第56話 ヴァージンの夢のせいで(4)
家に戻ったヴァージンは、すぐにネットのニュースを開いた。トップページの下のほうに「アメジスタ 混乱収まらず」というタイトルがあり、彼女はすぐに開いた。
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巨大スタジアムを建設する公共投資をめぐるアメジスタ議会対立に関連し、建設反対派のジャイルズ保守党党首は昨日、「スラム街の人々に戦闘に参加するよう働きかけた」と語った。8年前の債務危機問題をめぐる内戦の後、ロープによって分断された側の人々の支持を取り込むとみられる。
ジャイルズ保守党党首は、アメジスタの貧困層に必要な政策は生活の支援であり、箱物の建設ではないと以前より主張しており、議会ではスタジアムの建設に一貫して反対し続けてきた。箱物に対する予算を、地方で学校に通うことのできない子供たちへの通学支援や、スラム街の衛生問題解決など、主に貧困層への支援に回すよう主張しており、貧困層が保守党側に従うのは間違いないとみられる。
首都グリンシュタインでは、地方や国外から兵器類が送られてきており、今のところ戦闘は起きていないものの、スタジアム建設をめぐって首都が二分される様相を見せている。
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(そんなはずない……。分断されたみんなのほうが、私に理解をしてきたはずなのに……)
ヴァージンの脳裏に、ロープの向こう側にいるビルシェイドの笑顔が浮かび、すぐに消えていった。
(生きるための支援は、たしかに貧しい人々に必要……。でも……、分断されたみんなが望んでいるのは……、明日を頑張るための、勇気や希望だと思う……)
文字だけで伝えられるニュースを見つめながら、ヴァージンは何度も首を横に振った。ビルシェイドだけではなく、ロープの向こう側で見てきた人々の表情が、一人、また一人と思い返される。
(ビルシェイドさんが……、私が走っているのを……、私が世界記録を出すのを実際に見て……、みんなに伝えてくれたはず……。でも、そっちにいる人たちが、どうして私の夢を受け入れない方向に動くのだろう……)
ヴァージンがようやくパソコンの画面から目を離そうとしたとき、彼女はその後ろに人の気配を感じた。振り返ると、そこにはアルデモードが立っていた。
「随分落ち込んでいるように見えたから、ただいまと言ってから声を掛けられなかったよ……、ヴァージン」
「ありがとう……」
アルデモードが心配そうな表情を浮かべているのを見て、ヴァージンは少しだけ笑ってみせた。だが、笑おうとしても、彼女の口元がそれほど緩むことはなかった。
「アル……、ニュース見たでしょ。アメジスタの分断された側に、保守党が支持を取り付けているの……」
「みたいだね……。でも、僕も僕で、推進派がどうなっているか、最近気になってたんだ。でも、外国のメディアに報じられているということは、それだけで大ごとになってしまったってことなのかも知れないね」
「そう思う。で、アルが見たニュースってどんな感じなの」
ヴァージンがそう尋ねると、アルデモードは小さくうなずいて、思い出すように彼女に告げた。
「推進派も、グリンシュタインの街で、キャンペーンを行っているみたい。アメジスタが世界一貧しい国から抜け出すためには、世界から見て恥ずかしくないものを作るべきだと。アメジスタがそこまで弱い国じゃないってことをヴァージンが示してくれて、みんなその後に付いて行こうよって、ファイエルが言ってるんだ」
「ファイエルさんは……、やっぱり分かってくれている。私が何のために走っているのか……」
ヴァージンは、首を小さく横に振ってからアルデモードにそう告げた。だが、次の言葉を言おうとしても、彼女の頭の中で言葉が思いつかなくなった。そして、しばらく静かな時間が流れた後、ようやく口を開いた。
「アメジスタのために……、アメジスタが世界一貧しい国から抜け出すために……、どっちも正しい主張をしている。いや、お互いがお互い、正しい主張だと思っている……。それが怖い……」
「怖い……。なんか、ヴァージンがそう言うのも分かるような気がする」
アルデモードは、パソコンに表示されたままのニュースに右の人差し指を近づけて、気になった部分をその指でなぞった。それから、ヴァージンに向き直った。
