狼憑き
なんだか今日は、遙の様子がおかしい気がする。学生時代の友人が来たからっていう訳ではなさそうだけど。当の本人は、店の上の自宅に行っている。
リズは、昼食のサンドイッチを頬張りながら考える。
「うーん、気のせいと言われたら、そんな感じもするしなぁ」
正直な話、リズから見ても遙はいつも変なので、いつも通りっちゃいつも通りなのだ。だけど何かが違う。
ただ、余計な詮索をするつもりはないので、別にいいかとも思う。
「ま、あたしには関係ないしね」
リズはペットボトルのお茶を飲んで、一息ついた。
○o。. ○o。.
リビングで、遙はフェンリルと対峙していた。ただ、朝とは違い、小型犬ぐらいの大きさだった。
「すぐ戻ると、儂は言ったはずだが?」
「確かに『すぐ』だったな、それもずぶ濡れで」
「あー、あれは仕方ない」
人がいないからと、この狼はソファーの上で寛いでいやがった。
「一体、いつ、誰がソファーで寝転がっていいって言った?」
「まぁいいじゃないか」
「よくないから言ってる」
フェンリルは渋々ソファーから降り、遙の足下に来る。
「さて、儂は戻るかね」
「二度と出てくんな」
「全く、つれないな」
フェンリルはため息をついてから、遙の影の中に消えていった。
○o。. ○o。.
遙が店に戻ってきた時にはもう、リズは午後の仕事に取りかかっていた。
「だーかーらーっ」
「リズ、今度は何があった」
「あ、オーナー」
遙の声に、リズが振り替える。但し左手は、ちゃんと犬(ちなみに、トイプードル♀)に添えて。
「何でもララちゃん、お家でゴキ○リホイホイに引っ掛かったって・・・」
「何がどうしてそうなったんだ」
体には、その引っ掛かったらしいゴキ○リホイホイがついたまま。足などもベタベタになっている。
濡れたタオルなどがあるところを見ると、リズはなんとかして、そのゴキ○リホイホイを外そうとしていたようだ(無理に外すと毛が切れるので)。
「・・・時間は?」
「こんな状態なので、ちゃんともらってます、事情が事情なので終わったら連絡で良いそうです」
「そうか、で、リズ、その子は体は6だったよな?」
「はい、今日も6ですが・・・」
「体なら、先にクリッパー入れた方が早いし、シャンプー前に軽く8でも、ある程度は取れるだろ」
「あ、そっか」
クリッパーというのは、簡単に言えばバリカンの事である。ちなみに6とか8っていうのは刃のミリ数。
「とりあえず、まず、そのベタ付きの酷い体から、足裏とかも出来るなら次に」
「はい」
「リズ、シャンプー終わったら一回呼んで」
コンセントにバリカンを繋いで、リズは遙の言葉に頷いた。
○o。. ○o。.
シャンプーをしてはみるが、このゴキ○リホイホイの粘着力は厄介だった。足などのベタベタしたところを重点的に洗ったものの、なかなか落ちない。
「どうしてキミは、こんなのに引っ掛かっちゃったのかなぁー」
ワシャワシャと二度目のシャンプーを泡立てて、リズはため息をつく。まぁ、それでもこれも仕事なので、なんとかするしかないのだが。
なんとかシャンプーを終えて、タオルに包み、台に乗せる。若干水分を残しつつ、ドライヤーをつけて乾かす。プードルの毛は急いで乾かさないと、カットに支障が出てしまう。
ただでさえ、プードルは毛玉が出来やすかったりで面倒なのに。リズは乾かしながら、ため息をついた。
「オーナー、シャンプー終わりましたー」
「今行く」
乾かし終えたプードルを抱え、リズはドアから顔を出し、遙を呼んだ。
「結構、ベタ付きは取れたみたいだな」
「それでも、やっぱり足とかは残ってますよ」
「それは、短めに切るしかないだろ」
遙は腰につけたシザーケースからハサミを出して、さっさと切り始めた。
しばらくして、リズは遙に呼ばれた。そろそろカットが終わるようで。
「リズ、この子のお家に連絡」
「あ、はい」
カウンターでメッセージカードを書いていたリズは、近くにあった電話を取り、連絡をした。
○o。. ○o。.
