洞窟
魔物討伐の名目でギルドから派遣されることとなった少女、リアトリスは
討伐隊に同行することになるが……
季節は3月に入ったばかりで、まだまだ冷え込む日々が続いていた。
コール洞窟の前に立つリアトリスとその周りにいる魔物の討伐隊に風が冷たく吹き付ける。
リアトリスは両手をこすりながら先ほどまで雪がちらついていた空を見上げた。森の木々から覗く空は暗く重たく垂れ込んでいる。
「まだ終わんねえのかなあ」
リアトリスの隣にいたチェインメイルで武装した男がけだるそうに言った。リアトリスが言おうと思って喉の奥で止めていた言葉だ。
「ドーリス副隊長どの、あまり気を抜かないほうがよろしいかと」
リアトリスは一度咳払いをしてから言った。
「リアちゃん真面目じゃーん」
言いながらドーリスは左手でリアトリスの頭をぐしゃぐしゃ撫でる。犬をかいぐる感覚なのだろうが、身長2m近いドーリスに対して1mに満たないリアトリスは完全にバランスを崩す。
「ちょ、やめてくださいよ!髪型が!」
頭の上に置かれた手をどかせようと抵抗するリアトリスからドーリスは手を放す。
「あーすまんすまん、いつものノリでやっちまった」
「にしても本当に小さいよなフェモール族って。実物見たのは初めてだけど、本当に16歳?」
「何度も言いますけど本当に16歳です」
リアトリスは櫛と鏡を手に栗色のサイドテールをとかしながらぶ然としていった。
フェモール族は現存する種族の中で最も平均身長の低い種族とされているが、優秀な治療魔法が使えることで有名だった。
「あー、早く隊長帰ってこねえかなあ」
ドーリスは眼前に広がる洞窟をぼんやりと眺める。
最近、この近くの炭鉱で魔物の目撃例が相次いだ。体は黒く、4本の足で地をはいずるように歩き、眼はないが大きな口を持つという。野生動物を食っているところも目撃されている。
調査隊によって炭鉱近くの洞窟に魔物が住み着いているらしいということが分かり、早めに手を打とうと領主が結成したのがこの討伐隊だ。
と、言っても集められた30名のうち実戦経験があるのは隊長と副隊長のドーリスだけで、あとは隊長の部下が8名、残りは腕っぷしに自信を持った炭鉱夫から志願で選抜された者たちだ。
そしてリアトリスは魔物討伐の任でとあるギルドから派遣され、討伐隊に帯同している。
しかしその役割はあくまで任務を終えて帰ってきた兵士たちの治療をすることであり、戦闘に参加することが目的ではかった。
リアトリスは改めて洞窟の中を見る。
森の中で不気味に口を開けるその洞窟は、まるでリアトリス達を飲み込もうとしているかのようだ。
先ほどから洞窟を通る風の音が不気味に響く。
もしかして魔物の声なのではないかとリアトリスは思った。
武勲に燃える討伐隊の隊長は部隊の3分の2を連れて洞窟へと入っていった。
隊長も副隊長のドーリスも大きな戦を生き抜いた歴戦の騎士であると
ここに来る途中討伐隊の一人から聞かされたが、
そうだとしても暗い洞窟内で魔物と戦って勝てるのだろうか、とリアトリスは心配になった。
「先遣隊のみなさん、大丈夫でしょうか?」
「だーいじょうぶだって、あのオッサン、ああ見えて強えから」
ドーリスはあくびをしながら言った。危うくリアトリスも口が開きそうになる。先ほどまでドーリスは頭にもチェーンメイルを付けていた筈だがいつの間にか脱いでいる。
「もう、緊張感が……」
リアトリスが周りを見渡すと、ドーリスと同じく兵士たちは気だるそうにしている。手に持った槍に体重を預け、眠っている者までいる。
「あー、さっさと帰って娘に会いてえなあ」
「娘さんたちもそう思ってるでしょうね」
討伐に出向く前の晩、ドーリスの家に宿泊させてもらっていたリアトリスは2人の娘の顔を思い出していた。2人ともまだ幼かったがリアトリスと背は変わらない。おかげでずっと遊び相手をせがまれていた。
「帰ってきたぞ」
待機していた予備隊の一人が声を上げた。見ると洞窟の出口に隊長の姿が見える。
が、少し様子がおかしい。足元がふらつき、眼は虚ろだ。武器も持っていない。
洞窟に入る前の彼は精悍な顔立ちで眼は獲物を見据えギラギラしていた。そして何よりおかしいのは一緒に入っていたはずの他の討伐隊の者たちが見当たらないことだ。
