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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
故障を乗り越えた先に
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第71話 私は、絶対トラックに戻るから!(1)

「明日、運動器カテーテルを入れるって言われた?」

 オメガ国立医療センターに入院してから1週間近くが過ぎた頃、ヴァージンの病室を再びフローラが訪れた。

「お姉ちゃん……、さっき看護師さんも言ってた。順調に良くなってるって」

 この頃になると、ヴァージンは起き上がることは簡単にできるようになり、看護師に連絡した上で部屋にある運動機器を使って少しずつ歩き出していた。ただ、時速8km/hしか出せない中でそれを限界まで上げようとすると、彼女の左膝はまだ痛むのだった。

「そう言えば、ヴァージン。運動器カテーテル治療で何やるかって病院から説明されたこと、あったっけ」

「ないかな……」

 既に姉のフローラから「カテーテル」という言葉は耳にしているが、具体的に何をするかまでは、ヴァージンははっきりと聞いていない。フローラなら何かしら知っているのだろうと、ヴァージンは逆に聞き返す。

「お姉ちゃんは、運動器カテーテル治療とかやったことあるの?」

「私は、触れたこともない。アメジスタだと内科医だったし……、ここは医療と看護がほとんど分かれていて、私があまり治療にまで携われないから、私も見たことしかない……」

「それにしても、カテーテルって言葉……、響きがどこか不気味なような気がする」

 ヴァージンは、フローラの表情を見ながら軽く笑った。病院に来てから一度も笑ったことがなかっただけに、彼女の口元は無意識のうちに動いていた。

「ヴァージン、カテーテルはそんな怖くないって。ただの管。チューブよりももっと細いの」

「お姉ちゃん……、つまり体に管を通すんだ……。そんな細いので、痛いところに注射とかできるの?」

「注射じゃないって、私は前にも言った。管に薬を入れて、痛みを和らげたりするのがカテーテル治療。ヴァージンは、たしか血管が増えすぎたとか言ってたから、きっと血管を間引く形になると思う」

「なんだ……。思ったほど大掛かりな治療にならないんだ……。でも、カテーテルを入れた後も、しばらくこの病院にいることになるんでしょ」

 ステロイド剤の注射を打つことはない、と言っていた五日ほど前のフローラの言葉を、ヴァージンはこの時ようやく思い返した。逆に、注射することによって長い期間の治療になるのだった。

「そうね……。前にこのフロアにいた走り幅跳びの選手も、ヴァージンと同じくジャンパー膝になったけど、運動器カテーテルを入れて数日で退院できたと聞いてるから、たぶんヴァージンもそうなるんじゃないかな」

「病院は、早くヴァージンにまたトラックに立って欲しいと思ってる。ヴァージンにとって辛いことも言わなきゃいけないかも知れないけれど……、病院の言うとおりにしていたら、きっと回復は早くなると思う」

「分かった……」

 ヴァージンは、フローラに向かって軽くうなずいた。この時点で、世界競技会にベストコンディションで臨むことはほぼ不可能ということを思い浮かべてはいたが、その「ほぼ」が少しずつ「確信」に変わるのを感じた。


 そして、運動器カテーテル治療が行われる当日になった。看護師が念のために用意した車いすを必要としないほど、ヴァージンはゆっくりと歩けるようになり、看護師が付き添いながらも彼女はほぼ一人で治療室へと向かった。

「グランフィールドさん、今日はカテーテル治療ですね。こちらにお入りください」

「分かりました」

 ヴァージンは、整形外科のタグミ医師に付き添われながら、治療室へと入った。茶髪の間から白髭が目立っているが、見た目はマゼラウスよりも若そうで、年齢も32歳のヴァージンとそれほど離れていないように思えた。

「こちらが、今日使っていくカテーテルになります。このような管をこのあたりから通しますので、少し麻酔をしますね。仰向けで寝て下さいね」

 タグミ医師は、ヴァージンにカテーテルを見せながらそう言うと、足の付け根の部分に麻酔を始めた。

「すいません……。痛いところ、そこじゃないです。膝の少し上あたりです……」

「それは分かってますよ。でも、管を入れるところは、膝の場合ですとどうしても上のほうから入れなければいけませんから……」

 そう言いながら、タグミ医師は慣れた手つきでヴァージンの膝上に麻酔をつけ、そこからゆっくりとチューブを入れた。管が入った瞬間、ヴァージンは少し残っている膝の痛みとは別に、何やら気持ち悪い感触を覚えた。

