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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
出会いと別れは突然訪れる
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第64話 悲しみの先に見た真実(2)

 ヴァージンは、世界競技会の後に何もレースを入れておらず、来年早々の室内選手権まで時間があることから、打ち合わせまでの二日間は軽めのトレーニングに終始した。プロメイヤに世界記録を奪われた直後なだけに、できればトレーニングでもプロメイヤに出された記録を上回りたいという気持ちもあったが、気持ちが沈みかけた状態の中で体を無理することもできなかった。

(気持ちの整理ができたら、またトップスピードで立ち向かっていくか……。しばらくすれば、アルのいない生活に慣れるような気がするけど、今のところそれがいつになるか、全然分からない……。なるべく早く、絶望から立ち直れたらいいけど……)

 これまで、競技生活に支障が出るほどのショックを何度も受けてきたヴァージンでさえ、競技生活を続けているうちに出会いたくないと考えていたショックが、相変わらず彼女の周りを取り囲んでいた。まして、結婚してわずか1年9ヵ月でその現実が起きてしまっただけに、彼女にはショックがどこまで抜け切っているのかすら分からないほどだった。

 相変わらず、ハイスピードを見せようとヴァージンの足を羽ばたかせようとしている「フィールドファルコン」のパワーを、この二日間ほとんど使うことなくトレーニングは終わった。


(エクスパフォーマとの打ち合わせだから……、「フィールドファルコン」を履いて行った方がいいのかな……)

 フラップが「エアブレイド」で世界記録を奪ったというのが打ち合わせのテーマであるとすれば、ヴァージンの選手モデルとして発売されたばかりの「フィールドファルコン」の話題にも及ぶはずだ。よりパワーを吐き出せるような改良版を作るということであれば、いま履いているものを打ち合わせに出したほうがいいはずだ。

(たぶん、その話しかしないような気がする……。何故、「フィールドファルコン」は「エアブレイド」に負けたのかと……)

 ヴァージンは、翌日の打ち合わせで履いて行く用の「フィールドファルコン」を手に取りながら、小さくため息をついた。時間を追うごとに不安が不安を呼んでならなかった。


 あまり激しいトレーニングをしなかった上に、打ち合わせの内容ばかりを考えていたヴァージンは、その夜は何故かぐっすり寝つけたような気がした。そして、すがすがしい朝を迎えると、誰もいない広い家からフォーマルバッグに「フィールドファルコン」を履いて、エクスパフォーマ本社に出向いた。

「いつになく、早くお越しいただきましたね」

 エクスパフォーマ・トラック&フィールドの開発本部長、ヒルトップはビルのロビーで資料の整理をしながら驚いたような表情を見せた。エクスパフォーマのモデルアスリートに選ばれたヴァージンが、最初に出会った時のヒルトップに比べると幾分白髪が増えてきているように思えた。

 だが、髪以上にヴァージンの目に留まったのは、ヒルトップがロビーに並べている資料がほとんどなかったことだった。少なくとも、商品のカタログや仕様書の束といったようなものは、彼女の見える位置になかった。

(いったい、これからヒルトップさんは何を話し出そうとしているんだろう……)

 ヒルトップに招かれるまま、ヴァージンは彼に向き合うように座った。すると、ヒルトップは軽く腕を組んで、一度深いため息をついた。

「まず、今回は残念な結果に終わってしまいましたが、グランフィールド選手の世界記録に立ち向かう姿には、私どもは毎回注目しております。『フィールドファルコン』で、グランフィールド選手がどこまでスピードを上げられるか、ラップタイムとか……見た目のスピードとか、ずっと釘付けになっております」

「ありがとうございます。私も記録が出るたびに、心の中でありがとうって言っています」

「いえいえ。まだ半年ちょっとしか経っていませんが、『フィールドファルコン』は本当にグランフィールド選手のお気に入りのシューズになっていただけたようで……、それがメーカーとしては何よりの幸せです」

 そのように答えるヒルトップだが、組んだ腕をほどこうとはしなかった。一息つくと、ヒルトップはやや目を細め、これまでとは明らかに低い声でヴァージンに告げた。

「今日、グランフィールド選手を呼び出したのは、まだ私どもとして正式な発表をしていないのですが……、その『フィールドファルコン』に関する重大なお話なのです……」

「このシューズに、何かあったのですか……」

 ヴァージンが履いてきた「フィールドファルコン」をゆっくりと上げると、ヒルトップは首を横に振った。

「不具合とか、そういう話じゃないですから、そこは間違いないで聞いて頂きたいのですが……、この『フィールドファルコン』は、女子長距離用シューズとしてあまり売れ行きが良くないんですよ……」

