら人質の後ろ側の路地を見据えている。
愛親が見つめていたその路地から、一人の男がゆったりと歩き出てきた。
赤いロングコートをまとい、短くまとまったツーブロックの髪型で、顔は塗りたくったように白く、口、目下ははっきりと黒い。その異様な出で立ちもさることながら、その完全に据わり切った目つきは直感的に危険を感じさせるものだった。
「あれあれえ?まだ生きている男がいたんだねえ」
男は黒い唇をじっとりと釣り上げて笑う。
「おかしいと思っていた。なぜ知恵の低い化け物が集団で町に下ってきたのか。なぜ逃げ道を塞ぐように港と船だけ炎上しているのか、そしてなぜ女子供が殺されず手足を縛られているのか」
愛親は淡々と続ける。
「お前が化け物を操作していたんだな?」
「そうだと言ったら?」
男の声はねっとりとしているが、よく通る声だった。
「今すぐ化け物を連れてこの街を出ていけ。そうすれば命は助けてやる」
愛親は表情さえ変えなかったが低く攻撃的な口調で言った。
「ほう、そうか、それはいいアイディアだな下等種族」
男は小刻みに頷くと、座らされている人々の中に入って行った。
「ところで君たち、この世で最も美しいものは何だと思う?僕は人の死に際、死にざまだと思うんだ」
男は一人の少年の頭を片手で掴むとそのまま肩の前まで持ち上げた。
少年は苦しそうに顔をゆがめている。
「痛みへの苦痛と死への恐怖で徐々に壊れていく人々の表情、叫びに勝るものが果たしてあるだろうか?」
「おい、ガキを離せ」
駆け寄ろうとするリアトリスを制しながら、愛親は威圧的な声を男に向ける。
「今美しいものを見せてあげるよ」
男が力を籠めると
少年の頭はまるで風船のように赤くはじけ飛んだ。
リアトリスだけではなく愛親も、男が何をしているのか一瞬理解が出来なかった。
飛び散る血が捕らえられた者たちに降り注ぎ、広場は一瞬でパニックになる。
悲鳴、泣き声、恐怖が広場を包んでいく。
「てめえ!!!」
愛親は殺気に満ちた目で男に近づいていく。
「あははははははははは!!!!なんで怒ってんの!!!?ねえ!!なんで怒ってんの????!!」
男は死体を投げ捨てると目を見開き、両手を広げ、唾を散らしながら声を裏返して笑う。
愛親の中で何かが切れた。愛親は石畳を剥がす瞬発力で踏み込むと、男に向かって刀を振りかざす。
突如、けたたましい音とともに瓦礫が飛び散り愛親の行く手を阻んだ。
砂煙の立つ中、愛親の前に大型の魔物が出現していた。
明らかに今まで倒してきた魔物とは大きさの異なるそれは低く唸り声を上げながら愛親ににじり寄ってくる。
その魔物を前にしてリアトリスはへたり込んでしまった。
魔物の大きさに臆したからではない。
その魔物が、討伐隊副隊長のドーリスと同じ顔をしていたからだ。
恐らく、リアトリスを逃がした後魔物に食われてしまったのだろう。
殺されてしまったのだとは思っていた。それでも心のどこかで抱いていた、無事でいてくれているのではないかという一縷の望みをたった今打ち砕かれたのだ。
「そんなに僕を殺したいんなら、先にソイツを倒してみてよ」
いつの間にか脇の建物の上に飛び乗っていた男は中腰になり、愛親を見下ろしながら言った。
愛親は男を一瞬睨んだあと正面に向き直る。
「どれだけ大きくなっても雑魚は雑魚だ」
自分の体躯を大きく上回る魔物に怯むことなく、愛親は再び踏み込む。
瞬時に間合いを詰める愛親は魔物の体に刀を突きたてる。
しかし手ごたえはなく魔物の姿は愛親の視界から消える。
愛親は直感的に空を仰ぐ。
空はなく、飛び上がった魔物の胴体がそこにはあった。
直後、雷の落ちたような轟音と土煙が広場を包む。
リアトリスには完全に愛親が踏み潰されたように見えた。
「ナルチカさん!」
「あれえ?偉そうな口をたたいてたわりにはあっけないねえ」
男は退屈そうに両手に顎を乗せて傍観している。
土煙が晴れ、現れた魔物の姿にリアトリスは息をのんだ。
魔物は二つに切断され、切断された面を上にしてゴロリと転がっている。
愛親は返り血のたっぷりと染み込んだ刀を右手に、魔物の脇を男に向かって悠然と歩いていく。
その鋭く研ぎ澄まされた目つきは男を押し込むように睨んでいる。
「おっほう!」
男は嬉しそうに目を見開く。
「やるじゃないか下等種族!さっさと食われればよかったのに!!」
大げさに拍手しながら男は続ける。
「あ、そうだ。いいことを2つ教えておいてあげよう。そいつは心臓を止めない限り死なないぞ」
愛親は背筋に寒気を感じて振り返る。
息絶えていたと思われていた魔物の腕が間近にあった。
しなる魔物の腕に刀を構える暇もなく重量のたっぷり乗ったそれを叩き付けられる。
