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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
世界最速の長距離アスリート 誕生の瞬間
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第8話 思いがけない再会(1)

 自らの足でセントリック・アカデミーに踏みとどまったヴァージンは、翌日からマゼラウスとのトレーニングを再開させた。世界競技会後で、その先の大会参加予定もはっきりと定まっていないこともあるので、練習メニューを控えめにし、疲れ切った体を元のペースに戻すようにマゼラウスは図っていた。

 だが、運命を自ら変えたヴァージンは、そういう意図のトレーニングであっても、これまでとは比べ物にならないほどのペースでトラックを走り続けた。午後のトレーニングで、ラストに5000mを1回だけ走ることになって、そこでも14分38秒を叩き出した。あの時のタイムには劣るが、ヴァージンが着実に成長していることの証だった。

「あの日から、すごく変わったじゃないか!」

「ありがとうございます……」

 ヴァージンは、タオルで汗を拭きとりながらそう答えた。そして、ゆっくりと近づいてくるマゼラウスに顔を向ける。すると、マゼラウスは軽く笑いながら言った。

「コンスタントにこのタイムを出してたら、きっと世界競技会でのメダルも夢じゃないな。来年の」

「来年……。でも、あの日があったから、強くなれたと思うんです」

 ヴァージンは、予選敗退の日に殴られた頬を見せた。痛みどころか痣も消えており、ホテルでの出来事が感覚として失せようとしていたが、体だけは正直だった。

「そうだな。あとは、大会まで今のモチベーションを維持できるかにかかっている」

 そう言うと、マゼラウスは軽く息をついて、軽くトラックに目をやった。

「君が活躍できるチャンスを、増やそうということが、アカデミーで話題に上がっている」

「チャンス……」

「そうだ。ヴァージンの実力を生かす方法は、もっとあるんじゃないかと思ったんだ」

 マゼラウスは、ゆっくりと芝生まで移動し、そこで再びトラックを指差す。ヴァージンもタオルを持ったまま、急いでマゼラウスのもとに駆け寄った。

「このトラックを25周してみる気はないか?」

「25周……。10000m……!」

 ヴァージンは、拙い数学力を呼び起こして、25周の距離を計算した。そして、10000という数字を言った瞬間に力任せに手を叩いた。

「そう。君なら、10000mでも十分にその実力を発揮できると思う。5000mの残り3周で、ずば抜けたスパートを見せられるくらいなら、10000mでも十分力が余ってるだろう」

「はい」

「ヴァージン。学校で、10000m走ったことはあるか?」

「……学校ではないんですが、走ってました。アメジスタの、私の家の近くで」

 ヴァージンの記憶に、中等学校の頃ほぼ毎週続けていた10kmのトレイルランニングのことが思い出された。距離は正確でないにしても、起伏に富んだほぼ10kmのコースを走っていたのだった。

「そうか……。一応、10kmと10000mは、陸上競技の中では別物だが、経験はあるわけか」

「はい」

「なら、明日は10000mの走り方と5000mの走り方の違いについて、じっくり覚えてもらおう。勿論、5000mのトレーニングも続けるから、ここ数日の自分を忘れるな」

「分かりました」


「ヴァージン、10000mにチャレンジするのね」

 ロッカールームに戻るとグラティシモがベンチに座って深呼吸していたので、ヴァージンはそのことを口にした。すると、グラティシモの口からは割とあっさりした答えが返ってきた。

「グラティシモさん、たしか10000mで金メダルを取ったことがあるんですよね」

「よく知ってるじゃない。だいぶ前の話だけど」

「はい、雑誌で見たような気がするので」

 グラティシモは、今のように5000mを専門とする前には、10000mを専門としていた。10000mで世界競技会に出場した時、ライバルが多数いる中で彼女は何とかトップでゴールラインを踏んだのだった。

「ありがとう。で、ヴァージン。5000mのほうはどうするの?」

「続けるつもりです。夢にまで見た世界記録が、手の届くところまで来ているし……」

「そう。なら、まだ手をつけないほうがいいと思う」

 グラティシモは、軽く首を横に振ってヴァージンを見つめる。

「もしかして、大きい大会で、二つの競技で勝負してはいけないとか、ですか……?」

「そんな決まりはない。でも、同じ長距離走とは言え、やっぱり5000mと10000mは全然違うと思うし、両方に出てるアスリートがいい成績を残しているって話を聞いてないし……、それに……」

