第64話 悲しみの先に見た真実(4)
ヴァージンの乗った飛行機は、グリンシュタイン国際空港に着陸した。飛行機の窓にタラップがゆっくりと近づくのが映ったとき、彼女はその先に見えるターミナルビルが緑色のシートで覆われていることに気付いた。
(改修工事……。いや……、その隣で新しいビルを作っている。全面的に作り変えているのかも知れない……)
ヴァージンが地上に降りたとき、これまで週1便しか運航がなかった頃には全く聞こえなかった、工事の音がする。それも、アメジスタでよく聞くような木工事の音ではなく、機械で作業を行っているような音だ。
アメジスタの空に、少しずつ新しい息吹が流れ始めていた。
(すごい……。これ、今までと違うアメジスタが見られるかもしれない……)
今にも天井が剥がれ落ちそうなターミナルビルを抜け、着陸に合わせて何十台も待ち構えているタクシーをヴァージンは捕まえた。乗り込むなり、彼女は「大聖堂まで」と行き先を告げようとしたが、ほぼ同時にタクシーの運転士が驚いたように振り向いた。
「もしかしてお客さん……、アメジスタの……陸上選手……ではないですよね」
(いきなり、私のことを分かってくれている運転士に出会えた……)
ヴァージンは、心の中で息を飲み込みながら、トーンを上げずに「私です」と返した。すると、運転士はヴァージンに何度もうなずきながら、安心したように微笑んだ。
「この顔が、以前中継で見たのとそっくりで……、体格もアスリートぽい感じですもの。乗り込んだ時に、アメジスタ人ぽいような雰囲気がしましたから、まずそうかな……と思ったんです」
「ありがとうございます。今までアメジスタで、こんなすぐ声掛けられることなんてなかったので驚きです」
「数年前まで、全くニュースにならなかったですからね。でも、おそらく……今は違うと思いますよ」
そう言うと、運転士はようやくドアを閉め、ボタンを一つ押した。すると、客席の前にある小さなモニターの電源が入り、衛星放送と思われるチャンネルが映った。ヴァージンは、アメジスタのタクシーにモニターがついているのを見たことはなかった。
(オメガでも、たまに見かけるようなモニターなのに……、アメジスタでもこういうサービス始めたんだ……)
不思議に思いながら、ヴァージンはモニターに目をやった。そこに映っていたのは、グローバルキャスのプライムチャンネルで、バスケットボールの大陸選手権の模様が中継されていた。
「これ……、グローバルキャス……。私のレースも、たまに中継されていたりします」
「できれば、全レース中継して欲しいくらいですよ。アメジスタを背負って戦うアスリートをもっと知って欲しくて、アメジスタ政府が真っ先にグローバルキャスの衛星放送を許可したんですよ。国内に放送局がない中で」
「私のところにも、グローバルキャスからそういう話はなかったです……」
「実は、内密にしていたらしいんですよ。グローバルキャスがアメジスタで流れていることを初めて知ったとき、お客さんがどう驚くんだろうなと……、ということで」
いつの間にか、タクシーはグリンシュタインの中心部に入っていた。内戦を免れたエリアでも、これまでのレンガ造りの建物が取り壊され、高さでは世界の大都市には及ばないものの、高層マンションの建設が始まっていた。市内を走る車の量こそこれまでと全く変わらないが、混みごみとしていたグリンシュタインは一気に近代化の道を歩みだそうとしていた。
「私のいたアメジスタが……、世界で一番貧しい国と思えないくらい、変わりつつあるんですね」
「そうですね。グリンシュタイン復興として、街で世界に追いつこうとしているんですよ。お客さんのように」
(私のように、世界に追いつこうとしている……)
ヴァージンは、タクシーの運転士の言葉に再びはっとした。アメジスタ出身の陸上選手ヴァージンに刺激され、アメジスタそのものが動き出していた。これまでヴァージンがどれだけ世界記録を出しても、その姿に見向きもしなかったアメジスタが嘘のように、「ヴァージンのように」という大きなスローガンを掲げていた。
「ここらへんで大丈夫でしょうか」
やがて、タクシーは大聖堂の少し先で止まった。タクシーの目の前では、大きなクレーンを使って建築資材が運ばれている光景が広がっていた。タクシーを降りると、彼女はその音に吸い込まれていくように、建設現場へとゆっくり歩いていった。
