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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
届け 神の領域に
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第74話 ウィンスターの魔力(3)

(今までで一番の大勝負が待っている……。世界記録を一番出しやすいレースが……)

 またしても大記録を打ち立てられなかったヴァージンは、ケトルシティのスタジアムを後にした瞬間から、残り1ヵ月半となった世界競技会に向けて気持ちを切り替えていた。

 膝のケガを治してからこれまで、軽めのトレーニングメニューを入れる日もあったが、ウィンスターを待ち受ける日が近づくにつれて、マゼラウスがいない日も本番と同じペースのタイムトライアルを繰り返したのだった。

 そして7月下旬、この時期にしては珍しく肌寒い日に、ヴァージンは13分50秒00のタイムを叩き出した。ストップウォッチを止めた瞬間、それを握りしめる手に一気に熱が入る。

(コーチすらいないこの日に、こんなタイムを出せるのは珍しい。本番は、もっといいタイムを出せるはず!)

 大きく深呼吸をしながら、トレーニングセンターのホームストレッチ脇をゆっくりと歩くヴァージンは、自然と表情を緩ませていた。だが、その表情の先に見覚えのある顔が映り込んだ時、ヴァージンは息を飲み込んだ。

「グランフィールド、久しぶり。遊びに来ちゃった」

「メリアムさん……」

 トレーニングセンターのスタンドにメリアムの姿を見つけるなり、メリアムが声を掛けた。薄手のシャツを羽織り、スタンドの手すりからヴァージンを覗き込むメリアムは、ロングの茶髪を風になびかせていた。


「3年ぶりですね。メリアムさんに会うの」

 3年前のリングフォレスト選手権でヴァージンに敗れたことで、陸上の世界からの引退を決めたメリアムは、その後スポーツブランドとは関係のないアパレル業界に職を求めた。そこまではヴァージンも聞いていたものの、こうやって再び会うとは思っていなかった。

「そうね……。ちょっと、グランフィールドに相談したいことがあって、自主トレやるのを待っていたの。少しだけ時間大丈夫?トレーニングの邪魔になるなら、後でもいいんだけど……」

「大丈夫ですよ。むしろ、メリアムさんを待たせてしまうと、私も申し訳ないと思ってしまいます」

「なるほどね……。それじゃ、手短に相談するね」

 その瞬間、メリアムはヴァージンの目をじっと見て、軽く微笑んだ。

「ウィンスターって選手、グランフィールドも嫌というほど耳にしてるよね……」

「そうですね。5000mには、今年いきなり現れたような印象です」

「ウィンスター、強いでしょ」

「まぁ、それなりに強いです。私は勝ちましたが、自己ベスト13分台の選手は、みんな打ち負かされました」

 ヴァージンがそう言うと、メリアムは納得したような表情を浮かべる。その後、すぐに目を細めた。

「ウィンスターが、女子1500mをダメにしたって話、誰かから聞いてる?」

「少しだけ聞いたことがあります……。ライバルだから、あまり調べなかったですが……、何かあったのですか」

 ヴァージンはそう言いながら、先日のケトルシティ選手権の前に見た、カリナの重苦しい表情を思い浮かべた。

「1年くらい前だったかな……。1500mで私とトップ争いをしていたローネスから、私のところに話が来た。もう一度、私に女子1500mに復帰して欲しいと」

「ライバルから、復帰を後押しされる……ということは、もしかして、誰もウィンスターさんと勝負になる選手がいなくなったってことですか」

「簡単に言うと、そういうことね。私は断ったけど、ウィンスターが出てくるまで、ローネス入れて2~3人で優勝争いをしていたんだけど、ウィンスターが初めて優勝してから全く勝負にならなくなった」

「たしかにウィンスターさん、1500の絶対女王なんて呼ばれてますし……」

 次の瞬間、メリアムがため息をつくのをヴァージンはその耳で聞いた。それから、やや下を向いて口を開いた。

「グランフィールドも、絶対女王と呼ばれる存在。でも、ウィンスターはグランフィールドと全く違う性格。弱い相手を見下しているような感じで、威圧的な目で『この場所から出ていって欲しい』と訴えかけてる」

「出ていって欲しい……って、そのローネスさんだって1500が一番得意なはずなのに、ウィンスターさんはまた勝負をしようとは思わないんですか」

「ちらっと私が聞いたのは、自分が女王から降ろされたくないがために、弱いと決めたライバルをその種目から追い出している……。勝つためなら手段を択ばない。勝って賞金だけ欲しい。そう思われている」

