第1話 始まり
“王道”な勇者の物語の脇道な話です。
主人公にチートや無双、ハーレムはありませんが、勇者側にはその要素が入ります。
基本ネガティヴ思考の脇役主人公の物語です。
亀並みの更新になるとは思いますが、宜しくお付き合いくださいませm(_ _)m
プロローグ:始まり
さわさわと風に枝葉が優しく音を奏でる。
見上げれば、寄りかかる大樹から眩しい木漏れ日が降り注ぐ。
穏やかに晴れた日の午後。
丘の上に、天高く聳え立つ大樹は、まさに世界を支えるかのような巨木だ。その根元に座り込み、幹に背を預けるのは、黒髪黒目の青年だ。
深緑色のローブに身を包んだ彼は、一本の長い杖を肩に預けて、穏やかな陽光の中、うたた寝をしているようだ。
こくり、こくりと大きく舟を漕ぐ頭がなんとも気持ちよさそうである。
不意に、風の気配が変わった。
青年は、ふと目を覚まし、顔を上げた。
やや寝ぼけた視線の先に、巨大な白い竜を見つけて、彼は、穏やかな笑みを浮かべた。
竜は姿を変えて、1人の美しい女性になる。
腰下まで伸びる長い白銀の髪に金色の瞳の、どこか神秘的な印象の美女だ。
白くひらひらしたドレスに身を包んだ彼女は、どこか憮然とした表情で、彼の目の前に歩いてきた。
「やぁ、エンディラシェルノ」
「私の名前を覚えてくれているとはな………。久しいな。リュウセイ」
「うん、千年ぶりだね」
彼は、そう言った。
千年。
さらりと言った言葉の意味の大きさを感じさせない軽さで、彼は、そう言ったのだ。
彼の前に立つ彼女は、大きく息を吸って吐いた。言いたいことはたくさんある。だが、その時間の大きさに、何をどう言えばいいのか。
だから、彼女は、一番の疑問だけを、目の前の青年にぶつけた。
「そう、千年だ。いや、正解には千と三百年だ。私としたことが寝過ごしてしまったが、それはいい。だが、何故、お前がまだここにいる?あの頃とほとんど変わらぬ姿のまま、お前がまだこの世界に生きていると知ったときは、本当に驚いたぞ?
まぁ、世界が随分変わってしまったのにも驚いたが、な」
「………まぁ、そうだろうね。
俺だって、自分がこんなに長生きするとは思ってみなかったよ」
一気に言った彼女の言葉に、彼は苦笑する。
彼女と最後に会ったのは、千年前だ。
彼にとっては、“最初”の救世の最中であり、まだ、彼自身、今に至る運命すら知らずに生きていた頃だ。
ただの人間だったはずなのに、なんとも数奇な運命だろうと、彼は、苦笑混じりに思う。
「ねぇ、エンディラシェルノ。君が眠っている千年の間、本当いろいろなことがあったんだ」
「だろうな。………でなければ、今、ここにお前はいないだろう。なにせ、お前はひ弱だったからな」
「それは今もたいして変わらないよ。
昔も今も、俺は弱くて臆病だ。上総と違ってね」
「カズサか…………懐かしい名前だ」
彼女は懐かしそうに微笑むと、遠慮無く彼の隣に腰を下ろした。
頭上の大樹の枝葉が、ざわりと揺れた。
彼は、そばの大樹の根を宥めるように、軽く叩いた。
彼のそんな行動を知らず、彼女は、懐かしむような表情で口を開いた。
「確かにあいつは強かった。この私が認めた数少ない人間の1人だ。身体も、心も強い男だった。
だがな、リュウセイ。
あいつの強さは、お前とシーリアがいたからだ。今なら分かる。…………あいつにとって、お前という存在自体が何物にも変えられない“支え”だったんだ。多分、シーリアよりも、な」
「………分かるよ。でも、最終的にはシーリアに負けちゃったけどね。やっぱり、友情より愛だよね、うん」
「そうか?………いや、まぁ、そうなのかもしれん」
うんうんと頷く彼に、なにやら納得できないというように彼女は唸った。
その様子に彼は苦笑する。
「……実は、2人に何も言わないで姿を消したんだ。言ったら絶対に反対するのが分かっていたからだけど、そのとき、たまたま世界を救える方法を知っていて実践できるのが、俺しかいなかったんだよ。
世界を救ったあいつを犠牲になんて出来るわけがないだろ?」
「…………だが、それは怒るだろうな」
彼の言い分も分かるが、それは勇者もシーリアも怒るだろう。
彼らにとって、目の前の男はそれだけ“大切”だったのだ。
護るべき対象であり、“弟”であり、“親友”であり、かけがえのない“支え”でもあったのだ。
当時は、彼女も見えなかったことだが、今思い出せば、勇者やシーリアが彼を大切にしていた理由が理解できる。
