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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
初めてだったはずのオリンピック
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第15話 潰えた夢舞台(2)

 女子5000m世界記録保持者と、急成長を遂げているウォーレットの直接対決が間近に迫る中、ヴァージンのトレーニングも、いよいよ本番を意識したメニューになっていった。かつての世界競技会直前のように、きついメニューが続くということはなかったものの、これまで以上にヴァージンのタイムをマゼラウスは気にするようになっていた。

「14分48秒39……。いま一つだな」

「はい」

 不調とは言えないまでも、ヴァージンのタイムが昨年のようにトレーニング中から相当なものが飛び出すことはなかった。イーストフェリスのインドア大会で敗れた相手、ウォーレットがインドアでの世界記録を持っていることを考えると、ここで甘んじるわけにはいかなかった。

「もっとこう、中盤で1周70秒のペースを保てるようにしないと、ヴァージンが出したいと思っているようなタイムには到底及ばないのかもしれない」

 この日の2000m~3000mで、ヴァージンはちょうど3分。トラック一周にすると72秒だった。体感的には一周70秒で走れていると思っていたヴァージンは、軽くうなだれた。

「気持ち、体内時計よりも早く走ってみよう。明日のトレーニングは、それを意識するように」

「はい」


 ヴァージンは、何度か首を横に振りながらロッカールームに向かい、着替えを済ます。ロッカールームから出ようとしたとき、入れ違いにグラティシモが入ってきた。

「ヴァージンじゃない。今日もなんか怒られていたような気がするけど」

「別に、気にしてはいません」

 ヴァージンは、思い出したかのように首を横に振った。だが、グラティシモは軽く唸って、言葉を続けた。

「長いこと一緒のアカデミーにいると、分かるような気がする。ヴァージンが、そんな表情の時は自分の走りが気になってしまっているって」

「まぁ、そうですね……。たしかに、今のままじゃよくないって思っています」

 ヴァージンのやや落ち着いた声が、ロッカールームの壁に反射し、幾重にもなってグラティシモの耳に届く。すると、グラティシモは軽くうなずいてヴァージンに告げた。

「本気の走りを取り戻したいんだったら、あのCM見ればいいじゃない」

「あのCM……ですか?」

「ウォーターサプリ。この前、ここでプロモーションの撮影やってたんじゃない」

「もう流れてるんですか!全然そういう連絡がなかったから、てっきりまだかと思いました」

「もう流れてる。あのヴァージンはカッコいいと思った」

 いつも大人の表情を見せているグラティシモは、この日は珍しく笑っていた。ヴァージンにはそれが不気味でたまらなかった。


(いつもだったら、ガルディエールさんがメールで教えてくれるのに、忘れたのかな……)

 CMを見ようと、ヴァージンはワンルームマンションに急ごうとするが、脳裏にガルディエールの重苦しい表情が浮かんできて、その足はいっこうに速くならない。気が付くと、ヴァージンはいつもより倍近い時間をかけて部屋に戻ってきたのだった。

(とりあえず、CMを見てみよう……)

 ヴァージンはテレビをつけ、スポーツドリンクのCMが流れていそうなチャンネルに合わせる。すると、ほどなくしてウォーターサプリのCMが流れてきた。


   グランフィールドとウォーレット。

   二人の情熱は、ウォーターサプリから生まれる。

   限界に挑む力強い足!さぁ、オリンピックの頂点に立つのは!

   オリンピック公式ドリンク・ウォーターサプリ!


「すごい……」

 ヴァージンとウォーレットの気迫にあふれた表情が、わずか15秒のCMの中で何度も映し出される。その一つ一つに、ヴァージンは息を呑み込んだ。編集されているとはいえ、ここまで本気の表情を見せたかどうか分からなくなるほど、プロモーション撮影中の自分が本気だったことを見せつけられたのだった。

(きっと、それはウォーレットさんを意識しているからかもしれない……)

 だが、そこまで考えた途端、すぐに脳裏に二人の代理人の表情が脳内に映し出される。新たなるライバル、ウォーレットとの代理戦争とも言うべき二人の対立を、あの撮影中のアカデミーでヴァージンは見たのだった。

(やっぱり、ガルディエールさんは何か言いたくないことを隠しているのかもしれない)


