黒銀の狼
朝。相変わらずリズは、早くに店に来る。遙も色々と準備があるのは、わかっているのだが。
「もう少し、のんびりとすればいいのになぁ、あの嬢ちゃんも」
「なんで出てきた、フェンリル」
「いちいちお前さんに許可を貰わないと、儂は出ちゃいかんのか?」
「飼い主の命令は絶対じゃなかったのか」
開けていた窓を閉め、遙は自分の後ろにいた声の主に目を向ける。
そこにいたのは黒銀の毛、左目が金色で右目が銀色の大きな狼。星のチャームが付いた紫色の首輪をしている。
「確かに名目上、儂の飼い主はお前さんだ、だが儂に名を与えたのは違うだろう?」
「それなら、名付け親のところに行けばよかったじゃないか」
「さすがに息子達と一緒はなぁ・・・親離れしてもらわないと」
遙の言葉にフェンリルはため息をつく。この狼は紆余曲折を経て、遙のところに居ついている。
この狼の名付け親曰く、名前は北欧神話に出てくる魔狼だとか。それだからか、フェンリルの息子達にも、同じように北欧神話に出てくる魔狼の名前が付けられたらしい。
「もう一度聞く、なんで出てきた」
「腹が減った」
「朝から人を喰いに行く気か」
「何も今は喰うのは人じゃなくても平気だ、心配しなくても、息子達のところの名付け親の嬢ちゃんに呼ばれているだけだ」
フェンリルはやれやれといった感じで、玄関の方に歩いていく。
「まぁすぐに帰るさ」
「そうかよ」
フェンリルは狼の姿から人に姿を変える。見た目は初老の男だ。
「これなら、歩いていても違和感はないだろう?行ってくるよ」
遙は特に返事をせずに、フェンリルが出ていくのを見送った。
○o。. ○o。.
遙は色々と支度を済ませ、階下に降りる。店の休憩室とリビングは階段で繋がっている。
「あ、おはようございます、オーナー」
「あぁ、おはよう」
遙に気付いたリズが、元気よく挨拶するが、遙は素っ気なく返す。
「オーナー、今日はどこかに行ったんじゃなかったんですね」
「なんでリズはそう思った」
「裏のドアが開く音がしたので」
あの狼は、もう少し静かに行動出来ないのかと遙は思ったが、気のせいだろとリズに言った。そのリズは不思議そうに首をかしげていたが。
○o。. ○o。.
トリミング室の掃除を終えたリズは、今日の予約が午後だけなのを確認済みだったのか、店の中の掃除をしている。
一応、少しだけではあるが、この店でも、フードやおやつ、ちょっとしたお手入れ用品なども売っている。
それらをリズは少しずつ棚から降ろし(直接、床に置くことはしてないが)、棚を綺麗に拭き、商品を別の綺麗なタオルで拭いてから元の棚に戻す。遙はその時に気付いたのだが、リズは商品を元の棚に戻す時に、客から商品が綺麗に見えるように戻すのだ。
そういうことを、リズは無自覚で自然にやっているっていうのだから、遙は少しだけ驚いた。遙はカウンターで、電卓を左手で数字で打ちながら記帳をしていた。要するに、遙自身も若干、暇。
その時、ドアについたベルがカランコロンと鳴り、一人の女性が入ってきた。
「いらっしゃいませ、どうされました?」
「あの・・・実は・・・」
女性がドアの外を指差す。遙とリズが見ると、そこにはずぶ濡れになった、出掛けたはずの一匹の黒銀の毛の狼、フェンリルがいた。
「うわーっ、大きい犬ですね、どうしたんですか?」
犬じゃなくて狼だと、遙は言いたかったが、リズはそのまま話をすすめてしまっていたので、黙っていることにした。
「さっき、子供が用水路に落ちてしまって、このワンちゃんが助けてくれたんです」
その後、そのフェンリルが助けた子供は、病院に連れていかれたが怪我もなく、周りはずぶ濡れになったフェンリルをどうしようかと思って、この店に連れてきたらしい。
「首輪をつけてるみたいですけど」
「どこのワンちゃんか、わたしも知らなくて」
正直、遙はフェンリルのことは(ごく一部を除いて)周りに伏せている為、言い出せない。
困ったような女性に、リズもどうしようか迷っているらしい。助けを求めるように遙を見ている。
「オーナー、この犬、シャンプーした方がいいでしょうか?」
「飼い主がわからないなら、どうしようもないが」
「あの、料金はわたしが払いますので」
なんで、見ず知らずの犬(狼だが)のシャンプー代を彼女が払おうと思ったのかは、さておき。
「なら、リズ」
「はい、じゃあ今すぐ準備します」
○o。. ○o。.
