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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
初めてだったはずのオリンピック
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第15話 潰えた夢舞台(7)

 残り5周。ウォーレットにつけられた差は、コーナーの入り口から出口まで。100mにも満たない。ヴァージンは、ペース配分を考えながらも、そこまでしっかりと食らい付いていたのだった。

 これまで標的にし続けてきたメドゥなどが走る3位集団は、まだはるか手前、ヴァージンの通ってきた直線に入ってきたぐらいだ。もはや、二人だけの勝負しかなかった。

 ヴァージンは、首を軽く縦に振った。

(ここから、抜くしかない!)

 これまで、ウォーレットに対しても得意のラストスパートで懸命にその差を縮めていったが、ウォーレットの底力の前にそれが及ばなかった。ペース的にもパーソナルベストを狙っていきそうな走りを見せるウォーレットと勝負し、勝つためにはギリギリのタイミングだ。

 ヴァージンの次の一歩が、力強く大地を蹴る。体は、世界記録を初めてたたき出したあの日のように軽い。まるで体に鞭でも打ったかのように、ヴァージンはスピードを上げた。

 ヴァージンの視界に徐々に迫っていくウォーレット。流れが変わったことに、スタジアムの観衆たちから、ヴァージンを後押しするような歓声が上がる。

(無理じゃない……。あと、70m、60m……!)

 残り4周、3周と、ヴァージンは見る見るうちにウォーレットとの差を縮め、4000mを過ぎた時、ヴァージンはついにウォーレットの真後ろにまで迫った。その差、あと5m。


 だが、ウォーレットもここで簡単には先を通さない。足音に反応したのか、それとも呼吸に反応したのか、ウォーレットの首がわずかながら後ろを向き、ヴァージンをその目で睨みつけた。

 オリンピックチャンピオンとしてのプライドにさえ、ヴァージンには見えた。

(……!)

 ウォーレットは、まるでこのタイミングでスタートを切った短距離走者のように、スピードをグンと上げた。ラップ68秒程度のその足が、残り1000mにして65秒程度にまで駆け上がり、懸命に追い上げるヴァージンを一気に振り切っていく。

(ウォーレットさんには、やはり力がある……)

 過去2回、ヴァージンの最大の武器であるスパートをもってしても届かなかった、ウォーレットの力。2回とも、最初からハイペースで飛ばしていき、その力が衰えないまま4000mを過ぎたあたりから一気にスパートをかけていく。これまでヴァージンと同じトラックで争ってきたライバルたちとは、やはり何もかもが違っていた。

 だが、そこでヴァージンはひるまなかった。

(けれど、このスパートがこれ以上伸びなければ、私は最後に勝てるかもしれない……。いや、最後にどんなスパートを見せたとしても、ゴールテープを割るときには私の足の方が速いに決まっている)


 やや離されかけて、ウォーレットとの差は残り2周で20m。ついにヴァージンはその足に全ての力を集めた。激しいテンポでヴァージンはその両足をトラックの上に叩き付けていく。1周60秒を切るような、ヴァージンのトップスピード。この1年で最速と言ってもいいほど、ヴァージンは本気の力をウォーレットに見せつける。

(抜き去れる……!)

 ウォーレットが、心なしかスピードを再度上げたように見えたが、ヴァージンには止まっているようにしか見えない。スタジアムの歓声が一気に高まる中で、ヴァージンは残り1周半となる直線で外側からウォーレットを抜き去った。

 抜き去るときに横目に見えたウォーレットの表情は、これまで見せたことのないほど鬼のような形相だった。一緒に戦った時には決して見ることのできなかった、彼女の本気。だが、それすらもヴァージンの本気には及ばず、その表情からは悔しさすらにじみ出ていたのだった。

(ウォーレットさん……、オリンピック出場すらできなかった私が、三たび負けるわけにはいかない!)

 コーナーに差し掛かる前に、ヴァージンはひらりとウォーレットの前に立った。途端に、張りつめていた何かが解き放たれているように思えた。これほどまで本気を見せてきたヴァージンの足が、まだ軽かった。

 残り1周と少し。ウォーレットに再度抜き返されないために、そして、もう一つの勝負のために……。

(行ける……。きっと行ける……!)