「これが……、アメジスタのみんなの夢が詰まった……、新しいスタジアムの卵……」
まだ外の骨組みもしっかりできているとは言えないものの、それまでスラム街、そして焼け野原が広がっていたエリアに、少しずつ「ここにスタジアムが建つ」という空気が溢れ始めていた。
(まだ実感は湧かないけれど……、私がずっと夢見ていた、アメジスタに希望を届ける場所が……、いつかこの場所にできるんだと……)
何ができるか知っている上に、その完成した姿をアメジスタ人の中で誰よりも分かっているヴァージンは、その目でスタジアムの成長に見入っていた。まだ土台作りといったところではあるが、資材が次々と運ばれている。
建築資材も、クレーンも、おそらくアメジスタ国外から仕入れたものである可能性が高い。だが、中で働いている人々は、物心ついたときからヴァージンが見続けてきた、一生懸命に働くアメジスタ人ばかりだった。
(アメジスタのみんなが……、アメジスタに希望を持ち始めているように見える……)
その時、ヴァージンは遠くから子供に呼び掛けられたような声を聞き、思わず目線を工事現場から後ろに移した。そこには、スニーカーを履いた10歳ほどの女の子と母親が一緒に歩いており、その女の子はヴァージンが振り向いたのを見るなり、真っ先に彼女の元に走ってきた。
「ヴァージン・グランフィールドがいるー!テレビでしか見たことないアスリートだー!」
(10歳ぐらいの女の子にまで、私の名前が知られている……)
やや小走りにヴァージンに近づいてくる女の子を、母親は早足で追いかける。だが、女の子の好奇心が勝り、ヴァージンは女の子にそっと手を差し出した。
「私のこと、テレビで応援してくれてるんだ……。ありがとう」
ヴァージンが屈みながら女の子の表情を見つめると、女の子は一度うなずいてヴァージンに告げた。
「あのね……。ママがテレビに興味持ってて……、ヴァージンっていうアスリートだけは絶対に覚えたほうがいいって言うから覚えたんです。見た目がとっても強くて、すぐに好きになりました……。こうして私の前にいることが信じられないくらいです」
「そうなんですね……。そう言ってもらえると、私も……、とても嬉しくなります」
ヴァージンがそう言うと、母親がようやく二人の元にやってきて、女の子の手を掴んだ。
「すいません。この子が、呼び捨てとか、ものすごく失礼なことを言ってしまって……」
「大丈夫です。私は気にしていませんし、それがこの子の純粋な気持ちだと思うんです。私が、アメジスタで特別な存在だということも知ってて……、言ってくれたことですし」
「たしかに、覚えたほうがいいと言いましたが、それ以上のことは何も言ってないです」
女の子の母親は、やや照れながらヴァージンに告げた。すると、女の子が母親の手を引っ張って、揺さぶった。
「ママ、言ってた。ヴァージンは、この中でたった一人の、アメジスタ生まれのアスリートだから、って」
「子供の言う通りです。今のところ、まだ私しかいないですから……。でも、それに気付いているだけでも、アメジスタ人の私としては、ものすごく嬉しいです」
ヴァージンがそう言うが早いか、女の子がヴァージンの胸に飛び込んだ。ヴァージンは反射的に両腕で女の子を抱き上げ、その嬉しそうな表情を何度も目に焼き付けた。
(私がアメジスタのアスリートだと思ってくれている人が……、こんなにたくさんいる……)
その女の子の声に刺激されたのか、グリンシュタインの街行く人々がヴァージンの姿に目を留め、物珍しそうに見つめていた。誰もが、同じアメジスタ人の選手だという目で見ているように、ヴァージンの目に映った。
(これまで何度もアメジスタに戻ったけど、今日はレースに出るときくらい、みんなから注目されている……。それが何か、ものすごく嬉しく思えて仕方ない……)
やがて女の子は、母親の手をつないで歩きながら日常に戻っていく。それでも、その後ろ姿からはアメジスタのアスリートに会えたという喜びがはっきりと伝わってくるようだった。それを見て、ヴァージンははっきりとうなずいた。
(私の支えは、自分が背負っている、このアメジスタそのものなのかも知れない……!)