遙はリズに自分の道具を持ってくるよう頼み、フェンリルをそのままシャンプー台に放り込む。
「厄介なことにしてくれたな」
「すまない、さすがに見過ごす訳にはいかなくてな」
すぐに遙の道具を持って、リズが戻ってきたので、フェンリルも黙る。
「オーナー、道具、ここに置いておきます、そんで変わります」
「あぁ、悪い」
エプロンをつけたリズが、フェンリルをシャワーのお湯で流していく。
「リズ、洗い終わったら呼んでくれ、手伝う」
「はーい」
遙がトリミング室を出ると、ちょうど一人の青年が店に入ってきた。栗色の髪のその青年は、遙の(数少ない)学生時代の友人の一人。
「よぉ、遙、久しぶり」
「なんだ護か、どうした」
「なんだってなんだよ」
遙の態度に関しては相変わらずなので、護や優は笑って終わるが。
「さっき、子供が用水路に落とされたっていうの?で、近くまで来たんだよ」
「落ちた、じゃなかったのか」
「まぁ、それで遙のところの狼が、その子供を助けたって聞いたんだ」
「それで?」
「遙のことだから、話がややこしくなってるだろうと、俺が来たってだけだが」
「そうか、それはありがたい」
護は度々、こういうことがあると、フェンリルの飼い主の代理をしてくれる。そうなっている理由は、今は触れないけども。
「それで、用水路に落とされたっていうのはどういうことだ?」
「それがな、ただ単に子供が道を広がって登校してたのが、邪魔で突き落としたっていう身勝手な話でな」
あまりに突然の出来事だったが、近くの住人達が犯人を取り押さえ、落とされた子供をフェンリルが助けたらしい。
「その用水路は大人にしてみれば、浅い方だったんだけどさ」
「なるほどな」
それだけ聞いた遙は、フェンリルのシャンプー代とかをどうするか、考えているようだ。
「護、どれくらい時間ある?」
「んー、まぁフェンリルのシャンプーが終わるくらいまでは」
「そうか」
話が終わると同時にドアが開き、リズが顔を出した。
「オーナー、シャンプー終わり・・・あ、もしかして飼い主さんですか?」
「えっと、まぁ、そんなところか」
「悪いな、少しだけ待っててくれ」
「あぁ、いいよ」
護は笑って、遙達がトリミング室に入って行くのを見ていた。
○o。. ○o。.
台に乗せられたフェンリルは、大人しく、遙とリズにされるがまま、乾かされている。
「いやぁ、大人しくていい子ですねー、この子」
「そうか?」
遙は黙々と乾かしているが、リズは話ながら作業をしている。リズの場合は、相手が魔物だろうと、言葉の通じない動物だろうと、いつも何かを話しながらだが。
綺麗に乾かし終わると、フェンリルは台から飛び降りる。
「えっと、オーナー」
「なんだ?」
「あの人ってオーナーの知り合いなんですか?」
「学生の時の友人」
「え、ウソ、友達いたんだ」
余計なお世話だと遙は思うが、フェンリルを連れてトリミング室から出る。それにリズもついてくる。
「護、おまたせ」
「おぉ、綺麗になったじゃん、よかったなフェンリル」
護の言葉に、フェンリルは尻尾を振って答えた。そして、ちょうどフェンリルを連れてきた女性が、店に入ってくる。
「あの、このワンちゃんの飼い主さんでしょうか?」
「ええと、まぁそんな感じです」
「ウチの娘をその子が助けてくれまして」
「そうでしたか」
その様子を見て、女性がフェンリルのシャンプー代を払おうとしていた理由もわかった。
それについても、護が遙の代わりに話をしてくれている。
「それでは、本当にありがとうございました」
「いえいえ」
話は終わったのか、護は笑って女性を見送る。
「さて、フェンリル、アイツも待ってるみたいだし、行くか」
「フェンリルっていうんですか、その犬」
「あ、コイツは犬じゃなくて狼だよ」
「・・・え?狼?」
護の言葉に、リズはフェンリルを二度見する。
「なんだ、遙はその子に話をしてなかったのか」
「忘れてた、で、もう行くんだろう?」
「あぁ、悪いな」
「別に構わない」
遙とリズは店を出るフェンリルと護を見送る。
「あの人、格好いいですよねー」
「確か、護は彼女持ちだったはず」
「あー、やっぱりいますよね」
遙の言葉に、リズは少しだけ残念そうにため息をついた。