仕事が終わり、リズも帰宅したので、遙は店の前にある喫茶店に入る。
「遙、いらっしゃい」
「よお、仕事は終わったのか」
珍しく喫茶店に先客がいた。栗色の髪の青年、護だった。
「なんだ、護はまだこっちにいたのか」
「悪いかよ」
「あはは、まぁいいじゃん、久しぶりなんだし」
遙と護のやり取りに、優が笑う。確かに会うのは久しぶりなのだが。
「遙は今日もコーヒー?」
「ああ、頼む」
「それで、護は彼女を放っておいていいの?」
「彼女ってアイツのことか?・・・別にアイツとは付き合ってる訳じゃねーし」
「「え?」」
護の言葉に思わず、遙と優は声をあげた。
「なんだよ、遙も優もそんなに驚くことか?」
「てっきり二人は付き合ってるんだと思ってたんだけど」
「アイツはただの幼馴染みだぜ?前から言ってなかったか?」
護は机に頬杖をついて、呆れた様子を見せた。
「護、後でその彼女に言っておいてほしいことがあるんだが」
「アイツに伝言?いいけど、なんだ?」
「『フェンリルが、呼んでもいないのに勝手に出てきて困る』」
「ははっ・・・伝えておくよ」
「まだ遙にあの狼は憑いてるんだ?嫌なら僕が変わろうか?」
優が笑って遙にそう言うが、遙は黙って首を横に振った。
優の言う通り、遙はフェンリルに憑かれている。憑かれている、というよりかは、遙の影の中にいるというのが正しい。
とある出来事で、フェンリルが瀕死の重傷を負っていたのを、名付け親が拾った。その場に、護、遙、優は立ち会っていた。
フェンリルは、名付け親の少女曰く、今も遙の影の中にいることで、命を繋いでいる状態らしい。そして、遙の負担を軽くするために、その少女は時々フェンリルを呼び出している。
「最初は護が引き取るつもりだったのにね、彼女はフェンリルまで抱えられる環境じゃないってことで」
「フェンリルが息子らの近くにいるのを嫌がったからな、俺はよくアイツと会うし、その方がアイツはよかったみたいだったんだけどな」
「彼女もそれには手を焼いてたね、はい、遙、コーヒー」
「で、遙の体調とかは?」
「別に憑かれているからって、今も特に変わったことはない」
フェンリルが遙の影の中にいることで、特に何か能力が発現したとか、遙に悪いことが起きたとかはない。
「それもアイツに言っておく、心配してたから」
「そうか」
「そろそろ俺は帰るわ、じゃあな、二人とも」
「今度は彼女と一緒においで、護」
「だから、違うっての」
「はいはい」
穏やかに笑う優に代金を支払い、護は喫茶店を出ていった。
「意外だったなー、絶対あの娘、護の彼女だと思ってたのに」
「確かに」
コーヒーを一口飲んで、遙は、例え彼女でもそれは関係ないけどな、と優に言った。
「護達もお互いそれでいいなら、僕達が口出しすることじゃないしね」
「そうだな」
○o。. ○o。.
遙は家に戻り、リビングの明かりを点ける。
「何もいいじゃないか、あの嬢ちゃんに告げ口しなくても」
「お前がそういうことをするからだ、っていうか出てくんな」
「肩身が狭いな」
遙の足元を、ちょこまかと小型犬サイズのフェンリルが歩きまわる。
「なんで出てきた」
「特に用がないと出ちゃいかんのか?」
「あんまり身勝手なことやってると、今度、彼女に会ったらお前を抹殺してもらうからな」
「酷いな、年寄りは労るものだぞ?」
「何が年寄りだ、お前よりずっと長く生きてる奴なんて、沢山いるだろうが」
遙のその一言で、フェンリルは渋々、遙の影の中に戻っていった。