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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
初めてだったはずのオリンピック
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第15話 潰えた夢舞台(1)

 ――カリネスクオリンピック 注目の顔


少しずつ夏が近づいてきた5月、「ワールド・ウィメンズ・アスリート」をはじめとした各専門誌や、テレビ番組がいっせいに夏のオリンピックのスター選手を特集で取り上げるようになった。ある日、午後のトレーニングがオフになったので、久しぶりに街に出たヴァージンは、書店の雑誌コーナーに行き、真っ先に「ワールド・ウィメンズ・アスリート」を手に取り、思わずうなずいた。

(私がいる……!)

 特集のタイトルの真横に、ヴァージンが初めて世界記録を出したときの歓喜に満ちた顔が大きく載っていた。4年前のオリンピックの時には、世界に挑戦すらしていなかったので、わずか数年でここまで成長したことになる。

 ヴァージンは気になって、中身をパラパラと見る。そこにも、女子5000mの本命としてヴァージンが取り上げられており、この1年あまりのレースでのタイムが全て書かれていた。そして「世界記録を狙う力強い足で、本番も盛り上げてくれること間違いなし」などと書かれている。

(本番、私は必ず大きなことをして見せる!)

 心の中でそう呟くと、ヴァージンは自分の顔が表紙に映っている雑誌を4冊全て手に取って、いそいそとレジに向かった。ヴァージンの手に何一つためらいの動きはなかった。


 自らが、数カ月後どのような状況になっているのかを知らずに……。


「やっぱり、雑誌を大人買いするんだね」

 それから数日後、この日はアカデミーのトラックで、スポンサーであるウォーターサプリの新しいプロモーションを撮影することになっていた。やや早めに練習を切り上げ、ロビーで待っていた代理人ガルディエールのもとに向かうと、どこからその噂が漏れたのか知らないが、早速ガルディエールにそう言われた。

「勿論です。私も、ここまで取り上げられるようになって嬉しいですから」

「そうか……。じゃあ、必ず期待に応えてくれるね。オリンピックでは」

「はい!」

 ヴァージンが大きくうなずくと、やや遅れるようにしてガルディエールも軽く微笑んだ。

「いま、国際オリンピック委員会に君の走りをプレゼンしているところだ。今のところ、委員の手ごたえはいい。だけど、この前言ったように、絶対に負けてはいけない相手がいる」

「ウォーレットさんですか」

「正解」

 ガルディエールは、何かを感づいたのか、ヴァージンの質問にきわめて手短に答えた。そして、すぐにヴァージンの手を取って、ロビーから再び外に出た。

「どうしたんですか?」

「まずいことになった。今回のプロモーション、どうも……」

 ガルディエールは、できる限りヴァージンにしか聞こえないように小声で話し始める。だが、その声は他のアカデミー生がトレーニングに励んでいる中でかき消されてしまった。

 そして、ヴァージンがふと首を出口の方に向けると、見覚えのある顔が飛び込んできた。

(うそ……)

 ウォーターサプリのプロモーション担当に並んで、茶髪の青年が遠くの方に立っていた。その青年の表情に、ヴァージンはすぐに顔の向きを元通りにすることができなかった。

「ヴァージン、やっぱり君も気になるんだね」

「勿論です……」

 幸いにして、青年の方はまだヴァージンとガルディエールの姿には気が付いていない様子だ。だが、ヴァージンの目にちらちらと入る青年の顔の向きは、間違いなくこちら側に向いていた。


 彼こそが、ヴァージンをクライアントにするかで最後まで対決した相手、フェアラン・スポーツエージェントの代理人、ストレームだった。

 最後の最後で、ヴァージンをガルディエールに取られた屈辱が、心なしか放たれているように映った。


「ヴァージン。ちょっと、これだけは忘れないでくれ」

「どうしたんですか」

「君は、もしかしたらストレームを代理人にしたいと思っていたのかもしれない」

「えぇ……。でも、ガルディエールさんの方が、いろいろ仕事してくれて、頼りになります」

 図星を言われ、ヴァージンは軽く身を震わせた。だが、すぐに表情を落ち着かせて言葉を続けた。

 ヴァージンが言い終わると、ガルディエールはゆっくりとうなずき、再び口を開いた。

「そう言ってくれると助かるよ。でも、もしかしたらストレームに対して未練はあるのかもしれない」

「ありません」

「そうだといいんだけどね……」

 そこまで言うと、ガルディエールはいったん言葉を止めて、ストレームを睨みつけた。そして、力強く言った。


「ストレームは、先月からモニカ・ウォーレットの代理人になったんだ」


(ウォーレットさんの……!)

