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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
ヴァージンの脚はもう 世界記録に届かない
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第78話 完敗 そして決断(3)

 女子5000m予選の集合時間は、時間的に男子100m予選の第8組の終わった直後になる。集合場所はトラック脇となるため、ヴァージンがフェリアーノとイリスの勝負をメインスタジアムの中で間違いなく見ることができた。だが、このようなスケジュールとなると、ヴァージンは自らの予選にほとんど集中できず、サブトラックの中で二人の表情を交互に思い浮かべてしまうのだった。

(今日は予選と言え、手を抜いて走りたくない……。でも、どうしても気になってしまう……)

 最終調整として、ラップ68秒でサブトラックを1周した直後、メインスタジアムからナイトライダーの名を叫ぶ声が一気に高まった。男子100m予選が始まったのだ。

(集合時間もあるし、見に行かなきゃ……)

 ナイトライダーは、ヴァージンが受付で見た限りでは予選2組に登場する。ナイトライダーの名を叫ぶ声はわずか1分もしないうちにスタジアムの中で大きな歓喜の声となり、圧倒的な差をつけて準決勝に進出したことをその外にも伝えていた。ヴァージンも、その声に誘われるようにメインスタジアムに向かった。

 彼女がメインスタジアムの入口に足を踏み入れたとき、ちょうど予選4組の号砲が鳴った。100m走のスタート地点がよく見える入口だったため、遠くにフェリアーノとイリスの姿がはっきりと見えた。

(もうすぐだ……。アメジスタを背負って、フェリアーノさんに勝って欲しいし……、イリスも残って欲しい!)

 イリスは、実力を考えれば決勝まで余裕で残っておかしくない。そう考えた結果、ヴァージンは声には出さなかったが、ここでは同じ国に生まれたアスリートを応援することとした。

(さぁ、始まる……)

 予選6組がスタートし、ついに薄青のトラックに描かれたスタートラインの前に予選7組の選手が一斉に立った。5レーンがイリス、そして6レーンがフェリアーノだ。

(同じ茶髪だけど、立った時の雰囲気は全く違う。それでも、フェリアーノさんの目は本気だ)

 これまで、何百人ものライバルの表情を見てきたヴァージンは、スタートラインに立つフェリアーノの目に強さを感じた。自己ベストこそ10秒08と、イリスやナイトライダーと比べれば差をつけられているものの、様々な国の選手が同じスタートラインに立った時、その過去は何の意味も持たなかった。

(フェリアーノさん……!)

「On Your Marks……」

 スターターの声が、ヴァージンの耳にもはっきりと刻まれる。フェリアーノもイリスも、決して他の選手の表情を見たりはしない。わずか100m先に待つ白いラインに飛び込むことだけを思い浮かべていた。気が付くと、ヴァージンも、フェリアーノだけを斜め左に見つめていたのだった。

(よし……!)

 号砲が鳴り響いた瞬間、フェリアーノがやや前に出た。スタートで一気に差をつけるイリスよりも体半分だけ前に出したフェリアーノが、瞬く間にレースを引っ張っていく。真逆の展開をうっすら思い浮かべていたヴァージンは、それを見たときに早くも体の震えが止まらなくなった。

(さぁ……、そのまま……!頑張れ、フェリアーノさん!)

 スタンドがざわつき始める。ヴァージンも、思わずトラックの中から叫びそうになった。イリスも懸命に体を伸ばすが、懸命に走り続けるフェリアーノよりも前に出ない。それどころか、イリスは80mを過ぎたあたりでわずかにスピードを緩めた。先頭に立つ一人のアメジスタ人に、スタジアムから湧き上がる歓声がさらに高まる。

(本当に……、予選1位でフェリアーノさんが……!)

 ヴァージンがそう心に思い浮かべたとき、フェリアーノが先頭で100mを駆け抜けた。タイムは、自己ベストを大きく更新する9秒83。イリスはそこからほぼ1歩ぶん遅れて、予選2位。ともに準決勝に進出した。

(アメジスタの男子選手が、ここまで注目されるの……、久しぶりかも知れない。もしかしたら、初めて……)

 風に揺れる茶髪と、赤・金・ダークブルーのアメジスタカラーに包まれたレーシングウェアをスタジアムの光に照らしながら、初めて世界に挑んだ一人のアメジスタ人が喜びの表情を見せた。


 ヴァージンも、ダッグアウトでフェリアーノを迎えたかったが、女子5000m予選の集合時間が迫っていたため会うこともできなかった。だが、同じアメジスタ人の戦う姿がヴァージンの脚を強く後押ししたのか、予選の通過タイムが13分58秒72と、久しぶりに本戦で13分台を出すことができた。

(あのレースを見た後だから、ものすごくやる気が出てきた……。全く違う種目のはずなのに、私があのレースに出ているようにさえ思える……)

 ロッカールームで着替えを済ませ、ウェアやシューズを一旦ホテルに戻したヴァージンは、もう一度スタジアムに戻った。そこで彼女は、少しだけ余っていた当日チケットを自ら買い、男子100mの準決勝、決勝を見ることにした。イリスはなるべくトラックに近い場所で取ったチケットをヴァージンに送るが、オリンピックの当日券ともなれば、選手から遠く離れた、ものすごく高い位置からレースを見るしかなかった。

(アメジスタの選手が残っているのに、私が応援しないわけにいかない……!)