あの当時の彼は、あの2人にとって“平和な時”を知る象徴だったのだ。
誰もが戦いを求め、求めざる得ない中で、彼だけは違ったのだ。
「そうだね。……随分後になって、時越えの魔女の悪戯であいつに会う機会があったんだけど、そりゃもう、怖かったよ。あんなに怒られたのは、ひさしぶりだった」
「それはそうだろうな」
「でも、嬉しかったよ。もう、会えないと思っていたからね。俺がいなくなった後の世界を見れたし、ずっと気になっていたからさ」
彼は、嬉しそうに言った。
彼女は、そんな彼をどこか眩しそうに見て、「お前は変わらないな……」と、呆れたように呟いた。
ここに来るまでに、彼についてはいろいろと調べたのだ。
彼が生きていると知り、彼女は、彼のことを調べた。
[歌いの賢者]
[世界樹の賢者]
[救世の恩方]
…………他にもいろいろ呼ばれ方はある。
五度の救世すべてに関わった者。創世の世界樹を救った者。または、創世の世界樹の最愛。
今、世界にある7柱の世界樹の育て親。
様々な伝説、伝承に現れる助言者。
奇跡の力と歌をもつ、偉大なる大賢者。
だけど、実際に会った彼は、千年前とちっとも変わらない男だった。
「本当に、変わらない」
彼女は、そう呟いて微笑んだ。
しばらく、穏やかな沈黙が続いた。
彼女は、彼の隣でキョロキョロしたり、彼の長い三つ編みにまとめた髪を弄ったりしていた。
穏やかな日差しの中で、彼は遠い過去の日に目を細めた。
まるで、昨日のように思い出せる日々。
いろいろなことがあった。
けれど、やはり、一番強く残るのは、最初の救世の日々だ。
己の人生が、180℃変わってしまった。
全てが変わってしまったあの日。
「……………なぁ、リュウセイ」
彼女が、彼の名前を呼んだ。
彼は、彼女を見た。
懐かしい、美しい竜。時間が経ちすぎていて、ふとしたときに会える旧知は少ない。
ましてや、あの時代を知る相手に会えるなんて、考えもしなかった。
「語ってくれないか?
お前が知るあの時代の長い長い物語を………。
私は途中から関わり、最後すら知らない。だから、知らないことが多いのだ。
お前は最初から最後まで見てきたのだろう?」
「俺だって、ずっと勇者と共にいたわけではないよ。何年か離れていたこともあったし、戦えないから、関われない所も多々あった。
それでもかい?」
当時、彼女にとって彼はただの足手まといで、邪魔者でしかなかった。彼女の関心は、他の多くの人々と同じく勇者に向いていたのを、彼は知っていた。
「勇者は関係ない。………私は知りたいのだ。あの時代の“救世”の全てを。
だから、語ってくれないか?
この世界を千年以上見続けてきた“賢者”であるお前の視点で構わない。いや、あの厳しい時代、選ばれた勇者でなく、この世界の住人でもなかった、ただ“巻き込まれた”だけの無力な人間が見た“この世界”を知りたい。
なに、私は目覚めたばかりだ。
お前の長い長い物語に、じっくり耳を傾ける時間はたっぷりある」
「………………俺の時間は、少ないんだが」
彼は、肩を竦めた。
だが、彼の隣で、目をきらきらさせている彼女を見て、困ったように苦笑する。
「………まぁ、もうこの場所から動けないし、眠るにはまだ時間があるかな。
だが、あまり期待はしないでくれ。
これは、勇者の英雄譚ではないのだから」
「もちろん!お前が、弱くて情けなくて、臆病でネガティブな癖に意外と図太くて卑怯で…………優しい奴だと知ってるからな」
「……………当たっているけど、酷いな」
彼は、おもわず溜め息を吐いた。
「じゃあ、語ろうか?
選ばれた勇者でも、この世界の人間でもなく、ただ運悪く“巻き込まれた”だけの異世界人の、長い救世の物語を………」
彼は、降り注ぐ金色の陽光の中で、目を細める。
遠い遠い過去に、記憶は遡る。
まるで、昨日のように思い出せる日々。
全てがあり、全てを置いてきた懐かしい“時代”。
始まりの時代。
「最初から語るのなら、あの日の前から語るべきだろうね」
「あの日?」
「そう、あの日…………俺と勇者、上総がこの世界に召喚された日。その少し前から語った方が分かりやすいだろう。
俺も、上総も、ただの高校生で、子供で、戦いもない平和な世界でそれぞれに穏やかな日々を生きていた。そんな日々から、語ろう………」
かくして、“賢者”は語る。
彼の全ての始まりの日々を。
その長い長い物語を。