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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
アメジスタのレコードブレイカー ラストラン
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第80話 女王凱旋(7)

 地元・アメジスタで優勝を飾ったヴァージンに対する祝福は、彼女がフラッグを翻してスタジアムを駆け抜けてもやまず、女子5000mの表彰式まで続いた。とりわけ、表彰式で国旗掲揚ポールの中央にアメジスタの国旗が上がった時、そこに集う誰もが、目線をアメジスタの国旗に向けたまま言葉が出なかったくらいだ。

(アメジスタのみんなは、つい数年前まで、ほとんど私の走るスタジアムに行けなかった。でも、私は表彰式でアメジスタの国旗を見上げたり、本番用のウェアを見たりするときに、アメジスタでみんなが応援しているって思ってきた……)

 世界一貧しい国だったはずのアメジスタは、今や世界最大の陸上競技場を作り上げ、高層マンションなど世界に近づこうと様々なものがアップデートされていく。その成長とともに、一人のアスリートが世界記録を破り続けながら駆け抜ける。同じ国旗の下で一つにつながっていることは、疑いようがなかった。

 ヴァージンは、表彰台の一番高いところで、声にならない声をその国旗に届けた。

「私は……、これで終わり……。でも……、アメジスタという私の大切な国は、これからもずっと続く……」

 グリンシュタインの空を流れる風が、国旗を前に後ろに翻していく。そこには、終わりはなかった。

 トラックを去るアスリートと、それをずっと見守ってきたアメジスタが、彼女の中でコントラストとして描かれていることに気付いたとき、彼女の目には早くも涙が溜まっていた。

 だが、ここで泣くわけにはいかなかった。まだ、引退セレモニーがあるからだ。


「以上を持ちまして、グリンシュタイン世界競技会が閉幕となるわけですが……」

 表彰台からヴァージンが下りた瞬間、視界がやや低い声でスタジアム全体に告げる。ヴァージンの勝利に酔いしれている観客は、誰一人として席を立とうとしない。

(私は……、引退セレモニーの中身を何一つ知らされていないし……、トラックに原稿を持っていけないから、アドリブで話すしかない……。どうしよう、何も考えていない……)

 少なくとも、昨年、この大会がアメジスタ国内で開催されることが決まった日の翌日にヴァージンが行った引退会見とは、目の前で待っている顔ぶれも、雰囲気も全く違う。つい20分前まで、「世界レベル」の戦いで盛り上がっていたスタジアムの余韻が収まらないところで、彼女は何かを話さなければならない。

(いつになく、緊張する……)

 ヴァージンが、心にそう言い聞かせた時、表彰台に代わって、小さな台がヴァージンの前にセットされた。

「これより、アメジスタが生んだスーパーアスリート、ヴァージン・グランフィールド選手の、引退セレモニーを行います。皆様、大型ビジョンにご注目下さい!」


 スタジアムの照明が消され、スタンドから俯瞰した映像が一冊のアルバムの画像に変わった。

 そのアルバムが、1枚めくれる。

(アメジスタで、こんな映像技術を持っている人がいなかった……。グローバルキャスが作ったかもしれないけれど、アメジスタの映像技術だって、世界に追いつこうとしている……)

 ヴァージンは、大型ビジョンをじっと見つめていた。アルバムの最初のページに、筆ペンで文字が書かれ始めた。


――もうこれ以上、アメジスタを弱いなんて言わせない。

――私は、世界一貧しいアメジスタの全てを背負って、世界を相手に戦いたいんです!


(この言葉が、私のアスリート人生の原点……)

 「夢語りの広場」で語った時の映像は、残っていない。ただ、そこで彼女の決意を聞いた誰かが、その後世界で活躍する彼女を見て思い出したに違いない。それが、あの時の言葉の強さと言ってよかった。


 続いて、ヴァージンが初めてジュニア大会で優勝した時の映像。その日、世界で誰よりも早く5000mを駆け抜けたヴァージンに、世界が讃える姿を映し出し、その上から再び文字が描かれる。

(ザツ・アメジスタ……。つまり「これが、アメジスタの力」……。アメジスタが弱くないって、証明した……)

 さらに、メドゥやグラティシモといった、女子5000mでトップを走っていた顔が浮かんでは消え、それを突き抜けるように、画面の左から右へとヴァージンが駆けていく。もう、どのレースだかは、彼女には分かっていた。


