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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
最速女王の脚 さらに加速する
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第59話 女王ヴァージンに授けられた翼(5)

「それでは、私ども『エクスパフォーマ・トラック&フィールド』から、女子長距離走、ラン、マラソン向けの新しいシューズの発表会を行いたいと思います!モデルアスリートのヴァージン・グランフィールド選手、どうぞ舞台上にお上がりください!」

 エクスパフォーマのプレスルームで、ヒルトップが普段よりもずっと甲高い声でイベントの開始を告げた。記者たちが一斉にカメラを向ける中で、ヴァージンはそのシューズを履いて舞台に上がった。フィッティングルームで見かけたガラスケースは、この時も机の上に置かれていた。

「グランフィールド選手が早速履いてくれているようですが、このシューズのコンセプトをまず申し上げましょう。それは、次の一歩を踏み出すため、そしてライバルや記録と戦うための翼です」

(私の思い浮かんだイメージを、ヒルトップさんはそのまま使っている……。「バーチャル競技場」で私が飛んでると言ったし、名前も名前だから、コンセプトもそうなったんだ……)

 ヴァージンは、自らイメージを作り上げたシューズであることを、この言葉だけで実感した。「Vモード」よりもずっと、イメージに携わっている。彼女は両足に携えるシューズの力を、その場ではっきりと感じた。

「次の一歩を踏み出すのに、これまでのシューズでは多くの無駄がありました。走りたいという気持ちを、次の一歩に100%伝えることができませんでした。ですが、このシューズはつま先の角度を少し上げ、力を伝えています。長く走っても、それにグランフィールド選手のようにハイスピードに切り替えたとしても、疲れ知らずのギアになっております」

 ヒルトップがそこまで言うと、ヴァージンをガラスケースの前まで案内した。そして、名前を告げるとともにガラスケースを持ち上げるよう、ヴァージンに告げた。

(いよいよ、私の新しいシューズが世界に羽ばたいていく……)


――その名も、「フィールドファルコン」です!


 その瞬間、舞台の背後にあったモニターに、両足の底に描かれたロゴ――トラックの上を力強く翔ぶファルコンの姿――が映し出され、それと同時にヴァージンはガラスケースを勢いよく持ち上げた。プレスルームのライトに照らされ、ただでさえ赤く輝く真新しいシューズが、この日は自ら光を発しているかのように眩かった。

「この『フィールドファルコン』、この春から夏にかけてスポーツショップなどで正式に発売していきたいと思います。製品の予約も、只今から受け付けますので、ぜひグランフィールド選手のように力強い走りを見せたい女性の皆様、私どもの生み出したこのシューズをご検討ください!」

 割れんばかりの拍手が、ヴァージンと「フィールドファルコン」を包み込み、華々しいデビューイベントは幕を閉じた。舞台から降りる間も、ヴァージンはシューズにはっきりとパワーを感じていた。


「緊張したけど……、やっと終わりました……」

 フィッティングルームに戻ってきたヴァージンは、本来は戻る必要のない二人が入ってくると、そっと呟いた。

「グランフィールドが名前考えたって聞いたけど、その名前が言われるのものすごく緊張するよね」

「俺も、使ってたスパイクがモデルになったときは、イベントでゾクゾクした経験がある」

 カルキュレイムとオルブライトが、互いに顔を見合わせながら言う。その中でヴァージンは、「フィールドファルコン」を脱いで、家からここまで来るときに履いていた革靴に替えようとしたが、逆に革靴のほうをしまった。

「私もこのシューズを考える時、ネーミングセンスがないと思ってました。でも、時間が経つにつれて名前に愛着を持てるようになって……、今日は全然ビクビクしなかったです」

「いいよな、なかなか本番で緊張しないの。トラックでスタート位置に立つときも、そんな感じなんでしょ」

「カルキュレイムさん、私はレースでは少しだけ緊張してます。もう長く現役続けてますが」

 ヴァージンがそう言い終わったとき、不意にオルブライトの表情が曇った。それから何かを言いたそうなまなざしを、その場の二人に送った。

「話を遮って悪いが、グランフィールドの言葉で言うタイミングができた。俺が、二人に伝えたいことだ」

「オルブライトさん……」

 ヴァージンは、イベントの前にこの部屋で告げられたことを忘れていた。カルキュレイムがすぐにオルブライトの表情を覗き込み、ヴァージンもやや遅れてオルブライトの目を見た。

