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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
新たなるステージの始まり
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第16話 私ができるもう一つのこと(1)

 12月3日。マラソンでもない限りは、陸上の選手は毎年オフシーズンに入る。ヴァージンも例外ではなかった。しかし、ヴァージンにとってこの年のこの日は、特に重要なものであった。

(あと1分……)

 最近買い換えた、ワンルームマンションの部屋の目覚まし時計。デジタルの時の流れが、23時59分を奏で続ける。そして、それらが全てリセットされた。

「12月3日……!」

 普段からその二本足でトラックを駆け抜けることを正業にしているヴァージンは、じっと動かぬまま日付の変わるのを確認した。そして、あらかじめ開いておいたノートパソコンをすぐに覗いた。


 件名  20歳おめでとう

 差出人 フェリシオ・アルデモード


(やっぱり、来た……)

 メールでたまにやりとりはしていたものの、ヴァージン自身昨年の誕生日はトレーニングに疲れていてメールを開くのが後手に回ってしまった。そこで、19歳から20歳に変わるこの瞬間は、自分を支えてくれる人と共感したい。アスリート以前に、一人の女性となったヴァージンの心の中で、そう誓っていたのだった。

 ヴァージンは一呼吸おいて、メールの中を開いた。


  ~アメジスタの偉大なアスリート ヴァージンへ~

   まずは20歳、おめでとう。

   あっという間かもしれなかったけど、貧しいあの国から生まれて

   20歳を迎えられたのって、本当にすばらしいことだと思うよ。

   それも、君が夢に向かって努力し続け、世界に認められた結果。

   そのことを誇って、これから25歳、30歳と突き進んでほしいんだ。


   今年は本当にいろいろなことがあったけど、元気そうでよかった。

   特に、10月のフィアテシモ、僕も見てたけど、すごくしびれた。

   ヴァージンの本気を久しぶりに見れたのだから。

   来年、もっと世界記録を縮められると、あの時僕は信じたんだ。


   で、僕がこうしてメールを送ったのは、単に20歳を祝うだけと

   言うわけじゃないんだ。

   もしよかったら、君の練習の空いている時でいいから、今度

   ミラーニのホームゲームに遊びにおいでよ。

   君に直接会って、言いたいことがあるんだ。

   すぐに返信しなくていい。

   行けそうな日が決まったら、このメールに返信してほしいんだ。

   君に会える日を楽しみに待っているよ。

                        フェリシオ・アルデモード


「アルデモードさん……」

 声も感情も全くないはずのメールの文面で、ヴァージンは思わず涙をこぼしそうになった。特に、アメジスタ生まれで20歳まで生きられたことが何を意味するか、ここで改めて実感したところで、ヴァージンの涙はわずかに顔を伝わっていったのだった。

(なんか、アルデモードさんも、アメジスタのために動いているのかもしれない……)

 先日、「アメジスタ・ドリーム」という名の銀行口座を作ったことすら、アルデモードにはまだ何も言っていない。だが、フィアテシモでの大会の時に、インタビューで銀行口座のことを言っている。もしかしたら、この話だ、とヴァージンは返信すらしていないのに想像を巡らせるのだった。

 返信は、すぐにした。ちょうどアカデミーでの予定が空きになっている、再来週の水曜日にファーシティに行くことを、短い文章に乗せて。


 その後、数日も経たないうちにアルデモードからヴァージンが訪れるゲームの観戦チケットが封筒で届いた。ミラーニvsグラスベス。グラスベスと言われても、陸上競技以外にあまりアンテナを伸ばしてこなかったヴァージンには、ピンとこなかった。ミラーニですら、オメガに帰化したアルデモードがいる、ということ以外何一つ知らない。

(調べてみるか……)

 ヴァージンは、パソコンを開いて、すぐにネットで「グラスベス」とワードを入れて検索した。

 グラスベスは、リーグオメガの今年から来年にかけてのシーズンで、現在1位の強豪。そこにはサッカーのオメガ代表に何人もの選手を輩出しており、まさに強豪チームと言える。一方のミラーニは、リーグオメガでは16チーム中現在15位。このままでは、来年の夏にシーズンが終わるとリーグオメガセカンドという、注目度も人気も格段に落ちるリーグに降格してしまう、ということも分かった。もちろん、去年からチームに合流しているアルデモードの名は、検索サイトの中にはほとんど出てこなかった。

(アルデモードさん、あのチームでどういうポジションなんだろう……)

