あのとき俺は〜小学生の熊田くん〜
あの頃の俺は、ジャイアンだった。
面と向かって言われたことはないが
『お前のものは俺のもの。俺のものは俺のもの』を地で行ってた。
幼稚園の頃から悪ガキだったが、イタズラしたり騒いだりと、ただの理性の働かない子供だったのだと思う。
悪ガキに知恵と理性と腕力が備わると、怖いものなしになる。
それが、小学校時代の俺だ。
同じ幼稚園や近所の奴は、悪ガキのリーダー格だった俺を知っているから、喧嘩を売るような馬鹿はいない。
成長の早かった俺は、同年代の男共より二周りは身体が大きく、1つ2つ年上でも俺に敵う奴はいなかった。
そんな噂を聞けば、何をしたわけでもなくても小学校で新たに出会った奴らは俺に逆らわない。
大人が思う以上に、子供の世界は弱肉強食なのだ。
だがもちろん、そのままに力を振りかざせば大人の目につき、介入と仲裁、下手をすると制裁が待っている。
その点、俺にはガキ共をうまく統率する頭があり、大人の前で賢く振る舞う理性があった。
仲間には頼れる親分、それ以外には適度な畏怖、先生などの大人にはちょっとやんちゃなクラスおよび学年のリーダーという地位を早々に築き上げた。
誰もが一目置く存在であった俺にとって、優斗だけが例外だった。
優斗はいつも女共に囲まれていた。
引っ越して来たばかりとかで、俺の周りにあいつを知る奴はいなかった。
楯突くわけでもないのに、わざわざ構う必要はないだろうと放置していたのだが、いつになってもあいつを知る機会はなかったし、女は小突くとすぐ泣いて大事になる面倒臭いものと考えていた当時の俺にとって、常に女共に囲まれた優斗は遥か遠い不思議な存在だった。
優斗と初めて同じクラスになったのは、たしか3年か4年のときだった。
優斗のクラスは例年、固定自由席という制度が実施されるらしく、年度初めのホームルームで驚きとともに、優斗の存在を改めて意識した。
毎朝好きな席に座れるが、その日一日は同じ席で過ごすというのがルールだ。
1年のとき優斗と同じクラスだったやつによると、優斗の隣を争って女共は喧嘩を繰り返し、毎日のように席替えをせがまれた担任が「もう好きにしろ」と言ったところ、休み時間ごとに優斗の周りにだけ女共による熾烈な席替え合戦が起こった。
席替えに毎休み時間が潰れるため、授業時間に優斗に話しかける女子が大量発生してしまい、女子にとって優斗と話す貴重な休み時間を確保することによって平和を保とうと改められたのが、固定自由席制度なのだという。
聞いた俺にははっきり言って意味がわからなかったが、1年のときの担任はノイローゼ一歩手前で胃に穴がいくつかあいていたということなので、苦肉の策だったのだろうと思うことにした。
なんにせよ、好きな席に毎日座れるのは願ったり叶ったりなので、優斗と同じクラスで良かったと思った。
不真面目な男共が後方の席を望むのは当然のことで、数日は男共が朝早く来て後方の席を嬉々として占領した。
俺はもちろん好きな席にフリーパスで座れたのでいつも通りの時間に登校したが、いい席に着こうと皆早くに登校するようになった。
だが、数日で男共はわざわざ早くこなくても大丈夫なことに気が付いた。
たしかにみんな良い席を狙っていたが、女共にとっての良い席は教室後方の席のことではなく、いかに優斗の近くに座るかということだったからだ。
女共には、俺たちにはわからないなんらかの取り決めや序列があり、毎朝違う奴が優斗を席に導き隣に座った。
それを基準とした、他の女共の静かな椅子取りゲーム…交わる視線は厳しく、毎朝が真剣勝負といった様相だった。
その異様さに、あえて優斗に近づいたり揶揄する男はいなかった。
『女は生まれつき女。男はいつまでたっても子供』なんて言われるが、たしかに女と比べて男の精神成長は遅いものだ。
こんなバトルが1年の頃から起こっていた(のちに優斗から幼稚園の頃から同じようなことがあったと聞いて戦慄した)なんて、男が精神年齢で女に勝てるわけがない。
男共がやっと色気つき出した頃、優斗への風当たりが急激に強まるという、想定外の事態が起こった。
女共はそれまでと変わらず優斗にベタベタしていただけなのだが、男共はそれが気に入らないと不満を漏らし出した。
