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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
出会いと別れは突然訪れる
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第63話 勇気の翼 力尽く(2)

「ロイヤルホーン!世界最高峰のレースで頂点に立つのは、君しかいない!」

 女子10000mの開始時間が迫り、ヴァージンと17人のライバルが一斉にスタート位置へと案内される。その瞬間、スタジアムに流れていた空気が歓声とともに一気に湧き上がった。世界記録を持つヴァージンや、これまで何度もヴァージンと勝負し続けたヒーストンを差し置いて、誰もが地元アフラリの若きアスリートを応援する。

 だが、あちこちから起こるロイヤルホーンへの声援は、逆にヴァージンの集中力を高めていった。

(ロイヤルホーンさんの地元だから、久しぶりにここまでアウェイになった気分。でも、周りがみなロイヤルホーンさんを応援する中でも、私は自分の走りを失いたくない……!)

 ヴァージンは、スタジアムにわき起こる声援の中から、ヴァージン自身への応援を聞き分ける。世界女王への声も、その中にたしかにあった。ロイヤルホーンと呼ぶ声がこだまする中でも、決して呑まれなかった。

(私は、今や10000mでも最速女王と呼ばれる。相手が強いほうが、逆に世界記録との勝負だって面白くなる)

 ヴァージンは、隣のレーンでスタートを待つロイヤルホーンの黒髪を見つめながら、自らに言い聞かせた。あくまでも、勝負すべき相手は29分28秒85の自己ベスト、すなわち世界記録だった。

「On Your Marks……」

 スターターの低い声がスタジアムに響くと、ようやく歓声が小さくなった。ヴァージンの目が、これから立ち向かうトラックをじっと見つめると、両足に携える「フィールドファルコン」からも力が湧き上がってきた。

(よし……)

 大きく息を吸い込み、吐き出す。それから1秒だけ心を落ち着かせると、勝負の号砲が鳴り響いた。トラックに繰り出したヴァージンの体が、一気にラップ72秒ペースまで駆け上がらせていく。

(ロイヤルホーンさんは、ネルスのレースで3000m過ぎるまで私のことを様子見していた……。でも、今日は最初からレースを組み立てているはず……)

 最初の400mは、何人かのライバルがヴァージンの真後ろにぴったりと付いていたが、その中にロイヤルホーンの足音だとはっきりと分かるものはなかった。ヴァージンよりも背の高いロイヤルホーンは、やや高いところから息遣いが聞こえてくるにもかかわらず、だった。

(ロイヤルホーンさん、最初から私に付いて行こうとはしていない。きっと、少しでも速いスパートで勝負しようと、力を抑えているはず)

 3000m過ぎに前に出てきたネルスでのレースさえなければ、ロイヤルホーンの作戦をもっと多く考えることができた。逆に、以前戦っているからこそ、ロイヤルホーンが一筋縄ではいかない存在だと、ヴァージンはその脚に言い聞かせることができた。


 ラップ72秒ペースを維持する中で、2000mのラインを駆け抜けた。その頃には、ヴァージンの真後ろで粘るのはヒーストンただ一人になった。ロイヤルホーンの息遣いが、ヴァージンの耳にはその15mほど後ろから聞こえてくるように感じられた。ラップにすると、ロイヤルホーンは73秒に限りなく近い72秒で走っているようだ。

(ロイヤルホーンさんの気配を、ようやく感じることができた。あとは、それが近づいてくるのを待つだけ……)

 間にヒーストンの足音を挟むものの、ヴァージンは後ろのロイヤルホーンの息遣いが絶えず聞こえてくる。レース中に集中し続けるわけにはいかないものの、その息遣いが少しずつ大きくなってくるようにヴァージンには感じられた。

(ロイヤルホーンさん、やっぱり3000mあたりで一度勝負に出ようとしている……!)

 ヴァージンが3000mを9分ちょうどで駆け抜けたとき、彼女の耳に聞こえる足音が予想通り入れ替わった。それとともに、これまでかすかにしか聞こえなかったはずのロイヤルホーンの息遣いが、ここで鮮明になった。

 そして、間を置かずしてヴァージンの背中にその高い背丈の影を落とし始めた。

(ロイヤルホーンさん、一気にペースを上げた……!ここからどう出てくる……)

 3600mに差し掛かる直前で、ロイヤルホーンがヴァージンよりも数歩後ろに迫った。だが、ネルスでのレースと違って、ここでロイヤルホーンが一気に前に出てくるようなことはなかった。ヴァージンと同じラップ72秒ペースに落ち着かせた後、真後ろからヴァージンを揺さぶる作戦に出た。

(まだ、私と勝負するタイミングを決めかねている。ラップ71秒から一気に落とした、ネルスの時のよう……)