 ヴァージンは、ガルディエールから告げられた真実に軽く息を呑み込んだ。たしか、フェアランで面接を受けた際には、ストレームはメドゥの代理人をしていたはずだった。そんなストレームが、ウォーレットの最近の成長を買って、面倒を見る長距離選手を鞍替えしたことになる。

「驚いているようだね、ヴァージン」

「えぇ……」

 ヴァージンは、何も言えないままかすかにうなずいた。その目から見えるガルディエールの目は、まだストレームを睨みつけていた。

「気持ちは分かる。けれど、君の憧れは、時が経って君の最大のライバルになった」

「ライバル……」

「そう、ライバルだ。選手だけじゃなく、それを支える全てだって、君のライバルになりうる」

「分かりました」

 ヴァージンは、はっきりとそううなずいた。すると、待ちかねていたかのようにウォーターサプリのプロモーション担当がゆっくりとヴァージンのほうに近づいてきた。ストレームもほぼその横に沿うように近づいてきた。

「お久しぶりです」

 ヴァージンが、プロモーション担当に軽く挨拶すると、ガルディエールも同時に挨拶した。すると、プロモーション担当者はヴァージンの手を取り、軽く握手し、すぐに今回の企画書をヴァージンとガルディエールに手渡した。

 ガルディエールの背筋が凍るような気が、ヴァージンにははっきりと伝わった。

「先日、ガルディエールさんと打ち合わせしたところから、少し企画を変え、対決形式にしました」

「対決形式ですか……。なるほど。分かりました」

 ガルディエールが、すぐに言葉を返す。どういうことが起こってしまったか、ヴァージンにはすぐに分からなかった。

「どういう対戦形式ですか?」

「これから説明します。今日、グランフィールドさんが本気で勝負に挑む姿を撮影します。そして、後日ウォーレットさんの同じ姿を撮影します。そして、左右に二人の姿を並べて、最後に『ウォーターサプリを飲んだ二人、オリンピックで勝つのはどっちだ』みたいな感じで終わろうと思っています」

 得意げに話すプロモーション担当。その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ヴァージンは喜びの表情を浮かべて言った。

「ワクワクします!こんな形で、最近のライバルと勝負できるだなんて!」

「そう言ってくれると助かります。じゃあ、準備ができたら、スタッフにお声掛け下さい」

「はい」

 ヴァージンは大きくうなずいて、慣れ親しんだトラックへと向かった。途中で振り返ると、そこにはガルディエールとストレームがともに腕を組んで立っていた。こういった企画であるにもかかわらず、二人とも互いに目を合わせようとしないのが、ヴァージンの目にもはっきりと分かった。


 撮影は、まずヴァージンがトラックの脇でウォーターサプリをおいしそうに飲む姿から始まり、トラック上で軽く調整しているシーンが続いた。そして、レーシングトップスに着替えてスタートラインに立ち、本気で2周走っている間に正面や横など複数の映像が撮られたのだった。


「今日はどうもありがとうございました。グランフィールドさんは、いつも走ることに熱心なので、すぐに本気の姿が撮れてうれしいです」

「こちらこそ、ありがとうございます。ウォーレットさんと勝負しているCM、早く見たいです」

「分かりました。たしか、6月ぐらいから流すと思いますので、ぜひ見て下さい」

「えぇ」

 そう言うと、プロモーション担当はスタッフを引き連れて建物の中に入っていった。追いかけるようにしてストレームもトラックから出ていき、後には、ヴァージンとガルディエールだけが残された。

 ふと、ヴァージンはガルディエールに振り向いた。企画の内容を告げられた時以上に、その表情には重苦しさがあった。

「ガルディエールさん、どうかされたんですか」

「いや、戦略を練っているだけだよ」

「そうですか……」

 ヴァージンは、静かに言葉を返した。だが、ガルディエールは考えているというよりも、むしろ思いつめているような表情に見えた。ヴァージンに対して言わなければいけない情報を、いつ言うか悩んでいるようだ。

(ガルディエールさん、いったい何を考えているんだろう……)

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