リリ、逃亡
リリをシャンプーした翌日。午後に突然、リリが店の前に一人で来た。
「あれ?リリちゃん、一人でどうしたんだ?」
ちょうどその時、リズは仕事の真っ只中だった。
「リズ、リリちゃんが一人で店の前にいたんだが」
「えー?今、あたしは手が放せないんですけど?」
「ゲージに入れて、お家に連絡しておくか?」
「どうせ、孫が遊びに来たとか、そんな理由でしょ」
リリを抱っこしてトリミング室に遙が入ってきたが、リズは遙の方を見ることもせずにハサミを動かし、プードルの毛を切っていた。
「とりあえずここに入れておくから」
「はいはい」
「あと、右後肢、少し歪んでる」
「はーい、終わったら直します」
遙が出ていったのを確認して、リリは大きなため息をついた。
「今日はまた、どうしたのよ?」
「君の予想通り、孫達から逃げてきたのよ」
ゲージの中でゴロンと寝転がり、リリはまたため息をついた。今日はリズもリリに構ってもいられないため、仕方ないが。
しばらくリリはリズの仕事を眺めていた。時々、リズに話しかけたりするが、仕事の邪魔にならないようにしているのが、リズにも感じられた。
リリの家に連絡を入れたのか、遙がドアを開けて顔を出す。
「リズの予想が当たってたよ」
「そうですかー」
「『息子夫婦が帰ったら、リリを迎えに行きます』だってさ」
「わかりました、あ、ついでにカット見てもらっても?」
遙はリズの言葉に頷き、ポケットからコームを出して見ていく。
「ん、大丈夫だな」
一通り見た遙がコームをポケットに戻して、その後は部屋を出ていった。
「あの人ってちゃんとカットとか、わかるんだ?」
「まぁ、一応あたしと同じ学校の先輩だし?普段はあたしがカットとかしてるけど、あの人の腕は確かよ」
リズはリリと話しながらもプードルの耳にリボンを付け、切った毛をドライヤーで飛ばす。そしてゲージにバスタオルを敷いてカットを終えたプードルを入れる。
このゲージは縦に三つ部屋があり、リリは今、一番上にいる。この店には同じゲージがもう一つある。そして、このゲージは魔獣達の魔力を封じられる特殊なモノらしい。
「今日は予約が結構あるの?」
「いや?もう、この一匹だけよ」
「あら、後はお迎え待ちだったのね」
床を掃いているリズに、リリはなんとなく嬉しそうだ。
「他にもいるから、珍しく忙しいのかと思ったわ」
「本当に忙しい時は、オーナーもこっちでカットとかしてるし」
遙がこちら側に来る時は、リズの手が回らないくらい客が集中した時か、リズでは本当にどうにもならないペットが来た時だけだ。それ以外は会計とか、そういうのをやっている。
「時々いるのよね、突然、当日に予約を入れる人とかがさ」
「迷惑な話ね」
「暇な日か、シャンプーだけの子ならそれでもいいんだけどね」
集めた毛をゴミ箱に押し込んで、リズは引き出しからメッセージカードを出して書き始める。
「あら、連絡はいいの?」
「そういうのはオーナーがやってくれるから大丈夫」
「あら、ちゃんと役割があるのね」
「だって、ここは二人しかいないんだもん」
ここでは役割を分担しないと仕事がやってられない。もしも、この店にリズがいなかったら、遙が倒れる。もしくは過労死直行コースだろう。
「どうして、ここには人が来ないのかしらねぇ?」
「あー・・・それはオーナーが、ああいう性格だからじゃない?」
遙は技術の腕はあるものの、あまり他人と積極的に関わり合うことをしない。というか苦手なだけ(多分)。それは接客業なのに、致命的なくらい。
だから遙は必要最低限の事しか話さない。リズに対しても、仕事中は仕事以外の事はほとんど話さない。
遙は雰囲気も近寄り難いけど、実際はちゃんと周りを誰よりも見てる。しかも、こうすればもっとトリミングが上手くなるとか、的確な助言もしてくれる。本当はいい人なのだ。
それをリズは知ってるし、遙もリズのことを知っているのでこの店に置いてくれているのだ、と思う。っていうかそう思いたい。
「でも絶対あの人、友達とかいないわね」
「悪かったな」
ポツリとリズが呟いた、ちょうどその時。ドアが開いて遙が顔を出した。なんとまあタイミングが悪いとリズは思う。
「リズ、迎え来たぞ」
「へ?・・・あぁっ、本当だ」
リズは慌てて先程のプードルをゲージから出し、メッセージカードを持って部屋を出ていった。
○o。. ○o。.
