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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
オリンピックの灯は消えない
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第67話 アメジスタのたった一つの希望(2)

 プロトエインオリンピックの開会式当日。入場行進が始まろうとしていた。

(これが……、初めてのアメジスタ代表として参加するオリンピック……)

 赤と金とダークブルーに彩られたアメジスタの国旗を、ヴァージンはこれまで参加したオリンピックの開会式でも掲げながら行進してきた。また、勝利のたびに国旗をなびかせながらスタジアムを回ってきた。それでも、正式にアメジスタ代表として選ばれたという重みが、3度目に手にした入場行進のアメジスタ国旗には込められていることは、彼女の手ではっきりと感じていた。

(できれば、ここにセイルボートさんが来てくれればいいんだけど……)

 エインジェリアに渡ってからも、ヴァージンは分かる範囲でアメジスタの情報を手に入れようとした。だが、航空会社のサイトは運休期間が次々と延びているだけで、アメジスタのフローラからも、そして文化省からもメールはなかった。

(アメジスタからの参加は、今回も私だけ……。でも、私はいま大変な状況になっているアメジスタを背負う)

 ヴァージンは、先頭の国が入場し始めると、いよいよ国旗を強く握りしめた。それから、係員に背中を押されるように一歩、また一歩と入場口へと近づいていく。アメジスタを世界に見せる瞬間は、確実に迫っていた。

(次が、私たちのアメジスタ……)

 エインジェリア語で「アメジスタ」と書かれたプラカードを持つ係員が、ゆっくりと動き出した。その瞬間、ヴァージンはアメジスタの国旗を上に45度傾けながら歩き出した。真新しく、そして大会中にはこの場所で全力を出し切ることになるスタジアムの感触を確かめながら、アメジスタ人の夢と希望を背負った一人のアスリートが、力強く前に進んでいく。

(すごい歓声……、4年前はこんな大きな歓声じゃなかったのに……)

 「アメジスタ!」とアナウンスされた瞬間、開会式に集まった多くの観衆がヴァージンに向けて、割れんばかりの歓声で出迎えた。ちょうどヴァージンの向かう方向から、彼女の掲げる国旗の向こう側にもう一つ、アメジスタの大きな国旗を翻す観衆がいた。それは、決してアメジスタ人には見えなかったものの、大変な状況を背負っている一人のトップアスリートへのエールであることは間違いなかった。

(たとえ、アメジスタからの観戦ツアーがなくなっても、アメジスタへの応援は消えない……。こうやって、世界が一つになってオリンピックが開催されているという、何よりの証拠なのかも知れない……)

 ヴァージンの国旗を握る手がさらに強くなり、進みゆく足もまるでレースと同じように力強く踏みしめていく。次の国名が呼ばれ、歓声の中身が変わっていたとしても、アメジスタ人のヴァージンにはそれがいつまでもアメジスタに対する応援であるかのように聞こえていた。


 結局、セイルボートはそれから数日後に行われた出場予定種目、男子100mバタフライの予選に姿を見せず、1レーンだけ誰もいないプールがエインジェリアの地元テレビ局に映った。ヴァージンは、それを選手村のカフェスペースのテレビで見ながら、小さくため息をついた。

(セイルボートさんにとっては、絶対に勝負したかったオリンピックだったかも知れなかったのに……。でも、4年後だって、きっとこの舞台で泳げるはず……)

 ヴァージン自身のレースのことに頭を切り替えようと、テレビから顔を背けたとき、彼女のすぐ前に見慣れた茶髪の選手が迫ってきた。昨年の世界競技会から一度も顔を合わせていない、プロメイヤだった。

「プロメイヤさん……。やっと会えましたね」

「こちらこそ。私も、今日会うとは思わなかった。5000m決勝まで会わないと思っていたけど、意外と早かった」

 ヴァージンに世界記録を奪い返されたとは言え、大学対抗戦にしか参加していない中で自己ベストをさらに伸ばしたプロメイヤの表情は、1年前よりもさらに力強く見えた。13分52秒85の自己ベストを持つ彼女は、まだ20歳には見えないほど大人の女を飾っているように、ヴァージンには思えてならなかった。

「優勝の予想は割れてるじゃない。私とあなたで。自己ベスト、いや、世界記録を叩き出せたほうが優勝だと」

「たしかに、私も何度かそういう記事を見ています。でも、今は私のほうが世界記録を持っています。このオリンピックの舞台でもプロメイヤさんに負けるなんて、考えたくありません」

「戦う気持ちは十分あるようね。アメジスタのショックにも怯んでなさそう……」

 ヴァージンは、プロメイヤのその言葉に首を小さく縦に振った。それからプロメイヤの顔を睨みつけるように、来るべき女子5000m決勝当日でのベストパフォーマンスを誓った。

(私は、プロメイヤさんに負けないから……!)


