リリと暇潰し
仕事の日のリズの朝はいつも早い。家は近いが8:00には店にいる。店の鍵は遙から渡されているので、勝手に開けて入る。
リズが朝やることは店の掃除と前日に干したタオルをしまう作業、あとは道具類の準備だ。
大体、この時にオーナーの遙も起き出すらしい。窓を開ける音が上からするので、それでリズは遙が起きているかを判断している。
たまたま、今日は店の前を掃き掃除していたら窓が開いたので、リズは上を見た。
「おはようございまーす」
「あぁ、おはよう」
寝起きだからか、若干、不機嫌そうな遙。実際に今、遙が不機嫌でも、リズには関係ないが。仕事中までその状態だと困るけど。
まぁいいや、とリズは掃除を再開する。毎日のように掃除はしているものの、どこから飛ばされてきたのか、小さなゴミがちらほらある。
「全く、タバコのポイ捨てとか、ホント困るわ」
ゴミ袋にまとめてリズはちょっとだけ、ため息をついた。
○o。. ○o。.
今日の午前中は予約がない。どうしてこうも、客の波というか集中する日と暇な日に大きな差があるのか。
予約が入るのを少し期待しつつ、外で窓拭きをしていると、小さくリズを呼ぶ声がした。
「あら、外にいるなんて、今日は暇なんだ?」
「リリちゃん、おはよう」
足元を見るとリリがいた。話を聞くと、リリは朝の散歩をしているらしい。
「そこまで遠出はしないわ、ご主人達が心配だもの」
「でも近場では散歩はするんだ?」
「ただの見回りよ、あくまでもね」
そういってリリは特に用はなかったようなので、そのまま帰っていった。
──どうして、リリは猫又であることを頑なに周りに隠すのか、リズは疑問に思う。下手に遙に聞くと、勘繰られそうなので、後で友人とかに聞くとして。
「まぁいいか」
「何が、いいんだ?」
「ひゃあっ!?・・・なんだ、オーナーか」
リズは考え事をしていたせいか、遙が外に出て来たのに全然気付かず、驚いた。
「具合でも悪いのか?」
「いや、ただ少し考え事を・・・」
「そうか、あと予約がさっき入って、すぐ来るそうだから」
「あ、はい・・・わかりました」
○o。. ○o。.
リリは家の窓から外を見ていた。時々、猫又や仕え魔の知り合い達が遊びにやってくることがある。今日もその友人の一匹が来た。ただ、その知り合いは、とある《魔術師》に仕えていることを、リリの主人達も知ってるので、堂々とリリの主人達の前でも喋っている。
まぁ、今は部屋にリリしかいないし、リリが普通の猫を演じているのを知ってるので、協力してくれている。
窓を開けると知り合いの猫は周りを確認してから話す。
「リリ、ずっと演じているってキツくないの?」
「いいのよ、マヤ・・・これがわたしの選んだ道なのだから」
知り合いはリリと違い、全身が真っ黒な猫だ。ただ、その目は蒼い月のように輝いている。
「わたしの正体がばれる時は、わたしが主人を守って死ぬ時よ」
「ふふ、主人を守って死ぬのはあたし達にとっては本望よね」
この知り合いのマヤは仕事や日常の何気ない話などを、あまり家の外に出ないリリに話をしてくれる。
それはリリにとっても、かなり楽しい時間でもある。
「ねぇ、マヤ」
「何?」
「マヤは人を喰おうと思ったことはない?」
「んー・・・ないと言えば嘘になるわね」
「そういう時ってどうしてる?」
「こっそり家を出て、襲っても平気そうなの狙うかな?まぁ、うちのご主人の場合はそういうの、わかってる人だしね」
それは気が楽でいいわねとリリは思うが、こればかりは自分で普通の猫を演じることを決めたので、何も言うことはしないけど。
「そんなに辛いなら、なんでまた普通の猫を演じることを決めたのよ?」
「近くでも、魔物だってばれて家を追われた子がいてね」
「あー・・・そういうことか」
マヤはなんとなく理解をしたようだ。そしてこれから仕事だというので、塀の上から飛び降りた。
「じゃあね、また近くまで来たら寄るわ」
「いつも遠くからありがとう、マヤ」
リリはマヤを見送ってから、そっと窓を閉めた。
○o。. ○o。.
「あーっもう、これはやらなきゃダーメーなーのーーっ」
「・・・何やってんだ?リズ」
「ふえぇ・・・オーナー・・・この子、爪切りさせてくれないんですぅー」
リズは柴犬と格闘していた。まぁ爪切りを嫌がって暴れるわ暴れるわ。
「あぁ、そいつ爪切りが死ぬほど嫌いだからな」
「?!・・・なんでオーナーはそういうことを最初に言ってくれないんですかぁー?!」
おかげでリズは少し引っ掛かれてたりしているのだが。若干、涙目で格闘しているリズを呆れた様子で見ていた遙に、リズは愚痴を溢す。
「カルテに書いてあっただろ」
「嘘だ」
「・・・悪い、書いてなかった」
遙がファイルを開いて、中を確認する。その後、ポケットからボールペンを出して何かを書き加えた。
「まぁ頑張れ、爪切り以外は大人しかったはずだから・・・多分な」
「・・・」
ファイルを棚に置き、遙はトリミング室を出ていった。
「もうっ、いいわよ、爪は後回しにするから」
リズは一旦、爪を切るのを諦め、爪切りをしまって、鉗子を出した。
○o。. ○o。.
一日の仕事を終え、リズは店の鍵を掛け、大きく伸びをする。
「はぁーっ、疲れたー」
「こんばんは、お仕事終わり?」
「あ、リリちゃん」
後ろから声をかけられ、リズは後ろを振り返り、足下を見る。
「こんばんは、リリちゃんは・・・また見回り?」
「まぁね」
幸い、リズの家はリリの家と方向が同じだ。リズの足下をリリが歩く。
「ねぇ、リリちゃん」
「何?」
「オーナーにも猫又だって言わない理由って何かあるの?」
リズの言葉にリリは一瞬、考えてから答えた。
「もし、オーナーさんからご主人にばれたらって思ってね」
「ばれたら何か不味いことでもあるの?」
「いくら、わたしにその気がなくても、ご主人達が常に命の危険を感じて暮らすようなことはさせたくないだけなの」
実際にそれを理由に家を出た魔獣が身近にいたことを、リリはリズに教えてくれた。
「大変なんだねぇ」
「それでも、これはわたしが選んだ生活なのよ」
「もし、ばれてお家にいられなくなったら、リリちゃんどうするの?」
「クスッ、そうねぇ・・・その時は、君のお家にお世話になろうかしらねぇ?」
リズの自宅前でリリは一回、尻尾を揺らし、じゃあねと去っていった。
「リリちゃんは優しいんだね」
そして、どうしようもないくらいリリは飼い主のことが大好きで、大切なんだなとリズはしみじみと感じた。