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交通事件  作者: あいうえお
2/3

疑惑

推理小説は産まれて始めて書くので、全然要領とかが分かりません。

色々ツッコミどころはあるかと思いますが、暖かい目で見守ってやってください。


更新は気まぐれです。

既に完成はしているので、一日に複数話投稿することもあれば、数日間一話も投稿しないこともあるかと思いますので、ご理解をお願いします。

向島署交通課係長・沖原勝次(おきはらかつじ)は、渋い顔で報告書に目を通すと、

「ガウジ痕の計測結果は出ているのか」

と尋ねた。

「はい、ここに」

安積は右脇に挟んでいた茶封筒を沖原へ差し出した。そこには沖原が言ったガウジ痕の計測結果の他に、事故車両のブレーキ及びアクセルに付着していた土砂の成分と夏原が運転時履いていた靴の裏に付着していた土砂の成分との照合結果、緊急自動停止機能の作動時刻から数学的に算出した車両の走行速度と車両のタイヤの摩擦によるゴムの剥離度の比較など、あらゆる事項をとことん調べ尽くした結果報告書が十数枚入っている。

普通は如何なる交通事故でもここまで深入りした調査は行わない。この調査は、安積の独断によって行われた。向島署の鑑識課に頭を下げて調査を依頼したのだ。無論、当署の担当事項において無許可で単独に突っ走った調査を行うのは禁止されている。それを同署の鑑識課に依頼することも同様である。これが摘発された場合、関係者には様々な懲罰が考えられるものの、一般的には自宅謹慎や減給、最悪の場合は降格や左遷も考えられる。それ故、事に当たった鑑識には上に察されることのないよう上手く動いてくれと釘を刺されていた。その違反調査の証左とでも言えよう結果報告書を係長に自ら提出したということは、安積は懲罰を受ける覚悟でその場に臨んでいるということである。無論、無理を言って渋々非公式調査を受理してくれた鑑識を巻き込むわけにはいかない。それは、自分の地位を代償に解決するつもりであった。

沖原は安積が如何なる経路を辿ってこの結果報告書を作り上げたかは察しが付いているだろうが、そんなことなどおくびにも出さず無言で受け取った結果報告書に目を落とした。規約に無い行為を頭ごなしに違反行為とのたまい糾弾してばかりいることを「融通が利かない」と表現するのであれば、沖原は比較的「融通が利く」タイプの人間である。それを長年の付き合いで熟知していたからこそ、安積は身を捨てる覚悟でこの行動に出たのだ。

「……ガウジ痕の最深部が7.0mmを超えている、と。確かにこの数値は時速7、80kmで走行中に急ブレーキを掛けても容易に叩き出せる数値ではないな。スピードリミッターはいじられてはいなかったのか」

「…はい。通例通り、限界速度は時速180kmとなっていました。また部分的でかつ数学思考に依拠した形での値ではありますが、ガウジ痕の曲率を算出したところ、時速180km以下の速度で出すのは難しい___いえ、はっきり言うとほぼ不可能であるような値が出ました。これを踏まえて考えまするに、このガウジ痕は如何なる速度においても深度、長さ、曲率のいずれかに矛盾します」

「何が言いたい」

沖原は安積が言わんとしていることはほぼ察しが付いている表情だったが、それでもぞんざいな口調を保ったまま尋ねた。

「このガウジ痕は、普通に急ブレーキを踏んだ際に車のボディがちょっとやそっと路面に掠めた程度で作れるような代物ではないと思うんです___それは先ほど渡した報告書に明記されています」

「そしてガウジ痕の歪曲方向と被害者と事故車両の位置関係により生じる矛盾……か。あまりガウジ痕に拘るのもどうかと思うがね」

「これらの事項に対して現時点で論理的な説明を補うことが不可能であるならば、致し方無いというのが私の意見です」

沖原がジロリとこちらに目を向けた。

「普通の交通事故ではない、とでも言いたいのか」

「おっしゃる通りです」

「ならどのようにして立証する。その手段を提示出来ないのであれば、単なる“交通事故”という案件でこちらは処理する意向だが」

「_____夏原は、鳥畑亮哉を故意に轢いたのではないか、と思い始めています」

ぽつりと漏らした安積の言葉に、沖原は乾いた笑い声を上げた。ただ、彼の双眸は一切笑っておらず、視線で射抜くようにこちらを見つめていた。

「交通課にも随分と想像力が豊かな人間がいたものだ」

「そちらの封筒に同封してある、“アクセル・ブレーキとの土砂成分照合結果”というタイトルの書類を見ていただけませんか」

安積は沖原の皮肉を無視して言った。

沖原が言われるままに茶封筒からその書類を取り出したのを確認して、安積は再び口を開いた。

「その書類の通り、アクセル部分に付着していた土砂成分としては、全て夏原が当時履いていた靴の裏に付着していた土砂成分と全て一致しますが、ブレーキ部分はほとんど一致していません。これは何を意味するか。___夏原は、ブレーキを踏まなかった」

