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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
故障を乗り越えた先に
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第69話 変化は始まっていた(4)

「なかなか広い家じゃない。彼がヴァージンのために買ってくれたんでしょ」

「そうですね。私も、最初この家に来たときは、夫婦二人なのにこんな広さでいいのって思った」

 家に入り、開放感あふれるリビングまでやって来ると、フローラはそこで大きく息を吸い込んだ。これまで、実家でも、おそらく病院の寮でもこのような広々とした住まいを経験してこなかったと言わんばかりに、フローラは目を丸くして、その場から見渡せる限りの全ての部屋を眺めた。

「どう?オメガは超先進国って言われるけど、首都の近くでもこんな広い家があるって前から私が言ってたこと、お姉ちゃんも分かったでしょ」

「そうね……。グリンシュタインも、今やっとこういう街づくりになってきたように思える。ヴァージンも見たと思うけど、病院の前の通りから一歩入ればスラム街だったでしょ」

「たしかに。この前帰ったときも、高層マンションが出来上がっていて、今まで家もなかった人に積極的に住めるようにするって、誰かから聞いたような気がする」

「そのとおりね。でも、ヴァージンの家は、そんな理想を限りなく通り越しているみたい。二人でこんな家に暮らしても、使わない部屋があるくらいだと思う。彼と暮らしていた時も、開かずの間があったでしょ」

 ヴァージンは、そこではっきりとうなずいた。アルデモードのクローゼットを別の部屋に回してもなお、掃除しかしない部屋が数部屋残っていたのは、紛れもない事実だったからだ。

「アルは……、子供部屋を取っておいた。今思えば、そんな気がする」

「じゃあ、私もそこまで多くの部屋は使わないつもりだから。あくまでも、オメガでの生活はヴァージンのほうが大先輩って前提で、この家に居候するね……。で、私の部屋はどこ?」

 フローラが思いついたようにそう尋ねたので、ヴァージンは一度うなずいて奥の部屋に案内した。先日、1部屋だけヴァージンがフローリングを大きく変えた部屋だ。

「お姉ちゃんがこの家に来るって聞いたから、この部屋だけお姉ちゃんが好きそうな内装に変えてみた」

「すごいじゃない、ヴァージン……。お金をかけたことじゃなくて……、私のためにここまでしてくれるの」

「でしょ。お姉ちゃんが病院で勤めるようになるまで、ずっと私は背中を追ってきたんだから」

 ヴァージンが笑みを浮かべると、フローラもこれまで実家で見せることのなかった笑顔をヴァージンに見せた。


 それから数時間、ヴァージンは歓迎パーティーの準備に追われる一方、フローラはゆっくり時間をかけて広い家の中を歩き回った。家の中を歩く間、フローラは何度かキッチンからヴァージンを呼び、時にはオメガとアメジスタの文化の違いについても尋ねることがあったものの、夕方まではゆったりと時が流れていった。

 そして、ヴァージンの作った手料理が、久しぶりに使う二人用のテーブルに並ぶ。集中して作ったつもりでも、いざテーブルに並べてみるとアルデモードが作った料理と比べると足元にも及ばないのは、ヴァージンの目にすぐ分かった。

(それでも……、10歳とか12歳とか……、その頃に比べたら私は料理でも成長したはず……)

「お姉ちゃん、パーティーの準備できたよ!」

「分かった。ヴァージン、すぐ行く!」

 2分後、フローラは家に入ったときとは比べ物にならないほど、清楚な衣装に包まれていた。見るからにパーティー衣装だった。それを見て、ヴァージンは思わず口を手でふさいだ。

「姉妹だけのパーティーなのに、お姉ちゃん、すごく着飾っている……。私も、こんな服装ではまずいかな」

 ヴァージンは、この段階でトレーニングウェアではなかったものの、エクスパフォーマのロゴが入ったインナーに、同じくエクスパフォーマのロゴが入ったパーカーを着ていた。想定外の服装で登場したフローラを見た瞬間に、ヴァージンの足は、滅多に使わない正装用のクローゼットに向かっていた。

 フローラに遅れること3分、ヴァージンもワイシャツとスーツに着替え、ダイニングに入った。


「お姉ちゃん、ようこそオメガへ!ようこそ私の家へ!」

「乾杯!」

 オメガ北部の農村地帯で作られる最高級の白ワインが、音を立てながら二人を祝福した。二人とも、このところ酒を飲んでいなかったが、ほぼ同時にグラスに口をつけた瞬間、ヴァージンは新しい生活の息吹を感じた。

