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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
出会いと別れは突然訪れる
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第63話 勇気の翼 力尽く(4)

 スタインでの世界競技会は、10000mの興奮が冷めぬまま、それから中1日置いて5000m予選になった。

 午前中の競技ということもあり、ヴァージンは開門時刻よりもやや早めにスタジアム入りしたが、門のすぐ右にプロメイヤの姿があった。茶髪を朝の光になびかせながら、プロメイヤは軽くストレッチをしていた。

 だが、ヴァージンが気になったのは彼女の行動ではなく、シューズだった。

(やっぱり、プロメイヤさんはフラップの「エアブレイド」に乗り換えた……)

 ネルスで初めてプロメイヤのレースを見たとき、彼女の足にあったのは「フィールドファルコン」だった。だが、その後イリスのレースを見に行った日に出会った時は、エクスパフォーマのライバル会社、フラップのロゴの見えるシューズを履いてトレーニングをしていた。それだけに、レースでどのシューズを履いているかどうかは、気にしてしまうのだった。

(私と同じような走り方をするのに、プロメイヤさんは「フィールドファルコン」を使わない。「エアブレイド」もトップスピードでのパワーがすごいのかも知れない)

 そう重いながら、ヴァージンは再びプロメイヤのシューズを眺めた。長距離用シューズ「エアブレイド」は、多くのライバルの履いているシューズよりも底が少しだけ厚いため、走る姿だけで目立っている。フラップが「フィールドファルコン」とほぼ同時期に「エアブレイド」を発売したことは知っていたが、底の厚さをこれまでより大きく変えたため、ここまでそれを履くようなライバルに全くと言っていいほど出会わなかった。

(底が厚い方が、プロメイヤさんにとっては記録が出るのだろうか……。でも、ネルスでは4600m過ぎまで、「フィールドファルコン」で私よりも少しだけ速いレース展開をしていたはず……)

 ヴァージンは、ネルスでのプロメイヤの走りを頭の中に思い浮かべていた。だが、あえて「フィールドファルコン」から乗り換えるような特段の理由は思い付かなかった。逆に、それを考えるにつれて、バッグの中で勝負の時を待っている「フィールドファルコン」からパワーが溢れ出てくるように、ヴァージンには思えた。


 やがて門が開き、ヴァージンは真っ先に選手受付に向かった。他の種目の選手も揃っているため、受付に数多くの選手が並んでいるが、何故か彼女の前にプロメイヤの姿はなかった。

(予選から、プロメイヤさんが一緒に走る……。いつも以上に、プレッシャーを感じる予選になりそう)

 13分台を叩き出せそうな選手の中で、ヴァージンとプロメイヤが予選1組、ローズ姉妹が予選2組に割り振られていた。この4人の決勝進出はほぼ間違いないものの、決勝でのポジション争いを考えれば、予選であっても決して無視できないレースになる。

(少なくとも、決勝で私が挑まなければならないのは3人……。だからこそ、まだ見せていない私の走りを、ここでプロメイヤさんに見せないといけない……)

 ヴァージンは、受付を済ませると、普段のようにロッカールームに急いだ。朝のロッカールームもまた混雑しており、ヴァージンは普段と違って奥の方のロッカーまで進まなければならなかった。

(ここまで奥に来たの、初めてかも知れない……)

 ヴァージンは、ピンク色のベンチの上にボストンバッグを降ろすと、ベンチに座って中からレーシングウェアと「フィールドファルコン」を真っ先に取り出し、それからゆっくりと顔を上げた。

 直感的に、冷たい視線がヴァージンの上から降り注いでいるように感じられた。

「予想していたとおり、予選から私と女王と戦うわけね。楽しみになってきた」

 ヴァージンは真上から見下ろすプロメイヤに向けて目を細め、それからゆっくりと立ち上がった。

「私だって、プロメイヤさんという未知のライバルと戦うと知って、ものすごく楽しみです」

「アスリートは、誰だってそう思う。でも、私はもう、明後日の決勝でヴァージン・グランフィールドに勝てる夢しか、この1ヵ月くらい見てこなかったから、その瞬間を見るのが、一緒に走ること以上に楽しみ」

「プロメイヤさんの夢は、夢でしかないはずです。勝負しなければ、分かりません」

 ヴァージンがプロメイヤにきっぱりと言うと、プロメイヤの表情が少しだけ緩み、その後すぐにヴァージンから目線を離した。それから、ヴァージンのすぐ隣のロッカーに荷物をしまい始めた。