「アル……、やっぱりこのニュースが気になって仕方ないのね……」
「見えちゃったんだよ。兵器類が送られているって文字を……。議会の対立だけだったのに……、言葉だけで解決できない問題になりそうな気がするんだ……。それが、ヴァージンが怖いと言ってる理由だと思う」
「アルの言う通り……。どうしてこんなことになっちゃうの……」
ヴァージンは、拳を丸めながら、悔し紛れにそう言葉を残した。だが、その拳をふるうべき相手は、この場には自分しかいなかった。
(アルにも……、この気持ちをぶつけるわけにもいかない……。ただでさえ心配かけちゃってるし……)
その時だった。アルデモードの手が滑らかに動き出すのがヴァージンの目に見えた。その温かな手が、そっとヴァージンの肩に触れたとき、それまで硬かった彼女の表情が少しずつ緩み始めた。
「ヴァージン。そう憤るのは、君が本気でアメジスタのことを考えているって、何よりの証拠だよ」
「そうね……。アルだって……、アメジスタのことを考えてるでしょ……。夢を形にした、故郷だし……」
ヴァージンもその手をアルデモードの肩に伸ばし、軽く叩いた。ヴァージンの目に映るアルデモードの瞳が、わずかに潤んでいるように見えた。
その瞳が、ヴァージンの決意を固めた。そして、手をアルデモードの肩に当てたまま、彼女は力強く言った。
「私、行く。……アメジスタに行く」
「行ってもいいけど、1週間帰って来られないじゃん……。気持ちは分かるけど、別の方法で伝えたほうがいいんじゃないかな……。スタジアムの建設に反対しているジャイルズに……手紙を送ってみるとかさ」
「それだけならできるかも知れないけど……、私はむしろ、アメジスタの……、グリンシュタインの人々が、ものすごく心配でたまらない。特に、あのロープの向こう側……、反対派が支持を取り付けているところ」
「大丈夫だと思うよ。ヴァージンが……、今まで信じてきたんだからさ」
アルデモードが、そっとヴァージンに告げるも、彼女はかすかにうなずくだけだった。
「いま、アメジスタで何が起きているかを見るまで……、私は気が気じゃない。アメジスタのことが心配で、タイムも伸びなくなってるし……」
「たしかに……、心配事は知らず知らずのうちにパフォーマンスにも出ちゃうからね……」
アルデモードはヴァージンの肩を軽く叩いた。その瞬間、ヴァージンは胸が熱くなったように思えた。
コーチのマゼラウスと、代理人のメドゥに事情を伝え、翌週の1週間をアメジスタで過ごすこと、戻ってきたときにはレースまで1週間ほどとなっているが、本番に向けてアメジスタでも調整を行う旨を告げた。
二人にアメジスタ行きを告げた翌日、彼女はトレーニング後に自ら航空券の予約に向かった。だが、アメジスタ行きの飛行機を予約しようとしたとき、ヴァージンはすぐに異変に気が付いた。
(いつも週1便しかないのに、私が乗ろうとしている日だけ6時間後に臨時便が出ている……)
オメガセントラル国際空港の出発日だけを告げたときに、カウンターから「どちらの便ですか」と言われるまで、臨時便の存在を知らなかった。だが、アメジスタで生活していた時でさえ、臨時便がグリンシュタインに降りたことは、彼女は聞いたことがなかった。
「あの……、すいません……。この臨時便は、すぐにまたオメガに引き返しますか?」
「はい、グリンシュタインに向かった以上は、すぐに戻らなければいけませんから」
その瞬間、ヴァージンは心の中で「よし」と叫んだ。今回彼女は、グリンシュタインの中心部に用があるだけで、特段実家に戻るつもりはなかった。オメガに戻る臨時便が出るのであれば、いつものように翌週の便を待つことなく、また戻ることができる。
「すいません。行きを定期便で、帰りをその臨時便の折り返しでお願いしたいのですが……」
「分かりました。では、往復で1200リアになります」
ヴァージンは、財布の中から1200リアをちょうど出し、アメジスタへ往復するためのチケットを手にした。だが、その間にも彼女は臨時便を出す理由について考えていた。
(なんか、イベントがあるという話も聞いてないし……、ただでさえ議会があれほど荒れているのに、どうして臨時便が出るんだろう……。もしかしたら、オメガからアメジスタに視察したいという人々でもいるとか……)
このヴァージンの憶測があまりにも前向きだったことを後悔するまでには、それほど時間がかからなかった。この時の彼女は、アメジスタの現実をあまりにも知らな過ぎていたのだった。