 そして、いよいよ直接対決の日がやってきた。舞台はアフラリの首都スタイン。モニカ・ウォーレットの国であるチュータニアの隣国に当たる。

「コーチ。最近分かったこと、言っていいですか?」

「どうして、ヴァージン」

 飛行機が間もなくスタイン国際空港に着陸しようとするとき、ふとヴァージンはマゼラウスに話しかけた。

「ウォーレットさんのいるチュータニアって、意外と面積が狭いんですね」

「お前も、ようやく地図帳を見るようになったか」

「えぇ。世界中飛び回っているので、なんか気になってきたんです」

 アメジスタの中等学校では、地理がめっぽう弱かったヴァージンも、ここに来て少しずつ世界の様々な国のことを知ろうとしていたのだった。とりわけ、先進国ではない国を見ると、ヴァージンは地図帳を止めるようになってきたのだった。

 チュータニアも、ライバルの存在で知った国ではあるが、地図帳を見るときにも注目する国であった。隣国アフラリの属国とも言われるほど、その面積は狭く、ほとんど都市が存在しない。生活水準もそれほど高くない国であった。


 だが、それが何を意味するのか、この時のヴァージンにすら分からなかった。


「なんか、この場所だけ見るとオメガ国内に見えますね」

「そうか……。でもな、ヴァージン。大都市は世界中にいくつもある」

 整然と高層ビルが立ち並ぶスタインの中心部。車と人で包まれた大都会を通り抜けると、やがて人工的にその境界が作られたとしか思えないような緑の草原が飛び込んできた。そして、その草原の向こう側にスタジアムの美しいアーチが見える。そこが、二日後にヴァージンが負けられない勝負に挑む地だった。

(この場所で、私はもう一度世界記録を出す!)

 ヴァージンはその手にグッと力を入れた。


 翌日はスタイン近郊の総合公園で、一周1000mのジョギングコースでタイムトライアルを行った。ほぼインターバルを開けないようにして5回走ったが、課題である「1000m3分を切るような走り」は概ね達成できるようになっていた。

 勝負を前にすると感覚が戻る、とマゼラウスに言われたヴァージンは、自信ありげにホテルに戻ってきた。

「あれ……?」

 ホテルのロビーに、見覚えのある男性がいた。ガルディエールだ。ガルディエールがヴァージンとマゼラウスの宿泊先を手配している以上、ここを知らないわけがなかったのだ。

「ガルディエールさんじゃないですか」

「あぁ。君がホテルにいないから、ちょっと心配してたけどよかった」

 軽くうなずいたガルディエールは、すぐに言葉を続けた。

「調子はどうだい?明日は勝てると信じてるから」

「……はい」

 ヴァージンは、いつも以上にテンポの早いガルディエールの言葉にほとんど返すことができなかった。その目には、普段と違って落ち着いていない様子のガルディエールの姿があった。

(ガルディエールさん、私の大勝負を前に、緊張しているような気がする……)

 ヴァージンは、ガルディエールの浮かない表情をじっと見つめている。すると、ガルディエールがすぐに立ち上がって、ヴァージンの肩に手を置いた。

「明日は、期待しているよ」

「はい」

 そう言うと、ガルディエールはすぐにマゼラウスの肩を叩き、ロビーの離れた場所に誘って行ってしまった。ヴァージンに聞こえないように、ガルディエールはマゼラウスの耳元でささやいたのだった。

(何を言ってるんだろう……)

 ヴァージンは、部屋の鍵を受け取り、エレベーターホールに向かう。その間何回か二人のほうに向きなおるが、そこで何が伝えられているかは、ロビーの喧騒に紛れて全く流れてこなかった。

(おそらく、今回の勝負で勝ったら、オリンピックは確実なものになる、みたいなものなのかも知れない……)

 ヴァージンは、そう解釈して部屋へと向かった。


 ――ヴァージン・グランフィールドは、明日の勝負に全てを懸ける。オリンピックへの狭き道は、彼女の足が切り開くのか!


(……っ!)

 部屋に戻り荷物を整理した後、何気なくテレビをつけたヴァージンは、そこに映し出された自らの姿に戸惑った。アフラリでも年に1回しかない陸上競技の選手権なので、「翌日の大会の見どころ」を流していたのだった。

 地元テレビ局がかつての大会でのヴァージンの映像を流していたことよりも、むしろヴァージンに対するコメントがどこか切羽詰っているかのように聞こえてきて仕方がなかった。

(どうして、オリンピックへの道は狭くなっていると決めているんだろう……。明日勝てばいいはずなのに!)

 未だ、その言葉の裏に何があるかを知らないヴァージンは、すぐにテレビを消したのだった。

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