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世界記録のヴァージン  作者: セフィ
最速女王の脚 さらに加速する
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第58話 トップスピードを超える力(1)

 アメジスタの首都グリンシュタインに新しいスタジアムができる。その約束を受けたヴァージンにとっては、これまでで最も心を休められる帰郷となった。父ジョージには、最近のレースのことやスタジアム建設をめぐる対立が続いていたときの心境などを語り、アメジスタ文化省には、最後に世界記録を叩き出したときに履いていた「Vモード」を寄贈するなど、有意義な1週間を過ごしたのだった。

(父さんも嬉しそうだったし、それに何よりも、文化省の記念スペースが狙われなくて、本当に良かった……。今のところ、私の活躍をアメジスタ国内で見られるのは、あの場所だけだもの……)


 そのニュースは、アメジスタからその日のうちに発せられることはなかったものの、オメガに戻ってきたヴァージンの表情からアルデモードには簡単に読み取られた。

「もしかして、アメジスタが仲直りした以上の嬉しいニュースがあったでしょ」

「アル、もしかしてニュースで流れたの?和平式典で、ファイエルさんたちが言ったことを」

「流れてないよ。でも、ヴァージンの表情から分かるんだ。全ての悲しみを、帳消しにしてくれるぐらいのね」

 そう言って、アルデモードはゆっくりとヴァージンのもとに近づいた。ヴァージンは旅行用カバンを置き、議会対立のニュースが流れた日から棚にしまい放しだった、スタジアム改修計画の図面をおもむろに手に取った。

「グリンシュタイン復興の象徴として、街の中心部に世界レベルのスタジアムを作ることになったの!」

「ほ……、ほ……、本当……!?街があんなことになっちゃったから、かなり難しくなっていたはずなのに……」

「そう。たしかに、荒れ果てたスタジアムには、街から逃れた難民たちがいっぱい流れてきて、そこで命を落とした人だってたくさんいる。でも、彼らが住んでいた地域は、道も建物も全てがなくなって、全てを一から建て直すことになったの。だからこそ、アメジスタの象徴と言えるような場所に、アメジスタ人の心を一つにできるようなものを、もう一つ作ることになったわけ」

 ヴァージンが、ファイエルから直接聞いたことをアルデモードに伝えると、アルデモードが嬉しそうに何度もうなずいた。だが、彼の表情はそれでも驚きを隠すことができなかった。

「なるほどね……。君は……、やっぱり不可能を可能に変えられるような、すごい力を持ってるよ……!」

「ありがとう、アル。それと……、所得だけで分断されていたロープもなくなったし、少なくとも何も残らない戦争を経験したほとんどの人が、グリンシュタインを二分することだっておかしいと言ってた」

「本当は、そうじゃなきゃいけないよね……。同じアメジスタ人なんだからさ」

 アルデモードがはっきりとうなずくと、ヴァージンは唇を小さく開いて、笑った。


 オメガに戻った翌日から、ヴァージンは再びエクスパフォーマのトレーニングセンターに通う生活を始めた。世界競技会からアメジスタに向かう前は2回しか行わなかったマゼラウスとのトレーニングも、その日から早速行うことに決めていた。

 室内トレーニングルームでストレッチに励んでいる時でさえ、彼女は何度も心の中でこう呟いていた。

(私は……、もう止まってなんかいられない……。5000m13分台は、私だけのものじゃなくなっているから)

 世界競技会でも追い越せなかった、完成度の高いメリナのスパート。13分56秒19の世界記録も、メリナの脚が塗り替えるのも、秒読みに近い状態になっていた。ウォーレットに目の前で世界記録を破られた時の経験を、彼女は二度と味わいたくなかった。

(メリナさんに、できない走りをする。私は、メリナさんの自己ベストをまた引き離すだけ!)