 続いて、ヴァージンが細かくナイフを入れてこしらえた合鴨のロースに、フローラが手をつける。心配そうな表情を一つも浮かべることなく、フローラがそのまま口へと運んだ。

「どう、お姉ちゃん。私の作った手料理……」

 ヴァージンもほぼ同時に食べようとしたが、自然に息を飲み込んだのか、口の手前で止まってしまう。それどころか、どうしてもフローラの口元を見てしまうのだった。

 フローラは、しばらく考えたようなしぐさを見せ、軽くうなずいた。

「この味付け、ヴァージンらしい……。本気で作りすぎて、空回りして、最初は結果が付いてこないけど……、何十回、何百回も作れば、ものすごく上手くなる。そんな感じがする」

「お姉ちゃん……。やっぱり、私が何も変わってないって……」

 ヴァージンが心配そうな声でそう返すと、フローラは首を小刻みに横に振った。

「そんなことないって。ヴァージン、料理の才能は少しだけ身についていると思う。きっと、ヴァージンのトレーニングと同じだと思うけど……、やった回数だけ結果が出ているのかなって思う」

「たしかに……。アスリートは、摂るべき栄養素に意識が行くことが多くて……、私だって時間があるときに作るしかなかった。それでも、変わったって言ってもらえて……、ありがとう……」

 フローラは、ヴァージンがやや小さな声でそう答えるのを聞き、再び首を横に振った。

「昔の癖で、ヴァージンにちょっと言い過ぎたかな。おいしい」

 フローラはそう言うと、次の料理に手を付けた。その後は、決して作り笑いではなく、ヴァージンの作った料理を味わっているように見えた。


 やがて食事が済むと、フローラが思い出したようにヴァージンに告げた。

「今日は、こうして特別な時間を作ってくれてありがとう……。でも、本当の感謝はここからだと思う」

「お姉ちゃん、何か考え事してるの……?」

 ヴァージンが尋ねると、フローラはそっと目を閉じ、あれこれと思い出すようなしぐさを浮かべた。それからしばらくの間を置き、再びフローラが口を開く。

「私、ヴァージンが妹で……、本当に良かったと思う……。ヴァージンの力で、私の運命は動いたと思う」

「そんなことありません、お姉ちゃん。あの場で、私は何も言わなかったじゃないですか」

「たしかに……、私が病院の理事長に訴えたとき、ヴァージンを引き合いに出したのは私だった。けれど、そこではもう、運命は変えられないと思っていた……。グリンシュタイン総合病院には、いられないんだって」

「お姉ちゃん……、あの時、運命を変えようとしてるように見えた……」

 ヴァージンがそう返すと、フローラは首を横に振った。

「ヴァージン……、私がオリンピックの後にメールしたでしょ。退院して、やっと現実が分かったって」

「私に、アメジスタの現実を伝えて欲しいって言ってた、あのメールですか」

「そう。そこで私は、ヴァージンの使命感に賭けた。私が最初のヤグ熱感染者だと伝えて欲しい。そう書いたら、きっとアメジスタを背負うヴァージンのことだから……、世界中のメディアに、勇気をもってそう発信するはず」

 フローラの表情は、食事中とは打って変わって真面目だった。どうしても伝えたい、という意思がヴァージンにもはっきりと分かった。

「ごめんなさい、お姉ちゃん。なかなか発信できなかったです……」

「いいの、ヴァージン。一度でも、私に触れてくれたら、それで十分。私は、あのメールを打ったときにはもう、覚悟ができていたから……。ヤグ熱が落ち着いたら、もうあの病院にいられないという覚悟……」

「お姉ちゃんは、間違ってなかった……。なのに……」

「ヴァージン。病院は、人の命を守らなきゃいけないところ。人に寄り添うところ。でも、あの病院は外からやって来た病気を見て、逃げ出そうとした……。病院の正義感と、私の正義感が対立した以上、私は何とかして次を探さなきゃいけなかった……。多くのメディアがアメジスタにやって来るその日が、次を決めるための決戦の日だと、私は最初から思っていたから……」

 そこまで言うと、フローラは目に涙を浮かべながら、最後に細い声で「ありがとう」とヴァージンに告げた。

「お姉ちゃんが、そこまで考えていたなんて……。お姉ちゃんのほうが、ずっと大人です」

「ヴァージンのほうが大人よ……。だって、私に『医療に国境はない』って思わせたんだから」

「……たしかに」

 ヴァージンは、涙を拭うフローラの表情を見て一度うなずいた。ヴァージンの目には、やはりフローラのほうが大人であるように見えた。

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