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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
初めてだったはずのオリンピック
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第14話 その可能性はあまりに小さく(1)

 アメジスタからオメガに戻ってきた次の日の朝には、ヴァージンの姿はセントリック・アカデミーのトレーニングルームにあった。ヴァージンが受付の前を通った時には、たまたまコーチ控室にマゼラウスが不在だったので、まずは自主トレからスタートした。

 程なくして、ヴァージンの気配を感じたマゼラウスがトレーニングルームを覗き込んだ。ちょうどダンベルを持ち上げているときだったので、ヴァージンはダンベルを持ったまま腕を下に降ろして、マゼラウスを見た。

「お、久しぶりだな。言った通り2週間で戻ってきたか」

「あ、コーチ。おはようございます。戻ってきました」

「そうか。向こうでは、何か楽しいことはあったのか」

 マゼラウスは、アカデミー入所契約を結ぶときに訪れただけだが、アメジスタとはどういう国なのかその時に身をもって体験している。マゼラウスは、その時に見たアメジスタの風景を思い浮かべながら、ヴァージンに尋ねた。

「いろいろありました。後でお話ししなきゃいけないこともあるのですが……」

「そうか。で、向こうではトレーニングはあまりできなかったと思われるから、今日から数日間は世界記録を出したときのヴァージンの姿を取り戻す、ということを重点的にやっていこうと思う」

「分かりました」

 たしかに、アメジスタにいる2週間で、10kmトレイルランニングをはじめとして走りこみをほぼ毎日欠かさず行っていたが、祖国にはトレーニングマシンなどあるわけなかった。ヴァージンがアカデミーに戻ってまずトレーニングルームに立ち寄ったのも、そのためだった。

「じゃあ、とりあえずいつもの室内トレ終わったら、また私に声をかけてくれ。400m×10周のあと、今日はスペシャルメニューを用意している」

「はい」

 そう言うと、マゼラウスはゆっくりと後ろを向いて、忙しいのかコーチ控室に戻っていった。だが、トレーニングルームを出るときに、マゼラウスは思い出したかのようにヴァージンのほうを向いて表情を緩めた。

「お土産は、あるよな」

「お土産……」

 ヴァージンは、再びダンベルを持ち上げようとして、思わず動きを止めた。これまで数多くの国に遠征に行っているが、レースとその結果のことが頭を離れず、空港などで土産物を買ったことすらなかった。

「ないのか、アメジスタの土産は」

「……すいません。そこまで気が回らなくて」

「ヴァージンも、もう19歳だろ。遠くに行くとき、上の人に土産物の一つ二つ買ってくるのは、全世界共通のルールだと、私は思うぞ」

「すいません……」

 ヴァージンは、それ以上何も返すことができなかった。だが、マゼラウスはゆっくりと言葉を続ける。

「まぁ、今回はしょうがないな……。それに、別に気にすることはない。ヴァージンに心遣いがあるかどうかだけの話だからな。まぁ、アメジスタの名産品、いつか私にくれよな」

「分かりました」

 そう言うと、マゼラウスは今度こそトレーニングルームを出ていってしまった。

(土産物……)

 ヴァージンは、ダンベルを下に降ろして、わずかの間土産物になりそうなものを思い浮かべた。だが、グリンシュタインでお菓子すら買ったことのないヴァージンにそれを思い出させるのは、あまりにも酷であった。

 そして、その瞬間後ろにライバルの気配を感じた。背後に目をやると、黒のツインテールの髪がヴァージンにその軽々とした動きを見せている。

「グラティシモさん、おはようございます。いつからいたのですか?」

「さっきからいたわよ。ヴァージン、帰国したのにマゼラウスに土産一つ買ってなかったって?」

「聞こえてしまいましたか……」

「勿論。というより、私もヴァージンが何を買ってくるか気になっていたわよ。アメジスタなんて、遠征でもまず訪れることがない国なわけだし」

 そう言うと、グラティシモは自分に右の人差し指を向けて、腰に手を当てた。

「で、ライバルの私には買ってきているのよね」

「すいません。グラティシモさんのも買ってないです……」

 ヴァージンは、グラティシモに軽く首を下げた。

「やっぱり、言い方がそうぽかったものね……。でも、いつかは私の分も買ってきてちょうだい。何と言っても、私は自称、土産物コレクターだから」

「土産物コレクター?」

 オメガに生活の拠点を移してから、ネットのニュースなどでよく目にするのが、特定の何かを必死に収集する、いわゆるコレクターの紹介だ。ヴァージンたちが勝負のために日々トレーニングに集中するのと同じくらい、彼らの収集熱も熱いらしい。