 その言葉を、思わず口から出そうとした時、トレーニングルームにマゼラウスが入ってきた。彼の手には、いくつかのグラフが書かれた紙が握られていて、ヴァージンにそのグラフをはっきりと見せていた。

「アメジスタのスタジアムの話が、思わぬ方向に向かって、お前にとってはさぞかし嬉しいことだろうな」

「ありがとうございます。もしかして、メドゥさんから聞きましたか」

「昨日、お前がメドゥに電話してたときに、私はすぐ横にいたんだよ。思わず手を叩きたかった」

 そう言うと、マゼラウスは小さく笑った後、手に持っていた紙をヴァージンに差し出した。

「それはそうと、お前がアメジスタに戻っている1週間で、私はお前の悩みに真剣に向き合ったよ。どうすれば、今以上に速く、今以上の世界記録を出せるかということを」

「ありがとうございます……。私も、メリナさんに13分台を出されてから、ずっと悩んでいました」

「今回のこともあって、なかなか結果を出せなかったから、お前もずっと悩んでいるんだろうなと思った。だからこそ、これからの次のシーズンに向けて、お前の方向性を一緒に決めていこう」

「はい」

 ヴァージンは、マゼラウスから渡された紙に目を通した。

(これは……、今までの私が走ったレースのラップタイム……)

 場所や日付を見るまでもなく、最終的なタイムは全てヴァージン自身が叩き出したものだと分かった。決して世界記録を更新できた時だけではなく、トップを走るライバルの背中に全く届かなかったレースまで、事細かに分析されていた。

「ガルディエールが、レースの動画を全て見たと言った以上、私だって見なければいけないと思った。そこで、お前のラップタイムとレース結果を見てみたが、やはり……、お前の最大の武器は長続きしないことが分かった」

「長続きしない……。それはつまり、どういったことですか」

「3600mや3200mあたりからスパートを始めたとき、最後の1周のどこかで失速するか、そもそも最後のギアまで上げることができず、ゴール手前でもがき苦しんでいるように見える。うまくスパートが決まっているときの走りは申し分ないんだがな」

 ヴァージンは、マゼラウスの言葉が一段落すると、小さくうなずいた。言われるまでもなく、そのことを分かっていた。だが、ヴァージンが改めてグラフに目をやったとき、ポイントごとに小さな文字で書き込みがされていることに気付いた。

「だだ、そうは言っても、お前の本来のスパートを失わせてまで、早めのスパートをかけざるを得ない理由もちゃんとある。前が動いた時だ。その一瞬だけ、お前の自信は揺らいでいる」

「自信が揺らぐということは、レース中に不安になるということですか」

 ヴァージンがそう尋ねると、マゼラウスははっきりと「そうだ」と言い切った。

「トレーニングでは、お前一人しか走らない。そこでさえ、お前が全力で走れるのは、その力に自信を持っているからだろう。それに加えて、本番でも先行逃げ切り型の選手のペースがそこまで動かなければ、最後に抜けるという自信を、お前は持っている。ただ、その前を行く選手にプレッシャーを掛けられたとき、お前は自信に満ちた走りから、そのライバルとの戦闘モードに切り替わってしまう」

 ヴァージンは、マゼラウスの言葉にうなずいた。だが、次の瞬間にかすかに天井を見た。それから、ゆっくりとマゼラウスに告げた。

「たしかに、自信を失ってしまって、このままじゃ負けると思うのは確かです。けれど……、どのレースも最後の1000mは、コーチの言う戦闘モードに切り替わるような気がします」

「それは間違いない。最後の1000mで力を発揮できるのが、お前の武器なんだ。だからこそ、それをラスト1000mから決められるように、お前に精神的な余裕を持たせたい」

(精神的な……、余裕……)

 ヴァージンは、マゼラウスから言われた一言に戸惑いの表情を見せた。それでも、彼女はマゼラウスの目を見つめながら、はっきりとうなずいた。

「だからこそ、お前が取り得る二つの方法を、私は考えた。それは、この紙の裏側を見て欲しい」

 マゼラウスにそう言われたヴァージンは、グラフが書かれた紙を軽々と裏返した。その瞬間に、ヴァージンはマゼラウスが何をしたいのかすぐに気付いた。

(やっぱり、このどちらかしかない……)

「序盤のラップを上げて、メリナとの差を縮めてスパートに臨むこと。それが一つ。あともう一つは、お前のスパートそのもののパワーを上げてみることだ。これから数ヵ月にわたって、お前の実力が伸びそうな方法を決めていくから、付いてきて欲しい」

「分かりました!」

 ヴァージンは、マゼラウスの提案に大きくうなずいた。

「それなら、今日のトレーニングから、さらに精度を高めたラップトレーニングを行う。ともすれば、お前の走り方を一から変えることになるかも知れないが、数回だけ付いてきて欲しい」

 そう言うと、マゼラウスはヴァージンにうなずき、それからトラックへと足を向けた。ヴァージンもまた、これから始まろうとするトレーニングのことを、自らの頭の中で整理していた。

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