――14分19秒38 WR

――そこから、ヴァージン・グランフィールドの代名詞が始まる。


 次々とヴァージンが駆け抜けるシーンと、スタジアムの熱狂が交錯する中で、記録計の数字に喜ぶヴァージンの姿が何度も映し出された。それが、彼女の成長の、何よりの証だった。


――世界記録は、彼女にとってただの通過点で、次の記録を打ち立てるための原動力。

――次の場所を照らしてくれる、光。


(どんどん、最近の記録に近づいてくる……。もう「フィールドファルコン」を履いているし……)


――人間に、限界はない。記録を破り続けることで、彼女は世界じゅうの人々にそれを伝えてきた。


 そして、最後にこの日のレース。ウィンスターを3年ぶりに破った瞬間の喜びと、スタジアムの大歓声が流れた。たった数分のクリップに、彼女の全てが刻まれていたといってよかった。


――打ち立てた世界記録の数:43

  更新した女子5000mの世界記録:34秒79

  更新した女子10000mの世界記録:29秒16

  それが、ヴァージン・グランフィールドが見せた、夢の力――。


(20年間の……、私のアスリート人生がうまくまとまっている……)

 ヴァージンは、こらえきれなくなった涙を流し始めた。そこに、係員から「どうぞ」と告げられ、彼女は壇上に上がった。

 アメジスタをこれほどまでに眩しく照らすスタジアムの照明が、一斉にヴァージンに向けられる。そして、つい数十分前に聞いた応援歌が、オルゴールの音でスピーカーから流れてくる。

 係員が「自由にお話しください」と、彼女を後押しする。

 ヴァージンは、左右のスタンドを見て、顔を正面に戻し、一度うなずいた。


「ただいま!」


 ヴァージンは、溢れるばかりの笑顔を作りながら、力いっぱい叫んだ。その声にも、スタンドにいる多くの観客が手を振り、それから手持ちのアメジスタ国旗を振った。

「今日……、私はやっと祖国に帰ってこられました……。アメジスタのみんなの前で走れて、ずっと勝てなかったウィンスターさんを抜くこともできて……、そして何より、みんなの喜ぶ顔を間近で見られて……、幸せです!」

 そう言うだけで、ヴァージンの目から涙がこぼれた。力いっぱい言っているつもりが、時々涙声に戻ってしまうのを、ヴァージンも感じずにはいられなかった。

「思えば……、このスタジアムは、私が世界に出ようと決めたときからの……、夢でした。まだ中等学校にいた頃、大聖堂から5000mを走ったところに公園があったのですが、草だらけで……、とても走ることができないトラックがありました……」

 ヴァージンの脳裏に、アルデモードと最初に走ったときのことが蘇る。整備予算が全くなく、荒れる一方だった陸上競技場を目に焼き付け、そこで走ることを夢見た。世界記録を更新したいという夢とは別に、彼女はその夢も背負って走り続けたのだった。

「世界を相手に戦い続ける私を見て、アメジスタのみんなが、同じアメジスタ人の私に期待を寄せ、応援してくれたことと思います。スポーツって、そんな力があると思うのです……。挑んだ相手に、全く勝負にならずに負けたとしても、挑んだ瞬間は少しでもその力を感じると思うのです……」

 ヴァージンは、いよいよ涙を無視して話すこともできなくなった。涙声になるたびに、ヴァージンに向けて「グォ」という、レース中に何度も聞いた掛け声が響く。

「……ですが、私が世界を目指した時、アメジスタにその場がなかった。だからこそ、私はスタジアムを夢見たのです……。世界のライバルが集い、そしてアメジスタじゅうから世界を目指すアスリートが集う……。一人の力で、スタジアムを作れないかも知れないと言われても、私は賞金のほぼ全てを、アメジスタの未来に注ぐことに決めました。アメジスタ・ドリームという基金を募って……、私がアメジスタの走る広告塔になって、支援を呼び掛けてきました」

 ヴァージンは、ここで涙を拭って再びスタンドの左右を見た。

「そして、アメジスタ国内でも中継が映るようになり、私の走る姿に声援を上げる人が増えてきました。いつか、間近で私の姿を見たいという声も、聞くようになりました。……こんなに素晴らしいスタジアムを作れたのは、そういった支えのおかげです」