(きっと、アメジスタではこんな便利なもの……、まだないんだろうな……)

 少しだけくすぐったい。そう思いながら目線をタグミ医師に動かすと、彼は管に小型カメラを通していた。そこから送られる画像を別の担当者がパソコンで見て、タグミ医師に「OK」のサインを出していた。

「では、中がどうなっているかも確認できましたので、これから治療になります。薬を入れますので、また少し刺激があるかも知れませんが、我慢してください」

 そう言うと、タグミ医師はヴァージンの体に液体のようなものを入れた。彼女の目にはそれが何色だったかは分からなかったが、チューブとは明らかに違う感触に液体であることをはっきりと感じたのだった。

「今、どうされているところですか」

「血管を間引く薬を入れているんですよ。グランフィールドさんの場合、中にものすごく血管が溜まっているみたいなので、膝に直接薬を入れているんです」

「そうなんですね……」

 ヴァージンがタグミ医師にそう返事をした瞬間、彼女は入れた薬が左膝の患部にまで届いたように感じた。

(なんか……、少し熱い……)

 決して燃えるような熱さではないが、膝から軽い発熱があるように思えた。だが、彼女の左膝の中では、ジャンパー膝の痛みと薬の刺激がうまい具合に合わさり、その発熱を全く感じることがないような心地よさを覚えた。

(こんな感じなんだ……、運動器カテーテルって……)

 注射とは全く異次元の、痛めた部分に直接薬を流し込んで行う治療。それが運動器カテーテル治療だった。やがて、タグミ医師はゆっくりとカテーテルを抜いていき、それからもう一度管を通した部分に麻酔をかけた。

「もしかして……、これでもう終わりですか……」

「そうですね。治療のほうはこれで終わりになりますが……、初めての運動器カテーテル治療、どうでしたか?」

 ヴァージンがゆっくりと起き上がると、横からタグミ医師が笑顔で彼女を覗き込んだ。治療が始まる前は、右も左もわからないモヤモヤが支配して、タグミ医師の特徴を大まかにしか掴めなかったので、気が付くとヴァージンは医師の目をじっと見ていた。

「始まって……、何が起こったのか全く分からないです……。でも、膝に何かを入れて、それが化学反応で熱くなっているように思えたんです」

「あれは、血管を潰しているんですよ。後でまた説明しますけど、潰さないと血の巡りがよくなりませんから」

「そうなんですか……。でも、血管を潰しているようには思えなかったです」

「たしかに、そう思えますよね。ですが、血管そのものを潰すというより、血管を作っている細胞を潰していますので、あまり血管がなくなっていくイメージはないでしょうね」

 タグミ医師の笑顔につられて、ヴァージンも口元が揺らいだ。それから彼女は何度かうなずき、無意識に左膝の痛めた部分に軽く手をやった。

「グランフィールドさん、まだそこに手を当てるのはやめたほうがいいかも知れません……」

 タグミ医師がそう言った瞬間、ヴァージンは反射的に手を離した。だが、彼女はすぐに別の違和感を覚えた。

「触っても、痛くないです……。今まで、触るだけでもズキズキしていたのに、不思議なくらいです……」

「グランフィールドさん、それは薬が効いているからでしょう。ただ、何度もこれをやっているうちに痛みはもっと消えていくと思います」

「これを定期的にやるということですか」

 ヴァージンがそう尋ねると、タグミ医師はやや重苦しくうなずいた。

「この先のことについても後で説明しますが、1回のカテーテルだけではあまり効果がありません。おそらく、次は通院という形になりますが、何度かやることになります」

「分かりました。でも、こんなあっという間の治療なら、私の時間もそれほど取られませんね」

「ですね」

 タグミ医師はそう言ってうなずき、やや間を置いてヴァージンに告げた。

「さて、カテーテルで通したカメラの分析もありますので、少しお時間を頂きます。その後に診察室にお呼びいたしますので、もうしばらくお待ちください」

「分かりました」

 ヴァージンは、軽く頭を下げて治療室を出て、整形外科の待合スペースに向かった。すると、そこには見慣れた二人が待っていた。

「コーチに……、メドゥさん……!」

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