 ヴァージンは、パソコンから目を離して、思わず上を仰いだ。ちょうど、数年前のヴァージンの姿に似ていた。グラティシモという女子の長距離では第一人者と言える選手がアカデミーにいて、ヴァージンは補欠扱い。成果を残せないヴァージンに、一度は追放を言い渡したことすらある。今となれば比べ物にならない扱いを、最初の頃アカデミーで受けていたが、果たしてアルデモードも同じ状況なのだろうか。

 スタジアムに行けばわかる。ヴァージンはそう信じて、チケットを両手で持った。


 そして、日々のトレーニングを重ねて、ようやく訪れたオフの日、ヴァージンはファーシティ・スタジアムに足を運んだ。陸上競技の大会でも使う、この大きなスタジアムを見たとき、ヴァージンは「戻ってきた」とさえ思えた。

(そう言えば、ひとつ前の世界記録は、ここで出したんだった……)

 14分15秒72という一つの世界記録が生まれたこのスタジアム。その記録はフィアテシモの大会で既に過去のものにしている。しかし、この場所で自らが勝負に挑んだということに変わりはなかった。

 ヴァージンは、もう一度チケットを見た。まだ開始まで1時間はあった。見るからに、両軍とも選手のバスは到着していないようだ。遠くに見えるスタジアムのサブトラックが、自然とヴァージンをその場所に向かわせた。

(サブトラック200mだけど、軽く1000mぐらい本気で走るか……)

 オフだというのに、ヴァージンがトレーニングシャツでスタジアムに現れたのも、それが理由であった。もし時間が合ったらそこでもトレーニングして、できればその横を過ぎていくアルデモードにもその姿を見てもらいたい。ヴァージンは、スタジアムの観客用ロッカーに荷物を預けて再出場し、トレーニング姿でサブトラックに向かった。しかし、陸上競技の開催されるわけでもないこの日にその姿でいることが、かえって人を集めることになってしまった。

「あれ、グランフィールドじゃね?」

 ファーシティの市民を中心とした一般人に混じって、サブトラックに紛れ込んだ瞬間、ヴァージンは一人の茶髪の男性から声を掛けられた。その声が合図になり、スタジアムを訪れた人々が次々とサブトラックに向かってくる。両足を前後に伸ばしたヴァージンは、そのポーズのまま思わず後ろを振り返ると、そこには10人ほどの人々が物珍しそうに見つめていた。

「やっぱり、ヴァージン・グランフィールドがここに来てるよ!」

「すっげ。こんだけ有名な陸上選手、テレビや動画でしか見れないと思ってたよ」

 ヴァージンは、首を元に戻すこともできず、その姿勢のまま笑って、軽く手を振った。すると、10人からさらに膨れ上がった群衆が揃って手を振り、その後口々にこう言った。

「写真撮らせてください!」

「サインください!お願いします!」

 言うが早いか、既にその準備を済ませている人々に、ヴァージンは思わずうなずいた。

「分かりました。私を支えてくれる気持ちに、私もほんの少しだけ答えます」

「ありがとうございます」

 差し出されたカメラや色紙などに次々と返していくヴァージン。そうしている間にも、少しずつ人々は増えていく。まるで群衆が群衆を呼んでいるような状態になった。

 気が付くと、何万人も入るスタジアムの客席以上の混雑が、サブトラックの入り口付近に出来上がっていた。30人ほどの撮影とサインを終えたヴァージンは、思わず首をひねった。

「ごめんなさい。私、サブトラックでトレーニングしたいから、全員には対応できないです……。あまりにも私が有名になりすぎて……」

 そう言って、ヴァージンはサブトラックに首の向きを戻しかけた。すると、群衆の一人がやや大きい声でこう言った。

「もしよかったら、このサブトラックであの走りを見せて下さい!生でそれを見られるだけで幸せです」

(えっ……?)

 アカデミーでもなければ、大会前の選手専用でもないこの場所で走るのは、1000m程度にしようと考えていたヴァージンは、思わず面食らった。だが、そのオファーに群衆から大量の拍手が沸き起こった。

 しばらく考えた後、ヴァージンは首を縦に振った。

「分かりました」

 世界的に有名になったアスリート、ヴァージン・グランフィールドにそのオファーを断ることなどできなかった。まだ試合開始まで1時間以上ある。1回ならできるはずだ。ヴァージンは体を軽く準備させて、数分後にサブトラックの上に立った。

 ちょうどその横を、ミラーニの選手が通ったことを、ヴァージンは気が付くはずもなかった。

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