 ヴァージンの、そしてアメジスタじゅうの夢を形にしたスタジアムから、割れんばかりの拍手が沸き起こる。ヴァージンは一度マイクから口を離して、深呼吸をした。

 アスリートという、夢を形にする存在からの別れを告げる時間が、迫っていた。


「さて、私は……、この最高の舞台で、トラックを去ろうと思います。20年間、夢を追い続けられたこと、世界記録と戦い続けたこと……、そして何より、世界中のライバルと同じトラックで勝負ができたこと……。本当に楽しかったです」

(いよいよ、緊張してきた……)

 ヴァージンは、涙を何とか流さずに、最後まで言い切ることに決めた。ゴールまでの言葉は決めていた。

「こんな私を、ここまで支えてくれたコーチ……、エージェント……、スポンサー……。それに、大切な父さん、お姉ちゃん……、そしてパートナー……」


 その時だった。ヴァージンに名前を呼ばれたかのように、ヴァージンの背後から一人、また一人と姿を現し、彼女前に立った。一気に言おうとしていたヴァージンは、ここで息を飲んだ。

(メドゥさんに……、ブライトンハウスの社長さん……、エクスパフォーマのヒルトップCEO……。父さん……、お姉ちゃん……、イリス……)

 6人と、そしてその背後で言葉を待つ大勢の観客が、「頑張れ」と声援を送っているように見えた。その追い風に乗って、ヴァージンは言葉を続けた。

「遠い国で戦い続ける私を、いつも応援してくれたアメジスタのみんな……。そして、世界中のファンのみんな……。本当に、ありがとうございました!」


 その時だった。

 大型ビジョンに、スタジアムの正面入口が映し出された。

「画面を見てごらん、ヴァージン」

 ジョージが、ヴァージンに優しく声を掛ける。ヴァージンの目が、大型ビジョンと一直線になる。

(像とプレートが映っている……。まだシートがかかっている……)

 それは、完成したスタジアムにヴァージンが足を踏み入れて以来、何度も気になった「未完成」のものだった。世界競技会が終わるこのタイミングで映し出される理由が、ヴァージンには分からなかった。

 だが、数秒後、そのシートが勢いよく剥がされ、ヴァージンは口に右手を当てた。


(グランフィールド……!)


 GRANFIELD――GRinstein, Amazista National FIELD。躍動感が溢れる書体の真新しいボードが、スポットライトで照らされていた。

 そして、その横にはヴァージンにとって見覚えのある像が立っていた。

(私の像だ……)

 それは、ヴァージンのフォトブックを作ろうとしたジョージが、トレイルランニングのコースから道路に出るところで撮った、プロ顔負けの力強いヴァージンの姿だった。


「グリンシュタイン・アメジスタ国立陸上競技場の愛称、グランフィールド。これは、文化省と国内の有識者が全会一致で決めた名前です。人々に勇気と希望を与え続けたアメジスタの英雄、グランフィールド選手の名を、アメジスタが誇るスタジアムの愛称に使うこと。それが彼女の偉業を讃える、最高の方法だと考えます!」


(私がトラックを去っても……、私の名前はスタジアムの愛称として、受け継がれていく……。私の夢は、ここまで大きくなったんだ……)

 ヴァージンは、司会者がそう言い終わると、前に立った6人に向かって「ありがとうございます」と頭を下げた。それから彼女は顔を上げ、左右、そして後ろにまで目をやり、マイクを口に近づけた。


「グランフィールド――私の夢が、こういう形で残ること、私も嬉しいです……。私も、今日走って、ここが世界一のスタジアムだと思いました」

 ヴァージンは、一度うなずいた。声援を抜きにしても、彼女が走った世界のどのスタジアムよりも、走りやすいトラックだということは間違いなかった。

「私や……、この大会に参加したアスリートのように、夢を大事にすれば、きっと叶えられます。私は普通の人間に戻りますが、グランフィールドという、このスタジアムの名前とともに、夢の力を、みんなが信じて欲しいと思います」

 ヴァージンは頭を下げ、最後に「ありがとうございました」と言い切って、壇を降りた。

 その瞬間、いくつもの感情が全ての観客から湧き上がった。涙の溢れるヴァージンに、その全てを聞き分けることはできなかったが、ただ一つ、彼女の心に刻まれた言葉があった。


――未知の世界と戦い続け、不可能を打ち破ってきた君は、世界記録の女王だよ!


 夢に向かって走り続けた陸上女子アスリート、ヴァージン・グランフィールド。

 女王の名は、人々の心に永遠に刻み続けることだろう。


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