夢を持つすべての人へ~あとがきに代えて~
まず、私が築き上げたストーリーをここまで読んで頂き、感謝します。
この本は、もともと父ジョージ・グランフィールドが、トップアスリートとして生きた私の言葉の数々を紹介するというものでした。ところが、私がその言葉の裏側に込められた思い出話を伝える中で、父の気持ちが変わりました。
「じゃあ、ヴァージンの20年ものアスリート生活を、1冊の本にしよう!」
父が手を叩いてそう告げた時、私も一緒になって喜びました。
勿論、20年間の全てを文章にすることがどれほど大変か、私も、ずっと文筆業に携わってきた父でさえも分からないままの決断でした。
ようやく実家にも入ったパソコンに、私が話した言葉を父が入力するのですが、私も父も思うところがいくつもあって、ここは入れたほうがいいとか、入れないほうがいいとかで、なかなか先に進みません。
結果、もうすぐ40歳の誕生日を迎える今になって、完成しました。引退から3年以上経ちましたが、あの夢のような20年間のことは、いつまでも昨日のことのようで、記憶が薄れることはありませんでした。
私の名前が愛称になった、アメジスタ最大の陸上競技場「グランフィールド」。
私がトラックを去った世界競技会の後も、年に一度、アウトドアシーズンの終盤に国際陸上機構公認の選手権が開催されています。
引退した年は、単に「グリンシュタイン選手権」としか呼ばれませんでしたが、世界記録が出やすいスタジアムという噂が広がって、次の年から「グランフィールド・レース」と呼ばれるようになりました。
11月か12月の開催にしてはものすごく快適な気候というのもあります。それでも、毎年多くの世界記録が生まれる大会になると、私も思っていませんでした。
この「グランフィールド・レース」、「世界記録に挑むための大会」という位置づけでエントリーしている選手もいるくらいです。今や、私に代わって長距離の女王になったウィンスター選手も言っていますので、トップアスリートの中では常識なのでしょう。
それどころか、この大会で世界記録を更新した選手には、スタジアムのスポンサーになった多くのアメジスタ企業から特別な賞金を贈られます。見せる側も、見る側も特別な大会。世界記録を43回も更新した私の名前は、レースの愛称でも語り継がれていくのだと、大会の時期を迎えるたびに感じます。
引退後の私生活についても、簡単に触れます。
引退の翌年には、イリスとの間に新しい命を授かりました。男の子です。
私とイリスが数秒で決めた、「アスリートに育てよう」という目標のもと、子供には生まれたときから英才教育を受けさせています。
自宅のテレビで、イリスが走る映像と、それよりもはるかに多い数の、私が走る映像を見せています。
まだ2歳ですが、「On Your Marks……」が口癖になっていますし、「WR」の意味も知っているようです。
ためしに、子供にこう聞いてみました。
「走っている姿、パパとママのどっちのほうがカッコいい?」
私が尋ねているからかも知れませんが、この質問には「ママのほうがすごい」と答えてくれます。理由は、あれだけ離されていても負けないから、だそうです。
そして、一緒にイリスのレースを見に行った時は、ものすごく興奮していました。間違いなく、私やイリスと同じ道を夢見ることでしょう。
私の子供が独り歩きできるようになったので、今年「グランフィールド」で少年・少女向けの陸上教室を開きました。
勿論、夢を持った子供たちを応援し、いつか世界に挑む後押しをするためです。
実際、陸上教室に集まってくる生徒たちは、楽しそうです。
勝ったら嬉しい。負けたら悔しい。
私も、最初の頃は純粋にそういう気持ちだったことを思い出しながら、出来る限り生徒たちを褒めています。
「ライバルの背中を追いかけて、追いかけても届かなかったら、スタートラインからもう一度走り出せばいい」
私は、陸上教室の生徒たちにそう言っています。追いかけることが楽しくなくなったら、トラックに立つ意味もないし、気持ちだってパワーにつながっていかないですから。
世界記録という光を追い続けるようになっても、変わらなかったのですから。
陸上教室の生徒からも、親御さんからも、それどころか世界中のファンからも、最近よく言われます。
「グランフィールド選手がトラックを走る姿を、もう一度見たい」
私は、たしかにトラックを去りました。
しかし、子供たちが走る姿に勇気づけられて、走りたいという気持ちが沸き上がってきます。それは、たった数年トラックを離れただけでは忘れることのできない、アスリートの本能というものです。
ここだけの話、私ももう少ししたら、もう一度何かしらの形で勝負の舞台に立ちたいと思っています。
先日、自宅の400mトラックを数年ぶりに本気で走ったら、5000mで14分12秒73というタイムでした。世界競技会などの参加標準記録は余裕でクリアしていたはずです。仮にトップの大会に出場できなかったとしても、年代別の大会とか、世界にはいくらでも挑む舞台があります。
私はまだ、走ることができます。挑むことができます。たとえ、第一線から退いたとしても。
最後に、私から一番伝えたかったことを書いて、この本を終わりにしようと思います。
それは、夢を見ることが決して無意味ではないということです。
私は、勉強そっちのけで「世界のライバルと戦いたい!」と動き続けて、気が付けばその夢をはるかに超えるアスリートに育ちました。私は世界のライバルだけではなく、自らの世界記録とも戦い続けました。
けれど、たとえ夢を持っていても、それが現実には叶わなかったという人が圧倒的に多いと思います。経済的な理由、体力的な理由、その他にもいろいろな障壁が現実にはあります。そして、叶わなかった夢を前にして、こう思うことでしょう。
「夢を見ることは、無意味だった」
果たして、そうなのでしょうか。
一度夢を見たら、その夢に向かって、ほんの少しでも頑張ったことだろうと思うのです。その努力は、決して無駄ではありません。
スタートラインに立って、夢を実現するための勝負をしたこと。それは、スタートラインに立たずに諦めることよりも、何十倍も、何百倍も価値のあることだろうと思うのです。そして、それは次の夢に向かって走り出すときでさえ、力になるはずです。
私の走る姿が、「ヴァージン・グランフィールド選手のようになりたい」と夢見る人をどれだけ生み出したか、私にも正確な数は分かりません。けれど、ひとつの夢が新しい夢を呼ぶことは、間違いないはずです。
夢のきっかけは、こんなにも身近に溢れているのですから!
「世界記録のヴァージン」という本は、ここで終わりになりますが、夢の力は永遠だと思います。
この本をきっかけに、夢の力を信じる人が増えてくれることを願って――。
みんな、みんな、ありがとう。
ヴァージン・グランフィールド