 ウォーレットという強敵の前に、これまでヴァージンはことごとく敗れ去り、レース中は夢見る余裕すらなかった、自らの記録更新。パーソナルベスト、イコール、ワールドレコード。だが、この時点で先頭に立ち、足が未だにスピードを上げようと欲している。

 残り1周のラインを割ろうとする直前、ヴァージンはトラック内側のウォッチを見た。

(13分16秒38……)

 ヴァージンがこの目で見てきた最も速い記録が、14分15秒72。今のヴァージンのペースは、これまで何度もレースで見せつけたトップスピードに等しい。

 ヴァージンの出した答えは「GO」だった。

(もう一つの勝負……!私のレースは、まだ終わってない!)

 ヴァージンは、再び力強く足を叩き付けた。勝負の始まりを告げる、最終ラップの鐘がスタジアムにはっきりと鳴り響いた。

 もはや、ウォーレットの呼吸すらヴァージンの耳には届かない。ヴァージンの目には、周回遅れになった何人ものライバルたちの疲れ果てた姿のみ。その中を、ヴァージンは一人、自らとの勝負に挑んだ。

 残り半周となる直線を、全くスピードを落とさず駆け抜けると、スタジアムの歓声は最高潮に達する。みな、スタジアムのウォッチや、左腕にはめた秒針つきの時計とにらめっこしているのだろうか。ヴァージンは、その声を追い風に変え、最終コーナーを回る。

(私は……、オリンピックのために全てを注いできた。でも、行けないと分かった時、そこで自分を止めることはしなかった)

 残り100m。ヴァージンの体が、少しずつ重くなりつつある。だが、残りの距離なら何とか耐えられそうだ。

(私は、挑むためにどんなトラックにも立つ!)

 その力強い意志が、真っ白なゴールラインをハイスピードで駆け抜けた。


 14分14秒29 WR


(……やった!)

 ヴァージンは、スタッフが近づいてくるよりも早く、トラック脇のウォッチを見た。14秒というところまで見て、全身で喜びを表現した。また一歩大きくなった自らの実力に、ヴァージンは何度もそのタイムを目に焼き付けたのだった。

 そして、「真の」チャンピオンをたたえる観衆の声。オリンピックという世界最高峰のレースで見ることができなかったとしても、ヴァージンのその走りをみな心待ちにしていたかのように、ヴァージンには見えた。

 やがて、全てを出し切ったウォーレットがヴァージンの前に立った。

「やっぱり……グランフィールドの本気には、勝てなかった……」

 この1年、何度かトップの座を競い合ったウォーレットは、レースの後には不思議とあの表情を見せなかった。これまでどの種目でもそうしてきたように、勝者を祝福し、その胸に飛び込んだ。

「そんなことありませんよ。ウォーレットさんがいたから、私はここまで本気になれたんですから……」

「そう言ってくれると、なんか嬉しい……」

 ウォーレットのタイムは、14分25秒39。あのペースが、体に相当の負担だったと、のちにウォーレット自身が明かすことになるが、驚異の実力を見せてきたその体ですら簡単には自己ベストの更新には至らないようだ。


 けれど、その場でヴァージンとウォーレットは誓った。これからもライバルであり続けることを。


 表彰式までのひと時、ヴァージンのもとに久しぶりにメディアの記者たちが集まってくる。2位ではまず集まってこなかったので、本当に久しぶりのことだった。

 その中で、一人の記者にヴァージンはこう尋ねられた。

「グランフィールド選手、次のオリンピックこそ、という気持ちはありますか」

「あります」

 そう言って、ヴァージンは首を縦に振り、思いついたようにこう切り返した。

「今のアメジスタ国民には、オリンピックは遠い存在です。けれど、4年間で私はそれを変えてみせます。私のその情熱が、世界一貧しい国を支援する。そんな基金を私は作りました」


 アメジスタ・ドリーム。私の夢は、アメジスタ一人一人の希望に変わると信じて……。


 フィアテシモでの選手権で、ヴァージンの優勝賞金は10万リア。ヴァージンはその全額を「アメジスタ・ドリーム」に寄付することにした。

(まだ、これで十分とは言えない。来シーズンも、もっと頑張らないといけない!)

 その年のオフは、オメガ国ではなく、マゼラウス同伴で、温暖な南側の国々での高地トレーニングに専念した。来シーズンの目標は、5000mでのタイム向上と、10000mで表彰台に立つことの二つ。そのために、ヴァージンにオフに休む時間はほとんどなかった。

 そして、その積み重ねが4年後の夢舞台での飛躍につながると信じて……。

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