「それに……?」

 キョトンとした表情でヴァージンがそう答えると、グラティシモはゆっくりとベンチから立って、黒いツインテールの髪をサッと撫でた。そして、やや細い目でヴァージンを見つめた。

「私がメドゥに勝てないのは、5000mでトレーニングをした彼女より短かったから」

「そんなことないですよ、グラティシモさん。メドゥさんと十分争っていると思います」

「争えるだけじゃ、ダメよ。アスリートの世界では、結果が全て。少しでも後ろを走ってたら、負けなの」

「分かります……」

 ヴァージンは、グラティシモの口からでさえ「結果」の二文字がこぼれてきた瞬間に、唇を噛みしめた。結果が伴わなければ、勝ち負けどころか、居場所すらなくなることをつい先日思い知ったばかりだった。

 だが、ヴァージンはそれでも納得のいかない気がして、閉じた唇を何度か開きかけた。そして、ついに想いがその唇に伴った。

「でも……、でも……、練習している期間に差があっても、それを覆すことができるのが、私たちです」

「……っ」

 グラティシモの握られた拳が軽く震えるのを、ヴァージンははっきりと見た。それでも、彼女は続けた。

「練習した時間で全てが決まるなら……、私もグラティシモさんも、真面目に練習することなんてできないはずです!」

「な……、に……」

 グラティシモは、ヴァージンの口が閉じた途端、力任せにロッカールームの床を踏みつけた。

「なに勝ち誇ったことを言ってるのよ……!私に一度勝っただけなのに……!」

「そんなつもりで言ったわけじゃないです……!」

「そうだと思うんだけど……。分かってることを言われて、ちょっと悔しくなってね」

 既にグラティシモの目は険しさを失い、その表情からは軽く笑いさえ飛び出してくるようにヴァージンには見えた。果たして、それがヴァージンに敗れた「世界競技会銀メダリスト」の肩書きに対する恥じらいなのかは、その時のヴァージンには知る理由なんてなかった。

「とにかく、今のでやる気になった。私は、メドゥを絶対に追い越す。もちろん、ヴァージンも」

「分かりました」

 そう言うと、グラティシモはトレーニングシャツを入れたバッグを勢いよく持ち上げ、軽くヴァージンに振り向きながら、ロッカールームを出て行った。


(あれ……?)

 ヴァージンがワンルームマンションに戻ると、ポストに白い封筒が入っていた。その封筒の小ささに、ヴァージンは様々な憶測を思い浮かべ、右手で封筒をつかみ取ると、中身はおろか差出人まで見ることなしに部屋まで急いだ。

 そして、ドアを勢いよく締め、封筒を裏返した。その差出人に、ヴァージンは足が竦んでいる気がした。


 ――フェリシオ・アルデモード


(アルデモードさん……!)

 ヴァージンは、何度も首を横に振り、その差出人が見間違えでないかどうか何度も確かめた。だが、何度ヴァージンが見ても、アメジスタ語で「フェリシオ・アルデモード」と書かれていた。

(どうして、この場所を知っているの……)

 ヴァージンの実家であれば、最初にアルデモードと会ったときに家を見せているので、それを頼りにして調べれば手紙を送ることはできる。だが、住所はおろか、アメジスタを離れて選手生活を始めたことすら、アルデモードに言わずにアメジスタを出た以上、この場所を知っていることのほうがむしろ恐ろしく思えた。

 しかし、それを気にしていても仕方がない。ヴァージンは、ゆっくりと封筒の中身を見た。


~アメジスタから羽ばたいたアスリート ヴァージン・グランフィールド~

  元気で過ごしていますか。

  トレーニングに励んでいるのに、こんな手紙を送りつけてごめんなさい。

  久しぶりに僕の名前を見て、目を疑ったと思います。

  今日、この手紙を送ったのは、君に一度会って話がしたいと思ったんだ。

  たぶん、君が飛んで喜ぶ話ができると思う。

  だから、今度トレーニングがオフの日に、この手紙と一緒に入っている地図の会社の前まで訪ねて欲しい。

  君を、応援してるよ。


                                ~フェリシオ・アルデモード~


「アルデモードさん……」

 ヴァージンの脳裏に、あの日トレイルランニングをしているときに映った茶髪の男性が、はっきりと思い浮かんだ。彼女自身が、つい数時間前にトレイルランニングのことを思い浮かんだ時にはいなかったはずの、凛々しい男性の姿が、いま手紙の奥にはっきりと映っているように見えた。

「私に、どういう話があるんだろう……」

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