第64話 悲しみの先に見た真実(5)
グリンシュタインの北西部にある、アルデモードの実家を訪れるのは、ヴァージンにとって結婚の報告以来2回目のことだった。老夫婦で農業を営んでいる一軒家にヴァージンが現れると、二人とも手を止め、残念そうな表情を浮かべながら彼女に近づいてきた。
「大変残念な報告をすることになってしまい、妻として心苦しい限りです……」
ヴァージンが先に口を開くと、アルデモードの父・ギートは首を小さく縦に振った。トラックに轢かれて命を落としたこと、アメジスタではなくオメガで土葬になったことは、既にヴァージンからの手紙で知らされており、この期に及んで驚きを見せることはなかった。
「おそらく、そちらも辛かっただろう……。不甲斐ない子の相手をしていたら……、このような不幸なことに巻き込まれ……。あの誠意のある手紙を読んでも、決して、そちらのせいだとは思えない」
「本当ですか……」
ベッドの中で、何度も「私のせいで」と悔やんだことをヴァージンは思い出しかけたが、決してヴァージンを悪く思わないギートの表情を見るにつれ、ヴァージンは少しずつ脳裏からそれが消えていくのを感じた。
「それに、グランフィールドさんには、ここまでフェリシオを成長させてくれた借りが、いくつもあるわ」
横からアルデモードの母親・フェロリーナがしわがれた声で口を挟む。その言葉に、逆にヴァージンが驚いた。
「私に対する借り……、ですか……」
「そんな大した借りじゃないわ。でも、フェリシオがアメジスタから出て、世界でサッカーをしようと決意した理由も……、それからフェリシオがオメガで精神的な支えにしたのも……、グランフィールドさんだったわね」
「オメガで、私を心の支えにしていたってことですか……」
ヴァージンは、フェロリーナに言葉を返しながら、思わず息を飲み込んだ。これまで心に抱き続けていたアルデモードの像と実際には真逆であることが、初めてアルデモードの家族から告げられたことに、驚きを隠せない。
「フェリシオのことだから、そんな露骨に言うことも少なかったかも知れないわ。でも……、グランフィールドさんがアメジスタの外で戦っていると知って、フェリシオは私たちにはっきりと言ってたの」
――初めて、アメジスタ人が世界と戦っている。僕たちのアメジスタはもう、世界に見捨てられる国じゃない。
「だから、私に対しても……、何度も『アメジスタの偉大なアスリート』とか言ってくれたのですね……」
「そう。きっと、それがあの子が抱いた限りない尊敬の気持ちなんだろうな」
ギートの深い声に、フェロリーナは小さく笑い、ヴァージンはそっとうなずいた。
「私は……、さっきまでずっと、自分のしたことを悔やんでいました……。でも……、ご両親から初めてそんなエピソードを聞いて……、少しだけ心の傷が癒えたような気がします……」
ヴァージンは、涙が出ていることすら気付かず、二人の表情を見て程細と言葉を返した。
「まぁ……、そうは言っても、辛い気持ちがそう簡単に消えることはないだろう……。少なくとも、私たちはそちらの活躍を……、アメジスタに素敵なニュースを伝えてくれることを……、これからも待っている」
「ありがとうございます」
そう言うと、ヴァージンは形見として持ってきたサッカーボールとグラスベスのユニフォームを、アルデモードの両親に手渡した。それを見たフェロリーナは、「やっと……」と小さく呟きながら、ユニフォームを抱いた。
「これこそが、フェリシオがオメガでちゃんと活躍した証よ……。今まで、私たちはグランフィールドさんの活躍を聞いてきたのに……、サッカーはチームだから、フェリシオがどういう活躍をしたかも……、いや、どこのチームに入っていたかも分からなかったし……」
「お手紙とかは、なかったんですか……」
ヴァージンは、フェロリーナにそう言いながら、心の中では戸惑っていた。これまでヴァージンに対しては、アメジスタの家や、セントリック・アカデミーの宿舎などに手紙を送ったり、のちにヴァージンのアドレスにメールを送ったりしている姿からは想像もできなかった。
「たしか、元気でやっている、と年に1回送るくらいだったかもな……。チームも言わなかった。おそらく、亡命に近い状態で出ていったから……、あの子も私たちに対しては……、そちらとは全く扱いが違ったのかもな」