「夢見ることがどれだけの力を生むか、アーヴィング・イリスに教えたのはあなたよ。特にトップアスリートはその夢が大きいほど、本番で実力を発揮できるはず」

「私だって、優勝と世界記録を夢見ています。それを目標に、毎日トレーニングしてきたわけですから」

「なるほどね」

 そうプロメイヤが言い残すと、彼女はそれ以上何も言わなかった。


 サブトラックや集合場所、そしてスタートラインでも二人は何度も顔を合わせるが、ほんのわずか目が合うだけで、ヴァージンもプロメイヤも何も言葉を発しようとしなかった。そして、予選1組の時間を迎えた。

(よし……)

 ヴァージンは、プロメイヤの顔を最後に横目で見て、予選のトラックに飛び出した普段通りラップ68.2秒のペースで一気に前に踊り出て、最初のコーナーに差し掛かる。

(さぁ、プロメイヤさんがどのようなペースで私の前に出てくるか……)

 ネルスでは、プロメイヤが序盤からラップ68秒のペースでレースを引っ張っていた。トレーニングでも68秒ちょうどのラップを重ねたことのないヴァージンは、すぐにプロメイヤが前に出てくるものだと思っていた。

 だが、プロメイヤは前に飛び出してくるどころか、ヴァージンの背後からもその気配を消すのだった。

(2位集団が、どんどん離れていく……。プロメイヤさんも前に出てこない……)

 1000mを過ぎたあたりで、ヴァージンはコーナーの中盤から後ろを振り返った。2位集団はこれからコーナーに差し掛かろうというところで、それを引っ張っているのがプロメイヤだった。

(プロメイヤさんが、完全に流しているように見える……)

 プロメイヤが、大きくストライドを取りながらもゆったり走っている。ヴァージンよりも大きいストライド――4000mを過ぎたあたりに見せるような走り――ながらも、その表情は全く疲れていない。

(プロメイヤさんがラップ68秒で走れるのは、無理のないことかも知れない……。いや、もしかしたらそれよりも速いペースで走っても大丈夫なのかも知れない……)

 ヴァージンは、目線を正面に戻した。その後は決して後ろを振り返ることはなかったが、プロメイヤの気配が他のライバルの中に紛れていくことだけは、彼女にもはっきりと感じられた。

(間違いなく、プロメイヤさんはここでも本気で走っていない……)


 ヴァージンは、最後こそトップスピードを抑えたものの、それでも予選ながら14分02秒33のタイムで走り終えた。2位集団はそこから半周近く後ろを走っており、プロメイヤはその中でも後ろの方にいた。予選1組全体で言えば5位か6位で、2組のレース展開にもよるが、何とか予選通過ができるような位置にいた。

(14分32秒ほど……。プロメイヤさんは、予選で完全に流した……)

 ヴァージンが序盤で見た、ゆったりとしたプロメイヤの走りが、ゴールを駆け抜ける時にはさらにゆったりとしているように見えた。だが、ヴァージンが予選を走り終えたプロメイヤに近づこうとすると、プロメイヤはヴァージンに全く気付かないままスタンドに向かってしまった。

 次の瞬間、ヴァージンは息を飲み込んだ。

(予選で6位なのに、プロメイヤさんがコーチとハイタッチしている……)

 プロメイヤが、若い黒髪の男性に何か話しているが、きついアドバイスを受けているどころか、その男性は何度も笑っていた。それから、プロメイヤがヴァージンにまっすぐ腕を伸ばすと、二人はうなずいた。

(もしかしたらプロメイヤさん、私の走りを2位集団からじっと研究していた……)

 ヴァージンがプロメイヤの走りを全く見られなかったのと対照的に、世界競技会で最大のライバルになるかも知れないプロメイヤは世界女王の走り方を完全に見ていたことになる。

(予選もトレーニングも本気で走ること、もうプロメイヤさんには見透かされている……。でも、決勝でプロメイヤさんが本気を出せば、私だってより本気になれる)


 その後行われた予選2組を見ることなく、ヴァージンはホテルに戻った。後で確認したところ、プロメイヤは予選全体で13位と、その力を完全に温存しつつ決勝に進んだ。

 その結果を見て、ヴァージンは予選直後にプロメイヤの見せた自信が不気味にさえ思えた。それでも、ヴァージンは首を横に振って、目に焼き付けた光景を振り切った。

(私は、やろうと思えば13分53秒02、いやそれ以上に速く5000mを走りきることができる。私が本気で走る以上、プロメイヤさんに負けるはずがない)

 ヴァージンは、二日後の決勝に向け、自信を持ってうなずいた。


 だが、ヴァージンが信じたくない現実は、すぐそこに迫っていた。

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