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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
アメジスタのレコードブレイカー ラストラン
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第80話 女王凱旋(4)

 アメジスタのリナ・ブラッカと、世界の強豪――エミュット・ハイトウィッチとアゼリア・エノード――が残った女子棒高跳びも、いよいよ5mでの戦いに突入した。ガロンは敗退したものの、これで表彰台にアメジスタの選手が立つことが決まり、グリンシュタインのスタジアムに集まった多くの人々の目がブラッカに注がれる。

 5m、1回目。最初に走路に立ったのは、世界第2位のエノード。自己ベストが5m02cmの彼女は、ここでパスをすれば自己ベストを上回る勝負に立つことになる。

(エノードさんは、ハイトウィッチさんを超えたいはず……。ハイトウィッチさんは、4m95で苦戦していたから、ここで飛べれば優勝にかなり近づきそう……)

 スタンドのヴァージンがフィールドを見つめる中、エノードが走り出し、鋭い踏み切り音と共に高く舞い上がる。だが、次の瞬間スタンドに響いたのは、バーが無情にも落ちていく音だ。

(逆にハイトウィッチさんは、1回目で飛べないと負けが決まる)

 既に4m95cmで2度失敗をしているハイトウィッチ。3回続けて飛べなければ、そこで競技終了となる。女子棒高跳びの世界記録5m13cmを背負う体で、5mも飛べずに負けるわけにはいかないと、その目が訴えているようだ。

 すると、突然ハイトウィッチが手を叩き、スタンドに手拍子を求める、ハイトウィッチが5mオーバーの跳躍に挑む時に、集中力を高めるために見せる「儀式」だ。その儀式が初めてとなるアメジスタ人もいる中でも、棒高跳びの世界女王の跳躍に向け、スタンドが一つになる。その手拍子を踏み台にするような勢いで、ハイトウィッチがマットの手前で飛び上がった。そして、風が駆け抜けるようにクリアする。

(すごい……。4m95のときと、別の選手が飛んでいるような、きれいな軌跡を描いている……!)

 ここでヴァージンは、手を叩きながら選手待機ゾーンに目を向ける。銀髪を軽く揺らしたブラッカが、ハイトウィッチの跳躍を見てうなずいた。これなら飛べる、と自らに言い聞かせるように。

 そして、ブラッカが走路に立つ。アメジスタ人の声援が、再び大きくなる。

(ハイトウィッチさんは、桁違いの存在……。そんな中でも、ブラッカさんは食らいつけるはず。あの目をしていたくらいだから……。まだ、怯えてなんかいない……)

 体を軽く後ろに引き、ブラッカが走路へと飛び出していった。ポールをマットの手前に鋭く突き刺す。

(完璧すぎる……!)

 ヴァージンはブラッカが空に舞い上がった瞬間、その軌跡を追うまでもなく成功を確信した。ブラッカの跳躍には、空中の空気さえ動かしてしまうような力強さが溢れている。バーのかなり上を、彼女は余裕でクリアした。

 スタンドからの拍手がさらに大きくなるが、ブラッカは5mを飛べてもなお、表情を緩めない。ヴァージンには、ブラッカの目が世界女王に挑みたいと訴えているようにさえ感じられた。

(私がメドゥさんに憧れていたのと同じように、ブラッカさんも世界一の存在に憧れている……!)


 この後、5mをただ一人飛べなかったアノードが、3回目まで挑むも、失敗に終わる。そして、勝負のラインは5m05cmに跳ね上がった。

(ここから、どうなっていくんだろう……。少なくとも、スタンドはみんな、ブラッカさんを応援している……!)

