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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
出会いと別れは突然訪れる
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第63話 勇気の翼 力尽く(6)

(世界記録を出された……)

 ヴァージンが6年ぶりに見た、自身の脚で叩き出したわけではない世界記録。ウォーレットから取り戻して以来守り続けてきた女子5000mの世界記録を、デビュー間もない新たな「強敵」に明け渡した――それが、記録計の物語る現実の全てだった。

 ヴァージンは、呼吸を整えながらプロメイヤに近づき、疲れ切ったその腕で彼女の肩を二、三回叩いた。

「世界記録、おめでとうございます。私の負けです……」

 すると、プロメイヤは小さく首を横に振りながら、ヴァージンをそっと抱きしめた。

「私も、世界記録まで出せるとは思わなかった。今でも信じられないくらい。でも、逆に言えば、それだけ女王ヴァージン・グランフィールドが強すぎる存在だった、という証拠なのかも知れない……」

 勝負に打ち勝ったプロメイヤは、予選の始まる前と比べると声のトーンが落ち着いていた。対抗心をあらわにしていた言葉の数々からは考えられないくらいに、自らが目標にしてきた存在を称えているかのように思えた。

(なんだろう……、これはイリスさんがオルブライトさんに言ったような言葉に……、似ているのかも知れない)

 プロメイヤの顔を見上げながら、ヴァージンは一粒の涙を流した。そして、再びプロメイヤの肩を叩いた。

(それに……、ウォーレットさんの時はしばらく呆然としていたのに、今日はプロメイヤさんを素直に称えられている……。新しい世界記録を受け入れている……。それだけ、プロメイヤさんは強かった……)

 ヴァージンは、一度首を縦に振ってプロメイヤから腕を離した。その時彼女は、足元の「フィールドファルコン」が少しずつパワーを取り戻し、プロメイヤともう一度戦いたいと叫ぶ「翼」の声を感じた。


「コーチ……。今日は完敗です。自分の足が、最後前に出なくなりました」

 スタンドに駆け寄ると、ヴァージンはマゼラウスの落ち着いた表情を見ながら、もう一度涙を流した。

「気にするな、ヴァージン。プロメイヤさんが本気のスパートを決めてくると、お前だって意識してきたはずだ」

「スパートが、予想以上に凄かったです。今まで公式のレースで敢えて見せてこなかったのも……、向こうの作戦勝ちと言うしかありません……。でも……、わずか0コンマ04秒だから……、まだ追いつけるはずです」

「だな。お前には、まだ記録を縮められる余地があるはずだ。気を落とさず、お前の代名詞を意識し続けろ」

「分かりました」

 ヴァージンがマゼラウスから目を離した瞬間、スタンドの中段で「Go!! WORLD RECORD QUEEN!!」の垂れ幕が力なく折りたたまれていくのをヴァージンは見た。文字が全く見えなくなるまで、彼女はそれを見続けた。

(ワールドレコードクイーン……、まだ私はその肩書きを取り戻せる……!)

 ヴァージンが心の中で強くそう意識したとき、地元テレビ局のスタッフと思われる小太りの男性が、ヴァージンの横に近づいてきた。マイクを持っていないので、音声がそのままテレビに流れることはなさそうだ。

「グランフィールド選手、国際メディアのインタビューの後、私たちアフラリチャンネルの単独インタビューに応じて頂けませんでしょうか。どうしても特集で取り上げたいものですので」

「分かりました……。もう世界競技会でのレースはないので、メディアセンターが開いている限り大丈夫です」

 ヴァージンは、インタビューの誘いに簡単に応じた。だが、それが第二の悲劇の幕開けになろうとは、彼女自身、全く思っていなかった。


「世界記録を奪われることがどれだけ辛いことか、世界記録を誰よりも意識し続けたグランフィールド選手の口からよく分かりました。今日は、どうもありがとうございました」

 アフラリチャンネルの世界競技会メインパーソナリティと思われる男性のインタビューは、世界記録そのものに重点を置く淡々としたものだっただけに、ヴァージンは中継が切れると拍子抜けしたようにため息をついた。

 だが、次の瞬間、メインパーソナリティの男性は少し微笑みながらヴァージンに声を掛けた。

「いやぁ、私、グランフィールド選手がストレス抱えてらっしゃると思って、少し身構えながらインタビューしてたんですよね。なので、これだけ違和感なくまとめられて、やっぱりグランフィールド選手は勝負に生きる女性なんだと改めて思ったんです」

