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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
国境の壁 そして勝負以前の敗北
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第10話 自分を支える大きな存在(6)

 数日後。

 久しぶりのフォーマルスタイルに身を包んだヴァージンは、オメガ国のほぼ中央に位置する、セントラルシティの街に立っていた。コンクリートの街を、アカデミーとは違い、ゆっくりと進んでいく。

 そして、右手の拳を軽く握りしめ、ヴァージンはガラス張りの建物の中に入った。ここが、世界でもトップクラスと言える代理人の集う、フェアラン・スポーツエージェントの入る建物だ。

(緊張する……)

 2度の世界記録を叩き出しているとはいえ、建物の中の機械的な空気の中で、ヴァージンはレース前とははるかに比べ物にならないほどの緊張感に溢れていた。イクリプスの本社屋の入口にあったような、思わず手を伸ばしたくなる製品の数々を見ることはなく、灰色に近い白の壁がどこまでも続いていく、そのような空間だった。

 ヴァージンが、もしここを全速力で駆け抜けるとすれば、ものの10秒もかからない。だが、24階でエレベーターを降りてから、フェアラン・スポーツエージェントのドアまでの道のりは、あまりにも長く感じた。

 そして、一呼吸おいてドアを叩いた。

「どうぞ」

「失礼します」

 ヴァージンは、オメガ語で丁寧にそう返し、ドアを開く。すると、そこにはフェアランの疾走感あふれるようなトレードマークが茶色の壁に刻まれていた。

「2時から面接に伺いました、ヴァージン・グランフィールドと申します」

「こちらへどうぞ」

 ヴァージンは、係員の案内と共に奥の間に案内された。そして、パイプ椅子に座るよう言われ、ヴァージンが腰を掛けると、ほどなくして見覚えのある人物がヴァージンの前を横切った。

(ストレームさん……)

 茶髪の男性が、ゆっくりと髪を揺らしてヴァージンの前を通り過ぎる。ほんのわずか、目が合うなり、ヴァージンは「よろしくお願いします」とだけ言ったが、その時にストレームの表情が軽く緩むのをはっきりと見た。

 この男性こそ、メドゥや様々な有名選手をクライアントに持つ、トップクラスの代理人だ。先の大会で、既に名前は言っている。あとは、どれだけヴァージンが気に入られるかだった。

 ヴァージンは、ゆっくりとうなずいた。


 そして、面接の準備が整うと、ヴァージンは部屋の中に案内された。先程と同じようにノックすると、今度はストレームではない、高い声を持つ男性が彼女を中に通した。

「失礼します」

 そう言って、滅多にそういう場には姿を現さないヴァージンが、堅苦しい面接の場に立ち入った。

(空気が……張りつめている……)

 イクリプスのスポンサー契約の時には、曲がりなりにもシェターラと一緒に面接の場に進んでおり、またそれ以外のスポンサー契約の際も、ここまで重苦しい雰囲気の場所に通されることはなかった。だが、商品ではなく人間そのものを扱うスポーツエージェントの、その面接の場は尋常ではなかった。

 何よりも、面接者の側に椅子がない。

(どうしよう……)

 レースが始まれば、自然と失われていくはずの緊張感が、この日に限ってレースがスタートしても収まる気配がない。むしろ、時間が経てば経つほど、その緊張感が彼女の自慢の右足を苦しめる。

(立ってられない……)

 ヴァージンがめまいすら感じたその時、5人並んだ面接官の中央にいたストレームが、ヴァージンに軽く声を掛けた。

「緊張してるんですな?あまり緊張なさらん方が……」

「はい……」

 そう言って、ヴァージンはようやく面接官の表情をまじまじと見つめることができた。だが、すぐに左端の面接官の声がヴァージンの胸に響く。

「では、名前と、自分の最大の魅力を一言で語ってください」

(一言で……)

 アカデミーでの練習が終わった後に、マゼラウスと何度も相談し、ヴァージンは自己PRを用意していたつもりだった。だが、一言で自分を言い表すことなど、これまで経験したことがなかった。

 勉強が不得意だったヴァージンに、言葉を組み立てる能力など身を持ってあるとは言えなかった。だが、ここは言うしかなかった。

「私は、ヴァージン・グランフィールド。……陸上長距離を専門とする、……セントリック・アカデミー所属の……アスリートです」


 言葉が途切れ途切れになってしまっていた。

 五人の目が釘付けになる中で、その後の彼女自身の魅力を考えることすらできず、言葉が凍りつき出した。

 しかし、その時、ヴァージンの脳裏にマゼラウスの声が響いた。

 ――諦めるな!自分の全てを出せ!ほら!