「俺たちとは話もしないくせに、お高くとまりやがって!」
「ちょっとモテるからって調子に乗ってる!」
などなど、どうにも気に入らないという意見が多数派になりつつあった。
俺自身は特に女共に興味はなかったし、本気で喚いているのは気になる女子が優斗に構っているごく数人だったが、やはり空気というものがある。
同調するうちに本気で腹を立て始める奴もいるし、このままだと優斗に手を出す奴が出るのも時間の問題だった。
男共の情動の対象は女共だったし、女共の優斗への干渉は明らかに行き過ぎていたから、それに巻き込まれる形で中心に引きずりだされ、矢面に立たされる優斗は少しかわいそうだ。
だが、俺にとっての問題はそこじゃない。
これが暴力やいじめに発展した場合、当然のように、リーダー格の俺の監督責任を問う目が出てくることが煩わしいのだ。
はっきり言ってそれは俺の責任じゃないんだが、大人は責任問題を自分以外の誰かに問うのが好きだし、目立つ奴には当然その責任があると考える馬鹿は多い。
俺のおかげでこの学年はまとまりがとれてると喜んでいた教師が、問題が起こった途端に俺が事前に止めることは可能だったんじゃないか?実は一緒になってやっていたんじゃないか?と、あくまで可能性の一つだとかぬかしながら、あらぬ疑惑の牙を俺に向けてくる危険性は非常に高いのだ。
そうでなくても、監視の目が厳しくなるのはよろしくない。
俺はこの俺にとって自由で愉快な世界が壊されるのを、黙って見過ごすわけにはいかない。
昨日の放課後、優斗に群がる女の一人に振られた奴が出た。
男共の中でもそこそこ人望のある奴で、そいつの消沈する姿に、今こそ一矢報いてやらねばと、友情という名の使命感に燃える目がチラホラ出だした。
今ガス抜きしないと、確実に問題起こるタイミングだ。
面倒臭いが、問題と捉えられないレベルで男共の不満をうまく解消してやれるのは俺だけだ。
女共には確実に睨まれるだろうし、優斗にも嫌われるだろうが、ここまできたらもうやるしかない。
最近はタイミングを図るために、女共と優斗のイチャコラをしょっちゅう観察してたんだが…あいつら頭に虫でも沸いてるのか?
優斗単体ならただ親切丁寧に接してるだけに見えるんだが、女共のテンションがおかしい。
観察のはずが、行き過ぎた好意と目に余る行為に、ついつい睨みつけたり、舌打ちまで出る始末だ。
女共は優斗しか目に入らないらしいから、俺がどんなに大っぴらにそうしようが気付かないんだがな。
優斗は女共に効くフェロモンでも放ってるのか…女共の頭がいかれてるだけなのか…
少しでも優斗が男共寄りなら、まだやりようもあるんだがなぁ…まぁ今更、仕方がないか。
「おい、カマ野郎!お前いつも女と一緒にいて何が楽しいんだ?」
他にもいろいろ言ったが、最初のカマ野郎以外は、実はどちらかというと女共を批難するまたは馬鹿にする仕様だ。
俺の後ろの短絡思考な男共は、単純に俺が優斗を馬鹿にしてからかっていると思ってニヤニヤしているが、女共は自分たちが馬鹿にされていることがわかっている。
俺がもし普通にからかっても何も言えないだろう、大人しい系の女子も、優斗絡みで馬鹿にされては黙ってられないらしく、手を握りしめて憤った目でこちらを睨んでいる。
恋愛が絡むと女は怖いねぇ。
あ、ちなみに今言った俺の言葉がそのまま教師に伝わっても、カマ野郎の部分以外は、言葉の悪さや言い方を諭されることはあっても怒られることはないと確信している。
だって事実だし、先生自身がうちの女共に注意したい内容そのままの筈だ。
さて、これで優斗がきょどりだすなり、怒って反論するなりして、女共が優斗に味方するのを「へっ、馬鹿らしい。こんなの構ってらんねぇ。行こうぜ」と、さも馬鹿にしているといった雰囲気で去れば終わりだ。
男共が「へっへー、馬鹿にしてやったぜ♪見たかよ、あの顔!」となれば任務完了だ。
ほんと、男って悲しいくらいガキで単細胞だ。
あとは「あんなのに構ってらんね。あいつらに構って、これ以上つまんねぇことにしてみろ?ただじゃおかねぇぞ」と適度に脅して、優斗たちに関わると俺の機嫌を損ねてやばいことになると教えてやればいい。
一発勝負だからと気合い入れて睨みつけてるんだが…やり過ぎたか?