「私、ストレスなんか抱えていません……。あのスパートを見せられたら、世界記録を奪われて当然ですし」

 ヴァージンは、拍子抜けした声のまま返す。すると、メインパーソナリティの男性は少し驚いたように尋ねた。

「グランフィールド選手、夫の不倫のことは気にされていないんですね」

(えっ……、不倫……)

 ヴァージンは、何かを言おうとしたが、突然わき起こった震えにかき消されてしまった。アメジスタでもオメガでもなく、アフラリのメディアからアルデモードのことを突然口にされ、何のことか分からないまま彼女はメインパーソナリティの次の言葉を待った。

「夫のアルデモードさんが……、移籍活動もろくに行わずに、オメガのガールズバーで若い女性とベタベタしていると、多くのゴシップ雑誌が取り上げているので、レースを前に少し意識したのかと思いまして」

「すいません、それは今初めて知りました……」

 ヴァージンは、突然頭の中が真っ白になった。たしかに、世界競技会に出かける前日、リビングでガールズバーのチラシが置かれていたことは知っていたものの、それ以上深くは突っ込もうとしなかった。ヴァージン自身も、レースを前にして不安を抱えたくなかった。その中でヴァージンの知らない中で動いていた事態が、レースを全て終えた今になって全て思い知らされたことが、彼女にとって何よりも悔しかった。

 中継が終わっているのに、メディアの癖からかマイクはヴァージンに向けられたままになっていた。それに気付いた彼女は、思わずマイクに向かって言い放った。

「私……、アルデモードさんを信じています……。不倫をしている現場を見てしまったメディアもありますが、私は……、アルデモードさんのたった一人のパートナーが私だということを、強く信じています」

「それでもグランフィールド選手は、夫の不倫を怒らず、信じたいわけですね」

「メディアで怒っても仕方ありません。家庭内のことですし、本人には直接届きませんから。あとは、本人とじっくり相談して……、心のすれ違いをなくしていこうと思います」

 ヴァージンがそう言うと、メインパーソナリティが小さく「分かりました」と言いながら、席を立った。やや遅れてヴァージンも席を立ったが、その前に行われた国際メディアのインタビューで話したことすら忘れてしまいそうだった。


(忘れよう……。世界記録を奪われたこと以上の悪夢を……)

 リビングにあったガールズバーのチラシと、不倫の噂を告げられたインタビューが頭の中を交互に駆け巡り、ヴァージンは何度もため息をつきながらホテルに戻った。そこでパソコンを開き、メールを確認した。


――最速女王は、それでもヴァージンだって信じてるよ!僕の中では、ヴァージンが最強さ!

――6年ぶりに世界記録を奪われて、ショックを受けていると思います。でも、グランフィールド選手はここで足を止めてしまうようなアスリートじゃないって、信じてます。次のレースも待っています。


(みんな、冷静に今回の敗北を見ている……。私が落ち着いていた分、みんなもそんな騒いでない……)

 彼女は、ウォーレットに世界記録を奪われた直後のことを思い返した。その時は「見損なった」「所詮アメジスタ人」などというメールがいくつか見られた。だが今回、数多くの世界記録を叩き出し、その時よりも数多くのファンに支えられているヴァージンには、同情の言葉が絶えなかった。

(私は……、多くの人間に世界最速と思われている……。次の世界記録を待っている……)

 そう思いながら、ヴァージンはさらにメールを辿った。だが、それから数秒もしないうちに、タイトルに「夫」の文字が入った新たなメールが受信ボックス飛び込んできた。

(やっぱり……、アルの不倫はいろいろなところで噂になっていたかな……)

 ヴァージンは、そのメールを開いた。次の瞬間、手が固まった。


――中継に流れていない、アフラリチャンネルのインタビュー動画を見ました。夫の不倫に動じないヴァージンさんは、とても強い女だと気付きました。アスリートには、メンタル面でのタフさも必要になってきますよね。


 添付ファイルには、正面とは別のカメラが撮っていた動画が貼り付けられていた。しかも、アフラリチャンネル公式が撮影した動画として紹介されており、インタビューからわずかな時間で編集してネットに流したのだ。

(隠し撮りされた……。マイクがまだ向けられていたのは、そういうことだった……)

 今更、インタビューの内容を取り消すことはできなかった。それ以上にヴァージンが意識したのは、その動画自体をアルデモードも見ているかも知れないという恐怖だった。

(これは、家に戻ったらアルと本気で話さなきゃいけない……。アルの、ただ一人のパートナーとして……、やるべきことをやらないといけない……)

 ヴァージンは、パソコンの画面を見つめたまま、アルデモードに対する言葉を考えるほかなかった。


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