愛親の身体は分厚い石造りの教会を貫通して飛ばされた。
「弱えええええ!!!!!下等種族弱えええええええええ!!!せっかく良いこと2つ教えてやろうと思ったのに!!!!1つ目で死んでんじゃねえよ!!!!」
男は膝を叩きながら大声で笑う。
真っ二つに分かれていた筈の魔物は黒い糸状の線を互いに出しながら結合し、やがて元の姿に戻った。
ドーリスの顔をした魔物はゆったりと愛親が吹き飛ばされた方に向かう。とどめを刺すつもりなのだとリアトリスは察した。
「ドーリス副隊長!」
リアトリスは意を決して叫んだ。
もしかしたら人としての意識が残っているかもしれない。分かってくれるかもしれない。その可能性にリアトリスはすがった。もしダメでも愛親が逃げるまで時間を稼がなければならない。
リアトリスは震える足で奮い立つ。
「ドーリス副隊長!私です!あなたと同じ討伐隊に同行していたフェモール族のリアトリスです!!」
魔物はゆっくりとリアトリスの方に首を向けた。
間違いなくリアトリスを命がけでかばってくれたドーリスの顔だ。しかし無感情に見開かれた眼球は血走り、大きく横に裂けた口はすでに人間では無いことを示していた。
それでもほんの少しでも可能性があるのなら、それに賭けるしかない状況だった。
「ドーリス副隊長!もう止めて下さい!そこに奥さんも娘さんもいるのが分からないんですか!?」
魔物はしばらくリアトリスの言葉を聞いているかのように制止していたが、
その頭は無情にもリアトリスへ向かって突っ込んできた。
裂けた口は大きく開かれリアトリスを狙う。
呆然と立ちすくむリアトリスの前を黒い影が横切った。
それはまるで走馬灯の一部のように鮮やかに閃き、
魔物の首を切り飛ばす。
リアトリスはすぐにそれが愛親だと気付いた。
「ナ、ナルチカさん!!」
「よう、久しぶりだな」
愛親は無表情のまま言うとリアトリスを抱えて広場端の建物に飛び乗った。
「ここにいろ。せっかく今まで守ってたお前が化け物に踏み潰されて死んだらつまらんからな」
リアトリスは愛親の額から血が滲んでいることに気付いた。そもそも石造りの建物を直に突き破って生きていること自体がおかしい。
「ナルチカさん!今治療を……」
回復呪文の詠唱を始めたリアトリスの声をかき消すかのように男が叫ぶ。
「素晴らしい!!素晴らしいよ!!下等種族の分際で頑張るじゃないか!!いたぶりがいがあるというものだよお!!!!」
男は立ち上がり両手を広げ天を仰ぐ。
愛親が広場を覗くと首を切り落とされたはずの魔物は今にも結合されようとしていた。
「そうだ、せっかく生きてたんだからもう一つの良いことも教えておいてあげよう。その黒いのは共食いする。そして共食いすればするほどデカく、強くなっていく」
男は満面の笑みで愛親を見つめている。
「さあ、ショーの始まりだ」
男が指を鳴らすと路地という路地から化け物の群れが広場へ雪崩れ込んできた。
小さく身を寄せ合っていた人々は再びパニックに陥る。
みるみる黒い塊に覆いつくされる広場はまるで墨汁を溶かしたかのように黒くにじむ。
リアトリスたちが息をのんで見つめる中
広場に入った魔物たちは渦を巻くように、ドーリスの顔をした巨大な魔物の周りを取り囲み始めた。
一番大きいドーリスの魔物はゆっくり口を開け、
蛇が卵を丸呑みするかのように他の魔物どもを飲み込み始める。
「俺がお前の茶番に付き合ってやる義理はない」
愛親は建物の上から飛び降りると、無防備な化け物に向かって刀を振りかざした。
突如愛親の横腹に焼けた鉄を当てたられたかのような激痛が走る。踏ん張りの利かなくなった愛親は体を擦りながらその場に倒れ込んだ。
腹部から大量の血が流れているのを見て何が起こったのか気づいた。
「駄目だよ邪魔しちゃあ。これからが楽しい所なんだからさあ」
男に目を向けるとヘラヘラと笑いながら魔法陣を宿した手のひらをこちらに向けている。
「光魔法か……」
呟くと愛親はフラフラと起き上がった。
「僕はお前なんかいつでも殺せるんだよねえ。殺されたくなかったらおとなしく僕の玩具になって散々苦しんで壊れた挙句死んでくれないかなあ」
「お前が死ね」
愛親は歯を食いしばって男を睨んだ。
「ナルチカさん!!」
リアトリスはどうにか屋根から降りようと試みている。
「降りるな!!」
愛親に一喝されたリアトリスはもどかしそうに唇をかんだ。
「懸命な判断だねえ……。さあ、そろそろだよお!!!」
なおも巨大化していく魔物を見ながら男は高らかにで叫んだ。
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