優斗から何もリアクションが返ってこない。
「おい、こいつびびって固まっちまってるぜ!」と続けてもいいんだが、下手にかぶったら格好悪い。
本気だったら気にしないんだろうが、あくまで演技なもんで、間が難しい。
(まじ、面倒臭い。なんで俺がこんなやりたくもねー、得にもならねー、興味も関心もねーことに尽力しなきゃぁなんねーんだ)と若干イライラしてきた頃、優斗の溜息が聞こえた。
クラス中が固唾を飲んで見守っていたせいで、それはやけに大きく響いた。
やりたくもないことを懸命にやっているのに、女共の好意の対象であり男共の嫉妬の対象でもある、ある意味諸悪の根源と言っても過言でない奴に、溜息をつかれたことに頭に血が上った。
「馬鹿にしてるのか、お前?!」というような内容で最初の一言二言は優斗に向けて言ったが、それでもなんとか最後の理性で、優斗ではなく馬鹿みたいな振る舞いを繰り返した女共に罵声を浴びせたのは、最後の意地だった。
どう考えても事の原因は女共の常軌を逸した行動であり、色気づき出した男共の嫉妬や妬みであり、諌められなかった教師共以上の責任が俺や優斗にあるとは思えなかったのだ。
俺の怒りの爆発のきっかけは、たしかに優斗の溜息だったが、優斗を必要以上に責めることは、汚い大人のやり口を真似るようで絶対に嫌だった。
クラス中が女と男に分かれて罵り合い、興奮が最高潮になったとき、優斗が泣いた。
俺の目の前、位置だけは中心で、実際は唯一罵り合いに参加せず、蚊帳の外にいた優斗が静かに泣いていた。
怒りのままに喚いていた口は自然と閉じ、俺は頭が真っ白になった。
唖然と優斗を見つめる俺に気づいた者から黙り、一寸で教室は静かになった。
騒ぎに駆けつけた教師は、状況の把握より先に優斗の保護に走った。
怪我をしているわけでもないのに、優斗一人を連れて去って行くその対処は、つまりは優斗以外の生徒全員を放置していくということで、おそらく教師として間違っていた。
だが、あのときあの場で一番弱い生き物は間違いなく優斗で、あれ以上弱らせてはいけないと教師を含む俺たち全員が悟っていた。
優斗を抱えて教師が走り去ると、徐々にパニックが広がった。
興奮はすっかり冷め、静かに困惑、混乱する者。とにかく周りを責めて、自分のせいではないと安堵しようと足掻くものの、うまくいかずしまいには声が出なくなる者。抜け殻のようになっている者。泣く者。様々だったが、皆後悔を滲ませた青褪めた顔をしていた。
騒いでいたのはわかっているものの、到着時には皆口を閉じ、優斗が泣いていたことしかわからない先生は、みんなに事情を聞いたが、混乱の只中にあった俺たちは誰一人まともに口を開くことが出来なかった。
俺たちのただならぬ様子に諦めたのか、後悔の滲んだ顔に説教が必要ないと思ったのか、先生もそれ以上追求して来なかった。
俺たちは全員早退で家に帰されたが、俺はまだ混乱していて、この前後の記憶がほとんどない。
翌日、優斗は休んだ。
混乱から覚めやらず、緊張していた俺たちはその知らせにホッと息をついた。
どんな顔して会えばいいのか、なんて言葉をかければいいのか、誰もわからなかったからだ。
だが、1時間目が終わる頃には
「ほんとに体調を崩して休んだのだろうか」「俺たちと顔を合わせたくないんじゃないだろうか」「もう嫌われてしまったんじゃないだろうか」「昨日のことでもう学校に来られないくらいに精神的に参ってしまったんならどうしよう」「もう許してくれなかったらどうしよう」時間が経てば経つほど、口にすればするほど、耳にすればするほど、俺たちは不安に苛まれて行った。
俺はこれまでの人生で一番の、不安と罪悪感と後悔に苛まれていた。
家に帰ると、たまたま仕事が休みで家にいた母に懺悔のように、これまでの経緯と昨日の顛末を話していた。
いつもふてぶてしい息子のその姿に、ふざけているとでも思ったのか初めはニヤニヤしていた母だったが、真面目に話していることがわかると、ようやく真剣に聞き始めてくれた。
真面目な顔で相槌を打ち、俺なりに苦しんだことや頑張ったことを話すと、「わかっている」というように頭をぽんぽんと軽く叩いてくれた。
普段は「クソババア」「なんだよ、クソ餓鬼」と呼び合う俺たちだったが、この時ばかりは、まるで仲のいい普通の親子のようだった。
「母さん、聞いてくれてありがとう」なんて言葉まで素直にでてきた。
その懐かしいような穏やかな空気に微かな感動と安堵を覚えながら、俺は最後まで話した。
「…そしたら優斗が泣いたんだ」
空気が固まる音を聞いた気がした。
頭に置かれた母の手に力が入る。
「母さん?い、痛…」
「あんたの言う優斗くんってのは頭がよくて、運動が出来て、女の子にモテる上に、資産家のおうちの生まれだったりするのかい?」
「はぁ?!さっきそう説明しただろ?痛いから離せよ!」
俺の頭を握り潰そうとしていた手を振り払うと、予想外にあっさり外れ、母さんの身体の横でプラプラと不気味に揺れた。
「4丁目の角っこの白くて大きなおうちに住んでて、庭には大きなモミの木があったりするのかい?」
「え?モミの木?モミの木かどうかは知らないけど、白くて大きな家でたしか大きな木はあったよ。学校の裏手だから…そうだね、4丁目だね」
「そ、その子は、羽柴優斗くんって、い、いう、の、かし、ら?」
母さんの青褪め震える尋常じゃない様子に、声が出なくなったが、返事を促す仄暗い光を宿した目に見つめられて、頷いた。
「何してくれとんじゃ、クソ餓鬼ー!!!???」
瞼の裏にいくつもの星が散った。
床に座り、壁に座った状態で目を覚ました。
俺はなぜこんなところで寝ていたんだ?