「君らしくない考えだね。君は以前から、一つや二つの調査結果からすぐに最終的な結論を断定的に決めるやり方を『短絡的だ』と嫌っていたじゃないか。今の君の行為こそ、まさにその“短絡的”な考えではないのか」

「どこが短絡的だとお思いなのでしょうか」

そう返すと、一瞬沖原は虚を衝かれたような顔をしたが、すぐに無表情に戻った。

「土砂成分の相違なんぞ、いくらでも説明は可能だ。事故後だって、夏原はその場を歩き回っている。その間に、靴裏の土砂が擦り落とされた可能性だって十二分にある。よって、ブレーキから検出された土砂と同じ物質が夏原の靴の裏に付着してたが、その後夏原が多少歩き回ったせいで、その土砂が落とされた。___こう説明することもできる」

「失礼ですが係長、その土砂成分における報告書にはちゃんと目を通しましたか?書類にはこうあるはずです。『但し、靴底から検出された土砂というのは、靴底の溝部分から検出された土砂のみを指すものとする』」

沖原は言葉に詰まったように口を真一文字に結んだ。

「溝部分に付着している土砂は、他界の物質の影響で擦り落とされることは考えられません。それに、歩いている最中に土砂が靴裏から落ちることは意外と珍しいんです」

自分の上司に上から目線で物を教えるような展開になり少しうんざりしたが、安積はそれを表情に出さずに続けた。

「基本的に、靴裏に土砂が付着するのは、路面に散乱している土砂を足で踏むことで土砂を靴裏が直接的に圧迫し、土砂と靴裏の間に存在する空間の気圧が下がることが原因です。よって、普通に歩いている時は、靴裏の土砂が剥離する可能性は低いんです。一歩進んで片足を地面に付けた時、先ほど言ったメカニズムで土砂はしっかりと靴裏に付着し、次の一歩で土砂は同じように付着し……というようなローテーションですから。逆に、靴裏を動かさずに静止させておくと、自然と土砂が剥離することが多く、土砂が落ちる可能性は歩いている時より静止している時の方が高いんです。アクセルを踏んでいる間は、勿論足は静止しています。アクセルにブレーキと比べて靴裏の物と同じ成分の土砂が多数検出されたのは、夏原が長時間アクセルを踏んでいたからです」

「その検出された土砂は、以前に夏原が運転時に付けた物だと考えることも不可能ではないが」

沖原が言った。

「それは絶対に有り得ません」

「何故だ」

「夏原の住所はご存知ですか。町田市の上小山田町です」

「それがどうした」

「上小山田町___東京都のイメージとはかけ離れた、田畑が多く緑が溢れる町です。まあ悪く言えば、“田舎”ですが。そんな場所で自然界に散乱している土砂と、人や車が盛んに通る住宅街に散乱している土砂は成分が大きく異なることは明らかです。ここからは夏原の話が全て正確であることを前提に成り立つ話ですが___彼曰く、事故当日は上小山田町の自宅から車に乗り、住宅街付近へ来るまで一度も降車したことはなかったとのことです。そして、夏原は事故現場の住宅街の近くで自動販売機のコーヒーを買うため、一度外へ出ています。今回アクセルから検出された問題の土砂は、その時に付着したと思われます。つまり、アクセルに付着していた問題の土砂は、住宅街の付近あるいは住宅街に入ってから付けられたものと見るのが妥当です。ですから、問題の土砂は以前に付けられたものという考えは間違いです」

「夏原の言ったことが正確だという証拠はあるのか」

「現時点では確固たる物的証拠はどこにもありませんが、事故直前まで夏原の運転する車に同乗していた彼の友人の久保田秀雄が証言しています」

「………」

沖原は黙り込むと、両肘を机面に乗せ、両手を組んで思案顔になった。彼のそのポーズは、何かを考える時の癖である。

沖原はしばらく考えた挙句、ようやく口を開いた。

「…確かにお前の話を聞く限り、整合性としては問題の付けようがないだろう。不審点がいくつか見受けられるのは納得した。ただ、夏原が故意に人を轢いたという考えは飛躍し過ぎだ。その考えには首を縦に振ることはできん」

「……なら、その不審点をどのようにして処理するおつもりですか」

「夏原は不眠症を患っていたらしいな。それで服用した睡眠薬が過剰に作用したせいで運転中に眠気に襲われ、ウトウトして鳥畑の存在に気付かなかったんじゃないか」

安積は少し顔をしかめた。

正直なところ、それを言われると反論のしようがない。ただ、それでも今回の件はただの交通事故とは思えなかった。何者かが鳥畑を殺すために仕組んだようにしか思えなかったのだ。