「それにしても、リリちゃん家、遅いですね?」
シャンプーの補充をしながら、リズは後ろの方で備品の確認をしている遙に言う。時計を確認すると5:30を指している。
ここは個人経営だからか、朝9:00に開店して、夕方6:00には閉店する。
「まさか何かあったってことはないだろうな?」
この世界では、いくら魔物と共存しているからといっても、人間が魔物に襲われる(喰われる)という事件は日常茶飯事だ。
「これが終わったら、もう一度連絡してみよう」
「何もなければいいんですけどね」
チラリとリリの方を見ると、リリも落ち着かないようだった。
遙がトリミング室を出て行ったのを確認して、リリはリズを呼んだ。夕方ともなると外も静かなので、二人とも部屋の外の遙に聞こえないように、小声で話す。
「ねぇ、ここから出してくれない?」
「一応、オーナーが連絡してくれてるんだし、大人しく待ってた方がいいと思うけど」
「それこそ、ご主人達に何かあったら嫌なのよ」
リリは自分の恩人である飼い主の無事が一番なのである。それをリズは知ってるけど、今はリリを自由にさせるつもりはない。
それこそ、リリが飼い主を探して行方不明になる可能性などもある訳で。もしも、魔物とリリが交戦したらなども考えられる。
「とりあえず、オーナーの報告を待とう?」
「うにゃぁ・・・じれったいわ」
○o。. ○o。.
閉店間際にリリの飼い主の老夫婦は迎えにきた。どうも、なかなか息子達の家族が帰らなかっただけのようだ。
とりあえず何もなかったので、リズもリリも一安心だ。
「すみませんねぇ、リリがご迷惑をかけたみたいで」
「いえいえ、そんなことはありませんよー」
「よかったらこれ、二人で食べて」
「え?いいんですか?ありがとうございますぅ」
迷惑をかけたからと、リリの飼い主の老夫婦はリズに白い箱を渡す。多分、中身は息子達がお土産に買ってきたお菓子とかだろう。
「じゃあね、リリちゃん」
「にゃあん」
リズに挨拶をして、リリは飼い主と帰っていった。
カウンターの奥の休憩室で遙がお茶を入れていた。
「お疲れ、リズ」
「あ、ありがとうございます」
渡されたマグカップの中身は緑茶。そこはコーヒーとかじゃないんだ、とリズは勤め始めた頃は思ったが、今ではもう慣れた。
「それで、リリちゃん家から何を頂いたんだ?」
「開けてみましょうか?」
リズは貰った白い箱を開ける。やはり中身は洋菓子の詰め合わせだった。
「緑茶に洋菓子・・・どっちかというと紅茶の方が良い気がするんですけど」
「紅茶も緑茶も、元は同じ葉だ」
箱からクッキーを取り、遙はソファーに座る。ここにはソファーが一つしかないので、(仕方なく)リズも遙の隣に座る。
「リズ、リリちゃんって本当に普通の猫なのか?」
「それはあたしの質問だと思うんですけど」
「・・・そうだな」
「事故で賢くなった、とかそういうのじゃないでしょうか?・・・でも、オーナー、リリちゃんが普通の猫じゃなかったら何かあるんですか?」
リズの質問に遙は無言のままだった。自分から話を振ってきた癖に。
「もし、魔獣だったとしても、自分を助けた人間を喰おうと思うんですかね?」
「魔獣は何を考えてるかわからないし、気まぐれだ」
「そうですか」
それでもリズは、遙は考えすぎじゃないかとお茶を飲み終えて、帰る支度をする。
「あたしは帰ります、お疲れ様です」
「送るか?」
「家は近いんで、大丈夫ですよ」
「何かあったらどうする」
「心配性ですね、そんな狭い道を入る訳じゃないんですから」