過去と現在
日が暮れると危ないからと、少女が遙達を森の外まで送ると言った。
「少し耳がツンとすると思いますが、我慢してくださいね──《空間転移》」
一瞬の出来事だったが、森の中から彼女の自宅前に遙達(と狼)はいた。
「なあなあ、魔術師って何でも出来るのかよ?」
「何でもは無理ですよ、魔術師にだって出来ない事はあります」
その一瞬の出来事に驚いたのか、健は彼女に問いかける。凄く困った様子だったけど。
「で、君はどういうことをするんだ?」
「擬似的な『憑依』を実行する前に、わたしから言っておくことがあります」
「ん?それは俺が知っておくべき事なのか」
「それを知って、峰岸くんの考えが変わる事もあり得るし、実行する前なら引き返せますものね」
なるほど、そういうことかと遙達は納得する。彼女の言葉でやっぱりやめたと言ってもいい、ということか。本当はそれを望んでいたのかもしれない。
「正直な話、これは峰岸くんにメリットは全くありません」
「それは君の様子からわかる」
「まず、確認なのですけど、貴方は魔法を使えない人ですよね」
「ああ」
「シオンさん、それは護も僕も同じだよ?」
「あのね和泉くん、護くんの場合は『体質』も関係しますから」
そういうことも関係あるのか、そしてそれまで色々考えていたという彼女に遙は内心驚いた。
「話は変わりますけど、貴方は魔物の友人と対峙した時に『危険ではないと知ってるはずなのに、怖い』と思ったことはありませんか?」
「・・・ある」
「それが何か関係するのか?しぃ」
「それが擬似的な『憑依』を実行すると、峰岸くんに起こるってこと」
但し、それは遙自身に対してではないと彼女は言う。あくまでも、遙と一緒にいる狼に対してなのだと。
「この事情を知らない人間と対峙した時、意識していなくても『なんとなく近寄り難い』と向こうは感じるでしょうね」
「しぃ、この事は遙が口外した方がいいのか?」
「しない方がいいと思う、知らない方が幸せっていう、典型的な事例でしょう」
それでも、隠す必要はないと言っていたが。先天的に憑き物の家系の人間もいるというし。まあ、そういう人間も表立って口外はしないけどねと、彼女は苦笑する。
「本題に入りますけど、普通の人間である峰岸くんに、こういう事をすると身体的にも、精神的にもかなりの負荷がかかります」
「軽減することは?」
「それは、わたしが肩代わりする事で可能ですが」
ここで何故か彼女は言葉を切った。こういうことには、特に慎重にならざるを得ないようで。
「ですが、って事は?」
「実際に魔力を持たない人に(擬似的とはいえ)『憑依』させるのでね、体調とかに不調をきたす事がある」
「それってどうにもならないのかよ?」
「さらに運が悪いことに、この狼はそのままだと死んでしまう」
「つまり、これってそうならない為の?」
健の言葉にも、彼女の表情は変わらない。彼女は最善の手段を考えているのか、それとも。
「さて、ここまで聞いて貴方の考えは変わりましたか?」
「選ぶのは俺だろ?君には迷惑だろうけど、俺はそれでも構わない」
「そうですか、わかりました」
くるりと彼女は遙達に背を向け、一度、大きく深呼吸をした。
「では、この狼さんに名前を付けましょう、そのままでは呼び辛いでしょうからね」
「何かいいのを考えてるのか?しぃ」
「『フェンリル』というのはいかがでしょう?」
神話などを調べるのは、彼女の趣味らしい。それで呼ばれることを狼自身も受け入れた。
「日も傾いてきてますから、そろそろ始めますか」
その後の彼女は手頃な木の枝を拾ってきて、地面に何かをガリガリと描いていた。それは記号の羅列のような、数式のような、遙達では理解が出来なかった。
「えっと、こうすると・・・あ、駄目だ式が狂う」
「しぃ、いつもみたいに高速詠唱とか詠唱破棄出来ないのか?」
「今は出来ないのではなく、しないんですよ」
「なんで」
「後でちゃんとしますけど、色々と魔術を複合させてますから、今すぐに詠唱とはいかないのです」