「ありゃケガしてんじゃねえのか?ネエちゃん!ちょっと見てやってくれや!」
予備隊の一人がリアトリスを呼ぶ。
リアトリスが隊長のもとへ駆け寄ろうとするとドーリスが肩を掴んで止めた。
「待て」
明らかに今まで談笑していた時の声とは違う、低く、強く制するような声だった
力の加減ができていないのか、リアトリスの肩に激痛が走る。
しかしドーリスはその手を緩めず強引に自分の体の後ろにリアトリスを引っ張った。
あまりの変わりようにリアトリスは事態を把握できずにいると、
突如火が付いたかのようにドーリスが叫ぶ。
「全員下がれ!!」
一瞬だった。よたよたと歩いていた隊長が急に、洞窟の一番前にいた予備兵に飛び掛かったのだ。
周りからどよめきが起こる。
何が起きたのかとリアトリスは必死にドーリスの後ろから顔を伸ばす。
しかし、すぐにその選択を後悔した。
隊長、正確には隊長だったモノは兵士の一人に馬乗りになり、兵士の顔を、食らっている。
食われる兵士の悲鳴がこだまし、水分を含んだ、顔を咀嚼する音がそれに混じって聞こえる。
リアトリスはこみ上げる吐き気を手で覆った。
眼を伏せようとした瞬間、洞窟から残りの先遣隊たちが飛び出してくるのが見えた。嫌な予感がした。
全員、すでに人間ではない。四つん這いになり、すごい速さでこちらに這いずってきている。それらは、獣の動きというより節足動物の動きに近かった。
全員目は血走り、顔や手足の欠け骨の飛び出ている者もいる。そしてその口は、どんな肉食の獣よりも大きく開かれている。
「クソ!」
ドーリスは巨大な剣、「ツヴァイヘンダー」を抜くと
兵士に覆いかぶさる化け物の方へ踏み込み、地面を擦りながら下から上に切り飛ばした。
「そいつらはもう人間じゃない!!全員武器を取れ!戦うぞ!」
状況を把握しきれていない予備隊の面々は戸惑いつつも武器を取る。リアトリスも震える両手で杖を握りしめる。
化け物の群れが近づき、荒波のように予備隊にぶつかる。砂を含んだ風が押し寄せ
思わずリアトリスは目を閉じた。聞こえてくるのは金属のぶつかる音、怒号、悲鳴、そして、肉を食らう音だ。
恐る恐る目を開けるとそこには地獄絵図が広がっていた。予備隊の兵士たちのほとんどが倒され、複数の化け物どもにのしかかられ、生きたまま食われている。至る所に血だまりが出来、痙攣する兵士の手が血の飛沫を散らす。
リアトリスはあまりの光景に、その場にへたり込んでしまった。どうして?どうしてこうなったの?簡単な任務と聞いていたのに。すぐに片づけて、討伐隊のみんなで夕飯を食べるはずだったのに。
目の前を、バケモノが横切り
リアトリスと目が合う。
その眼は大きく見開かれているが、まるで感情が感じられない。
大きく口を開いたそれは奇声をあげてリアトリスに迫ってきた。
終わった。リアトリスは顔を手で覆って固く目を閉じる。
数秒経っても、襲い掛かって、こない。
「早く逃げろ!!」
驚いて目を開けると、目前にはドーリスの体があった。
リアトリスに襲い掛かってきていたバケモノの首を撥ね、その胴体を蹴り飛ばしてるところだ。
「早く逃げろ!!!」
ドーリスは目を開けたリアトリスに改めて叫んだ。肩で息をする彼の額からは血が滲み、眉間に深く溝が刻まれている。
見渡すともはや立っているのはドーリスだけだ。
「い、一緒に逃げましょう!」
リアトリスは震える声でどうにか叫び返す。
「帰って町のみんなに伝えてくれ!早く船に乗って逃げろって!なるべく沖へ!遠くへ!魔物はまだ数えきれなくらいいる!」
枯れそうな声で叫んでドーリスは前に向き直る。
「で、でも!」
「早く行かねえとぶった切るぞ!!」
泣きそうな声で駄々をこねるリアトリスを
ドーリスはすさまじい形相で睨み、怒鳴りつけた。
はじかれたように立ち上がったリアトリスはドーリスに背を向け全力で走った。
背後から
「無事に帰れよ」
と優しい声が聞こえた気がした。
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続きは来週末に投稿する予定です。