 1回目の試技で、ハイトウィッチは体がバーを下回るほどの低空飛行しかできず、ここまでノーミスでクリアしてきたブラッカも初めてバーを落とした。2回目も、ハイトウィッチとブラッカの両者が、右膝がバーに触れて失敗。二人とも飛べない5m05cmに、スタンドがざわついた。

 いよいよ勝負が決まるか、という空気に包まれた5m05cmの3回目の試技。試技順が先のハイトウィッチがパスを告げた。

(ここでパスしても、ハイトウィッチさんは次も自己ベストより低いところを飛ぶ。ブラッカさんを追い込むだけの余裕がある……。もはや、心理戦になっている……)

 同じ高さを飛んだ選手が二人いれば、試技回数の少ない方が優勝となる。実力のある選手が2回目でクリアできなければ、3回目に挑むよりも、パスで追い込んだ方が相手にプレッシャーを与える。ヴァージンは、何度か棒高跳びを見ている中で、自然とその感覚が身に付いていた。

(ちょうど、前を走る選手がスパートをかけるみたいに……)

 ハイトウィッチが3回目をパスしたことで、すぐにブラッカの順番が回ってきた。彼女は、待機スペースでポールを持ち、2回飛べなかった高さのバーを見つめている。10秒ほど見つめて、静かにうなずいた。

 飛ぶようだ。

(ブラッカさんが……、3回目に挑もうとしている……。失敗することは、考えてなんかいないはず……)

 アメジスタ人も、ほかの国から来た観客も、世界女王に挑もうとする18歳の勇気をその目で見つめている。その視線が注がれる中、ブラッカがバーに向かって走り出した。

(ブラッカさん……!きっと、バーを越えられる……!)

 1回目、2回目とは比べ物にならないほどの鋭い音がフィールドから溢れ、ブラッカの体が空を舞う。ポールから手を離して1秒もしないうちに、その体はバーの高さを軽く越えていた。

 きれいなアーチを描きながら、マットまで着地したブラッカは、「よしっ」と言ったような口を見せた。それを、ハイトウィッチが息を飲み込みながら見つめる。

(突き放すつもりだったハイトウィッチさんが、追い込まれた……)

 ブラッカは、5m05cmをクリアしたことでかなり有利な立場になった。おそらく、中継で見ている世界じゅうの人々でさえも感じるような異様な空気が、グリンシュタインのスタジアムに溢れていた。

 逆に、5m05cmで2回失敗し、世界女王エミュット・ハイトウィッチはもう後がない。一度だけのチャンスとなった5m10cmでその空気を跳ね返せなければ、負けが決まる。


 バーが5m10cmの高さに上がった。

 無敵と呼ばれた女王が、ポールを持ち、手を叩く。ハイトウィッチ自身が持つ世界記録まであと3cmとなる中、彼女はスタジアムに溢れる手拍子の中で、ターゲットとなるバーを見つめる。

 だが、ハイトウィッチが手拍子を叩く中でさえ、スタンドの多くが別の未来を思い浮かべ始めた。ブラッカが、余裕の表情でハイトウィッチを見つめたのだ。

(ブラッカさんが、世界女王にプレッシャーをかけた……!世界ランクに差があっても、今はブラッカさんのほうが上の立場……)

 5m10cmを一発でクリアできなければ負けという状況に追い込まれたハイトウィッチ。ヴァージンが見ても、その表情はやや焦っていた。世界の頂点に立つ選手でさえも、一度焦りだせば、本来のパフォーマンスを出しにくくなることは、ヴァージンもこれまでのキャリアで、はっきりと分かっていた。


 ハイトウィッチが、ポールを突き刺し、空へと舞い上がろうとした。だが、首を一度横に振っただけで飛び上がることが出来ず、マットの手前で止まった。

 ハイトウィッチの挑戦が、終わった。


(ブラッカさんが……)

 5m10cmを飛べなかったハイトウィッチに、ブラッカが近寄り、その勇気を讃えようと抱きしめた。すると、ハイトウィッチがブラッカの耳元で、何か言葉をささやいた。

(ブラッカさんなら、私を超えられる。そうオメガ語で言っていたように見えた……)