何でも、最初から詠唱破棄とかが出来る訳じゃないと彼女は護に言う。正直、彼女なら出来ると思っていたが。
「これをちゃんとしないと正常に魔法が発動しないんですよ?」
「『実現』させることは得意じゃなかったのか」
「別にその能力に頼ってもいいんですけどね?」
彼女が一瞬だけ遙を見た気がした。
「うーん・・・あっ、そうか・・・」
「どうした?」
「少し難しく考え過ぎてました、さあ、あとは実行あるのみです」
遙達に彼女は笑顔を向ける。それはどこか遙達を安心させるモノだった。
「──夢現を隔てる境界線 鍵を以て、今、その扉を開く」
シオンは持っていた木の枝を遙の影の上に刺し、フェンリルを手招きして呼ぶ。
「──虚実を隔てし影の檻 狼繋ぐ枷と為す」
「え?!」
彼女が刺した木の枝を抜くと、フェンリルが遙の影の中に吸い込まれていった。
「はい、終わり」
「え?これだけ?」
「そうですよ」
意外と地味に終わって、遙達は拍子抜けする。彼女はそんな遙達の様子を見て愉しそうにしていたが。
「シオンさん、遙がフェンリルに食われない保証はあるの?」
「大丈夫です、フェンリルには『呪い』をかけておきましたから」
「な・・・いつの間に?」
彼女の言葉にも驚いたが、それ以上に『呪い』を扱えることにも驚いた。
「神話の中でフェンリルは、世界の終末の日まで枷に繋がれています」
「それが?」
「それを『符号』として、わたしはフェンリルが峰岸くんを殺せないようにしました」
その後も彼女は何か言っていた気がするけど、遙達にはよくわからなかったので、遙が狼に喰われるという事態は絶対に起きないと彼女が『断言』したし、それでいいかという結論に至った。
○o。. ○o。.
いつの間にか遙はソファーで寝ていたらしい。辺りはすっかり暗くなっていた。
「お前さん、今日はずいぶんと疲れたみたいだな?」
「また勝手に出てきたのか、フェンリル」
足元をちょこまかと小型犬サイズのフェンリルが歩きまわっていた。
「少しくらいは、儂も外に出たくなるのだよ」
「本当にお前は言うことを聞かない馬鹿犬だな・・・いや、馬鹿狼か」
「相変わらず棘しかない言葉だな」
「事実だ」
遙の言葉にしょんぼりとしながらも、フェンリルは遙の影の中に戻っていく。
「・・・まぁ、今はお前のおかげで仕事が問題なく出来てるんだけどな」
だけど、それは絶対に面と向かって、フェンリルには言ってやらない。なんか悔しいから。
○o。. ○o。.
──いつだったか、遙はシオンに疑問をぶつけた事がある。
「なあ、君はどうして凶暴な魔物達を簡単に手懐けられるんだ?」
「え?そう見えますか?」
それが彼女にはとても自然なことだったらしく、意外そうな表情だったのを遙は覚えている。
「うーん・・・実力の差、なんでしょうかね?」
「俺にそう聞かれても」
「貴方も多分そうでしょう?」
「そういうのは気にしてなかった」
その時の彼女は、フェンリルより弱い魔物や普通のペットが相手ならば、遙に従順だろうと言っていた。但し、それは下手に遙を傷付けると、フェンリルからの報復を受けると無意識に恐れているだけらしいが。
「別に俺に懐いているってことではないんだな」
「そうなりますね」
「でも、君の使い魔達は君に懐いているように見えるが」
「うーん、それもどうなんでしょうね?」
彼女は首をかしげて苦笑していた。その意味は遙にはわからないが。
「どちらかと言うと、わたし自身が持つ力に当てられてる、の方が合っているかしらね?」
その時の彼女の笑顔は、自虐ともとれる、とても悲しいモノだった。
○o。. ○o。.
店の明かりを点けて、遙は予約の確認をする。今日は休みにしてしまったので、リズが普段やってることも、今は遙がやっている。
「あー、これは失敗したな」
やはり、ちゃんと確認はするべきだったと、遙は少し後悔する。だが、入れてしまった予約はどうにもならないので、仕方ない。
「ま、なんとかなるか」
必要なモノをカウンターに置いて、遙は二階の自宅に戻った。