目の前を忙しなく行き来する母親が見えた。
…スーツ?朝なのか?
働かない頭でぼーっと考えていると、急に手首を掴まれ遠慮のない力で玄関まで引きずられた。
「何しやがる?!クソババア!!」
反射的に発した言葉に、手首は放されたが、頭を思いっきりはたかれた。
「羽柴専務のおうちに謝りに行くよ!シャキッとしな!!!」
見上げたババアの顔は、いつものニヤニヤした顔でも、不機嫌な顔でもなく、緊迫した青白い見たこともないほど真剣なものだった。
優斗のうちまでおよそ歩いて15分の距離を、ババアは俺を引きずりながら全速力で駆け抜けた。
わけもわからないまま引きずり回され、3回赤信号を渡り、2回車で引かれそうになった俺は蒼白だったが、ババアは全く気にしなかった。
ババア自身、わざわざ着替えた一張羅のスーツはヨレヨレ、汗だくのボロボロだったが、気にする素振りは全くなかった。
ババアは一度深呼吸すると、息が整うのを待つことも俺に改めて説明することもなく、インターフォンを押した。
最初の一度、無理やり俺の頭を抑えつけて謝ったあとは、俺の存在など忘れたかのようにひたすらババアが一人で謝っていた。
優斗と優斗にそっくりな女性は明らかに困惑した様子でオロオロしていたが、優斗の母親にしては若過ぎるその女性は、謝り続けるババアを宥め、手を引いてリビングと思しき扉の向こうに消えた。
え?俺たちは?!
そう思ったのは俺だけじゃないらしく、互いを驚きと焦りの表情のまま振り仰ぎ、固まった。
硬直が溶けるとともに気まずさに俯く俺の手を取って、優斗は自分の部屋に招き入れてくれた。
握った手はそのままに、優斗が俺に謝った。
「昨日はごめんね」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
思わず見た優斗の顔には、誠意や後悔が浮かんでいて、心から謝っていることがわかった。
なぜ優斗に謝られているのかという驚き、なぜ俺じゃなくてお前が謝るんだという理不尽な苛立ち、どうしたらいいのかわからない困惑、そんな自分を晒している情けなさや羞恥、駆け巡る強過ぎる感情に目眩がしそうだった。
優斗の誠実な謝罪に応えなければ、俺こそが謝らなければという湧き上がる気持ちで、なんとか謝ることが出来たが、あまりに稚拙で不十分な謝罪に今度こそ泣きそうになった。
俺の手を握ったままの優斗の手に力が篭る。
それに釣られて優斗の顔を見ると、優斗はふんわりと天使のような笑顔を浮かべて、俺と友達になりたいと言った。
また記憶が飛んだ。
優斗の母親らしき女性に、優斗と友達になったからよろしくお願いします、というような意味合いのことを一方的に宣言し、行きとは逆に母親を引きずって走ったことはかろうじて覚えているが、いつの間にか帰宅して自分の布団で寝て朝を迎えてしまった。
目覚めた俺の頭には、昨夜の母親の不可思議な言動も、優斗が何を謝ってたのかも、もうどんな疑問もどんな憂いも、影も形もありはしなかった。
早く優斗のあの天使のような笑顔が見たい、優斗に会いたい、優斗と今日は何を話そうか、そんな薔薇色の未来だけが見えていた。