 だが、そういうコレクターが身内にいるなど、ヴァージンには思いもしなかった。

「グラティシモさんも、そうだったのですね……。ちょっと意外でした」

「あら、そう?でも、走ること以外に何か趣味を持たないと、私は人間やっていけないと思うけど」

「そうですか……」

 ヴァージンは、やや息を呑み込み、その後軽くうなずいた。それを見て、グラティシモは再び歩き出した。

「じゃあ、私はトレーニングに戻る。やっぱり本業はこっちだし」

「えぇ」

 そう言うと、ヴァージンも再びダンベルを持ち上げ、これまでよりも激しく上下させた。


(私も、何か一つ趣味を持った方がいいのかな……)

 室内トレーニングが終わり、トレーニングルームを出たヴァージンの脳裏に、ふと先程グラティシモが言ったことが頭をよぎった。世界一貧しい国アメジスタでは、多くの人が生きることに精一杯でライフワーク以外の趣味を考えることができなかったに違いない。ヴァージン自身も、とにかくライバルに打ち勝つためにその全てをトレーニングに捧げてきたといっても過言ではない。

 ただ、グラティシモがあのように言っていたことが、どうしても引っかかる。トレーニングだけでは、いつか人間がダメになるというのだ。ヴァージンは、軽く息をついて、自分の好きなことをいくつか考えてみた。

 けれど、陸上が好き、以外の言葉が出てこなかった。


「コーチ、室内トレ終わりました」

「終わったか。なら、ちょっと来い」

「はい」

 室内トレーニングが終わったら、400mの走り込みだったはず、とヴァージンは疑問に思いつつも、やや速足でマゼラウスの机に向かった。

「私のところに、何やら菓子折が届いているのだが、これ、何だか分かるか?」

「……っ!」

 菓子折の箱が蓋を開けた状態でマゼラウスの机の上に置かれている。中の菓子がどこのものなのか、あまり高級菓子を口にしないヴァージンには全く想像することができなかった。だが、蓋に描かれた大草原の絵柄を見て、ヴァージンは思わず息を呑み込んだ。

「まさか、ヴァージンのお父さんの方が、気の利く人間だとは思わなかった」

「そんな……。父さんが……」

 アメジスタからの直行便は週に1便しかないため、この菓子折も明らかにヴァージンと一緒にオメガに渡ったことになる。

(そう言えば、実家を出るときに父さんが言ってたような気がする……)

 ヴァージンはようやく思いだし、菓子折りの蓋に貼りつけられていた添え書きに目をやった。


  これは、ヴァージン・グランフィールドの普段の感謝の気持ちです。

                             代弁 ジョージ・グランフィールド


「父さん……」

「まぁ、あくまでもヴァージンの気持ちだと受け取っておこう。この芋タルト、おいしく頂くぞ」

「えぇ……。私も食べた時に、おいしいと思ったお菓子ですし」

「そうか。あと、グラティシモも土産物コレクターだったから、練習が終わった後にでもここに立ち寄るよう、ヴァージンから言ってもらうと嬉しい」

「分かりました」

 ヴァージンがそう言うと、マゼラウスは菓子折りと一緒に届いた封筒に手を伸ばし、そこに入っていた便箋に手を伸ばした。これもまた、ヴァージンが見覚えのある、ジョージの字だった。

「コーチに対するお礼の手紙ですか?」

「そうじゃないようだ。ちょっと困った問題がある」

 そう言うと、マゼラウスは便箋の中ほどに右の人差し指を置いた、ヴァージンもその人差し指に目をやった。

「アメジスタには、ヴァージンを推薦してくれるオリンピック委員会がないそうだな」

「えぇ。私も、アメジスタでそう言われました」

「なら、オリンピックに出場できる可能性が薄いということも分かっているな」

「分かってます。難しい話になるから、コーチとかガルディエールさんに聞こうと思っていました」

 ヴァージンは、若干下を見つめたまま、マゼラウスに言葉を返した。

「そうか。で、君のお父さんがこう書いている。今やアメジスタで生まれた輝く一番星を、全世界が注目するスポーツの祭典に何とか出させてほしい、とな」

「お願いします……」

「出たいんだな。オリンピックに」

「はい」

 ヴァージンは、ここではっきりと返事をする。すると、マゼラウスはゆっくりと言った。

「私でも判断がつきかねるから、代理人に相談した方がいいのかもしれないな」

「えぇ……」

「私は、あくまでもトレーニングや本番に向けてのケアのプロフェッショナルだと思っている。やはり、君が代理人について行く以上、私はこの件については深く立ち入らないことにする」

「分かりました……」

 もともと、やや首を下に垂れていたヴァージンは、自然と首を持ち上げていた。ガルディエールという最後の希望に、全てを託すように。

「とりあえず、ヴァージンよ。さっき言った通り、400m×10、始めようとするか」

「はい」

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