(コーチ……)

 ヴァージンは軽くうなずいた。そして、静かに言った。

「私の最大の魅力は、勝負に懸ける熱い想いです」

「熱い想い……!」

 すぐにストレームが大きくうなずいた。すると、周りの面接官も口々にヴァージンに言う。

「たしかに、その通りだな」

「その熱がなければ、世界記録を再び叩き出せないだろう」

「ありがとうございます」

 その瞬間、場の雰囲気が一気に和むのをヴァージンははっきりと感じた。面接官の表情が緩み、緊張した化石のような人間ではなく、あのワールドレコードを2度も叩き出した若きアスリートと「会話」しようと、笑顔すらヴァージンの側に見せていた。

 そして、ようやくその場が静かになった時、ストレームは言った。

「君が、女子5000mの舞台で、いま一番輝いていることは、誰もが知っておる。ここにいる5人のエージェントの誰もが、本当のことを言うと、君を欲しがっている」

「本当ですか!」

「さよう。ただここからは、誰が君と二人三脚で歩いて行ける代理人かどうか、決めなければならない」

「えぇ。私は、アレクシス・ストレームさんに付いて行こうと考えています」

 ヴァージンはすっかり緊張が解け、ストレームに直球勝負でアピールした。

「どうしてそう思ったのだね」

「はい。ストレームさんは、クリスティナ・メドゥさんのパートナーであり、偉大な記録を持つ彼女を支える、素晴らしい能力があると考えたからです」

「ほぅ。私のどういうところが、素晴らしい能力だと思うのかね」

「はい。私は、イクリプスとスポンサー契約を結んでいますが、イクリプスのメドゥさんが出てくるCMや広告を見ると、彼女が世界最速の長距離アスリートであることを活かしているように思えるからです」

(……言ってしまった)

 適当とは言わないが、ヴァージンは言葉を用意していなかったために、途中から何を言っているのか分からなくなってしまった。だが、彼女のその言葉で、ストレームは軽く笑いながら口を開いた。

「そう言ってくれるのであれば、私はヴァージンに生涯4000万リアの価値を与えることができる!大会での賞金、スポンサー料、それに様々なイベントへの招待。ヴァージンの価値が、このままでいいわけがないと、私は思うのだが」

(え……?)

 ヴァージンは、思わず口を閉じた。いきなり何の突拍子もなく、お金の話が生まれてきたのだ。しかも、ヴァージンが初めて世界と戦ったときにアメジスタの心ある市民から頂いたお金の2万倍の金額を提示され、ヴァージンは困惑した。

 しかし、そうストレームが言いきった瞬間、彼のすぐ右にいた黒髪の、落ち着いた表情の男性が、飛びつくように立ち上がった。男性の名は、ディオ・ガルディエールと言い、ヴァージンも代理人名鑑で目にしたことのある、有名な代理人だ。

「私は、生涯6000万の価値を約束します!」

「6000万?どういうつもりですかな」

「えぇ。グランフィールドさんの実戦の間隔をもっと調節してみせたり、スポンサーもランクを上げ、少しでもキャッシュフローが入ってきたりするように、私はしてみせます。具体的な計画は既に持っています」

「じゃあ、私は……」


(いったい何を言ってるの……)

 ヴァージンは、自らの目の前で代理人たちが騒ぎ出すのを、首を左に右に回しながらじっと見つめるしかなかった。ヴァージン自身のことなのに、それ以上言葉が出ない。たった一人のアスリートの価値を巡って、世界のトップクラスの代理人が引っ張り合ってしまっているのだった。

(自分が、いまこんな状況だったなんて……)

 ヴァージンは、息を飲み込んだ。そして、言った。

「私は、ストレームさんに、価値を高めて欲しいと思います」

 だが、ヴァージンの言葉が終わると同時に、ストレームは首を横に振った。

「私の負けだ。今のところは」

(え……)

 ヴァージンは、思わず動きを止めた。自らの代理人に、この建物に入る前からストレームと決めていただけに、ストレーム自身の返事はあまりにも非情だった。

「私では、今のヴァージン・グランフィールドの価値を最高にすることは……できない。生涯7500万リアと言われてしまってはな……」

「はい」

 すると、その横からガルディエールが優しそうな表情でヴァージンに語りかけた。

「私は、君を全力で応援するよ」


(きれい……)


 黒髪の額に、笑顔が冴えわたる。ウィンクしたときのガルディエールの眩しい表情に、ヴァージンは釘付けになった。

 彼には、ヴァージン・グランフィールドというアスリートの力を高める可能性がありそうだと。


「私、ガルディエールさんに……ついていきます」

「ありがとう。君を、大事にするからさ」

 18歳のヴァージンと、代理人の世界では若手と言える32歳のガルディエール。二つの右手が、がっしりと結ばれた。ヴァージンにとっては、想定外の展開とは言え、これから新たなパートナーとなる彼に、今は信頼感しか浮かばなかった。


 だが、好調だったはずのヴァージンが、立て続けにどん底に落とされることなど、この時の彼女には思ってもいなかった。

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