 ヴァージンがそう心に言い聞かせたると、「フィールドファルコン」がその言葉に刺激されたかのように、より大きなパワーを彼女の脚に伝えだした。勝負を仕掛けたい、と強く訴えている。

(少しだけペースを上げて、ロイヤルホーンさんがどう出てくるか……)

 残り6000mほど。ラップ72秒から少しだけペースを上げることは、いまのヴァージンに難しい作戦ではない。右足を強く踏み込んで、ヴァージンはストライドをやや大きく取った。体感的には、ラップ71.5秒ほどだ。

 それから1周、ヴァージンにぴったりと付いていたロイヤルホーンの足音が、わずかに小さくなった。後ろを振り向くことはしなかったが、ロイヤルホーンが72秒ペースで様子を伺っていることだけは間違いなかった。

(ここでペースを緩めれば、ロイヤルホーンさんが早めに勝負に出る。いや、いつかロイヤルホーンさんが勝負に出るはずだから、また気配が大きくなったらペースを上げるようにしないと)

 ヴァージンは、ラップ71.5秒前後のペースを維持したままラップを重ねる。5000mのペースと比べればほとんどスピードを感じないレベルの「ゆったりとした」ペースだが、そのペースの中でも彼女は残り1000mのスパートまでのペース配分をどう組み立てていくか考えていた。

(このまま行けば、残り1000mで26分52秒くらいになる。それだと、5000mのようなスパートを見せない限り、記録更新は難しい。できるなら、その前にロイヤルホーンさんと勝負するか、また引き離すか……)

 残りの距離が、4000m、3000mと少なくなってくる。ロイヤルホーンは、そこでもまだ動かない。ヴァージンは、ロイヤルホーンの足音を時折意識しながら、残り2000mの段階までにはペースアップしようと決めた。

 だが、2000mまで残り1周に差し掛かった20周目、ロイヤルホーンの足が一気に踏み込んだのを、ヴァージンはその耳ではっきりと聞いた。湧き上がる歓声の中、彼女の体がヴァージンに再び影を落とす。

(ロイヤルホーンさんが、勝負に出る……!)

 ヴァージンは反射的に「フィールドファルコン」を強く踏み込んで、迫ってくるロイヤルホーンを振り切ろうとした。だが、加速を始めた彼女の横から、ロイヤルホーンが躍り出た。それまで72秒だったロイヤルホーンのラップが、ここに来て突然70秒を切るペースに上がっている。

(ここで前に出られたくない……。今が、私の勝負の時……!)

 ヴァージンにとって、残り2000mより前でスパートをかけることは避けたい。それでも、「まだこのレベルの」ロイヤルホーンに前に出られたくないと、その脚に強く言い聞かせており、その意思が彼女の脚を動かした。

 彼女の足に携えた「フィールドファルコン」が、普段よりも早めにトラックの上に飛び立つ。ラップ70秒をわずかに上回るペースで、真横に立ったロイヤルホーンを少しずつヴァージンの後ろに退けていく。ここでようやく、残り2000m。記録計に輝いているタイムは23分53秒ほどだ。

(まだ、本気のスパートを見せちゃいけない……。「フィールドファルコン」だって、それくらい分かっている。でも、ロイヤルホーンさんだってきっと、ここで沈むようなアスリートじゃない)

 ヴァージンは、ラップ70秒ほどまでペースを落とすものの、一度戦闘態勢に入った「フィールドファルコン」のパワーが徐々に大きくなってくるのを感じた。すぐ後ろにいるロイヤルホーンをはっきりと意識しながら、スパートでの勝負を待っていた。

 残り1200mを過ぎたあたりで、スタジアムの歓声が再び大きくなった。多くのアフラリの人々が、地元のアスリートの名を叫び始めると、それがロイヤルホーンの追い風になっていく。ヴァージンの感覚では、ロイヤルホーンが一気にラップ68秒までペースアップしたように思えた。

 コーナーを曲がりきったとき、ロイヤルホーンに再び並ばれた。だが、ヴァージンはそれでも動じなかった。

(残り1000m目前。ちょうど、私の本気のスパートを見せつける時。面白い勝負になってきた)

 再びヴァージンの横に出て、そのまま前に出たロイヤルホーンは、ヴァージンを抜き去る瞬間にはラップ67秒に近いペースまで高まっていた。

 残り1000mのラインを、ロイヤルホーンが26分48秒ほどで駆け抜けた。わずか1秒差で追いかけるヴァージンは、ここで一気にペースを上げた。静かに羽ばたいていた「フィールドファルコン」が、一気に戦闘モードに切り替わる。

(この差なら、もうロイヤルホーンさんとの勝負じゃない。自分自身との勝負に、早く集中できる!)

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