 メリアムは、やや強い口調でヴァージンに訴えかける。それから、一段落したようにため息をついた。ヴァージンは、それを呆然と立ち尽くしたまま聞くしかなかった。

「本当にそんなことやっているのなら、人間として悲しいです。少なくとも、私はどんなライバルとも、戦える限り勝負したいと思ってますし」

「ほとんどのアスリートはそう思ってる。ウィンスターだって、本音はライバルがいなくなって寂しいと思っているかも知れない。けれど、ウィンスターに弱いと決めつけられたみんなは、怖くなって……、次々と1500mから800mに移ったり、陸上選手そのものを辞めたりする。そんな難しい選択をしなければいけなくなっている。そして、自己ベストで勝負にならない選手だけが、ウィンスターと一緒に走るようになってしまったの」

「そうなんですか……」

 メリアムの言葉に多少の違和感を覚えながらも、ヴァージンはメリアムと並んでため息をついた。

「だから、グランフィールドには絶対負けて欲しくない。女子5000mに出る誰もが、いや世界中の陸上ファンみんなが、女子5000mが1500mのようになって欲しくないと思っている……。グランフィールドも、自分の居場所がなくなるの、嫌でしょ」

「嫌です」

 ヴァージンは、はっきりとうなずいた。メリアムを見つめる視線の先に、ヴァージンを「尊敬できる」と言い続けるライバルがかすかに映っていた。

(もう……、世界競技会は世界記録を叩き出すしかない……!)


 その日がちょうど「ワールド・ウィメンズ・アスリート」の最新号が発売される日だったので、ヴァージンはトレーニングからの帰りに書店に立ち寄った。世界競技会間近ということもあり、書店には普段より多めの部数が置かれており、表紙に書かれている小さい字も、ヴァージンが手に取る前から目に入った。

 その瞬間、ヴァージンは雑誌を持つ手を一瞬止めた。

(ウィンスター、デビュー4ヵ月で女子5000mの強豪完全撃破?……なんて書かれている)

 そのタイトルに嫌な予感すら覚えつつ、ヴァージンは中身を見ることなく雑誌を買った。

(まさか、ウィンスターさんが勝つという話が書かれているとか……、いくら陸上の雑誌でも、たった数ヵ月のデータだけを使って、世界最高のレースを予想するなんて考えられない)

 自宅に戻ったヴァージンは、洗濯機を回し始めるなり、買ったばかりの「ワールド・ウィメンズ・アスリート」を開いた。中身は世界競技会の見どころで、種目別に予想まで書かれている。ここ数年、わりと早いページで扱われることの多かった女子5000mも、ほぼ普段と変わらないページにあり、そこで彼女は手を止めた。

(やっぱり……)


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


女子5000m イザベラ・ウィンスター(セルティブ)、勢いで世界競技会2種目制覇!


 ヴァージン・グランフィールド(アメジスタ)の世界記録が注目され続けてきた女子5000mに、今シーズン、史上最強の新人が現れた。女子1500mとの掛け持ちを始めたウィンスターだ。

 種目デビューは、今年の4月。だが、その後13分台の自己ベストを持つ選手を次々と打ち負かし、7月にはセントイグリシア選手権で13分51秒04の自己ベストを叩き出す。デビューからの成長は著しく、あっという間に世界記録を狙えるレベルまで達するものと思われる。

 グランフィールドは、13分50秒01まで世界記録を伸ばしながらも、その後は膝のケガの影響が残り、タイムは頭打ちだ。そのような中で、先行逃げ切り型のウィンスターと勝負をしなければならず、苦戦は避けられない。グランフィールドの世界競技会での勝率の低さを考えると、8:2でウィンスターに軍配が上がると思われる。

 グランフィールドは、世界記録を出せなければウィンスターに敗北。そう考えてよさそうだ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


(そんなの、絶対に嫌だ……!)

 ヴァージンは、静かに雑誌を閉じ、天井にウィンスターの後ろ姿を思い浮かべた。その姿は、少しだけ大きく見えた。

(50秒を切れないまま、ウィンスターさんに負けたくない。私は、未知のタイムに挑み続けなきゃいけない女王だから……。私は……、ウィンスターさんに絶対勝てるはず!いや、勝たなきゃいけない……!)

 ヴァージンは、決めつけられつつある運命を、これまで何度もしてきたように自らの言葉で跳ね返した。全くタイプの違う女王と対決する日は、もう間近に迫っていた。

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