 少しだけ、時間が通り過ぎていった。廊下で誰かが歩いている足音が聞こえ、それが静かに収まると、オルブライトは静かに話し始めた。


「ヒルトップには既に伝えているが、俺は今年限りで現役を引退する。勿論、エクスパフォーマのモデルもだ」


 オルブライトの表情は、何一つ変わらなかった。彼の目はヴァージンとカルキュレイムを見つめており、二人が何と言うか待ち望んでいるように、ヴァージンには見えた。

「オルブライトの気持ちは分かるよ。一昨年の世界競技会から優勝できてないし、記録も伸び悩んでいる。その中で、オルブライトは限界を感じた。そうじゃない?」

 カルキュレイムがそう告げると、オルブライトはそっと首を横に振った。

「それは、50%間違っているな。限界を感じたわけじゃないし、俺たちアスリートに限界なんてないからな」

 オルブライトは、静かにため息をつく。それから小さく首を横に振った。

「やめたほうがいい、と誰かに言われたわけじゃない。俺の伸び悩む記録が教えてくれたわけでもない。自分で最後のチャンスをいつにするか決めたいんだ。それが、俺の最後の目標だ」

(オルブライトさん……)

 ヴァージンは、何かを言おうとするも、口を小さく開いたまま何も言うことができなかった。彼女はこれまで、重大なケガを負ったり、バッシングを受けたり、レース中に心が折れたりして、そのままトラックを去っていくライバルを何人も見た。だが、自分自身で引退の日を決めたライバルとは、これまで出会ったことがなかった。それだけに、オルブライトの普段と変わりのない目を見るヴァージンは、逆に涙を浮かべた。

(こうやって、別れを告げるアスリートだっているんだ……)


「グランフィールド、泣いてる……」

 数秒の沈黙を破って、カルキュレイムの言葉がヴァージンの耳に飛び込み、彼女はすぐに我に返った。首を何度も横に振り、カルキュレイムにやや早口で返した。

「泣いてません。つい、オルブライトさんがすごいなって思っただけです」

「グランフィールドは、俺たちと肩を並べるスーパーアスリートだけど、時には女子っぽさも見せるな」

「女子っぽさって……。私、あまり感じたことないです。でも、人よりずっと涙もろい自覚はあります」

 ヴァージンがそう言うと、二人は小さく笑った。オルブライトの引退を告げられてから数分と経たないうちに、フィッティングルームは再び笑顔に包まれた。


 その夜、「フィールドファルコン」を履いたまま家路に急ぐヴァージンは、ふと足を止めて夜空を見上げた。オメガセントラルの明るい空でもはっきりと見える、小さな一等星が彼女を見下ろしていた。

(私も、もう現役生活14年目……。記録はずっと伸びてるけど、いつかオルブライトさんのように、走りたい気持ちに逆らってまで、自分で自分の最後を決めなきゃいけないのかな……)

 街灯に照らされるヴァージンの影は、彼女の背丈よりもずっと長く見えた。少なくとも、まだ「その時」ではないことは分かっていた。

(メドゥさんは、引退の1年くらい前から、後ろめたいような表情を浮かべていた……。でも、自分では最後をいつにするか言えなかった……。そして、その機会がないまま、私の目の前で心が折れた……)

 トラックに崩れ落ちる瞬間のメドゥは、ヴァージンとともに勝負の世界という荒波にもまれ、這い上がる勇気を失い、ついに沈んでしまった。その瞬間をはっきりと見ただけに、オルブライトの発表を聞いたヴァージンは、もしメドゥに「そのような引退の仕方」を告げられたら、という「あり得ない過去」を考えるしかなかった。

(どのライバルも、最後はみな自分でトラックを去っていったことに変わりはないけど……)

 夜空に向かってため息をつきながら、ヴァージンは再び歩き出した。

(私は、その時が来たら、最高の引退の仕方を考える。少なくとも、引退する日は自分で決める。決めたい!)

 新しいシューズに包まれ、まだ衰え知らずのヴァージンは力強く夜道を歩く。

 だが、一度固まったはずの決意は、それからわずか数日で再び迷うことになるのだった。


「グラスベスvsノースハイランド、間もなくキックオフです!」

 グラスベスのホームスタジアム、アルデモードが取ってくれたスタンド最前列のチケットを握りしめ、彼女は試合開始の時を待った。

(アルにとって、今日は絶対に失敗のできないゲーム……。頑張って……。私、祈ってるから……!)

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