「『Vモード』と比べると、どういう感じなんですか……」

 ヴァージンは、突然告げられたシューズの売れ行きに、小さく息を飲み込んだ。その中で、ヒルトップは用意していた資料の中から一枚の紙をヴァージンの前に差し出した。

「たしかに、グランフィールド選手がプロモーションイベントを行ったこともあり、最初の1ヵ月はお買い上げ頂く方が多かったのです。ですが、いかんせん高速域のパワーを重視し過ぎたので、5000mをラップ90秒とか100秒とかで走るような一般ランナーには、私どもの『フィールドファルコン』のパワーを全く使えないという声が多くなりました」

「そうなんですか……」

 ヴァージンは言葉を詰まらせた。エクスパフォーマからシューズの提供を受けてから、これで3モデル目になるものの、ヒルトップからここまで告げられたことは初めてだった。

「私どもとしては、グランフィールド選手に合わせ過ぎたということになりまして……、世界競技会後を目途に、来年のオリンピックを見据えた戦術を考えなければならなくなったわけですが……、さらにもう一つ難題が起きました」

「その難題というのは、どういったことでしょうか」

 徐々に険しくなっていくヒルトップの表情を、ヴァージンはじっと見つめる。朝の光が差し込む明るいロビーの一角で、そこだけ異様な雰囲気になっていることを、二人は全く感じなかった。

「国際陸上機構が、『フィールドファルコン』を問題視したのです。『フィールドファルコン』そのものが、グランフィールド選手にとってドーピングのようなシューズなのではないか、と言われまして……」

「シューズでドーピングしているなんて……、私は一度も思ったことがありません」

「使っている本人は、記録が出ているし、まだまだ使い続けたいと思うことでしょう。ただ『フィールドファルコン』を履けば世界記録が取れるということになると、他のシューズメーカーからいろいろ言われるわけです。実際、国際陸上機構がそのような意見を述べるまで、ローズ姉妹や、今回世界記録を出したプロメイヤ選手も……、高速スパートを出せるような選手だけが『フィールドファルコン』を称賛していたのです」

「プロメイヤさん、最初に見たときは『フィールドファルコン』でした」

 ヴァージンは、ネルスでのレースでプロメイヤのラストスパートを見せようかという瞬間を目の当たりにした。あの場で、当時の世界記録に限りなく近いタイムを出すこともできたはずだ。だが、その後プロメイヤは「フィールドファルコン」を捨て、ライバル会社の厚底のシューズに乗り換えてしまった。

「実は、今回の世界競技会でグランフィールド選手が世界記録を出していれば、おそらくどこかが私どもを名指しして是正を呼び掛けていたはずです。最悪、陸上機構公認のレースで使用できなくなる可能性もありました。プロメイヤ選手は、いち早く動きを察したのかも知れません」

 ヒルトップは、そこで小さくうなずいた。一方のヴァージンは、小刻みに震えていることに、ここでようやく気付いた。

「今回、プロメイヤ選手フラップというライバル会社の、私どもと全く違う性質のシューズで世界記録を叩き出しました。一応、『フィールドファルコン』しか世界記録を出せないというようなこともなくなったのですが……、私どもの商品についた悪いイメージは変わりません」

 ヒルトップは、そこでヴァージンをじっと見た。ヴァージンには、彼が何を言いたいか99%分かっていた。


「というわけで、大変残念ではあるのですが、『フィールドファルコン』をグランフィールド選手のモデルとして一般向けに販売するのを、今シーズンいっぱいで取りやめることにしました。勿論、これからもグランフィールド選手にはお送りいたしますし、必要ならば細かい改良も致しますが……、モデルシューズとして一般に出回ることはこの先ないでしょう」


 その後、ヒルトップからは「フィールドファルコン」のスピードを出すメカニズムを短距離向けのシューズに使うなどという説明があったが、専門外なだけにほとんど彼女の耳に入ってこなかった。

 ショックから立ち直れると思っていた打ち合わせの席で、再びショックなニュースを聞くことになろうと思わなかった。それだけに、この先もヴァージンへのサポートが何一つ変わらないとは言え、彼女は呆然とするしかなかった。

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