 男子10000m走、女子棒高跳び予選、男子ハンマー投げ。分刻みで勝負が決まっていくスタジアムのほぼ全ての瞬間をヴァージンが見続けているうちに、アフラリの空を覆っていた青空が夕焼けに染まり始めた。いよいよ男子100mの準決勝が行われる時間となった。

(そう言えば、準決勝はどちらに割り振られるのだろう……)

 選手受付には、予選の組分けまでは書かれていても、その後は選手専用エリアのボードで知らされるだけだ。ヴァージンはそれを見ずに出てしまったため、この準決勝でフェリアーノがナイトライダーと当たるのかまで確認できていなかった。

(たしか、ナイトライダーさんは2組……。フェリアーノさんは7組……。普通に考えれば、奇数組と偶数組の1位どうしが当たることはないような気がするけど……)

 ヴァージンがそう思った時、彼女の席からも字がはっきり見える大型ビジョンに男子100m準決勝の組分けが表示され、その瞬間数多くの悲鳴が上がった。彼女も、その悲鳴に誘われるように組分けを見て、息を飲んだ。

(ナイトライダーさんとイリスが、準決勝で同じ組……。今まで、決勝以外で二人が同じ組になったことはなかったはず……)

 フェリアーノが予選7組を制したために、イリスが準決勝でナイトライダーと戦うことになる。ヴァージンにも、悲鳴の意味がすぐに分かった。二人の実力的には決勝でも戦うこととなるが、その3時間前に一度勝負がつくことに、多くの観客が慌てているようだ。中には、「次が事実上の決勝戦」と言い出す観客もいるほどだ。

(たしかに、イリス、ナイトライダーさん、ジェラトールさんといった注目選手が、ほとんど予選1組。フェリアーノさんは予選2組……。周りがそう言うのも分かる。でも……、フェリアーノさんがこの結果でも、いずれ世界の頂点に立てるのは一人しかいないはず……)

 次第に、スタジアムを包み込む歓声が大きくなる。「神」ナイトライダーへの大きな声が上がる中、ヴァージンは客席から「イリス!」と力強く叫んだ。だが、ナイトライダーを後押しする声は、ヴァージンがこれまで感じたこともないほど大きく、彼女の声がイリスにほとんど聞こえないようにさえ思えた。

(客席は遠いけど、私はイリスを応援する……!こんなところで、負けて欲しくないもの……!)

 未だナイトライダーに勝ったことのない、若きトップアスリート・イリス。7レーンに立つその勇ましい表情を、ヴァージンは目に焼き付けた。

 スターターの右腕が大きく上がり、スタンドは一瞬静まり返る。

(イリス……)

 号砲が鳴ると同時に、イリスが予選では見せなかった速いスタートダッシュで、ナイトライダーを引き離す。今度は、体一つ分イリスが前に出るような形だ。遠くで見ているヴァージンにも、イリスの勇ましい走りがはっきりと伝わる。ヴァージンはイリスの体だけをその目で追った。

 だが、50mを過ぎた瞬間、ヴァージンの視線にナイトライダーが覆いかぶさった。それどころか、数名のライバルがイリスの背中を捕らえ、たちまちイリスの鼓動がスタンドに届かなくなった。スタジアムのほとんどがナイトライダーの走りに釘付けになり、ヴァージンでさえこれまで何度も見てきたように、それ以外の選手の存在が「無」と化してしまうのだった。

 イリスの茶髪が勝負のラインを駆け抜けたとき、5位の選手がイリスよりもわずかに先にゴールしていた。

「うそ……」

 多くの人々の視線がナイトライダーに集まる中、ヴァージンはガックリと下を向くイリスの表情しか見えなかった。トラックの上で何が起きたのか、彼女にも全く分からなかった。一人の観客が「おい、イリスが……」と口にした瞬間、起きてしまったことがスタンドにじわじわと広まっていく。世界第2位の実力を持つ青年とナイトライダーが決勝で戦えない現実を、誰もが受け入れるしかなかった。


(イリスが、決勝に残れなかった……)


 客席で呆然とするヴァージンの前で、予選2組の号砲が鳴った。彼女は慌てて目線をトラックに戻すも、つい何時間か前に見たようなフェリアーノの伸びていく姿は、そこには全くなかった。イリスと同じように他の選手の中にかき消され、電光掲示板で7位という結果を確かめることしかできなかった。

 ヴァージンは、力なく客席を立ち上がり、肩を落としながら選手専用エリアの出口へと向かった。

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