___それは、かつて自分が捜査一課に所属していた頃の勘が働いたものだった。捜査一課の頃の記憶は闇の中に封印したつもりだったのだが、捜査一課の頃に自然と身についていた刑事独特の直感はいまだ少なからず残っているようだった。

「……その話はさておき、問題は今後のお前の処遇だ」

籠絡したと思ったのか、沖原は話題を変えた。

「お前の単独調査は言うまでもなく違反行為だ。だから勿論、その調査に関わった鑑識課の人間も同様だ。その調査は鑑識課に頼んで作成したものだろう。まあ鑑識課の人間は別として、安積、お前は俺が直接手を下さなければならない。通常ならば俺が上にこのことを報告し、指示を仰ぐ必要がある。ただし、今回は特別にチャンスをやる。お前は、明日から2週間の自宅謹慎と処する。また、この調査結果報告書は預からせてもらう。これを受諾すれば、今回の違反行為はここだけの話にしておいてやる。課長には俺から話を付けておく。鑑識課の方はどうなるかは分からんがな。さあ安積、お前はどうす___」

「___私は、この件を以って辞職させていただきます」

沖原の言葉を遮って放った安積の言葉は、彼に相当な衝撃を与えたようだった。

沖原はしばらく事態が飲み込めないといった表情で安積を見ていたが、しばらくすると神妙な表情で口を開いた。

「安積、辞職程度で今回の違反行為が黙殺されるとでも思っているのか?」

少し焦燥感を帯びた声だった。

沖原の本心は安積には丸見えだった。部下が違反行為を働いたことが公となると、当然上司の責任となる。そうなれば、沖原本人の評価が下がるのは必然だ。それを回避するため、沖原は先程の交渉を持ち掛けたのだろう。沖原は、2週間の自宅謹慎を安積に与え、その間に課長と話を付け、また調査結果報告書を没収することで違反行為の物証を握りつぶそうという魂胆だったであろうことを想像するのは容易だった。

しかし部下が辞職するとなると、話が変わってくる。勿論、仮に安積が辞職したとしても安積本人が辞職の原因を公にするはずがない。「一身上の都合」とさえ言っておけばいくらでも言い逃れできる。ただ、問題なのは鑑識課の人間である。鑑識課の中に、安積の違反調査を受理した人間がいるのだ。つまり安積が辞職したとすると、沖原の他にも安積の辞職の原因や事情を知る者がいるということだ。辞職の原因が明かされないとなると、本当の原因がふとした原因で広まる可能性だってある。

沖原はそれを恐れているに違いなかった。

つまり沖原は、安積の辞職は何としても止めねばならない立場にいるのだ。

「辞職しただけでこの行為が内密のまま免責されることはないでしょう」

安積は冷静に返した。

「___退職金はいりません。これが私に下された懲罰です。…いえ、辞職というより、係長が私を馘首してください。私は馘首を受諾します」

安積のその言葉に何かを感じたのか、沖原は眉間に皺を寄せて口を開いた。

「…何が目的だ」

「………この調査を援助してくださった鑑識課の方々には、手を出さないでください。確かに規約上、彼らが私の違反行為に加担したのは事実ですが、実質的に罪があるのは私です。また、その調査結果報告書は私に返してください。お願いします」

「その報告書をどうする気だ」

「それはこちらの都合です」

「退職金無しでの馘首を受け入れるとしても、鑑識課の連中の免責はまだしも調査結果報告書は使用用途がハッキリしない以上、それを許可するわけにはいかない」

「………」

安積は肩で小さく溜息をつくと、口を開いた。

「単独での調査に使わせていただきます」

「…お前、鑑識課の連中の免責のために辞職するものだと思っていたが、違うようだな」

沖原がゆっくりと立ち上がった。

「今回の交通事故の調査をするための辞職、というわけか。……なるほど、確かに辞職すれば規約に縛られることもないし、自由度が上がる。しかし、お前が疑っている件は、ただの交通事故である可能性だって十二分にあるんだぞ。ちょっとやそっと腑に落ちない点がある交通事故なんて、今までいくらでも経験してきただろう。今回のもその一つだと考えられないのか」

「………」

安積は返事をしなかった。

しかし、その沈黙が、安積の意志を明白に表していた。

「……わかった。もういい。では今日を以って安積、お前は馘首処分に当てさせてもらう」

沖原は静かに言った。

安積は深々と頭を下げた。

「ありがとう……ございます」

向島署捜査一課13年、交通課10年、向島署23年勤務の57歳・安積恭平の警察官としての日々に終止符が打たれた瞬間だった。


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