 ヴァージンは、これまでのブラッカの跳躍を見たハイトウィッチが、ブラッカを次の女王に認めたように見えた。そして、その証と言うべき、ハイトウィッチ自身の世界記録さえも越えていけると伝えたようにも見えた。


 優勝者だけが挑める、たった一度のチャンス――記録への挑戦――が始まった。

 これまでブラッカがクリアし続けてきたバーが、より高いところに動き出した時、ヴァージンも、観客も軽く息を飲み込んだ。電光掲示板に映し出されたのは、5m17cm。世界記録さえも越えていたのだった。

(ブラッカさん、今まで飛べたときは、かなり余裕でクリアしてきた……。だから、今日の自分の状態を分かっていて、あえて勝負に出たのかも知れない……)

 ヴァージンが戦い続けてきた世界記録とは違い、ターゲットを合わせたバーという、目に見える世界記録がそこにはあった。ここまで、グリンシュタインの空に飛び立った相棒をその手に携えながら、ブラッカが夢への軌跡を思い描いていた。


「ハイトウィッチを破ったスーパーボールターの君なら、世界記録も飛び越えられるって!」

「さぁ、棒高跳びの新しい未来へ……!」


(きっと、トラックに聞こえなくなって、私もこういうことをスタンドから言われてきたのかも知れない)

 地元・アメジスタの世界競技会で優勝を決めた、リナ・ブラッカ。その力をヴァージンも信じた。そして、誰もがアメジスタのアスリートを見つめる中、ブラッカが夢に向かって飛び上がる。

(大丈夫……!今日のブラッカさんは、絶対クリアする……!)


 ヴァージンの目には、ブラッカの体とバーとの間にほとんど差がないように見えた。だが、体を下に傾けたときにブラッカの見せた笑顔で、一瞬の心配は全て無用に終わった。


 5m17cm WR


「すげええええええ!アメジスタ人が、棒高跳びでも世界記録だあああああああ!」

「ブラッカ選手は、アメジスタが世界に誇れるトップアスリートだよ……!」

「こんな感動する瞬間に立ち会えるなんて……、今日ここに来て本当によかったよ……!」


(アメジスタのみんなが、喜んでいる……。今まで、私しか知らないという人も多かったかもしれないけれど、今日、新しいヒーローが生まれた……)

 力強い叫びとともにマットから降りてきたブラッカのもとに、ハイトウィッチもガロンも、他のライバルもおめでとうと声を掛ける。その中で、スタジアムの中も、そして世界じゅうで中継を見ている人たちも、一人の偉業をたたえたのだった。

(スポーツには、こんなにも人を動かす力がある……!)

 祖国アメジスタで、同じ国のアスリートが世界記録を出す。それは、どれだけ素晴らしいことか、ヴァージンはこの期に及んで間近で見たように思えた。


 選手専用エリアの外には、ニュースを見て駆け付けたグリンシュタイン市民が束になっていて、ヴァージンは近寄ることが出来なかった。そこで、彼女はホテルに戻り、グローバルキャスのハイライトの中で棒高跳びのインタビューを見たが、喜びに溢れた言葉を重ね続けたブラッカよりも、敗れたハイトウィッチの言葉を、ヴァージンは忘れることが出来なかった。


「私の世界記録を信じて疑わなかったみんなに、残念なニュースしか届けられませんでした。でも、私はアメジスタに行って、返り討ちに遭ったわけではありません。このアメジスタに、私の上を飛べるライバルがいる。それが分かっただけでも、ここに来た意味があったと思います」


(私の次の女王を、もう言わなきゃいけない時が来る……)

 引退まで、あと5日。ヴァージンは引退発表の会見から保留にし続けてきた「最後に決めないといけないこと」を、ハイトウィッチの言葉で思い出した。

(今まで私は、どんなライバルだって、その力を認めてきた。もちろん、ウィンスターさんだって……。だからこそ、私は女王を一人に決められないのかも知れない……)


 考えがまとまらない中、ついに「その日」がやってきた。

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