 それからヴァージンは、出場選手用に開放された練習場でプロメイヤと何度か顔を合わせたものの、お互い声を掛けることなく、それぞれのペースで調整を行っていた。プロメイヤは、昨年世界記録を叩き出した時のフラップの「エアブレイド」を両足に携え、4000mを過ぎてもより力強い加速を見せるなど本番のレースを想定したトレーニングを行っていた。

 プロメイヤのその走りを見るたびに、ヴァージンは「フィールドファルコン」から激しい戦闘意欲が湧いてくるのを、はっきりと感じた。

(もう、今すぐにでもプロメイヤさんと戦いたい……。私の体がはっきりとそう言っている……)


 だが、それとは対照的に、ヴァージンの出場するもう一つのレース、女子10000mで最大のライバルとなるロイヤルホーンは、練習場でも全く出会わなかった。今回、ヒーストンがケガで出場を辞退しているだけに、ヴァージンにとっては10000mがロイヤルホーンとの一騎打ちだと、早い段階で決めていた。

 そして、女子10000m決勝の直前、ヴァージンは開会式でも入ったメインスタジアムに一歩足を踏み入れた。ちょうどその時、10mほど前に背の高いロイヤルホーンの姿が見えた。

(やっとロイヤルホーンさんに会えた……)

 だが、ヴァージンがロイヤルホーンに声を掛けようとしても、その間には多くの出場選手がおり、やがてロイヤルホーンの頭が一人の男子選手の顔に隠されてしまった。

(勝負直前まで、ロイヤルホーンさんとはすれ違っている……。せめて、一度でも表情を見たいのに……)


 ヴァージンは、スタートラインに立ってようやくロイヤルホーンの横顔を一目見た。その表情は、これまで二度勝負してきた時と同じく、やや緊張した面持ちだった。

(ロイヤルホーンさんの表情……、声を掛けなくても、やっぱり私を意識している……)

「On Your Marks……」

 ヴァージンは、スターターの低い声でロイヤルホーンから目を離し、じっと前を見た。ロイヤルホーンとの勝負、そして自らの世界記録、29分28秒81との勝負が始まろうとしていた。

(よし……)

 プロトエインオリンピック、女子10000mの号砲がスタジアムに鳴り響いた。

(ロイヤルホーンさんは、どのような戦術で攻めてくるのだろう……)

 ヴァージンは、最初のコーナーを回りきるまでに、ラップ72秒よりも少し速いペースまで一気に加速する。一方、ロイヤルホーンはスタート直後からヴァージンの後ろに回り、ほぼ同じペースで追いかけているようだ。

(ロイヤルホーンさん、いつものように中盤に入ってから何度か勝負を仕掛けてくるはず……)

 10000mでは、これまで何度かレースで戦っているが、序盤からロイヤルホーンがレースを引っ張るような展開はなかった。とくに、昨年の世界競技会では3600mからロイヤルホーンが前に出るタイミングを待つような展開になっており、この日のロイヤルホーンも同じようなレース展開に持ち込む可能性が高かった。

 逆に、ヴァージンのほうが昨年の世界競技会と比べると少しだけペースを速めていた。

(今までと同じでは、ライバルに勝てない。これは10000mにだって言えるはず……)

 これまでラップ72秒を意識し続けてきたヴァージンは、2周、3周と周回を重ねるにつれてラップ71.8秒のペースをはっきりと感じた。少なくとも、記録計に表示されるタイムが、これまでのレース見てきたものよりも1秒早いものになっているのは確かだった。

(確実に、ラップ72秒を切るペースで走り切れている。あとは、中盤から上がってくるはずのロイヤルホーンさんに合わせて勝負を仕掛けるだけ……)

 一度手に入れたスピードを保ちながら、ヴァージンは足音と息遣いでロイヤルホーンの場所を探り始めた。ロイヤルホーンは、2位集団の先頭でヴァージンとの勝負の瞬間を待っているようだった。

 だが、5周を過ぎたあたりから、その気配がかすんでくるのを、ヴァージンはその感覚で気付いた。突然、ロイヤルホーンがスピードダウンしたかのような雰囲気しかなかった。

(ロイヤルホーンさんが……、少しずつ私に付いて行けなくなっている……)

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