「ご両親に対しては何も言えなかったんですね……」
「そういうことだ。心の中ではアメジスタ人だと思っているようだが、それはそちらの活躍があったからこそ。それがなければ、アメジスタ人だったことを公言することもできなかっただろう」
ギートは、静かにうなずきながらヴァージンに告げた。
(私を支えにして……、アルはずっとオメガで活躍し続けてきた……。だからこそ、最後はアルの本音が出てしまったのかも知れない……)
その後も、しばらくアルデモードの両親との思い出話が尽きなかった。それでもヴァージンは、これまで抱いていたアルデモードの姿が、死をきっかけに少しずつ変わっていくのを感じた。
開発とは無縁と言っていいほど、グリンシュタイン近郊の田園地帯は静寂に包まれていた。夕日が傾き出したころ、ヴァージンはジョージの待つ実家に戻った。
「父さん、ただいま」
「あぁ。お帰り、ヴァージン。なんか、辛いことが度重なって起きたから……、手紙でものすごく心配したよ」
「少しずつ立ち直っているけど……、一番辛かったのは、アルデモードを失ったこと……。さっきも、彼の実家に顔を出してきて、いろいろ思い出話をしてきたけど……、アルデモードのほうが逆に私に勇気づけられていたと、彼の両親が私に教えてくれて……、どん底からは立ち直ってる……」
ジョージへの手紙には、世界記録を失ったこと、モデルシューズが発売取りやめになったことも書いていたが、大部分がアルデモードを失ったことだっただけに、ジョージも娘の言葉に真剣に耳を傾けた。
「たしかに、大切な人を失ったら……、しばらくは落ち込むよな……。私も、その気持ちは分かる」
「父さん……」
気が付くと、ジョージはより力のなくなったその腕で、より鍛え上げられた体のヴァージンを強く抱きしめていた。再び一人になったヴァージンに、ここが帰る場所だと教えているかのように、ジョージは娘の背中を何度も叩いた。
「でもな、ヴァージン……。こうして立っていること……、こうして世界で戦い続けていること……、それさえあれば、私は幸せだと思っている……。育てた身としては……、それが何よりなんだ……」
「私も……、父さんにはいつもそう思ってる……。できる限り、いい結果を届けたいと思ってる……」
ヴァージンがそう返すと、ようやくジョージの手がヴァージンから離れ、小さくうなずいた。それから数秒も経たないうちに、ヴァージンはジョージの目が徐々に細くなるのを感じた。
(父さんも、何か思うことがあるのかも知れない……)
ヴァージンは、荷物を彼女の部屋に運ぶ間、ジョージの表情が変わった理由を考えようとしたが、思いつかなかった。少なくとも、アルデモードの両親とは真逆の印象だった。たしかに、ヴァージンを慰めはしたが、その先に何かを告げたがっているように、彼女には見えたのだった。
その夜、ヴァージンのためにジョージが精いっぱい作った夕食を食べ終わると、ジョージが部屋に向かおうとしたヴァージンを呼び止め、再びダイニングテーブルに戻した。
「父さん、アルデモードのことでなんか気になってるの?」
「まぁな……。パートナーを失ったきっかけがきっかけだっただけに、少し思うことがあったんだよ。ちょっと、倉庫から取り出してくるから、待っててくれ」
「分かった」
ジョージに言われるがままダイニングに残されたヴァージンは、そこから見える四方八方の景色に目をやった。久しぶりにやってきた実家は、彼女がアスリートとして生きていくと決めた日からほとんど雰囲気が変わっていなかった。一つだけ大きく変わったことと言えば、ダイニングから小さく見えるジョージの書斎に、「ワールド・ウィメンズ・アスリート」で大きく掲載されたヴァージンの画像が切り抜きで貼られていることだった。
(父さんも、アルの両親と同じように、私の活躍をいつも気にしてくれている……)
ヴァージンがそう心に言い聞かせたとき、ジョージが倉庫から戻ってくるような足音が響いた。彼女が振り返ると、ジョージは一枚の古ぼけた紙を持っていた。
「父さん、それは……」
「ちょっとな、ヴァージンに見て欲しいんだ……。アスリートのお前なら……、きっと分かってくれると思う」
ジョージはそう言いながら、ヴァージンにその紙を渡した。その右下に書かれていた名前を見た瞬間、ヴァージンは大きく息を飲み込んだ。
(ヴィーナス・カーヴェル……。私の、母さんの名前……)